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定石編
囲碁部と畠山京子(12歳10ヶ月)
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京子と嘉正が通う私立洋峰学園では中等部と高等部の校舎が併設されている。体育館や特別教室棟なども中高共用だ。
部活も中高合同で行なっている。ちなみに文系の部活だけでなく、体育系の部活動もだ。ただし練習メニューは当然違うが。
嘉正が『囲碁将棋部』と書かれた部室のドアを開けると他の部員はすでに集まっていた。
囲碁将棋部の部員数は中等部・高等部合わせて十九人。そのうち奨励会員一人、院生二人。殆どの部員が囲碁部と将棋部を兼部しているうえに部室も同じなので、正確な囲碁部の部員数は部長しか知らない。
机の並び方がいつもと違う。もうすでに京子が指導しやすいように、廊下側を背にするように二列、反対の窓側に背を向けるように二列、机を並べてあった。
「畠山さん、来てくれてありがとう!高等部囲碁部部長の中竹です」
一個人に負担が大きくならないよう、囲碁部と将棋部の部長は一人ずついる。
「僕は中等部囲碁部部長の堀田。よろしく」
「畠山京子です。今日はよろしくお願いします。学校の部活の囲碁ってどんな感じなのかなーって興味あったんですけど、自分から申し出たら厚かましいかなって。だから声をかけてくださって嬉しいです。」
中竹は声を潜めて京子に一番懸念していたことを尋ねる。
「先に確認しておきたいんだけと、指導料いくらかな?」
プロが行う指導は指導料が発生する。料金は指導を行うプロのレベルによって当然金額が変わる。京子のような新入段なら一局につき一万円ほどだが、七大タイトル保持者レベルになると、一局三十万円は下らない。
学校の部活レベルでプロの指導を受けるのは、余程部費に余裕のある学校でなければ無理だ。
「いいえ、結構ですよ。自分が通ってる学校ですし、普及活動の一環として代金はいただきません。棋院側にも話しは通してありますから。特別です」
「本当に⁉︎よかった。助かるよ。じゃあ早速始めてもらっていいかな?」
中竹に案内され部室に入った京子は、ある人物に気づき近づいていった。
「田村先輩、お久しぶりです。今日は勉強させていただきます」
囲碁将棋部の紅一点、高等部一年の田村優里亜。院生だ。
女流棋士採用特別試験の予選で対局した以来だ。サバサバした性格で京子とは馬が合い、短い間だったがすっかり打ち解けた。
「久しぶり。話し聞いたわよ。ずいぶんヤンチャしたみたいね」
(何だ?ヤンチャって?)
嘉正は何の事だかわからなかったが、とりあえず黙って二人の会話を聞くことにした。
「いやー、先輩の耳にも入ってましたか。このタイミングで呼ばれた理由はそれもあったのかな~って」
京子はバツの悪そうな顔をして頭を掻いた。
「そ。私が中竹先輩にリークしたんだけどね」
「問題児だと百も承知で呼んでくださったんですか。ありがとうございます、中竹先輩」
こんな話題を爽やかな笑顔で応える京子に、中竹はどう返したらいいかわからず苦笑いしている。
京子はポカンとした表情の嘉正に気づいた。
「私ね、暴力騒動おこして七月末までの二ヶ月間、出場停止処分くらったんだー」
京子はヘラヘラ笑いながら、さらりと言った。
先日の立花富岳戦での暴力騒動は公表されていない。たとえ名前を伏せても、公表すればネット上に富岳の名が出てくる可能性があり『女に投げられて骨折したカッコ悪い奴』とネットでの炎上を恐れた富岳の両親が公表を拒んだのだ。
「え?ぼうりょ……?」
「対局で負かされた相手を腹いせにぶん投げて骨折させてやったのよ。あ、これ誰にも言わないでね。箝口令、出てるから」
それ、笑いながら言う内容ではないですよ。畠山さん……。
なんだろう?心の奥からガラガラって音が聞こえてくるんだけど……。
「あら、本当はどっちが悪いのかちゃんと聞いたわよ。私、黛さんと同門だから、一部始終ね。
この話聞いてスカッとしたわ!あの生意気なクソガキ、ぶん投げてくれてありがとう、京子」
いや、その黛さんて人も田村先輩も箝口令、破っちゃダメでしょ。
「田村先輩もずいぶん物騒な言い方しますねぇ。例の人、院生の頃からそんなに嫌な奴だったんですか?」
「ストーップ!二人とも、雑談は棋院でやってくれないかな」
中竹が手を叩いて二人の会話を止めた。
「あはは。すみません。では、指導碁を受ける方は何人ですか?」
