Existence

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第十六話 静穏

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 フレア族が住んでいる村、といってもここにいるのは兵士ばかりで、村というよりも駐屯地のような場所。ここに連れてこられた日の夜、熱か母を出した慧牙は次の日もずっと小屋の中で寝ていた。

 寝ていたというよりも、この小屋に閉じ込められていると言った方が正しい。小屋の前にはずっと見張りがついているのだ。

 次の日になっても熱は下がらず、昼間はずっとイノアが慧牙のいる小屋にいた。陽が落ちて、二つの月が地平線の近くに現れた頃、大分楽になった慧牙は時間を持て余し始めていた。小屋の中を見回し、壁に取り付けられた小さな台座に置かれている光る石の方へと近づいていく。

 石は内部から発光しているらしく、オレンジ色の柔らかな色が部屋の中を照らしていた。壁の四方に点々と置かれた石は一つを覗いて、他の石は全て蓋で覆われている。今、小屋の中は一つの石だけの灯りと中央にある炉の赤々と燃える炎だけであった。

 またあいつに島へ戻りたいって話をしてくれたんだろうか?

 慧牙は石を指先で軽く弾くと、イノアが言っていたことを思い出していた。リリー島という聖地にある黒曜石、そこから慧牙は元の世界に戻れるのかもしれなかった。それは単に想像の域をでないが、他に帰る方法が見つからない。

 レイヴィルにイノアは慧牙の希望をきちんと伝えてはくれた。けれども、その話はレイヴィルによって一度却下されている。一度駄目になった話を再び持ち出すのは慧牙の性格からして無理があった。だけど、イノアのやさしさに少し乗っかりたいという気持ちもまた捨てきれずにいる。それに今回はイノア自身から申し出てくれたことであった。

 また勝手に飛ばされて、地球に戻れるとか……そんなことはないだろうな……。

 こちらから何とかしない限り、自分のいた世界に戻るというのはほとんど可能性はないに等しいだろう。ならば今どうすればいいのか、どういう行動が一番の良策なのか。

 やっぱ直接自分で言った方が、でも絶対俺の話なんか聞かなさそうだし……でも……。

 そんなことを考えながら慧牙は台座に置かれている楕円形の光る石を手に取ると、何度も軽く上に放りながら壁にもたれかかった。レイヴィルに頭を下げるのはかなりの抵抗があるけれど、背に腹は変えられない。

 イノアに頼ってばかりも駄目だし、俺が直接あいつに会って頭を下げるしかない…………?

 こちらの世界にもいろいろと深い事情はありそうだが、今の慧牙にとって元の世界に戻るということは最優先されるべき重大なことであった。したくはないが、彼に頭を下げようと考えた時だった。イノアが言っていた事を思い出し、慧牙はなんとなくもやもやとした感情を抱いた。

 石を元の位置に戻すと、イノアが貸してくれた赤茶けた毛布に包まったまま、小屋の中をうろうろと歩き回る。

 いや、そんなことはないだろう。

 この小屋は倉庫のようで、壁の至るところに薪が積まれていた。大きな古ぼけた箱などが無雑作に所狭しと積まれている。慧牙はつい今しがた浮かんだよくない考えを振り払うと、炉の前でしゃがみ込んだ。小屋の中央にある炉にはまだ微かに火がついており、この火がすぐそばの薪に引火したら丸焦げになるなと訝しそうに炉を見つめた。

 その時、ふと外で何かが小屋の壁に当たるような物音が聞こえた。まだ熱も完全には下がっておらず足元もふらついたが、これ以上寝ていられなかった慧牙は扉にそっと近づいてみた。

 初めてここに入れられた時はレイヴィルによって鍵を掛けられてしまい、開ける事はできなかった。慧牙は慎重にドアノブのない扉をゆっくりと押してみる。見た目よりも重い扉を動かすと僅かに軋む音が辺りに響き渡った。途端に外の冷気が室内に入り込み、慧牙は一瞬だけ肩を竦めた。

 顔だけを出して外の様子を伺ってみる。周りはどれも同じような小屋が幾つも隣接しており、見える範囲の小屋全てには小さな窓があった。けれどもガラスは張られておらず、いずれも内側から古ぼけた黒っぽい板で覆われていた。

 みんな寝ているのだろうか、シンと静まり返った世界はあまりにも音が聞こえず、耳の奥がむず痒くなった。元いた世界では常に何かしらの音が聞こえていた。けれどもここは本当に一切なんの音も聞こえてこない。

