Existence

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第十五話 伝心

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「レイヴィルにそっちの趣味があったとは思いませんでした。てっきり女性が好きだと思ってましたが」
「勘違いするな、何かおかしなものを持っていないか調べていただけだ」
「本当ですか? それならいいですけど、駄目ですよ。それに慧牙はまだ子供でしょう」
「ふん、それより何か言っていたか? あいつはこの世界のことを知らないらしい。おかしなことばかり喚いていた」
「あの子は本当に、この世界のことを知らないようでしたよ。どうも嘘をついているようにも見えませんでしたし……、本当に不審人物ですね」
「そうだな」
「リリー島の黒曜石は聖霊やドラゴンの力を持ってしても、破壊できない石。という噂を知っていますか?」
「あぁ……、それに大昔からあの場所にあったみたいだな。近くまで行ったことはあるが、俺は特になんの力も感じなかった。ユーリャ族どもはあの石を大事そうに祭っているみたいだが」
「彼が言うには、あの石の影響で違う世界から、この世界まで飛ばされたと言っていました。そして島に戻して欲しいと言っていますよね。どうしますか?」
「……できない相談だ。島に近づくのは聖騎士団と聖霊が留守にしている間だけ。今回はたまたま運良くどちらも留守にしていたから近づくことができた。まぁ、聖騎士団だけなら難なく侵入できるが……。あいつらはしつこい。ただの不審者を島に戻すためだけにそんな面倒は被りたくない」
「それはできない、という事でいいですか?」
「当然だろう」
「島へ戻して欲しいと伝えてくれと、頼まれたんですが。慧牙にはあきらめてもらうしかないですね」
「あきらめるも何も、あれは捕虜だぞ。客人ではないんだ。それよりも、聞き出さなくてはならないことがいろいろあるからな」
「……それにしても、見たことのない容姿ですね。おまけにとても綺麗な子だ。まぁ、あれほど綺麗であれば、レイヴィルの気持ちがあらぬ方向に動くのも無理はないですが」
「だから違うと言っただろう。本当に不審な点がないか調べただけだ」
「冗談ですよ。あと慧牙の件とは別に、これからどうしますか? 島でドラゴンの牙は見つからなかったのでしょう?」
「……」
「次はアリーシェですよね。今度は私もついていきます」
「……イノアには敵わないな」
「ヨハンからもう聞いています。でも他にも分りますよ、レイヴィル。何を隠しているんですか?」
「何のことだ? 俺は隠し事なんてしていない」
「とぼけないで下さい、慧牙のことです。兵士でもなんでもない、ただの子供をわざわざ島から連れ帰ってくるなんてありえません。レイヴィル、あなたのことだから何か理由があるのでしょう?」
「……近いうちに話す」
「……その時まで待ちましょう」

 ◇

「来んなよっ、ボケ」

「あ? しょうがねぇだろ、俺だって来たくて来たわけじゃない。そっちが煩く騒いでるからだろが」

「騒いでねぇよ、こんな夜中に誰が騒ぐんだ、カス」

「苦しいって喚いてただろう。何度も同じこと言わせるな」

 クソがっ! 勝手に人の心覗いてんじゃねーよ!

 大声で叫ぶと同時に意識が浮上する。

 酷く呼吸が苦しかった。その苦しさが過去の記憶と混ざり合い、弟である琉牙に夢の中で怒りをぶちまけていた。

 相変わらずむかつく弟だ、夢の中にまで勝手にでてきやがる。

 慧牙は全神経を向けて、思うようにできなくなっている呼吸を繰り返した。強く息を吸いながら、ひどく辛そうに身体を起こす。

 普段、呼吸なんてものは無意識にしている。けれども今はそれができない。意識して少しでも多くの酸素を求めて、無理矢理に呼吸を繰り返した。そして薄暗い部屋の中で、自分が今どこにいるのかふと考える。

 違う世界に飛ばされてから、レイヴィルによってフレア族の住む土地に無理矢理連れてこられた。ここは日本という国ではない。ましてや外国でもない。

 全くの異世界、これがどれほど危険な状況か。事が起こってこの時、慧牙は初めて気がついた。

 見渡す限り一面は雪で覆われた世界。ここはだだっ広い雪原の一角に小屋をいくつか建てただけの村、というべきだろうか。この村には電気も通っていなければ、水道もなかった。ガスもない。電気の代わりに光る石を使い、水道の変わりにそこらの雪の塊を使う。ガスの代わりに薪を使う。この村の人間達はみな前時代的な格好をしている。

 こんな場所に当然、病院などあろうはずもない。病院もなければ、医者もいないだろう。薬局だってない。

 なんにもないところだ。

 普段から常に持ち歩いていた喘息の吸入器が、ダウンジャケットの内ポケットに入っていたはずだったと、慧牙は近くにあったそれを手繰り寄せた。たったそれだけの動作で、身体中の酸素が失われていく。失われた分を取り戻そうと更に強く呼吸を行う。早く早くと自分で自分をけしかけながらも、急いでポケットに手を突っ込んだ。けれどもポケットの中に掴める物は何一つなかった。