いつの間にか京子は下ろしていた髪を後ろに一つに束ねていた。
「あの……僕もいいですか?院生だけど……」
手を挙げたのはもう一人の院生、小島太一、中等部二年だ。
「院生に指導となると、指導料を頂きます。ですが練習手合いなら私の勉強にもなるので、料金は頂きません。ただし、指導を優先させるので、多面打ちですけど。どうなさいますか?」
それを聞いた田村も手を挙げた。
「え?だったら、私も練習手合いお願いしていい?」
「僕もそれでいいです。お願いします」
嘉正は首を傾げた。院生二人を相手しながら指導碁って大変なんじゃないのかな……。
てゆうか、そもそも田村先輩、自分より年下で棋士になった畠山さんに、嫉妬心とか無いのかな?まぁ、自分から畠山さんを呼ぶように提案したんだけど。
指導を受けるのは十二人。プラス院生二人で十四面打ち。しかし、部にはそんなに碁盤と碁石が無い。
部室にある碁盤は布盤五面。碁石は全てプラスチック石で五組。足りない分はスマホやタブレットの対局アプリを使うことにした。
初心者の嘉正は指導碁が終わるまで部室の隅でスマホアプリの詰め碁でも解いていようと思っていた。
「あれ?石坂くんは?」
部室の隅で空気のようになっていた嘉正を京子はめざとく見つけた。
「え?僕?僕はまだ十九路盤で打ち始めたばかりで……」
「大丈夫だよ。ちゃんとレベル合わせて打つから。指導なんだから。あ、すみません。布盤、こっちに貸してもらえますか。整地まで指導したいので」
(ちゃんとした手を打たないと、ぶん投げられたりしないよね⁉︎)
京子の武勇伝を聞いてしまった気の弱い嘉正は、膝がガクガクと震えてきた。
「みんな準備はいい?では、お願いします」
「お願いします」
部長の中竹が音頭をとる。指導を受ける全員も挨拶する。
京子も一人一人に「お願いします」と頭を下げ、時計と反対周りに碁盤に白石を打っていく。
●○●○●
嘉正は囲碁を始めて二ヶ月の初心者らしく、ノゾキには手堅くツギでしっかり守ってきた。
「石坂くん、もしかして田村先輩からルールとか教わった?」
「あ、うん」
嘉正の前の席に座っている田村が顔を上げ振り向いた。
「やっぱ分かる?」
「ええ。基礎をしっかり身につけてあるな、と」
「そう。それより京子、なんで囲碁部に入らずバスケ部に入ったの?大会に出られなくても、囲碁の勉強にはなるじゃない」
嘉正の耳がピクリと動いた。
田村先輩ありがとう。僕もそれ聞きたかったです。
「岡本先生が「若いうちはしっかり体力作りをしておけ」と仰ったので。それに私、秋田ではミニバスチームに入っていたんですよ」
ああ、もうお子さんの頃から体育会系でいらしたのですね。
京子は田村との会話を続けながらも手を休めることなく、横に移動し白石を打っていく。
「体力作りかぁ。やっぱプロにとってはそっちの方が大事かぁ」
「長時間座りっぱなしですしね」
会話しながら打ってるよ、畠山さん。しかも十五人分。
「でもさ、体育系だと練習休むと先輩達からいじめられない?」
「私もそれ心配してたんですけど、部員数ギリギリなんで、先輩達は「大会に出てくれればいいから」って言って下さってます。本当いい先輩ばかりで良かったです」
しかも院生の二人にもペースを落とさず、ずっと同じリズムで打っている。
すごい。これがプロなんだ。
しばらくすると、中竹部長の所からカチャカチャと石のぶつかる音が聞こえてきた。整地をしている。終局したようだ。
「ありがとうございました」
「ありがとうございました。ここで三間にヒラいたのはちょっと頑張り過ぎですね。二間で我慢しておいた方がよかったと思います」
次々と終局して一人一人検討していく。
(十五人分の手順、全部覚えてるんだ。すごいな、畠山さん)
嘉正も終局して整地した。
「ありがとうございました」
「ありがとうございました。キチンと整地も出来てます。十五級認定です。おめでとう」
京子が笑顔で拍手した。
「じゅうごきゅう⁉︎」
普通、級位って十級ぐらいからじゃないの⁉︎
「うん。十五級。囲碁の級位って細かいのよ。三十級からあってね、ルールを全部覚えたら十五級なの」
「さんじゅう⁉︎ ……僕、いつか初段ぐらいになりたいなって思ってたんだけど……。なれるかな……」
プロに教われば早く上達するんじゃないかと思っていた嘉正は、思わず弱音を吐いた。
「なれるなれる!私が教えるんだから、絶対なれる!」
毎日教えてくれるわけじゃないのに、畠山さんのその自信、どこからくるの?
