GIVEN〜与えられた者〜

菅田佳理乃

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手筋編

地の利を生かすには?

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 卒業式を終えた田村優里亜は校門をくぐる。ここに来るのも今日で最後かと思うと込み上げてくるものがある。

 (式の最中は大丈夫だったのに)

 走馬灯のように、この学校での思い出が甦る。


 院生の先輩から『洋峰学園』の自由な校風を聞き、この学校に入ろうと決めたのが7年前。

 入学試験ではたいした点数が取れなかっただろうに「囲碁棋士になりたい」と言っただけで入れてしまった感じだった。

 入学して囲碁部に入って、囲碁漬けの毎日。院生研修をひたすら頑張った。でも入段まではほど遠かった。

 転機が来たのは高校一年の時。畠山京子が入学してきた。

 その年の女流試験で私を蹴落とした子だが、何故か憎悪のようなものは沸き上がらなかった。それ位、私とは次元が違った。強かった。圧倒的な力の前に、凡人は無力で、笑いさえ起こらないほどだった。

 憧れた。三歳も年下の棋士に。

 翌年、稽古をつけて欲しいとお願いしてみた。断られるかと思っていたのに、快く引き受けてくれた。私が京子に嫉妬しないもうひとつの理由だろう。

 京子は『良い子』だった。デビュー戦であれだけの騒動を起こしたけど、ちゃんと理由があって、その理由が、私も同じ立場だったらやっただろうなと思えるものだった。

 強い子だと思った。囲碁も体力的にも、精神的にも。

 京子に支えられて、やっと棋士になることが出来た。

 この一年は憧れ夢見た世界が、ひとつずつ現実になっていく毎日だった。対局で学校を休んで、制服を来て交流会の仕事をして、大盤解説の聞き手も勤めた。

 全部、京子のお陰だ。


「田村先輩ー!待って下さーい!」

 振り返ると、その畠山京子が他の卒業生や保護者をかき分け、追いかけてきた。

「あーよかった!先輩、帰ってなくて。先輩、卒業おめでとうございます!コレ、卒業と大学合格のお祝いです!」

 そう言って京子は赤い包装紙に包んだプレゼントを渡した。大きさからして万年筆か、もしかしたら扇子かもしれない。

「渡すの、棋院でもよかったのに」

「雰囲気って大切じゃないですか」

 いつものニヤニヤヘラヘラ笑いではない。美少女の、普通の笑顔だ。最近ようやく分かるようになってきた。あのニヤニヤヘラヘラ笑いは、京子が何かを企んでいる時だと。

 優里亜はプレゼントを受け取った。これで京子から受け取る祝いの品は去年の女流試験合格祝いと、2つ目だ。

「京子も女流三冠、おめでとう!私、明日プレゼント渡そうと思ってて……」

「そうなんですか!じゃあ明日、楽しみにしてます!」

 明日は二人揃って対局だ。優里亜は真珠パール戦予戦2回戦。京子は金剛石ダイヤモンド戦予戦Bブロック決勝だ。

 三大棋戦で本戦リーグ進出を決めた女性棋士はいない。もし明日京子が勝つようなことがあれば、間違いなく世間を揺るがす大事件となる。

「ところで先輩。先輩のお母さんは?久しぶりにお会い出来ると思ってご挨拶をと思ったんですけど」

 去年、優里亜の女流棋士採用試験合格パーティーに会った以来で、京子は再会を楽しみにしていたのだ。辺りを見回したが、見当たらない。式には出席していたのを京子は確認していた。

「あーうん。先に帰っちゃったわ。それより京子。明日、がんばってね!」

「はい!先輩も頑張ってくださいね。来年、待ってますから」

 京子が真剣な眼差しで優里亜を見つめる。女子中学生の目から囲碁棋士の目に変わっていた。

 女流三大棋戦を全て制した京子は、来期からは追われる立場になる。京子一人で女性棋士全員を敵に回す。その中には当然、優里亜も含まれる。

 京子は、頂上へと達した者しか経験できない孤独な戦いが始まるのだ。

「うん。すぐ追い付くから。待ってて」

 優里亜の目付きが変わった。ネガティブ思考で弱気な優里亜はもういなかった。この一年で精神面が大きく変わった。「憧れていた棋士になれた」という自信が、優里亜を大きく変えたのだ。『早く京子にしたい』。その一心も優里亜を成長させた。


