血塗られた藍玉

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血塗られた藍玉

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1.血塗られた藍玉
         
             

「ミロ、お前はもう逃げられないぞ。おとなしく自首するんだな」
 薄暗い路地裏にパトカーのサイレンが響き渡る。霧の中で必死に足を動かしてきた私は目の前に立ちはだかるコンクリートの壁に手をついた。後ろを振り返ると、数名の警察官に囲まれていた。いくつもの銃口が私の方を向いている。私はおとなしく両手を上にあげた。
「手に持っているナイフを下に置け、今すぐに!」
 私はその言葉を聞くとナイフを握っていた力を緩める。カランと金属音が路地裏に響き渡ると同時に警察が私の元に駆け寄って来た。
「このまま何もするなよ」
 丸々太った警察官が私の右手首に手錠をかけた。
「あんたなんて、この手錠ごと吹き飛ばせるんだけど」
 私が警察官にそう言うと彼は鼻で笑った。
「出来るならやってみろ」
 警察官がそう言った刹那、路地裏に銃声が響き渡った。ミロと警察官の間に血しぶきが飛ぶ。
 太った警察官は何も言うことなく静かに倒れこんだ。
 他の警察官達は一瞬何が起きたのか分からない様子だったが、再び私に銃口を向けてくる。おそらく彼が倒れたことと、私の左手に持っている拳銃を見て、私を撃ち殺そうとしているのだろう。
 ああ……もう少しこの汚い世界で楽しみたかったなぁ。
 血塗られたアクアマリンや妖艶なヴァンパイアなど多くの異名を持つ殺人鬼として、世の中の男達を殺してきた。アクアマリンとは水色の宝石のことであるが、おそらく私の目の色がそれに近かったからだろう。個人的には本名のミロと呼ばれるよりはそちらの方がいい。
 私が今まで行ってきた殺人。金を払ってくれる男を見つけては出なくなるまで使い続け、用がなくなるとそいつを殺し、次の男に乗り換える。男は私にとって財布なのだ。ではなぜ殺すのか、これに関しては一度、用積みの男に聞かれたことがある。詳しくかんがえたことはなかったが、その時は悩まずにすぐに答えられたと思う。金がない男に存在価値が無いということを。
 これは運命だったのかもしれない。今までの自分がしてきた行いを神様が見ていたのだ。でも、このままでは終われない。例え死んでも天国には行けないのだ。なら、最後の最後までこの世の中を恐怖の闇に陥れた殺人鬼として足掻こうではないか。
 警察官を撃ち殺した拳銃を空に向け私はその場に立ち上がった。
「私は人を殺すのは怖くない。ここにいる警察、一人残らず殺してやるよォ!」
 言葉の語尾に力が入る。殺されることは怖くわないが、身体が大きく震えている。
「今すぐ銃を置いて、体を地面に伏せろ。じゃないと撃つぞ」
 警察官の方向から最後だと思われる警告が飛んでくる。普通の人だったらここで言葉を聞き入れ、彼らの言うことを聞くのだろう。でもそんなこと私はしない。
 目を大きく見開き、彼らを見渡す。
 いつ警察官が拳銃の引き金を引くか分からない状態での緊迫した空気は、私にとってとても刺激的だが、恐怖心もだんだん強くなっていた。
「まだ……死んじゃぁいねぇよ」
 そんな言葉と同時に足首に違和感を感じた。視線をそちらに向けるとさっき倒れ込んだデブの警察官が足首を掴んでいた。一瞬鳥肌が立ちそうになったが唇を噛みしめ、撃たれる覚悟で自分の右足を警察官の頭上に持っていった。
「ならくたばりやがれ!」
 自分の足に力を入れた時、鈍く重い音と共に自分の右肩に痛みが走り、体のバランスが崩れた。そして、それを合図に自分の体に次々と弾丸が撃ち込まれていく。
 左肩、左足、腹。
 私は体中から血を流し、背中から硬いコンクリートへ倒れた。
 その時頭を打ったのだろうか、それとも私の体から大量に血が流れ出ているからだろうか。私の目の前に映るものに雲がかかったように白くなっていった。
 徐々に体中の感覚がなくなり、自分の身体のから温かさが抜けていくのを、私は少し感じたような気がした。
「これで私も本当におしまいだな……」
 目の前に雲がかり、汚れのない白の中にアクアマリンの水色がピカリと一瞬輝いた。
 そして私の目の前は何かのスイッチが切れたように暗くなり、何も感じなくなった。