「さて、お待たせしました。始めましょうか。先輩方」
あと残っているのは院生の二人だ。
いや始めましょうって、院生の先輩達ももうすぐ終局するんじゃないの?
と、ツッコもうとした嘉正は盤面を見てある事に気づいた。
(あれ?畠山さん確か僕たちに打つのと同じスピードで院生にも打ってたはず。なのにまだ八十手ぐらいしか進んでない?)
という事は院生の方がスピードを落とした?なぜ院生がスピードを落としたかといえば……。
(これから本格的な戦いが始まるんだ)
田村も小島も前のめりになり、眉間に皺を寄せている。
一方京子は表情を変えず淡々と打っている。
京子は二つの盤に音を立てないようそっと白石を置いた。
部員全員が院生二人対プロの対局を見守る。
●○●○●○
「いや~、すごかったな。畠山さん。院生二人に多面打ちで完勝か。さすがあの魔術師・岡本幸浩の唯一の女弟子!」
部活を終え、玄関ホールで靴を履き替える中等部部長の堀田が院生二人にも聞こえるように言い、田村から小突かれた。
「まぁ正直私も多面打ちでここまでコテンパンにやられるとは思ってなかったけどね。畠山さん、女流試験の時よりずっと強くなってたわ」
田村は大きなため息をついた。
どうやら力の差があり過ぎて京子に嫉妬心とかは無いようだ。
初心者から十五級に格上げした嘉正は、何が起こったのかもわからなかった。ただ気づいたら二人とも投了していた。
(僕にもいつかあの碁の内容がわかる日が来るのかな……。なんか石の強弱とかも、全然わからなかったけど……)
京子と同じクラスの嘉正は二人並んで靴を履き替えていた。
嘉正は思い切って京子に話しかけてみた。ただし田村には聞こえないよう小声で。
「畠山さん、すごいね。院生二人相手に勝っちゃうなんて」
「ありがとう。田村先輩とは前に対局したことがあったから、対策立てやすかったからね。小島先輩との戦いの方に集中してたかな。それより大変なのは、指導のほう。特に石坂くんみたいな初心者は」
「え?なんで?相手が弱いほうが楽なんじゃないの?」
「うっかり黒石を殺したりしないか、すっごく気を使うから大変なのよ。あと相手が自滅する手を打ってきたりするから、どうやって立て直そうか焦るし。まぁそれも勉強になるんだけどね」
あれ?もしかして僕、やっちゃったのかな?