 京子のスマホが鳴った。

「あ。先輩、すみません。私これからバスケ部に行かないと……」

「あ、うん。また明日ね」

「はい!また明日!」

 そう言って京子が校舎内に戻ろうとした時、視界に見覚えのある背中が映った。電柱に隠れるようにチラチラとこちらを窺っていて、京子は一瞬またストーカーが来たのかと思ったが、違った。

「……あれ?先輩、あの人……」

「え?なに?」

 と優里亜は言ったが、なぜか京子が指を指す方向を見ない。

「あの人、秋山さんじゃないですか?」

 昨年、金緑石アレキサンドライト戦決勝で立花富岳に敗れた秋山宗介四段だ。スプリングコートを羽織って中はスーツを着ているようだ。

「ん?え?あ、そう?」

 なぜか優里亜は歯切れが悪い。それに秋山の方を見ようともしない。

 優里亜と秋山は院生の同期だったはずだ。となると当然顔見知りのはず。

 それなのに優里亜の様子がいつもと違う。いつもなら知り合いを見つけようものならすぐさま声をかけ、会話の輪に入れるのに。

 京子が頭の中で、ピースを繋げる。

 『校門の前に居た優里亜』
 『校門前でウロウロしている秋山』
 『仲間に他人行儀の優里亜』
 『プレゼントは明日でもいいと言っていた』
 『先に帰ってしまった優里亜母』
 『京子のスマホが鳴って「バスケ部に行く」と言った途端、安堵の表情を浮かべた優里亜』

 京子の頭の中でチーンと何かが鳴った。

「いつから付き合ってるんですか!?全然わかんなかった!」

 京子は『間違いなくこの二人は付き合っている』という答えを導きだし、優里亜に「確認」ではなく「尋問」をぶつけた。

「ていうか、棋士の彼氏がいるんだったら、彼氏から稽古をつけてもらえば良かったじゃないですか!」

「しーっ!静かに!声が大きい!」

 卒業生やその保護者もいる中でのこの大声は、注目されるより他はない。

 優里亜は京子の口を塞ごうと、抱きつこうとする。しかし、いつものように逃げられた。

 京子は秋山に突進していく。捕まえて話を聞くためだ。

 不穏な空気を察した秋山は、向きを変えて逃げ出す。しかし、革靴vsスニーカーは、現役バスケ部女子中学生に軍配が上がった。ものの数秒であっけなく捕まった。

「秋山さんっ!なんで逃げるんですか!逃げなきゃならない事を先輩にしてるんじゃないでしょうね!?」

 京子は抵抗する秋山の両腕を捩じ上げる。

「痛てて!追いかけられれば誰だって逃げるだろ!てか、離してくれ!痛い!」

 自分より背の高い京子に捕まり、秋山は萎縮しまくっている。

「秋山さん。お話、聞かせて下さいますよね?答え次第では、二度と秋山さんを囲碁棋士として仕事出来ないようにして差し上げますから」

「なんで!?やめてくれ!怖い」


 逃げられないと察した優里亜は、秋山との卒業式後デートを諦めた。



 ●○●○●○



 同じ頃、立花富岳も卒業式を迎えていた。

 退屈な祝辞やら送辞やら答辞やらをやっと終えて、三年間通った学舎を後にした。

「たちばなー!」

 富岳も校門前で足止めを食らった。

 駆け寄ってきたのは、富岳が入院した時見舞いに来たパリピAだった。

 ここ最近やたらと富岳に絡んでくる。勉強を教えろだの、どこの高校に行くのか教えろだの。

「もう帰んのか?」

 息を切らしていた。走って探し回っていたようだ。

「ああ。明後日、大切な対局なんだよ」

 富岳は明後日、三大棋戦のひとつ、緑玉エメラルド戦予戦決勝を控えている。これを勝てば本戦リーグ入り。翌週は紅玉ルビー戦の予戦準決勝。再来週は金剛石ダイヤモンド戦予選Aブロック決勝だ。この先の棋士人生を大きく左右する対局が当分続く。

