GIVEN〜与えられた者〜

菅田佳理乃

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手筋編

恩返しの形

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 日本棋院理事長・横峯弘和が、1から16までの数字の書かれた紙の入った袋を京子の前に差し出す。琥珀アンバー戦のくじ引きが始まった。

「レディファースト。女流二冠からどうぞ」

 眼鏡の奥のタレ目が胡散臭い笑みを浮かべる。

「理事長自らくじ引きの立ち会いを?」

 横峯がくじ引きの立ち会いの時は、何故かいつもこの濃い紫色の袋を使用する。

 京子は、この袋には何かしらの細工がなされていて意図した番号を引かせる細工がなされているのではないかと思っている。事実、いつも原石戦では決勝まで進まないと富岳と対戦しない組み合わせになる。

「ええ。私は賞金順位16位までに入れませんでしたので」

 京子が(そういう事を聞きたいんじゃないよ!分かって惚けてるだろ!)とツッコミそうになる。

「このくじ引きの袋なんですけど、希望者には貸して頂けるのでしょうか?」

 京子が横峯に聞いた。この袋の仕組みは大体想像がつくが、はっきりさせたいのだ。

「こんな物を借りたいんですか?どこにでもある普通の袋ですよ」

「どこにでもある普通の袋を、そんな風に貸し渋るんですか?」

 横峯が北叟笑む。

「わかりました。いいでしょう。さあ、くじを引いて下さい。ちなみに畠山さんは誰とペアを組みたいですか?」

「その質問、答えなきゃ駄目ですか?」

 逆に一番組みたくない相手と組まされそうだ。

「話のネタにと思っただけですよ」

 原石戦のくじ引きではネタ振りなんかしないのに。

 でもこの質問に答えなくても、もう横峯の中では京子を誰と組ませるのかは決まっているのかもしれない。なら正直に答えても問題ないか、と、京子は口を開いた。

「師匠の研究会で練習した時、一番相性がいいなと思ったのは武士沢さんでした」

「そうですか。てっきり賞金王の江田くんと組みたいんじゃないかと思ってましたよ。優勝を狙ってないんですか?」

「いえ。そんなことは……」

 と、珍しく京子が口籠る。京子も組むなら江田がいいと思っていた。しかし、未だ置き碁でも一回も勝てていない江田の打ち回しについていけず、何をしてるのか訳がわからなくなってきて音を上げてしまった。岡本、武士沢とペアを変えながら打ったが、武士沢とが一番打ちやすかった。

「そうですか。ではどうぞ」

 横峯が袋を差し出す。京子は手を突っ込み、最初に触れた紙を取り出した。どうせ引かされる番号は決まっているのだろうから、選ぶ時間が勿体ない。

 京子は取り出した紙を広げる。『16』と書かれてあった。記録係の若手棋士の一人が、京子のネームプレートをトーナメント表の右側のブロックの下から二番目に張り付ける。一番下は京子とペアを組む事になる男性棋士の名前が入る。

 男性棋士の目が光る。優勝出来るかどうかは、相性の良し悪しもあるが、女性棋士の棋力で決まるとも言われている。

 つまり、今年男性棋士が一番組みたがっているのは、畠山京子女流二冠だ。


 京子に続き、次々女性陣がくじを引いていく。トーナメント表に全ての女性棋士の名前が埋まったら、今度は男性陣の番だ。

 トップバッターは江田だった。江田が引いた番号は『12』だった。

「あれ?」

 思わず京子は声を漏らす。てっきり江田と組まされると思っていたからだ。

 江田とペアを組むのは、前・真珠パール王の細川雪江だった。しかしお互い挨拶せずに苦虫を潰したような表情をしている。後で聞いた話だが、この二人、今回でペアを組むのは4回目だったそうだ。しかも一度も一回戦も勝てていない。というより、江田自身が一度も琥珀ペア碁戦で1勝もしていないのだ。江田とペアを組んだ女性棋士曰く、「どこに打ってくるか、全く読めない。味方なのに、敵とペアを組んでるみたいだった」と口を揃えている。それこそが江田の強さなのだが、ペア碁となるとそれが仇になるとは皮肉なものだ。