怖くて嘉正はそれ以上聞けなかった。
他の部も部活を終えたらしく、玄関は混み合い始めた。
囲碁部員は皆、混雑する前に靴を履き替え、傘を差して玄関を出た。外は梅雨らしく雨が降っている。
赤い傘を持った京子が黒い傘をさす中竹を見つけ声をかけた。
「中竹部長、さっき聞き忘れてたんですけど、囲碁部はいつ大会があるんですか?」
「今週末だよ」
「は⁉︎今週⁉︎なんでもっと早く呼んでくれなかったんですか!そうすれば弱点の対策とかしっかり教えられたのに‼︎」
京子は頭を抱え、かなり大袈裟に一人悶えた。
畠山さん、その格好、美少女には似合わないですよ。
「私の教え子がどこの馬の骨かわからない輩に負けるなんて、ありえない‼︎部長、絶対優勝して下さいね‼︎」
他人事なのに。相当な負けず嫌いだ。
京子は「月一ぐらいは来れるようにします」と中竹部長に指導碁の逆申し込みをしていた。
部活も中高合同で行なっている。ちなみに文系の部活だけでなく、体育系の部活動もだ。ただし練習メニューは当然違うが。
嘉正が『囲碁将棋部』と書かれた部室のドアを開けると他の部員はすでに集まっていた。
囲碁将棋部の部員数は中等部・高等部合わせて十九人。そのうち奨励会員一人、院生二人。殆どの部員が囲碁部と将棋部を兼部しているうえに部室も同じなので、正確な囲碁部の部員数は部長しか知らない。
机の並び方がいつもと違う。もうすでに京子が指導しやすいように、廊下側を背にするように二列、反対の窓側に背を向けるように二列、机を並べてあった。
「畠山さん、来てくれてありがとう!高等部囲碁部部長の中竹です」
一個人に負担が大きくならないよう、囲碁部と将棋部の部長は一人ずついる。
「僕は中等部囲碁部部長の堀田。よろしく」
「畠山京子です。今日はよろしくお願いします。学校の部活の囲碁ってどんな感じなのかなーって興味あったんですけど、自分から申し出たら厚かましいかなって。だから声をかけてくださって嬉しいです。」
中竹は声を潜めて京子に一番懸念していたことを尋ねる。
「先に確認しておきたいんだけと、指導料いくらかな?」
プロが行う指導は指導料が発生する。料金は指導を行うプロのレベルによって当然金額が変わる。京子のような新入段なら一局につき一万円ほどだが、七大タイトル保持者レベルになると、一局三十万円は下らない。
学校の部活レベルでプロの指導を受けるのは、余程部費に余裕のある学校でなければ無理だ。
「いいえ、結構ですよ。自分が通ってる学校ですし、普及活動の一環として代金はいただきません。棋院側にも話しは通してありますから。特別です」
「本当に⁉︎よかった。助かるよ。じゃあ早速始めてもらっていいかな?」
中竹に案内され部室に入った京子は、ある人物に気づき近づいていった。
「田村先輩、お久しぶりです。今日は勉強させていただきます」
囲碁将棋部の紅一点、高等部一年の田村優里亜。院生だ。
女流棋士採用特別試験の予選で対局した以来だ。サバサバした性格で京子とは馬が合い、短い間だったがすっかり打ち解けた。
「久しぶり。話し聞いたわよ。ずいぶんヤンチャしたみたいね」
(何だ?ヤンチャって?)
嘉正は何の事だかわからなかったが、とりあえず黙って二人の会話を聞くことにした。
「いやー、先輩の耳にも入ってましたか。このタイミングで呼ばれた理由はそれもあったのかな~って」
京子はバツの悪そうな顔をして頭を掻いた。
「そ。私が中竹先輩にリークしたんだけどね」
「問題児だと百も承知で呼んでくださったんですか。ありがとうございます、中竹先輩」
こんな話題を爽やかな笑顔で応える京子に、中竹はどう返したらいいかわからず苦笑いしている。
京子はポカンとした表情の嘉正に気づいた。
「私ね、暴力騒動おこして七月末までの二ヶ月間、出場停止処分くらったんだー」
京子はヘラヘラ笑いながら、さらりと言った。
先日の立花富岳戦での暴力騒動は公表されていない。たとえ名前を伏せても、公表すればネット上に富岳の名が出てくる可能性があり『女に投げられて骨折したカッコ悪い奴』とネットでの炎上を恐れた富岳の両親が公表を拒んだのだ。
「え?ぼうりょ……?」
「対局で負かされた相手を腹いせにぶん投げて骨折させてやったのよ。あ、これ誰にも言わないでね。箝口令、出てるから」
それ、笑いながら言う内容ではないですよ。畠山さん……。
なんだろう?心の奥からガラガラって音が聞こえてくるんだけど……。
「あら、本当はどっちが悪いのかちゃんと聞いたわよ。私、黛さんと同門だから、一部始終ね。
この話聞いてスカッとしたわ!あの生意気なクソガキ、ぶん投げてくれてありがとう、京子」
いや、その黛さんて人も田村先輩も箝口令、破っちゃダメでしょ。