「うわぁ!」
 大きな銃声とそこから発射された銃弾によって撃ち抜かれた右肩の痛みで目が覚めた。
 額や首筋は汗で濡れ、息も荒い。
「また、この夢」
 ここ最近同じような夢を何度も見る。
 私は何十という警察官に「ミロ」という名前で呼ばれ、追いかけ回され、最後には殺される。二回ぐらいはこんなに同じ夢を見るものかと少し感じていたが、流石に十回以上見るとこれは流石におかしいと断言する。
いったいこれは何なのだろう。寝方が悪いのか、それとも寝る前に携帯で動画を見てるからか、それとも何かの病気なのだろうか。
 原因は分からないが、とても恐ろしい。
 枕の横に置いてあるタオルで額の汗を拭う。毎日変な夢に見舞われ大量に汗をかく、なので枕の横に毎晩それを置いている。
 私がこの夢を見る理由は何なのだろうか。
 タオルで二回顔を拭いたところで部屋の扉が開いた。
「美優、早くしないと学校遅れちゃうわよ」
 うんと頷いてから、私はベットの横に置かれた黒い淵の眼鏡を手に取った。

 支度を整えて一階にある食卓につくと、テレビから最近頻繁に起きている女性誘拐事件についての評論が耳にはいる。テレビのコメンテーターの人は、専門家の先生の話を聞きつつ、厳しい意見を口にしている。
 私はそのニュースを見つつパンを口に運ぶ。
「美優も気をつけなさいよ、なんかこの事件女性ばかりが狙われているらしいから」
「うん」
 母親の言葉にもぐもぐと口にパンを含んだ状態で答える。
 最近巷で話題になっているニュース、十五歳から四十五歳の女性が行方不明になるという事件。行方不明なら誘拐と決めつけるのはどうかなんて意見を前に聞いたが、こんなにも行方不明者が出ているのだ。警察がそう考えてもおかしくない。この事件で誘拐された人達は少なからず五人以上いるらしい。また、誘拐された人達はまだ見つかっていない。また犯人に関しては女性を狙うということから男性ということで調査をしているということだ。
「次のニュースです。都内のとある河川敷から女性の遺体が見つかりました」
 私が朝食を食べ終わり、洗面所に向かおうとしたところでそのニュースが耳に入る。
「女性は右、左共に眼球を抜き取られた状態で見つかったそうです。警視庁からの報告によりますと、今犯人の特定と女性の身元特定を急ぐと共に女性行方不明事件との関連性も調査しているとのことです」
「目を抜き取るとか……」
 想像するだけで体が震えた。人の目玉を抜き取って何に使うのだろうか。
「人間のやることじゃないわ、こんなこと。そう言えば美優、目の調子どう?」
 食器を洗っている母親から声が飛んでくる。
「眼鏡は必要だけど、しっかり見えるよ」
「手術してよかったでしょ?」
「うん」
 歯ブラシに歯磨き粉を付けながら曖昧に答える。

 半年前、私は円錐角膜という目の病気で手術を受けた。簡単に説明すると角膜を移植したのだ。海外から角膜を輸入し、私の角膜を取り除きそれを移植した。入院期間は二週間。その時に父は高校入学のお祝いと誕生日を兼ねてのプレゼントだと言っていたが、相当な負担をかけてしまったなと、私は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
 手術の結果、白く濁っていた右目は綺麗になり、視力も少し回復した。結果的に家族全員が幸せになれたからこの手術はやってよかったといえる。
「手術が成功してくれて本当に良かった。それに目を提供してくれた人にも感謝しないとね」
 私は歯ブラシを持つ手に力が入る。正直そのことにはあまり触れてほしくない。この人が死んでいたのか、生きていたのかは分からないけれど、そのことを思うとなぜか胸が苦しくなるのだ。
 水を口に含み吐き出す。真っ白なシンクに紅い花びらが舞い散った。
「じゃあ、私行ってくるから」
 玄関のドアノブに手を掛け、リビングに向かって声をかける。
「気を付けてね」
 母親の声が聞えるのを確認して私は重いドアを開いた。