 あまりの静けさに慧牙は無意識に音を立てぬようそっと足を一歩外に踏み出す。ふと横を向くと、壁に止しかかっている人物がいた。どうやら立ったまま寝ているようである。

「おい、そんなとこで寝たら風邪引くぞ」

 近寄って声をかけてみる。その人物はこの小屋の見張りを任されているセヴェリという少年だった。慧牙の声にセヴェリは眠そうな目を何度か擦ると、まだ寝ぼけたような顔で慧牙の方に振り向く。

「ひっ! だ、誰だ!? ……て、えーっと、あっ、駄目ですよ! 今度は逃げようとしても放しませんから!」

 慧牙が誰か一瞬分らなかったのか、セヴェリはひどく怯えたような声を上げると手に持っていた槍を構えようとした。けれどもすぐに慧牙であると判断すると、慌てて腕を掴んで小屋の中に押し戻そうとしてくる。

「おいっ、放せって。今度は違うんだ、とりあえず今はこの村から出ないから安心しろって。だから手離せよ」

「ほんとですか? ならいいですけど……。でも小屋の中にいてください。用を足す以外で一歩でもあなたを外に出したらいけないんです! 今すぐ小屋の中に入って! 誰かに見られたら大変なことになる」

 慧牙を放すとセヴェリは周囲をキョロキョロと見回しながら、何かに怯えるような目つきですぐに中に入ってといわんばかりに手で合図する。そのせいでセヴェリの持っていた槍が地面に転がった。

「わかった、わかったよ。それならお前も中入れ」

「駄目ですよ! 僕は小屋の前で見張りをしないといけないんですから。中になんて入れません」

 地面に落としてしまった槍を拾い上げながらセヴェリは少しばかり強い口調で慧牙の提案をはねのけた。けれども動揺は隠しきれておらず、槍を逆さで手にしている。よほどレイヴィルにこのことがばれるのを恐れているようであった。

「少し位いいだろ」

「駄目です」

「ふーん」

 セヴェリの反応をおもしろく感じた慧牙は、これみよがしにおろおろとしている少年兵の横をすり抜けると、雪の降り積もっている道へと飛び出した。

「あぁ! わかりましたっ、わかりましたから中に入って!」

 こいつ、おもしろいな。丁度いい暇つぶしになる。

 セヴェリを連れて小屋の中に入る。紐で括られて壁際に置かれている薪の束の中から何本か引き抜くと、見よう見まねで薪を炉にくべた。火かき棒を手にして、それらしく弱くなった火をおこしてみる。セヴェリはまだ動揺した面持ちで扉の前に突っ立ったまま、慧牙と扉を交互に見ていた。

「もういいですか? 持ち場に戻らないと」

「持ち場って、この扉の前だろ。中にいても変わないんじゃねぇの? いいから座れって、そこじゃ寒いだろ。今火強くしてるから」

 さらに困ったような表情で再び扉を見るセヴェリであったが、また慧牙が外に出られるとまずいと思ったのか、手に持っていた槍を壁に立てかけると炉の前で腰を降ろした。

「今なんかあったかいもの作ってやるよ。ちょっと待ってろ」

 イノアの置いていった籠の中を漁り、器と葉を粉末状にしたものが入った茶色の小袋を取り出した。すでに鍋の中に入っていた雪どけ水をそのまま火にかける。

「俺は……慧牙っていうんだ。なぁ、お前はセヴェリって言うんだろ? 歳は?」

 ここでは名前で呼び合うことを思い出し、慧牙は名前だけを伝えた。また名字と名前を間違えられて、訂正するのが面倒だったからだ。

 見たところ慧牙よりも年下に見える。おまけに気も弱そうだった。だけどこの少年が、もう既に兵士として働いているのかと思うと慧牙は感心していた。暇つぶしにと彼を中へ誘った慧牙であったが、その時ふとこの少年兵に尋ねたいことが浮かんだ。それはイノアからではなく、別の人物に訪ねる必要があるものであった。

「僕の名前よく知ってるね。誰から聞いたの?」

「あ? イノアがお前のことセヴェリって呼んでただろ。覚えてたんだよ」

「そっか、僕はセヴェリ・キロ。もう成人して四年も経つのに、まだ見習いなんだ」

「ふうん、すごいな四年もあいつの下で働いてるなんてすげーな」

「えぇ? そうかな……、最近やっと簡単な役割を任せられるようになったんだけど……、リリー島に行った時、飛竜をちゃんと扱えなくて、そのせいで魔物達に取り囲まれて、おまけに助けてくれた仲間が怪我を負ったし……。またもしヘマやらかしたら、見習いに戻されてしまうかもしれないんだよ」