 初めてこの世界に来た時、島にいたあの兵士達が全て盗ったのだ。携帯がないのは地下の檻から脱出した時にないことは分っていた。多分、確認してなかったが、ジーンズのポケットにあったはずの財布もないだろう。全て盗られていたのだ。

 絶望感が慧牙を襲った、携帯や財布はどうでもよかった。吸入器がないことが一番の問題だった。

 次第に発作がまた悪化し始める。あまりにも苦しくなり、慧牙は右手で胸を強く押し込みながら、なんとか僅かに吸い込める息を精一杯吸い込む。一瞬しか息を吸えない。その一瞬の間に少しでも多くの酸素を取ろうと、必死に呼吸を続けた。

 ただ一瞬しか吸えない呼吸の為に、何度も慧牙の胸が辛そうに動き、両肩が上がる。

 焦れば焦るほど呼吸が苦しくなっていくのが分った。だけど、どうにもできない。落ち着きたくとも、それは無理な話だった。ここまでひどくなってしまっては、ただ発作が収まるのを待っていても良くはならない。

 多分、もう吸入器を使ったとしても、ここまで悪化してしまっては効かない。だとすれば病院に行くしかなかった。そうしないとこのまま呼吸ができなくなり、慧牙に待ち受けるものは死だ。苦しみの中、慧牙はパニックに陥っていた。

 苦しい苦しい苦しい苦しい! 誰か!

 慧牙は必死で呼吸ができない苦しみを誰かに発する。誰でもよかった、とにかく誰でもいいから助けてくれと願う。以前であれば、必ず琉牙が来てくれた。弟に弱みを見られるのが嫌で、現れた琉牙にひどく怒りを感じていたが今更になって弟のありがたみを認める結果となった。高校を出て、一人暮らしを始めてからはこんなに大きな発作は出なかったのはたまたまだったのか。もう大きい発作は起きないだろうと高を括っていた。

 その時、小屋のドアが開く音が聞こえてきた。けれども音のする方へと顔を向けることすらもできない状態に陥っていた。たったそれだけの動作でも酸素を消費する。動くこともできず、声も出すこともできず、慧牙は苦しみに耐えるしかなかった。

「……どうした」

 声でレイヴィルだと分る。一瞬だけ、まるで琉牙みたいな奴だと、慧牙は苦しみながら思った。だけどその考えはすぐに押しやられる。そんな考えすらも酸素を消費してしまうからだった。

 慧牙の苦しむ姿を見て、近寄ってきたレイヴィルは手に持っていたランタンを近づけてひどく苦しげな状態に陥っている慧牙の様子を覗った。

「苦しそうだな。……それともどこか痛むのか?」

「……っ」

 レイヴィルに問いかけられても返事はできなかった。もう話すこともできないほど慧牙の発作は悪化してる。

「とりあえず横になれ」

 ここへ来たはいいが、どうすればいいのか分からなかったレイヴィルは慧牙を寝かせようと手を伸ばした。

「っ!? やめろっ、よけ……苦しくなるっ!」

「なんと言ったのだ?」

 こんな状態で寝かされたらたまったものじゃない。余計に呼吸ができなくなり、苦しみが増すだけだった。苦しみながらもレイヴィルの手を振り払って、なんとかそのことをレイヴィルに伝えた。けれども慧牙は日本語で話しており、レイヴィルに言葉は伝わらない。

 訝りながらもレイヴィルは慧牙をそのままに、そっと背中に手を当てて慧牙の様子を見つめる。俯いたままの状態で胸に右手を当てて、身体全体で息をしている。布団代わりにしていた毛布を強く掴む左手が微かに震えていた。そんな慧牙を見て、レイヴィルは背中に当てていた手を離した。

「少し待ってろ」

 そう言い残すと、苦しむ慧牙を一人残してどこかへと行ってしまった。

 胸を強く動かさないと空気が肺に入ってこない。何度も強く胸を動かして、必死でほとんどできなくなっている呼吸を続ける。しばらくして、レイヴィルはイノアを連れて戻ってきた。

「ケイガ、どうしました!? 胸が苦しいんですか?」

 ひどく苦しむ慧牙を見て、すぐに駆け寄ってきたイノアは背を擦りながら慧牙に問いかけた。もう一言も話せない慧牙は必死で首を横に振ると、胸を押さえつけていた右手を喉元に当ててイノアに伝える。

「イノア、治せるか?」

「思うように息が吸えないみたいですね。どうしてこうなってしまったのか、皆目検討もつきませんがやってみます」

 慧牙が伝えてきた箇所にイノアは右手を当てて強く目を瞑る。イノアの持つ治癒の能力で、果たして慧牙の病気を治せるのかイノア自身も分らない様子であった。慧牙にとってみれば、今この世界で頼れるのはイノアただ一人しかいない。