 学校が嫌いか好きかと聞かれたら、私は嫌いと答えると思う。どうしてって返されても、嫌いなものは嫌いとしか言えないからだ。というのも、私のスクールカーストはそんなに高くはない。普段学校では窓際の一番前の席に座り、静かに本を読んでいる。自分の周りでは落ち着きのない男子が追いかけっこをしたり、無駄にかわいいと連呼する女子たちが雑誌を広げて騒いでいるのをうるさいと思いながら、いつも本を読んでいるのだ。この人達と仲良くしてもいいことなんてない、本を読んで静かに毎日を過ごそう。これが私がこのクラスになった初日に感じたことだった。そして今日も静かに本を読んで過ごすのだ。
 私がいつもと同じことを思いながら教室に入ると、そこにはいつもと違う風景が広がっていた。
 涙を流す生徒、真ん中の机に置かれた花瓶には鮮やかな花が飾られている。
 私が教室の前で立ち止まっていると、泣いていた生徒が静かに私のところに歩いてきた。
「渡辺さん、今朝のニュース見た? 河川敷のやつ」
「うん、見たよ。もしかして」
 私の言葉を遮るように彼女の鳴き声が教室に響き渡った。
 私は彼女の背中を優しく抑えその子の机に運び、椅子に座らせる。
「泣かせてごめん」
 私の言葉に彼女は顔を抑えながら頭を横に振った。
 自分の席に座り、自分のカバンを机に置く。
 正直な話、スクールカーストの下の方の私に友達はいない。さっきの子だって、このクラスになって初めて言葉を交わした。
 私からしたらうるさい人間が一人消えただけの話で、個人的にはうれしいことなのだが、全国的に騒がれている事件の被害者が自分の身近なところにいたことに驚いたし、私も襲われてしまうのではないかと、正直怖くなった。
 教室に来る人達の数が多くなると、悲しみの重さは大きくなっていった。教室の外には他のクラスから来た野次馬たちでごった返し、先生たちも私の教室の前に来て教室に戻れと声を荒げていた。
 私は自分の机に鞄をかけ腰を下ろした。ぼんやりと自分の机の模様を眺める。
 その模様は私の心の中と同じようにすこし汚く歪んでいた。
少し経つと教室の外で女子生徒たちの騒ぎ声が聞え始めた。
「ごめんね、もう教室だから」
 その声は優しく、困った様子なのが伝わってくる。
「なんだ、ちょっとごめんなさい。通らして」
 野次馬の中をかき分け、教室に足を踏み入れるのは女子からとても人気のある生徒の川瀬俊也だ。
 俊也くんは私の学年でイケメンとして人気である。それに運動神経抜群で頭もよい。また川瀬百貨店の創業者の孫らしく、相当なお金持ちらしい。風の噂というものだ、本当かどうかは分からない。
 そんなイケメンな俊也くんも教室に入るとこの非日常的な空間に驚いたようだ。教室の真ん中に置いてある花瓶を見て足を止めた。
「俊也君!」
 数名の女子たちが俊也くんに駆け寄ると、なぜこのような状況になったのかを説明したらしい。彼の表情から笑いが消えた。
「そういうことか、分かった」
 そう言うと駆け寄ってきた女子たちを教室に帰らせ、静かに自分の席に座った。
 映画やドラマの世界だけじゃなかった。教室にいるみんな全員が思ったと私は思う。スクールカーストの一番上である俊也くんでも真逆の私でも。
 暗く思い空気は今日一日いや、何日かは続くだろう。
 
 五月蠅くないのは私にとって本望だ。それでも死というものの重さは私にとっては耐えられなかった。
 私と特に仲が良かったわけではない。でも誰かが死ぬってことは、こういうことなんだ。ぽっかり穴が開いたような、寂しいような……。
 女子トイレの流し台で顔を三回、ぬるい水で洗い流す。頬をゆっくりと水が滴る。鏡で自分の顔を見ると少し顔色が悪かった。
「いつもと変わるのがあなたは怖いの?」
「え?」
 自分の後ろの方から女性の声が聞こえた。
 振り返りあたりを見渡す。トイレの個室は三つあるのだがどれも扉が開いており、白い便座が見えている。
「私は怖くないね、逆に体がゾクゾクしちゃう」
「誰……なの?」
 私が姿の見えない何者かに問いかけると、トイレに甲高い笑い声が響き渡る。
「後ろを向きなよ、美優ちゃん」
 私の後ろには流し台と壁と。そんなことを考えていると、その女の言葉に体が操られているように私の体が後ろを向き始める。
 何が起きているのか分からない、今起こっていること全てが急すぎて、非現実すぎて、怖くて、不気味で。頭の中には黒いもやもやした霧でいっぱいになった。
「さぁ、こっちをみなさい」
 女の人の言葉に力が入る。さぁさぁと語尾を強くして私に急がせる。
 体の半分が後ろを向いた時、流し台のちょうど真上に取り付けられた鏡に目がいった。そこに映っていたモノを見た時、私は声が出なかった。
 血まみれの手が私の右肩を掴んでいる。
 綺麗な金色の長い髪が血まみれの手に掛かり、少し汚れている。そして顔の横には女性の顔が並んでいる。また鮮やかな青色の左目が私を狙うかのようにギラギラと光っている。
「やっと、会えたね」
 その言葉を聞いた瞬間、私の目の前は闇に包まれた。