 垂れ目で鳶色の瞳をしたセヴェリは膝の上に軽く顎を乗せて話し出した。見た目も幼いが仕草もまた子供っぽかった。

「……年、幾つなんだ?」

「十九歳だよ」

「セヴェリって年下だと思ってたけど、俺と同い年なんだな」

「そうなんだ、僕はてっきりケイガは自分よりも年下だと思っていた。君って年の割に小さいんだね」

 キョトンとした顔つきで、自分よりも背の低いセヴェリがポソっと言った。片足を立てて座っていた慧牙は無意識に背筋を伸ばして、人の悪そうな表情を作る。

「てめぇの方が俺より背低いだろ、ていうかここの奴らがでかすぎるんだ……」

「僕ももっと大きくなりたいんだけど、全然伸びないんだよね。たくさん食べてるんだけどな」

 セヴェリは大きなため息をつくと自分の頭に手を乗せた。

「それにしても、一回ヘマしただけで降格かもってひどい話だな。あいつらしいけど」

 先ほどのセヴェリの話を思い出し、慧牙はイラつきはじめていた。

「仕方ないよ、僕のミスで仲間が死んでしまうかもしれないんだから」

「でもだからって、すぐ見習いに戻されるとか、もっと他になんかないのかよ」

 ここに飛ばされる前、バーをクビになったことを慧牙は思い出していた。

「ミスはミスだから、僕が悪いんだよ。それに仲間は怪我を負ってしまったからね。……それに僕はレイヴィルさんを尊敬しているんだ」

「あんなムカつく野郎をか?」

 セヴェリが宙を見つめながら、目を輝かせている姿を見て慧牙は間髪入れずに聞き返す。

「そんな言い方しないで、レイヴィルさんは本当にすごい人なんだから。成人して一年で部隊のリーダーになった人なんだよ、他の誰よりも高い魔力を持っているし、フレア族の中では一番強いんだ。それに仲間を絶対見捨てない人なんだ。僕はレイヴィルさんみたいな人になりたい」

「あいつみたいになりたいって、人をすぐ見下すような奴を?」

「そんなことないって。慧牙はなんでそんなにレイヴィルさんの事を嫌っているの? リリー島で助けてくれた命の恩人でしょう?」

「はぁ!? 助けただと? 違うだろ、あいつは俺を無理矢理ここまで連れてきた奴だぞ。それに不審者扱いして、ここに閉じ込めてるじゃねぇか」

「お湯、沸いてるよ」

 セヴェリに指摘されて慧牙は慌てて鍋を火から下ろすと、その中に袋に入っていた粉末状のお茶を半分ほど入れてスプーンでかき混ぜた。発酵した匂いが小屋の中に立ち上る。熱いお茶をセヴェリに手渡すと慧牙は再び口を開いた。

「俺はあいつの顔を見るのも嫌なんだ、人を馬鹿にしたような喋り方が特にな」

 その言葉にセヴェリは反応せずただ黙って慧牙が作ったお茶を一口すすった。途端にセヴェリは顔をしかめると恨めしそうな目で慧牙を見つめてきた。それに気がついた慧牙もまた自分が作ったお茶を急いで飲んでみる。とんでもない苦味が口の中を襲った。

「うわっ、なんだこれすげぇまずいな。イノアのやった通りに作ったはずなのに、それよりも苦いっ」

「お茶の粉を入れすぎたんですよ。これはほんの少しだけ入れいればいいんです」

「そっか、量までは気にしてなかった」

「量が一番大切なのに。それよりもう外で見張りをしてもいいですか? そろそろ戻らないと、誰か通りがかった時に僕がいなかったら大事になってしまう」

 立ち上がりかけたセヴェリを見て、慧牙は咄嗟に声をかけた。

「あ、待てって。一個質問していいか?」

「なんです?」

 セヴェリに一番聞きたかった事を訪ねる。

「この近くに村はないのか? 海沿いでさ、少しくらい遠くたっていいんだ。広い陸地なんだからどっか一つくらいあるだろう」

 熱が下がったらここから出て行く、そう決めていた。イノアからは海沿いに村は一つもないと教えられていたが、もしかしたら慧牙をここから出さないために嘘をついている、ということも考えられた。イノアはどこからどう見ても善人そうだし、どう考えても悪人には見えない。けれどもレイヴィルとは仲が良さそうだ。それならばレイヴィルを助けたりもするだろうと慧牙は考えたのだった。