「残念やわぁ~。京子はんとの対局、楽しみにしてたんよ」

 細川が久しぶりに会う京子に抱きつく。邪険に出来ない京子は、大人しく細川に抱きつかれている。反発しない京子を、東京本院所属の棋士が物珍しそうに眺めている。

「まだ打てないと決まった訳じゃないですか」

「ううん。ええねん。今年は見学して帰るわ」

 自分より背の高い京子の頭を、細川が撫でる。初めて見る「畠山京子頭撫で撫で」を、くじ引きより興味深そうに全員が凝視する。


「はい!くじを引いて下さい!」

 横峯に急かされて、我に還った男性棋士がくじを引く。

「『3』です」

 豊本武だった。これには京子がホッと大きな溜め息を吐いた。よく見るとちょっと目が潤んでいる。余程豊本とはペアを組みたくなかったようだ。豊本とペアを組むのは伊田來羅楽だった。伊田は「圃畦塾で子供達に囲碁を教えるようになってから棋力が伸びた」そうで、真珠戦では自身初の本戦入りを決めた。来期は京子との挑戦手合いが見られるかもしれない。


 サクサクとペアが決まっていく。

 富岳の順番になった。横峯が富岳の方に振り向きながら体の動きに合わせて袋を二回振ったのを、京子は見逃さなかった。

 富岳は手を入れるとすぐ紙を取り出した。選ぶほど枚数が残っていないからだ。


 大広間にいる全員が固唾を飲んで見守る。まだ誰が京子と組むのか決まっていないというのもあるが、この二人の大立ち回りを知っているというのもある。

 もしこの二人が組んですぐ負けるような事になれば、この大広間はどうなるのか……。立て替えられたばかりの棋院の壁に穴が空くどころではなくなるかもしれない。最悪、血の海のとなって死人が出るかもしれない。


 富岳は引いたくじを広げた。

「『8』です」

 大広間に溜め息が漏れる。ホッとした者、嫉妬する者、思惑の外れた者。様々だった。

 富岳の名前は、京子がいるブロックとは反対側の一番下に張られた。ペアを組むのは前・紅水晶ローズクォーツ王・藤原羽那だった。

 また富岳とは決勝まで進まないと対戦しない組み合わせとなった。

 (やっぱりか……)

 京子は心の中で独りごちる。理由は分からないが、横峯はどうあっても決勝まで京子と富岳を戦わせたくないようだ。


「では武士沢くん。どうぞ」

 岡本の辞退で、繰り上がりで出場が決まった武士沢が一番最後にくじを引いた。残っていた番号は、見ずともわかる。武士沢が紙を広げる。

「『16』です」

 間違いなくその紙には『16』と書かれてあった。京子の下に武士沢のネームプレートが張り付けられた。

「キャー!やったー!これで私達の優勝、間違いなしですね!」

 京子はバスケ部のノリで武士沢とハイタッチしようと、両手を上げる。武士沢は戸惑いながらも、四十肩で上がらなくなくなった腕をなんとか持ち上げ、京子とハイタッチした。


 遠巻きにくじ引きを見ていた三嶋が、この組み合わせに不満顔だった。



 ●○●○●○



 一回戦、二回戦ともに快勝した京子・武士沢ペアは翌日の準決勝に駒を進めた。

 細川・江田ペアは順当(?)に一回戦で姿を消した。富岳・藤原ペアも勝ち上がり、明日、豊本武・伊田來羅楽ペアと対戦する。



 ●○●○●○



 琥珀アンバー戦準決勝。

 京子・武士沢ペアが勝利し決勝進出を決め、また京子が武士沢にハイタッチをせがんでいた時、「おおーっ!」という地響きのような歓声が大広間に響いた。隣で波乱が起きていた。

 優勝候補の一角だった伊田・豊本ペアが富岳・藤原ペアに敗れたのだ。

「やるじゃん」

 隣の席にいた富岳に京子は声をかけた。しかし富岳は京子に声をかけられたのに気付かなかったのか、そのまま感想戦に入ってしまった。

 (相当集中してたんだな)

