Brother's Monster Diary

針山タヨリ

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プロローグ 手記

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 フランスの田舎にある祖母の家は、赤い屋根が特徴的だ。山の緑、背の高い木に囲まれていても、隙間から除く赤は強いコントラストではっきりと分かる。去年の夏季休暇に遊び行ったときに僕らが塗り直したというのもあって、ぴかぴかだった。…もう空き家になってしまったのだが。
 そんな空き家に、今年の夏もやってきた。
 祖母の遺品整理のためだ。去年までのようにワクワク感は無いが、祖母が亡くなったのはもう半年も前のことになるの。少なくとも僕には陰鬱な気持ちも無かった。薄情だろうか。

「母さん、リビングの掃除終わったけど」
 雑巾を外に干しながら、庭の整理をしている母に声をかけると、汗だくの母が顔を上げた。
「じゃあ、書斎の方見てきてくれる?」
「ええ…」
 祖母の書斎は地下にある。古い紙とカビの匂いがして、しかもその本に触れると手がかゆくなる。入ったのは祖母にせがんで入れてもらった一度きりで、それからは立ち入ろうとした事も無かった。
「良いのよ別に、庭の方を手伝ってくれても」
「…遠慮しとく」
 陽炎が見えるような夏の昼間に、軍手をして屈み仕事をするのと比べると、ホコリにまみれた地下の書斎整理は涼しくて幾分マシに思えた。
 掃除機と折りたたんだ段ボール数個を抱えて、地下への階段を降りる。
 木製の扉は以外にも頑丈で、鍵穴も鍵を差し込むとスムーズに回った。中に入るとやはり古い紙とカビの臭いはするが、以外にもホコリ臭さはあまり無い。
 この部屋は、祖母が六十代まで仕事の際に使っていた部屋だったと聞く。予想を上回る保存状態の良さから、定期的に掃除していたのだろうと分かる。祖母が真摯に仕事に向かい、その過去を大切にしていたことを暗に示しているようで、不思議な感慨を覚えた。
 祖母の仕事は雑誌記者だった。当時にしては珍しいオカルト関係を扱っていたらしい。晩年の祖母は認知症にかかっていたが、仕事の話は鮮明に語って聞かせてくれた。きっと祖母にとって、記者であった時間が人生で一番輝いていたのだろう。
 でも、家族の誰も、祖母の話を信じていなかった。何せオカルト雑誌だ。幽霊とかUFOとか妖怪とか、取り扱ってるネタはどれも胡散臭い。僕もちょっとした怪談感覚で聞くのは楽しかったけれど、信じていたかと言われるとそうでもない。
 書斎に並んだ大きな四つの本棚に丁寧にそろえて置かれているのは、怪談話を集めた小説や民俗学誌など。どれも茶色く変色していて、時代を感じる。
 部屋の奥には、祖母が書き物をしていた頃のランプ照明やインクの枯れた万年筆が置かれている。その机の上に、いくつかの紙束と数冊のノートが置かれている事に気づいた。
 他の本はしっかりと本棚にしまわれ、ノートや書類の類もファイリングされているのにも関わらず、それらだけは、まるで誰かが手に取ることを目的としてそこに置かれているような。
 一番上のノートを手に取る。

“人体実験を繰り返す、とある異国の研究者に関する取材記録 
一九XX年 一〇月二日~一二月一四日”

 いかにもオカルト雑誌らしい抽象的で思わせぶりな題名だ。“異国の”と言うからには国外まで取材に行っていたという事だろうか。海外出張をする若き日の祖母を想像すると少しだけ興味が沸いて、ノートを開いた。

「……“この取材記録を記事として公表することは、一生涯無いでしょう。”」





“この取材記録を記事として公表することは、一生涯無いでしょう。この記事が公開されることによって、何かを感じ、考えてくれる人はいるかもしれないけれど、笑顔になってくれる人はいないでしょうから。怪奇雑誌でこんなことを言うのも可笑しいかもしれないけれど。やっぱり私は、私の文章で誰かを楽しませたい。
 それでも私は、この記録だけは形に残しておこうと思います。
 このまま誰にも知られずに、彼らが忘れ去られてしまうのはあまりにも寂しい気がするのです。
 彼…いいえ、彼らの行いは非常に身勝手で独善的で、到底赦されるものではないけれど、そこにあった愛が忘却され無かったことにされてしまったら、本当に、彼らの存在人生の意義すら失われてしまうのではないでしょうか。”