「田村先輩もずいぶん物騒な言い方しますねぇ。例の人、院生の頃からそんなに嫌な奴だったんですか?」
「ストーップ!二人とも、雑談は棋院でやってくれないかな」
中竹が手を叩いて二人の会話を止めた。
「あはは。すみません。では、指導碁を受ける方は何人ですか?」
いつの間にか京子は下ろしていた髪を後ろに一つに束ねていた。
「あの……僕もいいですか?院生だけど……」
手を挙げたのはもう一人の院生、小島太一、中等部二年だ。
「院生に指導となると、指導料を頂きます。ですが練習手合いなら私の勉強にもなるので、料金は頂きません。ただし、指導を優先させるので、多面打ちですけど。どうなさいますか?」
それを聞いた田村も手を挙げた。
「え?だったら、私も練習手合いお願いしていい?」
「僕もそれでいいです。お願いします」
嘉正は首を傾げた。院生二人を相手しながら指導碁って大変なんじゃないのかな……。
てゆうか、そもそも田村先輩、自分より年下で棋士になった畠山さんに、嫉妬心とか無いのかな?まぁ、自分から畠山さんを呼ぶように提案したんだけど。
指導を受けるのは十二人。プラス院生二人で十四面打ち。しかし、部にはそんなに碁盤と碁石が無い。
部室にある碁盤は布盤五面。碁石は全てプラスチック石で五組。足りない分はスマホやタブレットの対局アプリを使うことにした。
初心者の嘉正は指導碁が終わるまで部室の隅でスマホアプリの詰め碁でも解いていようと思っていた。
「あれ?石坂くんは?」
部室の隅で空気のようになっていた嘉正を京子はめざとく見つけた。
「え?僕?僕はまだ十九路盤で打ち始めたばかりで……」
「大丈夫だよ。ちゃんとレベル合わせて打つから。指導なんだから。あ、すみません。布盤、こっちに貸してもらえますか。整地まで指導したいので」
(ちゃんとした手を打たないと、ぶん投げられたりしないよね⁉︎)
京子の武勇伝を聞いてしまった気の弱い嘉正は、膝がガクガクと震えてきた。
「みんな準備はいい?では、お願いします」
「お願いします」
部長の中竹が音頭をとる。指導を受ける全員も挨拶する。
京子も一人一人に「お願いします」と頭を下げ、時計と反対周りに碁盤に白石を打っていく。
●○●○●
嘉正は囲碁を始めて二ヶ月の初心者らしく、ノゾキには手堅くツギでしっかり守ってきた。
「石坂くん、もしかして田村先輩からルールとか教わった?」
「あ、うん」
嘉正の前の席に座っている田村が顔を上げ振り向いた。
「やっぱ分かる?」
「ええ。基礎をしっかり身につけてあるな、と」
「そう。それより京子、なんで囲碁部に入らずバスケ部に入ったの?大会に出られなくても、囲碁の勉強にはなるじゃない」
嘉正の耳がピクリと動いた。
田村先輩ありがとう。僕もそれ聞きたかったです。
「岡本先生が「若いうちはしっかり体力作りをしておけ」と仰ったので。それに私、秋田ではミニバスチームに入っていたんですよ」
ああ、もうお子さんの頃から体育会系でいらしたのですね。
京子は田村との会話を続けながらも手を休めることなく、横に移動し白石を打っていく。
「体力作りかぁ。やっぱプロにとってはそっちの方が大事かぁ」
「長時間座りっぱなしですしね」
会話しながら打ってるよ、畠山さん。しかも十五人分。
「でもさ、体育系だと練習休むと先輩達からいじめられない?」
「私もそれ心配してたんですけど、部員数ギリギリなんで、先輩達は「大会に出てくれればいいから」って言って下さってます。本当いい先輩ばかりで良かったです」
しかも院生の二人にもペースを落とさず、ずっと同じリズムで打っている。
すごい。これがプロなんだ。
しばらくすると、中竹部長の所からカチャカチャと石のぶつかる音が聞こえてきた。整地をしている。終局したようだ。
「ありがとうございました」
「ありがとうございました。ここで三間にヒラいたのはちょっと頑張り過ぎですね。二間で我慢しておいた方がよかったと思います」
次々と終局して一人一人検討していく。
(十五人分の手順、全部覚えてるんだ。すごいな、畠山さん)
嘉正も終局して整地した。
「ありがとうございました」
「ありがとうございました。キチンと整地も出来てます。十五級認定です。おめでとう」
京子が笑顔で拍手した。
「じゅうごきゅう⁉︎」
普通、級位って十級ぐらいからじゃないの⁉︎
「うん。十五級。囲碁の級位って細かいのよ。三十級からあってね、ルールを全部覚えたら十五級なの」
「さんじゅう⁉︎ ……僕、いつか初段ぐらいになりたいなって思ってたんだけど……。なれるかな……」
プロに教われば早く上達するんじゃないかと思っていた嘉正は、思わず弱音を吐いた。
「なれるなれる!私が教えるんだから、絶対なれる!」
毎日教えてくれるわけじゃないのに、畠山さんのその自信、どこからくるの?