 
「目を覚ましなよ、いつまで寝てるのさ」
 その声ではっと目を開ける。私はどうやら眠っていたらしい。床も天井も真っ白である。ところどころに正方形の置物が様々な大きさで置かれている。壁などはないようだ。自分の何百キロ先まで白が続いている。
「ここは?」
 確か私は女子トイレにいたはずなのだけど。
 そう私が思った時、自分の後ろの方に気配を感じた。すぐに後ろを向くとそこには先ほどトイレで見た金髪の女性が、正方形の白い本棚の上に座っていた。
「ここがどこなのか私にもよく分からないわ。でも言えるのは私が死んで目覚めてから、長らくここにいるってこと」
「死んだって……? じゃあ私も死んだってこと?」
 私が彼女に近づこうとすると、初めてその全貌を見ることが出来た。
 体中は血で赤く染まり、体の所々に穴が開いている。また、左手と右手の色の違いは明白で、左手は赤いというより黒い。また彼女の体の色は青白く、温度を感じさせない。金の色をした髪の毛はくしゃくしゃで、艶がなくどことなく汚らしい。黒いオーバーコートを着ているのだがそれが赤く染まっていた。やはり彼女は死んでいるのだろう。
「あんたは死んでないさ。もしあんたが死んでいたら、ここに私はいないからねぇ」
「どういうこと?」
 彼女に強く問う。
「うーん……あんた目の網膜移植をしたでしょ。それ私の網膜なのよ、右目のね」
 彼女は本棚の上から降りた。
「私の家、貧乏のくせに金を大量に使う家だからさ。私が死んだ後も本人の同意なくして、金に換えたんだろうさ。これも今までの行いが元凶だろうね」
「あなたが……」
「そう、私があんたの右目さ」
 彼女は私の目の前まで歩いてくると、血であまり汚れていない方の手を私に伸ばしてきた。
「私はミロだ。よろしく」
「そうですか、私は――」
 そう言いかけた時、その言葉を聞いて思い出す。毎晩全身から汗をかき、魘されるほどの恐ろしい夢を。何十人という警察官に追われ、最終的には全身に銃弾を打たれ殺される。一人称だから自分の顔がどうなっているかなんて分からない。でも確かに私はその名前で呼ばれていた。
「その様子だとサインは届いてたんだね。それが出来るということは……」
 彼女、ミロは私の手を引っ張った。勢いによろけた私はミロの抱き抱えられる。」
「ミロさん?」
 急なことで驚いた私にミロは笑顔で言う。
「大丈夫。少しあなたの体を借りるだけだから」
 その言葉と同時に腹部に電撃が走る。
 何だろうか、この感覚。
 ミロは先ほどの笑顔から少し口元を緩ませ白い歯をきらりと見せている。
「あんたの血は綺麗な赤色だねぇ。私の第二の体にはぴったりだよ」
 ミロは私を自分の体から突き放した。私はそのまま地面に背中から倒れた。ミロは赤く染まったナイフを放り投げ、私に近づいてくる。
「私に……何を、するんで、すか」
 痛みに耐えながら、小さい声でミロに問いかける。
 ミロはあぁと小さな声で唸った後、ナイフで刺したであろう私の腹部を見ながらしゃがみこんだ。
「久しぶりに暴れたくなってね。あんたの体借りるよ」
 そう言うとミロは血で赤くなった腹部を両手で広げ始める。
「イッ」
 あまりの痛さに声が出ない。
「あぁ、まだ抵抗できそうねぇ」
 そう言うとミロは右手を大きく振り上げ拳に力を込める。
「ちょっと眠っててもらおうかな」
 そう言うと私の傷口に向かって拳を振り下ろした。
「……!」
 ぐちゃっという気持ちわるい音が聞こえたと思うと、私は想像を絶するような痛みに襲われた。とても重たいものに押しつぶされた時のような重圧に車にぶつかった時のような反動。私はこの痛みに耐えられず意識を失いかける。
 涙をこらえつつ、歪んだ視界の先に見えたのは、先ほどまで白かった空間は綺麗なアクアマリン色に包まれ、まるで海の中に沈んでいるような不思議な感覚に見舞われた。
 そんな中、ミロは赤い血で汚れた両手で私の顔を包み込み、小さな声で囁いた。
「すまないねぇ……美憂。私ももう限界なのさ。」
 彼女の両目が徐々に光だし、目玉の毛細血管が破裂し、白から紅に変わり始める。
「私の目を見なさい。この血塗られた藍玉を」
 ミロがそう言った刹那、体中の力が抜け、私は意識を失った。
 