 一九××年 一〇月二日
 “おぞましい人体実験を行う狂った研究者がいる”という噂を辿り、私はこの廃工場のような灰色の建物にたどり着いた。
 何らかの先天的・後天的な障害や持つ人々の救済を謳い人を集め、彼らを使って非人道的な人体実験を行っているとの事だ。あくまで噂であるため、警察なども特に動いている様子は無いらしい。まあそんな事よりも、この国は今、世界を震撼させた連続殺人事件の調査で忙しいのであろう。
因みに、件の研究者へと送った取材交渉の手紙の返事は非常に好意的かつ穏やかで、とても狂っているような印象は受けなかった。
 研究所(便宜上そう呼ぶ)の扉は鉄製で、少々不似合に見える古めかしいライオンのノッカーが付いている。
 ノックをすると、たっぷり三十秒ほどの間をあけて、ガシャン、と鍵の開く音がした。続いて、重たそうな扉がゆっくりと開かれる。
 研究者ことスヴェン・クリンガー氏は、長めのブロンドの前髪を横に流した、眼鏡の美青年だった。白衣はしっかりと洗濯され糊が効いていて清潔感が漂うが、その中で陰気な目元の隈が浮いて見える。年の程は二十代後半~三十代で、予想よりもかなり若い。
 百八十センチ後半はありそうな長身で私を見下ろした彼は「ああ、貴女がマリーさんですね」と言ってニコリと笑った。低くかすれた声だが、耳に心地よい落ち着いた声だと思う。
 私が挨拶をしている間も、彼はニコニコと笑っていた。肯いてはいるが、なぜか、聞いているのかいないのか、どちらとも言えないような手ごたえの無さを感じた。
 そして彼はあっさりと、自身の城に私を招き入れた。リノリウム製の床をコンクリートの壁が囲う廊下は冷たく、薄暗さも相まっていかにも怪しげな研究施設と言った雰囲気だ。
 遠くからガシャンンガシャンと、金属製の物が叩かれたり何かにぶつかるような音が聞こえてくる。憐れな実験体が檻の中から「出してくれ!」と叫ぶ様子を思い浮かべ、身震いした。
「パリからここまでいらっしゃるのは、さぞ大変だったでしょう」
 不意に、スヴェン氏が口を開く。
「鉄道に揺られて四時間弱くらいですね。でも、アメリカや日本に飛んだ時と比べれば全然」
 そう私が答えると、スヴェン氏は「素晴らしい、様々な国へ取材の度に出られているんですね。私も常々、ヨーロッパから出てみたいと思っているんです」と言う。なんてことない世間話だ。やはり、思い浮かべていたマッドサイエンティストの面影は感じられない。しかし、怪しげな研究施設と比較したときのミスマッチだけは、彼の奇妙な不気味さを引き出しているように思えた。
 客間らしき部屋に通される。二人掛けのソファが正方形の机越しに向かい合う、シンプルな空間だ。促されてソファに腰かけ、取材道具をあれこれ準備する私を、彼はじっと待ってくれた。
「それでは、インタビューを始めさせていただきます」
「ええ、よろしくお願いします」
「お手紙でもお伝えした通り、記事であなたの名誉が傷つけられることは無いと保証したします。それでも万一不快に感じられた場合には、この場にてお申し付けください」
「ええ、承知しました」
「……スヴェン博士は、ここでどのような研究をされているのでしょうか?」
「どのように聞いて、ここにいらっしゃいました?」
 即答だった。出鼻をくじかれるとはまさにこの事。正直ドキリとしながら、私は慎重に言葉を選んだ。
「障害や欠損を持った方を対象にした、実験研究を行っているとお伺いしています」
「ええ、間違ってはいないと言えます。私は、先天的・後天的に、心身に何らかの障害を抱えた方を対象に研究してきました」
 過去形だ。今はそうでないと伝えるための文法に、思わず「ました…?」語尾をオウム返しにしてしまう。しかし、その疑問をあらかじめ想定して発言したのだろう、すぐにスヴェン氏からの補足がされた。
「ええ、今は研究成果を実践に移している段階なのです」
 その後、スヴェン氏によって語られた研究の概要は、私には理解しがたい内容であった。
 彼の研究の目指すところは、一般多数の人々と異なる特徴持ったばかりに不当な差別を受けてきた人々に、本来の姿と尊厳を取り戻す事。
 本来の姿とは、手足の無い人々に手足を…という話ではない。スヴェン氏曰く、人々は、神代の時代の生物の遺伝子を継承している。例えば、人の下肢には本来は蛇の尾があったかもしれないし、魚のヒレがついていたのかもしれない、という話だ。
 つまりスヴェン氏の研究の本質は、人間を伝説の生き物の姿にする事だった。
「それは……足の無い方に、別の生き物の足を移植したりしている、という事でしょうか?」
「ええ、現在の技術では人魚の脚を作り出すことは出来ませんから。イルカのヒレをベースにして、人の皮や魚の鱗も組み合わせてね」
 淡々と、しかし自慢げに語る彼に私は背筋が寒くなった。『それは、今の社会で許されることなのでしょうか』などという至極当たり前の質問さえ憚られてしまう。
 彼にとって社会という基準が何の意味も持たないだろう事は、その話のだけでも十二分に伝わったから。
「学生時代は人間以外の動物を実験体として研究を重ねてきました。技術を人に応用できるようになったのは、つい2年ほど前からですね」
「そうなんですね」
 記者とは思えない何ともお粗末な相槌だが、私にはこれが精いっぱいだった。彼の語り口は落ち着いていて、且つ堂々としている。
「研究成果を、見て行かれますか?」
 その言葉に私がヒュッと息を呑んだのを、果たして彼は気づいていただろうか。この時、私の心の中ではいくつかの考えが巡っていた。
 一つ目は、仕事として実物を見るのは必要だろうということ。しかしこれは二つ目と三つ目の考えによってすぐに棄却される。それどころではない、と言う話だ。
 二つ目は、真実をこの目で確かめ、場合によっては、目の前の青年……スヴェン・クリンガー氏を通報する必要があるかもしれないという考え。先ほど彼の名誉の保証についての契約を交わしたばかりだが、触法についてはその限りではない。彼の研究は、あまりに社会的倫理を逸脱してしまっている。
 そして三つ目は、自分の身の安全が保障されるのか、だ。知ってしまったからには……というのは、古今東西こういった社会的に危険な情報を手にした人間に突き付けられる言葉の定石である。
 最後だが、これは、自分の持つ、純粋な好奇心。オカルト雑誌の記者をしている人間だ。そういった奇怪な物事に対する関心と、出来る事ならこの目で一度、人間の理解を越えた存在を目にしてみたいという情熱は人一倍だった。今の状況は、頭がぐらぐらと揺れる感覚を感じるほどに、魅惑的でもあったのだ。
 
 これら全てを慎重に天秤にかけた上で、私は四つ目の考えを採択した。最も危険で愚かな、自分の欲を優先させた考えを選び取った時点で、“慎重さ”などはとうに瓦解していたのかもしれない。

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