32 / 49
14章
動き出す恋心
千紗は、病院にいる母親のベッドの横で神妙な顔をしていた。
もともと、お茶の先生をしていて、千紗にもしっかりとした教育を施したがっていた。千紗はオタクで音楽好きの父の影響をより強く受けてしまったが、母は真面目で厳格な人だった。
女子たるもの、折り目正しく、清らかに生きるべしという価値観を持っている古いタイプの人間だった。
あいにく千紗はそういう大和撫子的な性格ではなかったが、母の前だと今でも背筋が伸びる。
──あんなカッコして動画出してるのバレるとかものすごい気まずい……。ものすごい叱られるんだろうな、それに病気が悪化しそう。親不孝しちゃったな。
「千紗。ニュースで動画出してる女の子が襲われたって見たの。顔は出てないけどすぐにあなただってわかったわ。母親だもの」
「はい。心配かけてごめんなさい」
気まずい沈黙。母の悲しそうな顔を見て、胸が痛む。
「ごめんね……私が倒れてから、弁護士さんとのやりとりもあなたに任せてしまって。今回のことがあって聞いたの。あなたが月々の返済減らしてもらったから大丈夫だって言ってたの、嘘だったのね」
千紗は母親が倒れてから、借金の整理を頼んでいる弁護士に頼んで、細かなやりとりは母親を通さないことにしていた。
千紗は東京で正社員の仕事をして、少額ずつ返済できることになったから、父との思い出の自宅を売却せずに済むと嘘をついていた。
何度も家を売って、借金は整理しようと母は言ったが、千紗が首を縦に振らなかった。
「あなたの動画、全部見たわ」
穴がなくても掘って、地球の裏側まで逃げたい気分だった。人生でこれほどの辱めはあるだろうか。
がっくりとうなだれた千紗を見て、母は意外な言葉を言った。
「素敵な演奏だった。お父さんとはタイプが違うけれど、聞いててワクワクした気持ちになったり、切なくなったり目が離せなかった。あんなに音楽に引き込まれたのは久しぶり」
「え?」
衣裳のことを言われなくて、拍子抜けした。もともと父の影響でギターも幼少期から弾いていたが、母の勧めで小学生の時から三味線も本格的に習いだしたのだ。
「私ね、お父さんが死んでがっくり来ちゃって。それが体にも変調をきたしてこんなことになって、千紗が一人で頑張ってたのに、本当にだめね」
「いや、病気は仕方がないよ」
「ううん。あなたが襲われたのはショックだった。お金のことも背負わせてしまった。それは本当に後悔してるの。病は気からって言うしね。元気出さなきゃ」
「うん……心配かけてごめんなさい」
「あのね。もう家は売りましょう。それでお金は返せるでしょう。思い出は心の中にあるから、だからもう形にこだわらなくていいのよ。あなたもこっちでゆっくり暮らしたらいいじゃない」
母の実家は北海道で牧羊業を営んでいて、千紗もしばらくこちらで世間の目から離れてゆっくりしたらいいということを言われた。広大な敷地があるので、人を忍んで暮らすことも可能だ。
そのほうが母のためにもなるのかもしれない。会社でも千紗のことは噂になっていることだし。
家を売ったら、父親の思い出も消えてしまうような気がしていた。
父の部屋に寝転んで、父の好きなものを吸収した日々。幸せな記憶だった。
母の言うとおりなのはわかっている。家を残しても父が帰ってくるわけではない。
今までのようなしんどい生活をしないで、自分の食い扶持だけ稼げばいい。
──もしお金の心配がなかったら……。
やっぱり音楽がやりたいな。別にエッチな格好しなくてもいいわけだし。でも家を売っちゃって本当に後悔しないのかな。
縁側でした線香花火とか、庭で飼っているメダカとか、父の書斎にまだ残っている好きな漫画だとか、色々なものが目に浮かんだ。
北海道にいたほうが、穏やかな暮らしができるのはわかっている。
千紗はいつもの癖で田吾作に相談しようとスマホを取った。
──あ、でも田吾作さんは井村さんなんだった。
嘘をついて別人の振りして近づいてきたことには複雑な想いを抱いていたが、一緒にいるいちに彼の誠意が本物であることはわかってきた。
でなければ、身の危険を顧みず千紗を助けたりはしないはずだからだ。
──いい人だったな。夜は結構しつこいけど。
ちょっと、いやかなり変だけど、田吾作としても千紗のことをいつも心配してくれていた。
──電話、してみようか。
「あの、井村さんですか」
「うん。待ってた。無事着いた?」
「はい。なんか色々あって、帰ったらお話してもいいですか?」
「それって……期待していいのか? 待って、やっぱり聞くのはやめておく」
声を聞いて気づく。この人が好きだ。もう一度会ってちゃんと自分の気持ちを確かめよう。
「ちゃんと言うから、待っててください」
「今なんて?」
「続きはオフラインで」
もともと、お茶の先生をしていて、千紗にもしっかりとした教育を施したがっていた。千紗はオタクで音楽好きの父の影響をより強く受けてしまったが、母は真面目で厳格な人だった。