「おじさん、もっと楽しいことしよ」
 私の声?
「いいよ、美優ちゃん。お金はあるから」
 はっと目を覚ますとそこは夜の繁華街。時間は七時を回っているだろうか。ネオンの明かりがとても眩しい。
 私は高校の制服のままのようだ。私の右隣りにはスーツを着た男の人が歩いている。よく見ると私が彼の左腕に右腕を回している。箪笥の匂いかこの人の匂いか、独特な鼻につく匂いが私の気分を少し悪くする。
『起きたみたいだね、美優』
 どこからともかく聞こえてくるミロの声。エコーが掛かっているらしい、私の頭の中で何十にもなって響いている。
『私のこの声はあなたにしか聞こえていないわ』
「ミロさん、これは何? 体を動かせないし、なんか知らないおじさんと腕組んでるんだけど……」
 私の言葉を聞いてミロは高笑いをあげる。
『今の渡辺美憂はあんたじゃないのよ。言ったでしょ? あんたの体を借りるって。今あんたの体に入っているのは私、ミロよ』
「そんな! じゃあ私はどう状況なの?」
 私の視点はいつも生活しているように見えている。しかし体を動かすことは出来ないのだ。しゃべることは出来るがこれはおそらく私の体を乗っ取ったミロにしか聞こえていない。
『私の立場と美優の立場をそのまま逆転しただけよ。今のあんたは美優の目、ただ物を見ることしか出来ない存在だってことさ』
「そんな!」
 私が声を少し震わせながら言うと、スーツを着たおじさんが足を止めた。
「食事も終わったしこれからどうしようか」
 その言葉を聞いてか、ミロは甘い言葉で彼に答える。
「私ね、欲しいモノがたくさぁんあるんだけどぉ、買ってくれる?」
 上目遣いでネロはおじさんに言う。
 しかしそれを聞いたおじさんは少し顔を歪ませた。ビジネスバックから大きな財布を取り出し、中身を確認し始める。パンパンの財布の中からはレシートのような白い紙が何枚か顔を出しているが、血液のような黒く濁った赤色のシミが付いたものもある。そのほかに、何枚も重なったカード類、そして金色と銀色のクレジットカードが入っている。財布をいじるぎこちないおじさんの動きを見て、ミロは高笑いをあげる。
「おじさん、慌てなくて大丈夫だから。マジ面白いんですけど」
 それを聞いて苦笑いをするおじさんだがクレジットカードを使うらしい。親指と人差し指は黄金のカードをつまんでいる。「もしぃ、おじさんが奮発したら……」
「ふ、奮発したら」
 何を言い出すのだろうか、私はミロが次に何を言うのか固唾を呑みながら待つことしかできない。
ミロはおじさん前に出ると眼鏡を少し下にずらした。
「このあと、とぉっておきの気持ちいいこと、してあげる」

「ななな、何てことを言ってるの!」
 私が声をあげると彼女の高笑いが頭に響く。
ミロは私に何も言わずにおじさんの手を握った。
「行こう!」
 ミロはおじさんの手を掴むと夜の街を走り出した。
 ちょっと待ってくれとおじさんが言っているのはおそらくミロには聞こえていないのだろう。
 それからミロはおじさんを連れまわし多くの物を買ってもらった。正直ミロのセンスで買うものが選ばれているため、学生が好みそうなものではないのも多くあったが、おじさんは変に思ってはいないらしい。おそらくこの後のことしか考えていないだろう。
「おじさん、次が最後だからもう少しお願いね」
「あ……あぁ」
 ミロの言葉に、とても苦しい表情で答えたおじさんは言われるがままお店に入っていった。
「おじさん、ありがとう」
 両手いっぱいにカラフルな袋を下げたミロはおじさんに笑顔で言った。
 最後のお店から出ると少し空気が寒く感じる。
「今何時なんだろう」
 私がそう言うと、ミロはポケットから携帯を取り出し時間を確認する。時刻は九時を過ぎようとしていた。
「もうこんな時間かぁ」
 ミロはそう言うとおじさんの方を見て笑った。
「じゃあ、荷物を置きに行こうか」
 おじさんはそう言うとミロの手を引き、歩き出した。