 自分も似たような経験のある京子は、自分もそのまま感想戦に入った。富岳に無視されて京子がキレるかと思っていた観衆は、ホッと溜め息を吐く。

「京子ちゃんも大人になったな」

 京子の後ろで京子に聞こえるように男性棋士が噂話をする。

「聞こえてますよ」

 京子はわざわざその男性棋士の方を振り返って言った。だた振り返るだけでも充分威圧になるのに、一言付け威嚇する所は京子らしい。


 感想戦を終え、対局者8人が席を離れる。決勝を行う4人には暫しの休憩時間。この休憩時間に対局者の表情を写し出すためのネット配信用のカメラがセッティングされた。



 ペア碁戦 琥珀アンバー戦 決勝

 藤原羽那六段 & 立花富岳金緑石アレキサンドライト王 vs  畠山京子女流二冠 & 武士沢友治九段



 ネット配信のためのカメラ、そして対局者を照らす照明がセットされている。照明がかなり眩しいが、集中すれば気にならなくなる。

 対局する4人が席に着く。そして記録係の席にはこの人が座った。

「田村先輩。昨日はいませんでしたよね?」

 田村優里亜が鼻息を荒くして座っていた。

「昨日も棋院に来てたよ。違う部屋に」

「え?どちらに?」

「準決勝までは盤面のみをネット配信してたから、その大盤解説の聞き手を勤めてたの」

「そうだったんですか!?」

「そうなのよ。絶対京子が優勝するだろうからに「決勝戦の記録係やりたい」って言いに行ったら「それならネット配信用の大盤解説の聞き手をやってくれ」って。で、まさか決勝の相手がこの生意気な糞餓鬼になるなんて」

 優里亜が富岳を睨み付ける。富岳も慣れたもので、優里亜を完全無視する。

「ちょっと!何か言い返しなさいよ!」

「そうですね」

 富岳は優里亜とは目を合わさずに仏頂面でこう一言放った。

「アンタのそういう所が大嫌いなのよ!」

「先輩!そろそろ配信始まるんで」

「あ。そうだね」

 京子に言われて優里亜が余所行き用の顔を作る。

「ああ、そうでした。私も配信始まる前に、立花さんに一言言っておかないといけない事があるんでした。昨日、言うのを忘れてました」

 京子は背筋を伸ばした。富岳は空気がひんやりとしたのを感じ、身構える。

「昨年の洋峰学園文化祭ではお世話になりました。中学生最後の文化祭を、楽しい思い出だけで終わらせたかったのに、余計な事してくれて」

 碁盤を挟み対角線上に座っている富岳に、男のような低い声で京子は対局中にしか見せない無表情とともにこう言い放った。

 (やっぱり俺だってバレてたか)

 富岳はぶるぶると身震いする。武者震いなら格好いいのに、京子に気圧されて鳥肌を立てていた。

 それにしても、たった一年会ってなかっただけでこの威圧感を醸し出せるまでに成長していたなんて。この一年、京子がどれだけの相手と戦って来たのかが分かるほどだ。いつものように睨み付けて威嚇される方が、まだましだ。


 対局者を映すカメラに赤いランプが点っている。

 (もしかしたら、今の畠山の最後の方の台詞、ギリギリ映ってしまったかも。この野郎。何が忘れてただ。対局が始まる直前の、このタイミングでこの脅し。ベストタイミングじゃねぇか!!)


 カメラの後方で横峯が優里亜に向かって手を上げた。対局を始めろという合図だ。

 優里亜が打ち合わせ通りに、この対局の能書きと対局者の名を述べる。それからニギリを行うよう指示を出す。京子と藤原がニギリを行う。

 結果、京子・武士沢ペアが黒番となった。

 優里亜が礼をする。それが戦いの幕開けの合図であるかのように、4人も礼をする。

 記録係の優里亜が対局時計のボタンを押す。京子が黒石を碁笥から取り出す。隣に座る武士沢は「もし真珠戦のように天元に打ってきたら、どうしよう」とハラハラと眺める。しかし京子が打った初手は右上隅小目だった。武士沢が音を立てないように安堵の溜め息を吐く。