「さて、お待たせしました。始めましょうか。先輩方」
あと残っているのは院生の二人だ。
いや始めましょうって、院生の先輩達ももうすぐ終局するんじゃないの?
と、ツッコもうとした嘉正は盤面を見てある事に気づいた。
(あれ?畠山さん確か僕たちに打つのと同じスピードで院生にも打ってたはず。なのにまだ八十手ぐらいしか進んでない?)
という事は院生の方がスピードを落とした?なぜ院生がスピードを落としたかといえば……。
(これから本格的な戦いが始まるんだ)
田村も小島も前のめりになり、眉間に皺を寄せている。
一方京子は表情を変えず淡々と打っている。
京子は二つの盤に音を立てないようそっと白石を置いた。
部員全員が院生二人対プロの対局を見守る。
●○●○●○
「いや~、すごかったな。畠山さん。院生二人に多面打ちで完勝か。さすがあの魔術師・岡本幸浩の唯一の女弟子!」
部活を終え、玄関ホールで靴を履き替える中等部部長の堀田が院生二人にも聞こえるように言い、田村から小突かれた。
「まぁ正直私も多面打ちでここまでコテンパンにやられるとは思ってなかったけどね。畠山さん、女流試験の時よりずっと強くなってたわ」
田村は大きなため息をついた。
どうやら力の差があり過ぎて京子に嫉妬心とかは無いようだ。
初心者から十五級に格上げした嘉正は、何が起こったのかもわからなかった。ただ気づいたら二人とも投了していた。
(僕にもいつかあの碁の内容がわかる日が来るのかな……。なんか石の強弱とかも、全然わからなかったけど……)
京子と同じクラスの嘉正は二人並んで靴を履き替えていた。
嘉正は思い切って京子に話しかけてみた。ただし田村には聞こえないよう小声で。
「畠山さん、すごいね。院生二人相手に勝っちゃうなんて」
「ありがとう。田村先輩とは前に対局したことがあったから、対策立てやすかったからね。小島先輩との戦いの方に集中してたかな。それより大変なのは、指導のほう。特に石坂くんみたいな初心者は」
「え?なんで?相手が弱いほうが楽なんじゃないの?」
「うっかり黒石を殺したりしないか、すっごく気を使うから大変なのよ。あと相手が自滅する手を打ってきたりするから、どうやって立て直そうか焦るし。まぁそれも勉強になるんだけどね」
あれ?もしかして僕、やっちゃったのかな?
怖くて嘉正はそれ以上聞けなかった。
他の部も部活を終えたらしく、玄関は混み合い始めた。
囲碁部員は皆、混雑する前に靴を履き替え、傘を差して玄関を出た。外は梅雨らしく雨が降っている。
赤い傘を持った京子が黒い傘をさす中竹を見つけ声をかけた。
「中竹部長、さっき聞き忘れてたんですけど、囲碁部はいつ大会があるんですか?」
「今週末だよ」
「は⁉︎今週⁉︎なんでもっと早く呼んでくれなかったんですか!そうすれば弱点の対策とかしっかり教えられたのに‼︎」
京子は頭を抱え、かなり大袈裟に一人悶えた。
畠山さん、その格好、美少女には似合わないですよ。
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