「どこに行くの?」
 私は少し怖くなってミロに話しかけた。
 おじさんは駐車場に向かっているはずなのだが、ビルの間を進んでいき、電灯もないような暗い路地へと入って行くのである。このような状態だと、正直怖くなってくる。
「ミロ、答えて」
 私が少しミロを急がすと彼女は大丈夫さと言いい、おじさんに問いかけた。
「ねぇ、どこに向かってるの? こんなところに駐車場なんてないと思うんだけど」
「この先に止まってるから」
 おじさんはミロの方を向かずに言った。
 数分後、私たちの目の前に一台の軽自動車が止まっているのが見えた。周りには外灯はなく、人もいない。
「これだよ、さあ、荷物を入れようか」
 おじさんはそう言うと車の鍵を解除し、運転席のドアを開けると、助手席にビジネスバックを放り込んだ。
「早く買ったものをしまってしまおう」
 おじさんはミロにそう言った。
 ミロはおじさんの言葉に頷くと、バックドアを開けた。
 車の中は芳香剤の匂いがする。正直、私の好みではない。また、リヤシートとトランクの間が木の板で仕切られていて、少し違和感を感じた。
「ねぇミロ、なんでこの車こんな板でうしろを仕切っているのかな」
 そう言うとミロは冷静に答えた。
『うーん、少し臭うねぇ』
「それは、芳香剤がってこと?」
『いいや、違う。私にとっては懐かしい臭いさ』
 ミロはそう言うと、荷物を置かずにバックドアを閉め、そのまま車の後ろ、トランクの方に歩いていく。
 ミロが急にドアを閉めたことに、驚いたのかおじさんはミロの方を見ると大声を上げ、ミロの下に近づいてくる。
「トランクを開けるんじゃない!」
 おじさんはミロの手を掴むと強く引っ張った。
 ミロは強引に手を引かれたため持っていた袋を落とし、そして体のバランスを崩して地面に尻餅をついてしまった。
「おい、俺は後部座席に荷物を入れてくれといったはずだが」
 そう言ってミロを睨むおじさんは、明らかに先ほどまでとは別人である。このトランクに何かあるのだろうか。
 私はミロに大丈夫ですかと問いかけると、彼女からは平気と小さな声で返答があった。
「ここから離れたほうがいいんじゃないでしょうか」
 私がそう言うとミロは小さく答えた。
『この人はそんなに変な人でもないよ。私からしたら普通かな』
「ど、どういうことですか」
 ミロに言うと、彼女は私の言葉には何も返さず、おじさんの顔を見た。
「あなたはそれでも人殺しですか?」
 おじさんはその言葉を聞いて少し動揺したのか、小さく驚きの声をあげた。
「な、なにを言ってるんだ、美優ちゃん。俺が人殺しだなんて」
「へぇ、なるほど。おじさんは人殺し初心者ってわけですね。どおりで詰めが甘いわけですよ」
 ミロはそう言うと、ゆっくりと立ち上がりスカートについた埃を落した。
「そう言えば最近女性誘拐事件が多発しているらしいけど、もしかしてあなたが犯人?」
 おじさんはその言葉に何も答えない。ただ口元に力が入っているようで、少し痙攣している。
「図星のようね」
 ミロは腕を組み、おじさんを睨みつけた。
 私はミロの言っていることがまだ信じられない。というかなぜこんなことが分かるのだろうか。今のおじさんの様子は先ほどのものとは確かに違う。しかし、不自然すぎる態度の変貌だけで判断したのだろうか。トランクの件もあるがそれにしても判断基準にしては少ないかもしれない。
 私はそのことについてミロに聞こうとすると、彼女はおじさんに問いかけを始めた。
「どうせ。この中に私を殺すための道具に、遺体をしまう袋でも入っているのでしょう?」
 ミロはそう言いながらトランクのロックを解除した。おじさんは開けるなと叫んだが、ミロは反応を返さない。
 トランクの中には包丁やナイフといった刃物がいくつか入っているのと、手袋、そして袋が入っている。そのほかにもいくつか物が入っているが私には分からない。
「死体はさすがに捨てた後ね、つまらないわ」
