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第44話 神様
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両親のどちらからも愛情を与えられなくなった一人娘。少女の体についた痣や生傷に気付いても、使用人達すら誰一人として声をかけることはなかった。
しかし……ただ一人、『彼』だけは違っていた。
「アリス、」
母からの身体的虐待、父による事実上の育児放棄。
日を追うごとに笑わなくなり自分の世界に閉じこもる少女を、妾の子である『彼』だけは見て見ぬ振りをしなかった。
「大丈夫、アリスには僕がついてる。だから……ねえ、笑って?」
はじめは、同情に近い気持ちだったかもしれない。可哀想な少女を見て、加護欲を煽られただけの可能性もある。
けれど、
「僕は、僕だけは……何があっても、ずっとアリスの味方だよ」
同じ時を過ごすうちに、彼はたしかに――少女に、恋をしていたのだ。
そして、唯一自分に優しくしてくれる彼に少女が恋をするのは、至極当然の流れのようにも思えた。
「ジョーカーお兄ちゃま、だいすき」
「ありがとう。僕も、アリスのことが大好きだよ」
だが、神様はあまりにも残酷だった。
***
それは、少女が迎えた五回目の誕生日の午後。
「いいかい、アリス。落ち着いてよく聞くんだよ……ジョーカーが、死んだ」
「……えっ……?」
少女を唯一愛した『彼』は――街へ出かけた際に背後から迫る速度違反の車に跳ね飛ばされ、救命処置が施されるより前に命を落としたのだった。
***
少女はまた、殴られ罵られる独りぼっちの生活に逆戻り。
そして『彼』は、“悪魔”に魂を売った。
「僕はまだ、死ねないんだ……このままアリスを置いて逝くなんてできない……」
「……未練なんて、ここでは何の意味も無い。さっさと成仏するのが身のためだぞ」
牢屋の中で、悪魔は嘲る。
その藍色の瞳を真っ直ぐに見据えて、彼は言った。
「あの子が……アリスが、心配なんだ」
「俺には関係のない話だ」
彼は、直感で理解していたのかもしれない。
目の前の“悪魔”が、地獄の遣いではない事を。
「……僕が死ぬ代わりに、誰か……『何にでもなれる』誰かを、彼女のそばに置いてほしい。君には、それができるんだろう?」
「……」
「悪魔にすがる人間なんて、ありふれた滑稽な姿は見飽きてるかもしれないけど……お願いだ、きっと君にしか頼めない。僕の魂でも、何でもあげる。四肢を切断しても、内臓を食ってくれても構わない。だから……僕の代わりに、アリスを守る『ジョーカー』になってほしい」
ワンダーランドの奥深く。さらにその先、闇の国。ボロ雑巾のように扱われて投獄された、罪無き罪人。
皆はそいつを『悪魔』と呼ぶ。
「……一つ、訂正しておくが……俺は、悪魔じゃない」
「そうか、良かった……それなら、安心してアリスを任せられる」
彼は、自身が投獄される代わりに“それ”を解放した。
「……」
彼の姿に化けることなど、“それ”には赤子の手をひねるよりも簡単な事だった。
だが、
「アリスとやらの女の前でお前のふりをするのは構わないが、お前は自分が死んでいる事を忘れているんじゃないのか?」
(そうだ、)
せっかく、自分の影武者となる存在を見つけることができたのに。ここから先、どうすればいいのかわからない。
(僕は)
現実世界で自分は死んでいるというのに、どうやって『偽物』に差し替えればいいのだろうか?
(どうしよう、どうしよう)
こうして悩んでいる間にも、
(しんじゃった……ジョーカーお兄ちゃまが、しんじゃった)
彼女の涙は、
「後継はどうするんだ!?」
「そ、そんなこと……私に言われても困ります!!」
時間は、止まることがない。
(アリス、お願いだ……泣かないで、アリス……)
どうしたらいい?
「今さらアリスを跡継ぎにするとでも言う気か!? そんな事、一族の誰も認めるわけがない!!」
どうすれば、どうすればどうすれば。
「やだ、やだ……うそだよ。ジョーカーお兄ちゃまがしんじゃったなんて、うそ……わるいゆめでしょ……?」
――ねえ、アリス。笑ってよ。
「……手を貸そうか? ジョーカー」
***
エースの語る『昔話』に理解が追いつかない。
「……『現実』である私が能力を使い、アリスの造り上げた妄想の世界を具現化させた。そして……白ウサギがアリスを初めてこの世界へ連れて来たのは、三年前のことだ」
(三年前……?)
「自身が深く愛し続け、さらに愛してくれた人物の突然死で、アリスの心は一度壊れかけた。それを見て苦しむ彼……アリスの『お兄様』に、気まぐれで私が手を貸した……現実と記憶から生まれた私は元々、はるか昔から『エース』という一個人ではなく『概念』として存在し続けていたからね」
「……な、に? それ……」
彼が教えてくれた話の全てを、受け入れることができなかった。
(ジョーカーお兄様は、もう死んでいる? エースが、ジョーカーお兄様に手を貸した……?)