「この辺り以外に村なんてありません。それにここも厳密に言えば村ではありませんし」

「えっ!?」

「ここはズメウという地域で、村はズメウには一つもありません。あるのは戦いに向う際の拠点、駐屯地だけです。それに駐屯地もここだけ。ズメウの駐屯地は一番多くの兵士が集まるところなんです。何か起きればまずここの兵士達が真っ先に戦いにでます。この場所にもう何年も居る兵士達もいますけど、僕達の村はもっとずっと内陸にあるんです。それにこの辺り一体の海岸は全て断崖絶壁になっているし、極寒の地域です。この辺りに住もうとする人達なんていませんよ。幾ら僕達フレア族が寒さに強いと言ってもこんな場所に永住しようなんて思いませんから」

「じゃあ、この辺にはやっぱ村はないのか……」

 イノアの言っていたことは本当だった。セヴェリもまた出会ったばかりの人間で嘘をついている可能性を否定できなくもないが、それでも二人の人間から同じ事を言われて慧牙は信じることにしたのである。

 彼の事を信じていない訳ではなかったが、やはり全く見ず知らずの土地で会ったばかりの人間の話を全て信じるというのには無理がある。しかもここは慧牙のいた世界とは違う場所なのだ。慧牙は両手を床について深いため息をついた。

 昨夜は気が立っていて勢いだけでここから出て行こうと思っていたが、今こうして冷静に考えるとあまりにも無謀であった事に気づかされた。

 レイヴィルには熱が下がればここから出て行けと言われた。慧牙も無論そうしたい、でも行き場がなかった。島に戻る手段がないのだ。ならどうすればいいのか、先ほどの考えが浮かんで慧牙は強く眉間に皺を寄せた。やはりレイヴィルに直接会ってきちんと頭を下げなければならないのかと。

「じゃあ、僕は戻りますね。何かあったら呼んでください」

「あっ、ちょっと待て! もひとつだけいいか?」

「なんですか?」

「飛竜ってのを一匹借りることとかできるか? 島まで行ければそれでいいんだ、島に降りたら飛竜は一匹で帰れたりするんだろ?」

 しばしの間、キョトンとしていたセヴェリは次に大きな声で笑い出した。あまりにも大きな声で笑うので慧牙はムッとして「何がおかしいんだ」と言いながら凄んでみせる。

「す、すみません。あまりにもおかしなこと言うから。ケイガはおもしろい人ですね」

「んだと!?」

「ケイガはフレア族ではないから仕方ないですよね。飛竜はフレア族でないと乗りこなすことはできないんです、それに特別な能力がないと、無理に乗ってもすぐに振り落とされてしまう。下手をしたら炎を吐かれて死んでしまいます。それにフレア族でも飛竜と会話ができる能力を持たない者は操れません。だから飛竜を借りるだなんて無茶な話ですよ」

「そ、そうなのか……」

「では本当ににこれで失礼しますね。お茶をありがとう」

 セヴェリが外の見張りに戻り、再び小屋の中で一人きりになった慧牙は気分の晴れぬまま炉の傍で寝転がった。レイヴィルに頭を下げることなく、島に戻るいい方法が思いつかない。

 でもやっぱあいつに頼むのだけは嫌だな。あと仮に島に辿り着けたとして、そこで聖霊に見つかったら俺は殺されるのか? 神ならなんか助けてくれそうだけど……。黒曜石のとこになんとか辿り着いても……そこから元の世界に戻れなかったら、俺はこの世界で生きていかなくちゃならなくなるのか?

 円形の天井を見つめながら戻る方法を考える。ふと家族の顔が頭の中に浮かんできた。

 あいつら、今頃どうしてんだろう。

 再び熱が上がってきたのか顔が熱い。慧牙は近くにあった毛布を身体に巻きつけると揺らぎ続ける炎を見つめていた。

 熱もすっかり下がりイノアに治療してもらってからは喘息の発作も起きることはなく、数日が過ぎてやっと本来の体調を取り戻していた。ある日、慧牙は明るい空の下で兵士達の訓練風景を少し離れた丘の上の茂みの中から見学していた。

 体調も良くなり身体の軽くなった慧牙は数日間、小屋の中でずっと思案していた。どうやってリリー島へ向かえばいいのかと。

 船か何か移動手段があればいいのだが、この辺りにはズメウの駐屯地以外に村はなく、おまけに船を出そうにも断崖絶壁になっている為、船があったとしても海に出ることはできない。