 ミロはそう言いながら、トランクの中に合った手袋を取り出すと自分の手にはめ始めた。
「何をしている、トランクを閉めろ!」
 後ろからそう聞こえたかと思うと、目の前に男の人の手が目の前に現れる。ミロはそれをしゃがんで避けると、トランクに置いてあった刃物を手に取り、おじさんの手を切りつける。
 言葉にならない叫び声を上げながら男は後ずさる。
 私は目の前で起きていることに頭が追い付かず、ただ驚くことしかできなかったが、瞬時にミロに注意する。
「私の体なんだけど! 危ないじゃない!」
 ミロはその言葉を聞くと鼻で笑い、安心しなさいと言った。
『確かにあんたの体だけど、私の体でもあるんだよ。大丈夫、失敗はしないさ。だって私は異名持ちの殺人鬼だからね』
 私はその言葉について詳しく聞きただそうとしたが、おじさんの大声に邪魔された。
「よくもやりやがったな! もう容赦しねぇぞ」
 おじさんはジャケットの内ポケットからナイフを取り出すとミロの方にそれを向け、走り出した。
「ミロ!」
 私が叫ぶとミロもおじさんに向かって走り出す。
『美優、見たくなかったら目をつぶってな』
 ミロがそう言うのと同時におじさんが、大きくナイフを振り回す。ミロはそれを素早く避け、おじさんに刃物を突き刺そうとしている。動きの速さ的にはミロの方が断然早い。正直、運動が出来ない私からは想像の出来ないほどの反応の速さに、私は目を瞑ることを忘れていた。
「くそぉ、避けるんじゃねぇ」
 そう言いながらおじさんはナイフを頭の上から振りかざす。
 ミロはそれを避けようとすると、どこからともなく強い衝撃が伝わり、地面に叩きつけられた。
 顔をあげると、おじさんが笑いながら近づいてくる。
「不意打の蹴りさ。本当はお前をじっくりと味わいながら楽しみたかったんだけど、そんな状況じゃなくなっちまった。俺のお気に入りになれば死ぬこともなかっただろうに。あの世で自分を悔やむんだな」
 ミロは地面に横たわりつつも近づいてくるおじさんの様子に警戒している。
「ミロ、起きないと殺されちゃう」
 私がそう言うと、ミロは小さな声で答える。
『スキを見せてるだけ、ちょっと集中させな』
 その言葉を聞いた時、刃物を持つ手に力が入った。
 おじさんはミロの目の前に立つと、ナイフを頭の上まで掲げた。
「じゃあ、死ね!」
 そう言っておじさんはナイフを振り下ろした。
 私は反射的に目を瞑り、体を動かすことは出来ないが、身構えた時のように体に力がはいった。
 しかし私自身痛みを感じることは無く、重い物体が地面に倒れる音が暗闇の中聞こえた。
 私はそっと目を開けるとおじさんの着ている白いワイシャツが赤色に滲み、そして腹部にミロが持っていた刃物が刺さっているのが見えた。
「ミロこれって」
 そう私が言うとミロは倒れているおじさんに近づき刃物を抜いた。
「何度か人を殺して慣れたつもりか」
 おじさんの腹部に刃物を突き刺す。
「女を食って殺して、食って殺して」
 ナイフを突き刺す速度が速くなる。
「快感だろ? 楽しいだろ? 病みつきになるだろ?」
 一度突き刺したナイフを肉体から抜くと、おじさんが小さくかすれた声でミロに言った。
「お前は……人間じゃねぇ。狂ってやがる……」
 ミロはそれを聞いて奇妙な笑いをあげる。
 甲高い笑い声で体中に電撃が走るような痺れに刺激。
 私はミロの大胆な行動に目を瞑っていたが、肉体を共有しているためか、この刺激が恐ろしく怖かった。
 大きく、恐ろしく、そして高らかに笑ったミロはナイフの刃をおじさんに向ける。
「私はこの刺激がたまらないのさぁ。多くの人に自分の生き方を否定され、行き場をなくしたとしてもこの快感を知ってしまったら抜け出せない。狂ってるっていうのは私にとっては褒め言葉なのさ」
 その言葉を聞いたおじさんは言う。
「お前……綺麗なアクアマリン色の目をしてるんだな……」
 そうおじさんが言うのを合図にミロはもう一度刃物で体を突き刺した。