女子たるもの、折り目正しく、清らかに生きるべしという価値観を持っている古いタイプの人間だった。
あいにく千紗はそういう大和撫子的な性格ではなかったが、母の前だと今でも背筋が伸びる。
──あんなカッコして動画出してるのバレるとかものすごい気まずい……。ものすごい叱られるんだろうな、それに病気が悪化しそう。親不孝しちゃったな。
「千紗。ニュースで動画出してる女の子が襲われたって見たの。顔は出てないけどすぐにあなただってわかったわ。母親だもの」
「はい。心配かけてごめんなさい」
気まずい沈黙。母の悲しそうな顔を見て、胸が痛む。
「ごめんね……私が倒れてから、弁護士さんとのやりとりもあなたに任せてしまって。今回のことがあって聞いたの。あなたが月々の返済減らしてもらったから大丈夫だって言ってたの、嘘だったのね」
千紗は母親が倒れてから、借金の整理を頼んでいる弁護士に頼んで、細かなやりとりは母親を通さないことにしていた。
千紗は東京で正社員の仕事をして、少額ずつ返済できることになったから、父との思い出の自宅を売却せずに済むと嘘をついていた。
何度も家を売って、借金は整理しようと母は言ったが、千紗が首を縦に振らなかった。
「あなたの動画、全部見たわ」
穴がなくても掘って、地球の裏側まで逃げたい気分だった。人生でこれほどの辱めはあるだろうか。
がっくりとうなだれた千紗を見て、母は意外な言葉を言った。
「素敵な演奏だった。お父さんとはタイプが違うけれど、聞いててワクワクした気持ちになったり、切なくなったり目が離せなかった。あんなに音楽に引き込まれたのは久しぶり」
「え?」
衣裳のことを言われなくて、拍子抜けした。もともと父の影響でギターも幼少期から弾いていたが、母の勧めで小学生の時から三味線も本格的に習いだしたのだ。
「私ね、お父さんが死んでがっくり来ちゃって。それが体にも変調をきたしてこんなことになって、千紗が一人で頑張ってたのに、本当にだめね」
「いや、病気は仕方がないよ」
「ううん。あなたが襲われたのはショックだった。お金のことも背負わせてしまった。それは本当に後悔してるの。病は気からって言うしね。元気出さなきゃ」
「うん……心配かけてごめんなさい」
「あのね。もう家は売りましょう。それでお金は返せるでしょう。思い出は心の中にあるから、だからもう形にこだわらなくていいのよ。あなたもこっちでゆっくり暮らしたらいいじゃない」
母の実家は北海道で牧羊業を営んでいて、千紗もしばらくこちらで世間の目から離れてゆっくりしたらいいということを言われた。広大な敷地があるので、人を忍んで暮らすことも可能だ。
そのほうが母のためにもなるのかもしれない。会社でも千紗のことは噂になっていることだし。
家を売ったら、父親の思い出も消えてしまうような気がしていた。
父の部屋に寝転んで、父の好きなものを吸収した日々。幸せな記憶だった。
母の言うとおりなのはわかっている。家を残しても父が帰ってくるわけではない。
今までのようなしんどい生活をしないで、自分の食い扶持だけ稼げばいい。
──もしお金の心配がなかったら……。
やっぱり音楽がやりたいな。別にエッチな格好しなくてもいいわけだし。でも家を売っちゃって本当に後悔しないのかな。
縁側でした線香花火とか、庭で飼っているメダカとか、父の書斎にまだ残っている好きな漫画だとか、色々なものが目に浮かんだ。
北海道にいたほうが、穏やかな暮らしができるのはわかっている。
千紗はいつもの癖で田吾作に相談しようとスマホを取った。
──あ、でも田吾作さんは井村さんなんだった。
嘘をついて別人の振りして近づいてきたことには複雑な想いを抱いていたが、一緒にいるいちに彼の誠意が本物であることはわかってきた。
でなければ、身の危険を顧みず千紗を助けたりはしないはずだからだ。
──いい人だったな。夜は結構しつこいけど。
ちょっと、いやかなり変だけど、田吾作としても千紗のことをいつも心配してくれていた。
──電話、してみようか。
「あの、井村さんですか」
「うん。待ってた。無事着いた?」
「はい。なんか色々あって、帰ったらお話してもいいですか?」
「それって……期待していいのか? 待って、やっぱり聞くのはやめておく」
声を聞いて気づく。この人が好きだ。もう一度会ってちゃんと自分の気持ちを確かめよう。
「ちゃんと言うから、待っててください」
「今なんて?」
「続きはオフラインで」
あなたにおすすめの小説
黒瀬部長は部下を溺愛したい
桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。
人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど!