 ここのリーダーであるレイヴィルに頭を下げることを一度考えたが、熱が完全に下がるまでの数日間の間にやはりそんなことは出来ないという決断に達していた。それ以外の方法、ということで慧牙はいろいろと考えたが、結局悩んでもいい案は浮かばなかった。その度に再びレイヴィルに頼むという案が浮かんで、慧牙は常に腹立たしい気分になっていた。

 レイヴィルのいるこの駐屯地から少しでも早く離れたかった慧牙だが、今の状況ではここを出ることもできず、八方ふさがりの状態であった。そしてイライラした慧牙は気分転換にと小屋を出たのであった。

「お願いですから、余り目立つ行動は起こさないで下さいよ。これがばれたら大変な事になるんですから」

 突然小屋から出てきた慧牙を見て、セヴェリは真っ青になって慌てて制止した。小屋に鍵はついておらず、慧牙は不審者としてここへ連れて来られたが出ようと思えば小屋から出られる状態ではあった。レイヴィルの指示で慧牙が勝手に抜け出さないようにと見張りをつけてはいたが、それでも慧牙の立場はここズメウの駐屯地では曖昧な扱いのようにも思われた。

「分かってるって、信用ねぇな。大丈夫だろ、小屋に閉じ込められてたって言っても鍵かけられてたわけじゃねぇし、それにこの格好だったらばれることもないだろ」

 フレア族の兵士の服をセヴェリに着せられた慧牙は、毛と革で作られた帽子を深々とかぶって変装をしていた。慧牙の容姿はここでは目立つ。不審者として連れてこられてきた慧牙がいくら鍵のかかっていない小屋に閉じ込められていたとしても、用を足す以外で駐屯地内をウロウロしているところを他の兵士達に見られるとやはりまずいことになるからであった。

 慧牙の押しに負けて、渋々外に出ることを認めたセヴェリはばれないようにと、兵士の格好をさせても気が気ではなかった。周りをひどく意識し、あまり他の兵士達に出会わないよう人通りの少ない道を通って、この訓練場が見下ろせる、背の高い雪と同じ白い草の茂みがある比較的小高い丘のところまでやってきたのであった。

「ほんとに少しだけですよ? 見たらすぐに戻りますからね。あぁ、もう僕はなんでこんなことしてしまっているんだろ」

「びくつくなよ。もし見つかっても俺が勝手にやったってことにすればいいだろ」

「そんな理由は通じないですよ、僕はケイガの見張りなんですから。勝手にやられたら、それを見逃したら僕は……」

「でもさ、ちゃんと見張りとして一緒にいるんだから大丈夫だろ」

「そういう問題じゃないです」

「訓練の様子見たらすぐ戻るって、そんなに心配すんな」

 心配するセヴェリを宥めながら、慧牙は茂みから顔だけを出して兵士達が弓の訓練をしているのを見下ろす。兵士達は寒さを感じないのか半袖の者や、腕をすべて出している者も多く見られた。幾ら着ているものが暖かい毛皮だとしても、外気に触れている腕は寒いだろうと思い、横で慧牙と同じように訓練を眺めていたセヴェリに訪ねた。

「あいつら寒くないわけ? 晴れててもすげぇ寒いのに。あんなんじゃ手が凍えて弓も当たらないんじゃないか?」

「寒くありませんよ、そりゃあ多少寒さは感じますけど、フレア族は寒さに強い体質なんです。聖神アデレが僕達のご先祖様を救って下さった時に特別に与えていただいた能力なんです」

 セヴェリが自慢げに語った。慧牙はその話し方を聞いて、フレア族というのはよっぽど神であるドラゴンを敬愛しているんだな感じていた。そして自分にはそういうものは一切ないなぁと考える。神に手を合わせたりするのは初詣に行った時くらいで、それ以外はまずそういう存在を考えたことなどなかった。

「神のドラゴンがよっぽど大事なんだな、フレア族は」

「当然でしょう。聖神アデレがいなければフレア族はとっくの昔にこの世から消えていたかもしれないんですから」

「でもさ、女王は死んじまったんだろ?」

 慧牙の言葉にセヴェリは少し俯いた。セヴェリの様子に気がついた慧牙は言い方がまずかったかと思い、言い直そうとするがどう言えばいいのか分らず悩んでいると、彼は寂しげな声音で静かに話し出した。