「もう終わったんですね」
 ミロが黒色の袋におじさんの死体を入れたところで私は声を掛けた。
「ミロさんって殺人鬼だったんですね」
 その言葉にミロは何も答えない。
「なんか言ってください」
 私が少し強めに言うと、ミロは作業の手を止めた。
「あとで説明する予定だった。」
「こんなことにならないと……話してくれなかったんじゃないですか?」
 私がそう言うとミロは小さく首を縦に振った。
 正直、こんなことを言ってももうどうしようもないことは分かっている。ミロの目は私に移植されて、しっかりとその役割を果たしているからだ。ミロが殺人鬼だろうと、狂人だろうとどうでもいい。ただ、私の体を共有出来てしまうことだけが心配事のひとつである。
 ミロはまだ何も言わない。私がこの件について突っ込んでしまったことが悪かったのだろうか。でもこれだけは言っておかなければならないことがある。
「ありがとうございました」
 その言葉にミロは少し驚いたようだったが。
 その時は甲高い声や笑い声は上げなかった。



「あの事件の犯人、殺されたって」
 女性誘拐事件の犯人が殺されたという情報は、日本中の情報機関で取り上げられた。彼を殺した犯人は誘拐された女子学生の親だとか、彼氏だとか、根拠のない情報が多く出回っている。
 この事件についてのニュースで分かったのは、あの時ミロが殺したおじさんがこの女性誘拐事件の犯人であったということである。
 少し、感づいていたけど。
 あの出来事のあと、私たちはおじさんの車に死体を乗せ、車ごと海に沈めた。ミロが車を運転できたのでこのような形になった。正直浮いてきそうだけど、ミロは大丈夫の一点張りだった。また警察がまだ犯人を特定できないということに、ミロの凄さと警察の無能さを感じた。でも、殺した犯人は私になるので見つからないで欲しいというのが本望である。
 しかし、クラスのみんなの雰囲気はあまり良くはない。
 それはクラスの子を殺した犯人がおじさんではなかったということである。そうまだ女性を狙った事件は終わっていないのだ。
 私のクラスでは、まだ誰かがいつか怯えているのである。
 ミロは相変わらず、男遊びをやめていない。人を殺すことはしていないが、正直私の体なのだ。あまり勝手に使ってほしくはない。
 でも、ミロは変なところもあるが、もしもの時は自分を守ってくれるので正直一緒にいてくれるのは、とても心強いのだ。

「あんた、本当につまらない生活してるのね」
「うるさい。学校で話しかけないでねって言ってるでしょ」
 ミロの声は私にしか聞こえていないのだ。友達もいない上に変人扱いされたらたまったものではない。
 いいじゃないのと言ってくるミロに少し怒りを覚えつつ、次にミロになんて言ってやろうか考えていると、突然何かにぶつかり、私は反動で転んでしまった。
「いててて」
「大丈夫、渡辺さん」
 大丈夫ですと答えつつ顔を上げると、そこには同じクラスの俊也くんが手を差し伸べていた。
 こんな状況は漫画や本でしか見たことがなかったため、少し照れくさく感じつつ、俊也くんの手を掴んだ。
 私が立った時、俊也くんが私の顔をずっと見つめているのに気付き、慌てて手で隠す。
「私の顔に何かついてますか?」
 その言葉で、彼はハッと我にかえり私に言った。
「渡辺さんの右目、なんか透明な青色に一瞬光輝いたけど、なんか入れてたりするの?」
 その質問に少しあせりつつも何も入れてないけど~と、少し誤魔化す。
「凄い、きれいだったよ」
 そう言って、彼は私の横を通り過ぎ、どこかに行ってしまった。
 「少し焦ったよ」
 そうミロに伝えると、彼女はふーんと興味なさそうに答えたが、すぐにでもねと話を切り出した。
「彼、気をつけたほうがいいかもね。私と同じ狂人かもしれないから」
 ミロのその言葉に私は耳を疑った。
「そんなことはないでしょ?」
 私がそう言うと、ミロは静かに言う。
「あんたの横通り過ぎた時、小さく呟いてたよ。あの目が欲しいなあって。笑いながらね」
 私はミロの言葉を聞いて反射的に振り返る。
 そこには遠くで私の方を見ながら笑っている俊也くんの姿があった。



                         続く

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