【完結】アリスゲーム

百崎千鶴

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第61話 あの日の悪夢

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「えっ……?」

 ――……サタンが、ジョーカーお兄様だった?

(どういう、こと……?)

 ジョーカーお兄様は私が五歳の時すでに亡くなっていて、不思議の国から帰った後――今まで一緒に過ごしていた『ジョーカーお兄様』は、

「そんな……そんな、の……嘘よ……」
「……」

 ああ……まただわ。
 エースは今にも泣きだしそうな顔をしていて、まるで自分を責め続けているかのような目の色をする。

(……どうして、)

 そんな顔をしないでほしい。
 どうか、泣かないで。

「……たし、が……私が、あの日……アリスがこの国から帰った日。アリスは勿論、母をはじめとした周囲の記憶を消し、都合の良いように繋ぎ合わせたんだ……アリスの兄――『ジョーカー』が生きていても、その場にいてもおかしくないように、そうしたんだ……」

 ふわふわと浮いたまま絞り出すような声でそう言って、彼は顔を片手で覆い隠すとゆっくり地に足を着いた。
 こういう時、私にも心を読んだり思考を覗く能力があればよかったのにと強く思う。

(エース……)

 そうすれば、彼がどうしてそんな顔をするのかわかるのに。

「良かれと思ってやった事だった……当時の私はアリスに大した思い入れもなく、暇潰しのゲーム感覚で手を貸したんだ。自分が干渉する意味を、理解できていないまま……」
「意味……?」
「……アリスが経験した通り、どれだけ『現実』を封じ込めようと、ほんの少しの歪みをきっかけに記憶は簡単に蘇る。芽の生えた違和感を消す事は誰にもできない」
「それがどうしたの……? エースはなにも関係、」
「関係あるんだ!! 私が余計な事をしなければ、アリスにはもっと違う未来があったはずなのに……!! こんなゲームを始めようなどと、考えもしなかったはずだ……!! それなのに……私が、アリスから全てを奪ってしまった……」

 エースの頬を、綺麗な涙が伝い落ちる。

「私のせいだ……」

 濡れた瞳が再び私を映した瞬間、頭の中に直接映像が流れ込んできた。 



 ***



(あれは……)

 綺麗に整備された広い庭の中央に、小さな私が座り込んでいる。いつもと変わらない光景だ。
 周囲は不気味なほどに静かで、頬を撫でて通り過ぎた風が静かに芝生を揺らしている。

「――……!!」
「!?」

 不意に叫び声にも似た何かの音が耳に届き、幼い私は不思議そうな表情で顔を上げるが、いまいち何が起きたのかわかっていない様子だった。

「……?」

 手に持っていた花をその場に置いて立ち上がり、どこかに向かって足を進めようとした瞬間――背後から腕を掴まれる。
 振り返れば、そこには切羽詰まった表情で荒く息継ぎをするジョーカーお兄様が立っていた。

「はっ、はぁっ……アリ、ス……良かった、ここにいた……っ」
「……ねえ、お兄さま。さっき、へんな声が……」
「アリス! すぐに逃げよう!!」

 ――……お兄様はなぜ、そんなに慌てているの?

「え……?」

 小さな私も同じ考えを抱いているのか、不思議そうに首を傾げてお兄様を仰ぎ見る。
 ジョーカーお兄様は必死な形相で私の腕を引っ張り、ただ「逃げるんだ」と繰り返した。

「お兄さま、どうして……?」
「いいから、早く行こう……! 急がないと、」
「アリス、ジョーカー……二人でどこへ行くつもり?」

 生気の感じられない声が、幼い私のすぐそばで言葉を落とす。
 体がこわばる感覚を覚えつつそちらに目をやれば、朗らかな笑みを浮かべて私達を見るお母さんがいた。

「お、かあ、さ……」

 そう――……包丁を片手に持ち、衣服や顔を真っ赤に染めたお母さんが。

「――!?」
「また勝手に出歩いて……」

 鉄臭くて赤黒いそれは、切っ先からぽたりぽたりと滴り落ちる。

(血……?)

 これは、血だ。誰かの血。

(だれの……?)