好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。
部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。
スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
【完結】育てた後輩を送り出したらハイスペになって戻ってきました
藤浪保
恋愛
大手IT会社に勤める早苗は会社の歓迎会でかつての後輩の桜木と再会した。酔っ払った桜木を家に送った早苗は押し倒され、キスに翻弄されてそのまま関係を持ってしまう。
次の朝目覚めた早苗は前夜の記憶をなくし、関係を持った事しか覚えていなかった。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている
井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。
それはもう深く愛していた。
変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。
これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。
全3章、1日1章更新、完結済
※特に物語と言う物語はありません
※オチもありません
※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。
※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。
うちの幼馴染がデレすぎてて俺の理性はもう限界。でも毎日が最高に甘いからもうどうでもいいや
静内燕
恋愛
相沢悠太の日常は、規格外の美少女である幼馴染、白石葵によって完全に支配されている。
朝のモーニングコール(ベッドへのダイブ付き)から始まり、登校中の腕組み、そして「あーん」が義務付けられた手作り弁当。誰もが羨むラブラブっぷりだが、悠太はこれを「家族愛」だと頑なに誤解(無視)している。
「ゆーたは私の運命の相手なんだもん!」と、葵のデレデレは今日も過剰の一途。周囲の冷やかしや、葵を狙う男子生徒のプレッシャーが高まる中、悠太の**「幼馴染フィルター」**はついに限界を迎える。
この溺愛っぷり、いつまで「家族」で通せるのか?
甘すぎる日常が、悠太の鈍感な理性を溶かし尽くす――最初からクライマックスの、超高濃度イチャイチャ・ラブコメ、開幕!
完結【強引な略奪婚】冷徹な次期帝は、婚姻間近の姫を夜ごと甘く溶かす
小木楓
恋愛
完結しました✨
タグ&あらすじ変更しました。
略奪された大納言家の香子を待っていたのは、冷徹な次期帝による「狂愛」という名の支配でした。
「泣け、香子。お前をこれほど乱せるのは、世界で私だけだ」
「お前はまだ誰のものでもないな? ならば、私のものだ」
大納言家の姫・香子には、心通わせる穏やかな婚約者がいた。
しかし、そのささやかな幸福は、冷徹と噂される次期帝・彰仁(あきひと)に見初められたことで一変する。
強引な勅命により略奪され、後宮という名の檻に閉じ込められた香子。
夜ごとの契りで身体を繋がれ、元婚約者への想いすら「不義」として塗り潰されていく。
恐怖に震える香子だったが、閉ざされた寝所で待っていたのは、想像を絶するほど重く、激しい寵愛で……?
「痛くはしない。……お前が私のことしか考えられなくなるまで、何度でも教え込もう」
逃げ場のない愛に心が絡め取られていく中、彰仁は香子を守るため、「ある残酷な嘘」を用いて彼女を試す。
それは、愛するがゆえに彼女を嫉妬と絶望で壊し、「帝なしでは息もできない」状態へ作り変えるための、狂気じみた遊戯だった。
「一生、私の腕の中で溺れていろ」
守るために壊し、愛するために縛る。
冷酷な仮面の下に隠された、
一途で異常な執着を知った時、香子の心もまた甘い猛毒に溶かされていく――。
★最後は極上のハッピーエンドです。
※AI画像を使用しています。