 二手目、藤原も無難に左下隅小目に打った。三手目、武士沢も右下隅小目に打つ。そして四手目。富岳は初手の右上隅小目にカカリを打ってきた。

 まるで京子との対戦を待ちわびていたかのように、富岳が早々に京子に喧嘩を売る。

 京子がニヤリと笑う。

 ほんの一瞬だったので、誰も京子の笑みに気付かなかった。



 ●○●○●○



 戦いは165手目を向かえていた。

 (マズイな)

 富岳は心の中で呟く。

 共に力戦派の富岳と藤原。早々に決着をつけたかった。しかし、富岳・藤原より京子・武士沢ペアのほうが攻守がガッチリ噛み合い、藤原・富岳ペアは決定打を打つ事が出来なかった。

 ただ、盤面はまだ互角。164手打っているのにまだ戦えそうな場所が何ヵ所もある。

 しかしそうは言っても、ヨセが始まるタイミングでもある。

 もしヨセになってしまえば、明らかに富岳に分が悪い。富岳→京子→藤原という手番は、富岳の弱い所を京子が突き、藤原がその尻拭いをするという展開になる。

 (やっぱり黒番がよかったな)

 京子は富岳が打った手を往なし、藤原が嫌がる所に打っている。盤面をコントロールしているのは京子だ。お陰で武士沢は自由に打つ事が出来ている。

 棋士の間では、「畠山京子は白番の方が強い」なんて評判が立っているが、何度も対戦している富岳に言わせれば、京子の本当の強さが分かるのは黒番だ。だから京子には黒を持たせたくなかった。

 そんな事を考えながら、富岳は盤面を凝視していた。

 そこに京子の白い手がにゅっと伸びてきた。黒い石を持ったその長い指は、中央に築いた白の城塞のど真ん中に黒石を置いていった。

 (ホウリコミ!?)

 富岳は思わず叫びそうになったのを堪えた。



 ●○●○●○



 「『牢獄破り』か!」

 控え室のモニターに釘付けになっていた棋士の誰かが叫んだ。

 散り散りに座っていた棋士達は、モニター真ん前に陣取った三嶋達の盤に集まった。

「おい!京子ちゃん強気だな!こんな狭い所を荒らすなんて」

 三嶋と同じく賞金順位16位までに入れなかった棋士が三嶋の肩を叩く。

「黒一子あるけど、これ生きられるか?生きられれば白は10目は削られるけど、狭すぎないか?」

 畠山京子の強さを全く理解していない棋士がいる。二眼作れるかだの逃げられるのかだの、そんな言い合いをしている。

「京子は読んでない手は打ってきませんよ。っていうか、おそらく京子はもう既に終局図が見えていると思います」

 三嶋のこの言葉に、何人かの棋士は頷き、何人かは頭を振る。

「まぁ、たとえ畠山が読んでいたとしても、ブシもその手に気付いているかだな。これはペア碁なんだから」

 反・畠山派がやんわりと嫌味を言う。

 (愚かだな)

 三嶋が、京子・武士沢ペアの嫌味を言った棋士の顔をチラ見する。

 京子は打ってきたはずだ。研究会でペア碁の練習手合いは一局しか打てなかったが、今打った京子のホウリコミに武士沢が応えてくれると信じているから打ってきた。

 岡本門下生になり約3年半。毎週のように打っている。お互い手の内はよく知っている。だからこそのホウリコミだ。

「藤原さんがどうしますかね」

 三嶋は角を立てないように、やんわりと反論する。京子と違って、人からの評価を気にする三嶋には、京子のように先輩棋士を睨み付けて威嚇するなんて芸当は無理だ。

「女流二冠のお手並み拝見といきますか」

 このペア碁戦に出場すら出来なかったのに上から目線で京子に物言いをつける。

 三嶋は、この棋士が兄妹弟子を馬鹿にした怒りよりも、なぜが自分が出場出来なかった悔しさの方が強く込み上げてきていた。



 ●○●○●○



 藤原の166手目。それを見た富岳がまた叫びそうになるのを必死で堪えた。

 (藤原さーん!?何やってるんだよ!?もうそこは畠山が読み切っていて黒殺せないのは確定なんだから、その手で他に回った方が建設的なのに!)