何を言っているのか、さっぱりわからない。
思考回路がショート寸前の私を気にもとめず彼は私の片手を取って、例の針がない懐中時計をふわりと空中へ浮かべた。
無重力空間にでもいるかのように足が地面から離れた瞬間、モノクロの世界は眩しいほどの純白に染まる。
「……っ!?」
「耳で聞くよりも、目で見た方が早いだろう……ここからは、アリスの知りたがっていた『この世界で過ごした過去の記憶』と『住民達の過去』……その一部を、見せてあげよう」
瞬間――懐中時計がまばゆい光を放ち、文字盤の上に表れた時計の針が目まぐるしい速度で反時計回りに回転し始めた。
しかし……ただ一人、『彼』だけは違っていた。
「アリス、」
母からの身体的虐待、父による事実上の育児放棄。
日を追うごとに笑わなくなり自分の世界に閉じこもる少女を、妾の子である『彼』だけは見て見ぬ振りをしなかった。
「大丈夫、アリスには僕がついてる。だから……ねえ、笑って?」
はじめは、同情に近い気持ちだったかもしれない。可哀想な少女を見て、加護欲を煽られただけの可能性もある。
けれど、
「僕は、僕だけは……何があっても、ずっとアリスの味方だよ」
同じ時を過ごすうちに、彼はたしかに――少女に、恋をしていたのだ。
そして、唯一自分に優しくしてくれる彼に少女が恋をするのは、至極当然の流れのようにも思えた。
「ジョーカーお兄ちゃま、だいすき」
「ありがとう。僕も、アリスのことが大好きだよ」
だが、神様はあまりにも残酷だった。
***
それは、少女が迎えた五回目の誕生日の午後。
「いいかい、アリス。落ち着いてよく聞くんだよ……ジョーカーが、死んだ」
「……えっ……?」
少女を唯一愛した『彼』は――街へ出かけた際に背後から迫る速度違反の車に跳ね飛ばされ、救命処置が施されるより前に命を落としたのだった。
***
少女はまた、殴られ罵られる独りぼっちの生活に逆戻り。
そして『彼』は、“悪魔”に魂を売った。
「僕はまだ、死ねないんだ……このままアリスを置いて逝くなんてできない……」
「……未練なんて、ここでは何の意味も無い。さっさと成仏するのが身のためだぞ」
牢屋の中で、悪魔は嘲る。
その藍色の瞳を真っ直ぐに見据えて、彼は言った。
「あの子が……アリスが、心配なんだ」
「俺には関係のない話だ」
彼は、直感で理解していたのかもしれない。
目の前の“悪魔”が、地獄の遣いではない事を。
「……僕が死ぬ代わりに、誰か……『何にでもなれる』誰かを、彼女のそばに置いてほしい。君には、それができるんだろう?」
「……」
「悪魔にすがる人間なんて、ありふれた滑稽な姿は見飽きてるかもしれないけど……お願いだ、きっと君にしか頼めない。僕の魂でも、何でもあげる。四肢を切断しても、内臓を食ってくれても構わない。だから……僕の代わりに、アリスを守る『ジョーカー』になってほしい」
ワンダーランドの奥深く。さらにその先、闇の国。ボロ雑巾のように扱われて投獄された、罪無き罪人。
皆はそいつを『悪魔』と呼ぶ。
「……一つ、訂正しておくが……俺は、悪魔じゃない」
「そうか、良かった……それなら、安心してアリスを任せられる」
彼は、自身が投獄される代わりに“それ”を解放した。
「……」
彼の姿に化けることなど、“それ”には赤子の手をひねるよりも簡単な事だった。
だが、
「アリスとやらの女の前でお前のふりをするのは構わないが、お前は自分が死んでいる事を忘れているんじゃないのか?」
(そうだ、)
せっかく、自分の影武者となる存在を見つけることができたのに。ここから先、どうすればいいのかわからない。
(僕は)
現実世界で自分は死んでいるというのに、どうやって『偽物』に差し替えればいいのだろうか?
(どうしよう、どうしよう)
こうして悩んでいる間にも、
(しんじゃった……ジョーカーお兄ちゃまが、しんじゃった)
彼女の涙は、
「後継はどうするんだ!?」
「そ、そんなこと……私に言われても困ります!!」
時間は、止まることがない。
(アリス、お願いだ……泣かないで、アリス……)
どうしたらいい?
「今さらアリスを跡継ぎにするとでも言う気か!? そんな事、一族の誰も認めるわけがない!!」
どうすれば、どうすればどうすれば。
「やだ、やだ……うそだよ。ジョーカーお兄ちゃまがしんじゃったなんて、うそ……わるいゆめでしょ……?」
――ねえ、アリス。笑ってよ。
「……手を貸そうか? ジョーカー」
***
エースの語る『昔話』に理解が追いつかない。
「……『現実』である私が能力を使い、アリスの造り上げた妄想の世界を具現化させた。そして……白ウサギがアリスを初めてこの世界へ連れて来たのは、三年前のことだ」
(三年前……?)
「自身が深く愛し続け、さらに愛してくれた人物の突然死で、アリスの心は一度壊れかけた。それを見て苦しむ彼……アリスの『お兄様』に、気まぐれで私が手を貸した……現実と記憶から生まれた私は元々、はるか昔から『エース』という一個人ではなく『概念』として存在し続けていたからね」
「……な、に? それ……」
彼が教えてくれた話の全てを、受け入れることができなかった。
(ジョーカーお兄様は、もう死んでいる? エースが、ジョーカーお兄様に手を貸した……?)
何を言っているのか、さっぱりわからない。
思考回路がショート寸前の私を気にもとめず彼は私の片手を取って、例の針がない懐中時計をふわりと空中へ浮かべた。
無重力空間にでもいるかのように足が地面から離れた瞬間、モノクロの世界は眩しいほどの純白に染まる。
「……っ!?」
「耳で聞くよりも、目で見た方が早いだろう……ここからは、アリスの知りたがっていた『この世界で過ごした過去の記憶』と『住民達の過去』……その一部を、見せてあげよう」
瞬間――懐中時計がまばゆい光を放ち、文字盤の上に表れた時計の針が目まぐるしい速度で反時計回りに回転し始めた。
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