「……死んでいません。フレア族の中には確かに死んだという人達もいるけど、女王シューリア様は死んでいない。だって、あの戦いの時に忽然と消えてしまったんです。亡骸がないんです。だとすればまだどこかで生きているかもしれないでしょう? それに亡くなったとしても、神達は永遠に僕達を守ってくれる。初代の神アデレ様も、二代目のガイザル様も、そして今の神である女王シューリア様も。シューリア様は生きていると僕は思っているけど、レイヴィルさんやイノアは……」

「ちょっと待ってくれ……、また分からないことが出てきた。もういい加減慣れてきたけど、あの戦いってなんだ?」

 セヴェリの言葉を途中で止めさせると、慧牙は頭を掻きながら"あの戦い"のことを問いかけた。

 マジで勘弁してくれよ、俺はこの世界にこの世界の歴史の勉強をしにでも来たってのかよ。ったく、俺は頭が良くないんだ。もっと簡単に物事を話しやがれ、神アデレとかガイなんとかや、シューリアって多すぎるんだよ、覚えきれねぇよボケ。神は神、一人でいいじゃねぇか、くそっ。

「二十年前にリリー島で起った戦いです。ユーリャ族が雄ドラゴンの一体を殺したのが発端で、怒った他のドラゴンがリリー島にいた聖霊を襲ったんです。その時フレア族も島に向かって、ユーリャ族と戦いになりました。それはもう壮絶な光景だったと、幼い頃に父から聞いてます。そして止めに入ったシューリア様は戦いの中で忽然と姿を消してしまったんです。消えたのはシューリア様だけではなくて、フレア族の一人とユーリャ族のほうもいなくなった者がでたと聞きました」

「島だろ? 海に落ちたとかそんなんじゃないのか?」

「そう考えている人もいます。でも父は言っていました、聖地の上空で戦っている聖霊とドラゴンを止めようと女王が中に飛び込んでいった時、強風が吹き荒れて雷が幾つも落ちてきたそうなんです。父はその眩しさに目を閉じて、再び開けた時すでに女王の姿は消えていたそうなんです」

 そこまで話してセヴェリは視線を地面から慧牙の方へと向けた。

「あの時、島にいた人達はほぼ全滅でした。僕の父だけが唯一生き残って状況を族長に報告したんです。その後族長は皆に女王は死んだとも生きているとも何も言わなかった。雄のドラゴン達は口を閉ざしてしまって、問いかけても一切答えてくれない。だからこの件は亡くなったと思っている人達と、まだ生きていると考えている人達がいるんです」

「でもさ、死んでも神は神なんだろ? お前達を守ってくれてるのは変わらないんだろ?」

「えぇ、もちろんです」

「それならどっちでもいいだろ。どっちにしても守ってくれるんだから」

「……」

 セヴェリの話を聞いて、ふと慧牙は女王も自分と同じように飛ばされたのではないかと考えていた。

 もしそうであれば女王は地球に飛ばされたということになる。僅かに鼓動が早くなった。レイヴィルは慧牙をシューリアの子だと思い込んでいる。刻印も確かに認めたくはないが左足にあった。

 あの痣はまだ消えてはいない。けれども疑問があった、女王はドラゴンで慧牙は人間である。もしシューリアの子供だと仮定しても、母親は病気で慧牙が八歳の時に亡くなった。ごく普通の日本人だった母親、父親も普通の日本人だった。父親も慧牙が8歳の時に母と同じく病死している。

 記憶に残る母の姿を思い浮かべても、どう考えてもドラゴンであるはずがなかった。もしかするとドラゴンは人間に変身したりもできるのかとも考えたが、あまりに突飛な話で全くついていけない考えだ。

 だんだんイライラしてきた慧牙は生まれつき銀色の髪を掻き毟った。掻き毟ると毛が一本抜けて手に絡みついていた。自分の銀色の髪を見ながら、妙な考えが浮かぶ。

 生まれつき髪の色が銀色なのも瞳が水色なのもそのせいなのか? 琉牙に感情が伝わるのもそのせいか? いや、考えすぎた。それがどうすればドラゴンと結びつくんだ。

 すぐにその考えを頭の中から消し去ると、慧牙は雪の上に仰向けに寝転がった。茂みの合間から広がる空を見つめる。すると突然、視界の中に人の顔が入り込んできた。

「よぉ、二人してこんなところで何をしているんだ?」

 視界に入ってきたのはレイヴィルと共にリリー島にきていたヨハンだった。
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