 何が起きたかわからないけれど、お母さんの“それ”でないことだけは確かだった。
 頭から浴びたみたいに大量の血をもし本人が流しているのだとしたら、お母さんはとっくに動けなくなり息絶えているのだから。
 つまり、

「お……お母、さん……?」

 掠れた声で呼べば、お母さんは目を大きく見開く。

「アリス……ねえ、どうしてこうなったのかお前にわかる……?」
「な、なに、が……」
「わかる? 考えたことある? 無いでしょう? お前さえいなければ……どう? 一度でもお母さんの為を考えた? 全部、全部お前のせい」

 お母さんは微笑んだままぶつぶつと呟いて、包丁を両手でしっかりと握り直した。

「……アリス、逃げるんだ」

 お兄様がそう言うけれど、膝が笑って動けない。

「あの人も死んだ、あの人も死んだ……! あははっ! 私が殺してあげたのよ、お母さんは優しいでしょう? 私を愛してくれないあの人なんていらない、私以外を見るあの人なんていらない。そうよね? そう思うでしょう?」
「……わかん、な……」
「わかるわ。私は間違っていない、お母さんは悪くないの。全部全部、ぜーんぶ、悪いのはアリス。だって、アリスは悪い子。あーあ、アリスが悪い。お前のせいよ」

 血に染まった包丁は高く振り上げられ、

「お前なんか産まれてこなければよかったんだ!!」
「アリス……!!」

 その切っ先は、まっすぐにこちらへ落ちてきた。 

(……ねえ、お母さん)

 どうして、そんな意地悪を言うの?
 お母さんに愛されたいって思うのは、そんなに悪いことなの?

「お母さん……」

 かたく目を閉じた瞬間――鈍い音が鼓膜を揺らし、頬に生暖かい液体が飛んでくる。

(……あれ? いたくない……)

 ゆっくりと瞼を持ち上げれば、目の前にはジョーカーお兄様の後ろ姿があって……彼の首を、お母さんの持つ刃が切り裂いていた。

「……ジョーカー、お兄さま……?」

 噴水のように溢れ出す血を見ても、状況の理解が追いつかない。

「どうして……そうだ、そうだ! おかしいと思ったんだ!! お前も、お前も!! どうしてどうして、何でお前が生きているのよ?! 亡霊が!!」
「ぐっ、ゔ……っ!!」
「誰も!! 誰も信じなかった!! お前が死んだ話をしたら、私の頭がおかしいと言われた!! お前のせいで、お前のせいで……!!」

 私を庇うかのように立ち塞がるジョーカーお兄様に向かって、お母さんは何度も何度も包丁を振り下ろした。
 何回目かの刃を受け止めると、お兄様の体は膝から崩れ落ちる。 

「……ジョーカーお兄さま……? おきて……?」
「……」

 倒れた体を揺さぶるけれど返事はなくて、ただ彼の体から流れ出す血がスカートを汚すだけだった。

「……何で、何で……私は、ただ……どうして私が、あ、あ、ああ……っ!!」

 今まで聞いたことが無い叫び声をあげて、お母さんは手に持っていた包丁を躊躇いなく自分の喉元へ突き立てる。
 ――……お母さんも死ぬのだということは、幼い私でもわかった。

「そん、な……そんな……お母さん……?」

 スローモーションのように倒れていく姿を見て、これは悪い夢なのだと思いたかった。

「……お兄さま、へんじをして……?」
「……」
「い、や……ああ……いや……」

 みんな、みんな死んでしまった?

「……やだ、ちがう……っ、アリスは……」

 私はただ、お母さんに愛されたかっただけなのに。
 いい子だねって頭を撫でて、大好きだよって抱きしめてほしかっただけなのに。
 それなのに、どうして。

「あ、あ……あ……」

 それじゃあもう、わがままなんて言わないから……ジョーカーお兄様、目を開けてよ。
 ねえ、ジョーカーお兄様……お母さん。

「あ゙あ゙、あ゙……あ゙あ゙あ゙あ゙!!」

 お願い、誰か……アリスの名前を呼んで。
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