「そっか。じゃあ皆とカラオケ行くのは無理か?」

「ああ。悪いな」

 悪いと言っても、全くそうは思っていない。あんな煩い所によく居られるなと思っている。

「あっ、あのさ、立花。本当に高校行かないのか?」

 公立の中学に通っていた富岳には、学校というものは、棋士の仕事を続けるには妨げにしかならないと思った。

 三嶋がやたら「京子の学校に通ってみないか?」と薦めてきたが、興味は全くわかなかった。体育の授業も美術の授業も文化祭も体育祭も、富岳にとっては「棋士には必要ないもの」だ。おまけに洋峰学園なんかに通ったら、間違いなく畠山京子が黙っていないだろう。アイツが牛耳っているであろう学校なんかに通う。まさに伏魔殿に通うことになる。

 ただ、富岳が中卒となる事を担任が良しとしなかった。教師の査定に関わるとかで、富岳にはどうしても進学して欲しいらしい。

 おかしな話だ。

 本来、学校という所は子供に知識を与える場所のはずなのに。生きていくための知恵を与える場所のはずなのに。いつから子供の無知を嘲り、罵り、まるで生まれてきた事すら否定するような場所になったのだろう。

 教師ですら、生徒の成長よりも己の評価を最優先する。

 そのせいで、富岳は行きたくもない高校に行く羽目になった。

「いや。通信制の学校に行く」

「えっ!?通信制?」

「でも、すぐ退学する」

「!?なんで!?」

 富岳と教師の間で交わした妥協案だ。

「俺に高校なんて、必要ないんだよ」

 富岳は背を向けて帰ろうとする。

「ちょ、まーっ!まだ話は終わってないんだよ!でもさ、囲碁は辞めないんだろ?」

 ちょっと驚いた。俺が囲碁をやっているのを覚えていたなんて。

「当たり前だよ。囲碁は、囲碁だけは辞めない」

「じゃあさ、ほら、なんて言ったっけ?なんとか式!立花が10月に学校休んだやつ!なんか偉くなった人が賞状貰うやつ!」

「……もしかして就位式のことか?」

「そう!それ!そのシューイシキってやつに行けば立花に会えるんだよな!?」

 さらに驚いた。まさか俺がなんで休んだのかまで覚えていたなんて。

「まぁ、そうだけど。そんなにしょっちゅうやってる訳じゃないぞ」

「うん。知ってる。ニホンキインっていうホームページ、毎日見てるから」

 その執着心、勉強に発揮できなかったのか?と、問いたくなる。

「立花、大学は絶対行くって言ってたよな?」

「ん?あ、ああ」

 よく覚えれるなぁと、思わず感心する。と同時に、それだけの記憶力を、なぜ勉強では発揮できないのかとも思う。

「大学で会おうな!新菜、勉強頑張って、絶対立花と同じ学校に通うから!」

 「にいな」ってなんだ?と考えて、やっと思いだした。そうだ。このパリピAの名前、高田新菜だった。

 (っていうか、コイツの頭でT大は無理だろー!)

 と思ったが、さすがにそれは言えない。富岳も一応、人の子として育てられてきた。

 (畠山だったら、言っちゃいそうだけどな)

 何故か笑いが込み上げてきて、顔が緩む。

「なんだよ。何が可笑しいんだよ!?」

 新菜が膨れる。

「なんでもない」

 慌てて口元を隠す。そんなこともする必要など無いのに。なぜ可笑しくなったのか、疑問が沸いたが、今はどうでもいいことだ。


「あれ?立花、靴、汚れてるぞ」

 新菜が下を向いて言った。

「え?」

 雨は降っていない。雨のせいで汚れたのではない。

 (じゃあ、なんで?)

 なんの感慨も無いが、それでも三年間通った学校を去る者の礼儀として、身なりはちゃんとして行こうと、朝出掛ける時に靴は汚れていないか、今日の卒業式のためだけにOBから借りたこの制服も皺や汚れがないか、ちゃんとチェックしたのだ。

 つられて下を向いた富岳の左の頬に、ほんの一瞬、柔らかい物が当たった。

 それが新菜の唇だということに気づくのに、時間はかからなかった。

「じゃあな!立花!囲碁、頑張れよ!」

 新菜は顔を真っ赤にして、校舎へ走って戻って行った。


 何が起きたのか。富岳はなかなか状況を把握出来ずに、頬を押さえたまま、暫くその場に立ち尽くしていた。
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