 京子の打った165手目にツケてきたのだ。この黒を殺すつもりでいる。

 武士沢が読み間違いでもしてくれれば可能性はあるかもしれないが、おそらく畠山は武士沢さんは手順を間違えることなく打てると踏んで打ってきている。

 それにしても、今日の藤原さんは様子がおかしい。昨日は冷静に、俺と足並みを揃えるように、同じ力戦派らしい碁を打っていたのに。

 今日はまるで、自分独りで畠山とカタをつけるような、俺を無視したような碁だ。

 (何かがおかしい。もしかして藤原さん、紅水晶を畠山に獲られたことを根に持ってる?)

 そう考えれば辻褄が合う。藤原にとって、今日は紅水晶戦のリベンジマッチ。俺が居ようが居まいが関係無い。

 (どうすればいい?)

 ペア碁の経験不足が悔やまれる。女性棋士との対戦数の少なさも、おそらくネックになっている。


 武士沢が167手目を打った。読み間違える事なく、武士沢は畠山のホウリコミに応えた。

 (ああ。もう駄目だ。ここの黒が生きた……。これで白は足りなくなる)

 投了しようか、それともまだ戦える所で戦うか。しかし、戦った所で地に出来るのは黒よりは多くは無いのは火を見るより明らかだ。富岳はチラリと隣の藤原に視線を投げる。藤原の顔は青ざめていた。武士沢が打つまで黒ホウリコミが生きられると気付かなかったようだ。

 (しょうがない。ネット配信を見てくれている人達向けに、区切りのいいところまで打って投了しよう)

 富岳は白石を持つ。藤原の気の済むまで付き合おうと腹を決めた。気の抜けた168目から一気に白の形勢は悪くなっていった。


 201手目を京子が打った所で、藤原が手を止めた。

「ありません」

 藤原は頭を下げた。それを見て富岳も頭を下げる。

 京子と武士沢は背筋を伸ばし、揃って頭を下げた。

 (ああ。またヨセで畠山に負けた……)

 ペア碁だが、今回勝敗を決めたのは、明らかに京子が打ったホウリコミだ。どうしてもヨセまでに大差をつけられない。ヨセまで粘られる。ある程度形を作った所で殺しに来るから逃げられない、応戦出来ない。畠山京子の戦い方は分かっているのに、こちらの対応が後手後手に回る。畠山の狙いに気付けない……。反省点を上げれば切りがない。


「京子。ありがとうな」

 京子が大きく深呼吸した後、武士沢が京子に手を差し出した。今まで京子の方からハイタッチしていたのに出遅れてしまった。

「はい!こちらこそありがとうございます!武士沢さん!」

 京子と武士沢がガッチリと握手する。それがスイッチだったかのように武士沢の頬に涙が伝った。

「あ、すまん。棋戦優勝なんて、何年ぶりか……」

 武士沢が鼻を啜る。京子がポケットからハンカチを取り出して渡した。

「これも兄弟子への恩返しですよね!」

 武士沢はハンカチを受け取りながら、何度もうんうんと頷く。そして人目を憚らず泣いていた。



 ●○●○●○



 別室にいた三嶋も、思わずもらい泣きしそうになる。しかし、モニターに優里亜の号泣が映し出されると、急に冷静になって、涙が引っ込んでしまった。

 それと同時に、富岳の悔しそうな表情も映し出された。

 (やれやれ。あいつらもお互い面倒臭い相手を好きになったもんだよな)


 おそらく、だが、三嶋が思うに、富岳が岡本先生の悪口を言ってから対戦していれば、京子は富岳を好きにはならなかっただろう。

 京子は初めて会った自分より碁の強い同い年の男の子に運命を感じてしまった。その相手が、大切な岡本先生へ暴言を吐いた。そんな奴を好きになってしまった自分が許せず、富岳にあんな冷たい態度をとるのだろう。

 富岳もおそらく、才能のある人が好きなのだろう。それがたまたま女の子だっただけで。もしかしたら富岳がまだ自分の気持ちに気付いていないのも、その辺に理由があるかもしれない。


 (さて、どうするかな……)

 三嶋が次の手を考える。

 でもその前に、今は数年振りの兄弟子の棋戦優勝を心から祝うことにした。
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