 次第にイノアの触れている喉元が熱を帯び始める。その間も慧牙は胸を上下に動かしながら、一瞬しか吸えない息をひたすらなんとか吸い続けていた。レイヴィルはイノアの反対側で慧牙の様子を見守り続けた。

「推測ですが、喉の奥側が何かひどく腫れているようですね。このような状態のものを治せるかどうか」

 一向に容態が好転しない慧牙を見て、イノアは不安そうにレイヴィルに伝えた。これまでずっと険しい顔つきだったレイヴィルはその言葉で、さらに険しく眉を寄せる。

「殴られた箇所の腫れを治すことができるのだから、大丈夫だろう? 続けてくれ、こいつはシューリアの子なんだ。今ここで死なれては困る」

「な……レイヴィル、今なんて言ったんですか?」

「手を止めるな、続けてくれ」

 喉がひどく熱い、その熱を感じながらも必死で呼吸を繰り返していた。

 イノアが治療を始めてからどれほどの時間が経っただろうか、次第に呼吸が楽になっていくのを慧牙は感じていた。しばらくしてやっと意識しなくても息が吸えるようになり、イノアの熱い手が喉から離れる。それと同時に慧牙はぐったりと倒れかけて、咄嗟にレイヴィルは慧牙の身体を支えた。苦しみから解放されて、慧牙はレイヴィルに身体を預けたままゆっくりと呼吸を続けた。

「良かった、私の力はケイガに効いたようです。安心してください、もう大丈夫だと思いますよ」

「さすがはイノアだ、フレア族の中で最も治癒の力が強い」

 イノアも相当な力を使ったのか、微かに疲れの色が顔に出ていた。僅かに呼吸を荒くし、額からはうっすらと汗が滲んでいた。レイヴィルはそれまでの緊張の糸が緩んだのか、軽く溜息をつくと静かに慧牙を床に寝かせる。

「呼吸はできるようになったみたいですが、かなり熱が高いですね。慧牙、熱だけは私にも治せないので、あとは薬を飲んでゆっくりと寝ていてください」

 イノアの言葉に返事を返すことができず、ただ慧牙は弱々しく頷くだけであった。

「レイヴィル、ここで私が薬を持ってくるまでの間、ケイガを看ていて下さい」

「あぁ」

 呼吸が楽になったおかげで頭がようやく働くようになり、慧牙はすぐ傍でまだこちらを見ているレイヴィルに顔を向けた。

「……なんで、ここに来たんだ。小屋の外にいる奴が、俺の様子に気づいてあんたを呼びにでも行ったのか?」

「分らんな、ただなんとなくここへ足が向いただけだ。小屋の前に置いた見張りに呼ばれた訳ではない」

 レイヴィルと琉牙がだぶった。弟である琉牙は慧牙の心の声が聞こえる。それは特に慧牙が苦しんでいる時に伝わってしまっていた。昔から苦しんでいる時にいつも傍へとやってくる琉牙を慧牙は嫌っていた。それが琉牙からレイヴィルに変わり、この世界でも同じようなことが起こるのかと思うと、慧牙は苛立ちを感じずにはいられない。先程までは琉牙の有難さを感じていたはずなのに。

「シューリアってさ、あんたがたの神なんだってな。イノアから聞いたけど……。でも俺はただの人間だ、俺の親もただの人間だった。もう死んでいないけどな。だから、見りゃ分るけど俺は普通の人間だ」

「イノアから聞いたのか。確かにそうだ、シューリアは我らの神だ。けれどシューリアはもういない」

「それも、聞いた。……それで? なんで、あんたはそんなに何度も神の子かと聞いてきたんだ? それにあんた、俺の身体に刻印を見つけたのかもしれねぇけど、その刻印がそのシューリアっていう女王の子の証なのか?」

 慧牙の問いにレイヴィルは何も答えなかった、ただレイヴィルの金色に光る目が僅かに揺れる。苦々しいような顔つきだった。

「……あれはただの痣か何かだ。あんなものは元々なかったし、この世界に飛ばされる途中でどっかにぶつけたんだ。そんなもので、神の子だとか、思われても迷惑だ」

 まだ話しをするのは苦しかったが、レイヴィルに聞かずにはいられなかった。神だとかそんなものに間違われては迷惑このうえない。どこからどう見てもただの人間をどのように見れば、そんな風に思うことができるのか。慧牙からしてみれば不思議で仕方がなかった。

「貴様は本当に分っていないのか? それともしらばっくれているだけか? 貴様もやはり、他の神と同じように俺達を見放すのか?」

「だから! 俺は神じゃないって何度言えば分るんだ。人を馬鹿にするのもいい加減にしろ。何が神だっ、俺が神だとするならてめぇの今までの扱いはなんなんだよ。人を自分のいいように振り回して、空から落とそうとするわ腹にパンチ食らわすわ。しかも……あんなことしやがって、ふざけるのも大概にしろっ!」

 まだあまり話しをできないにも関わらず、感情が昂ぶりだした慧牙は声を荒げた。その慧牙の剣幕にレイヴィルは片眉を吊り上げる。レイヴィルは少なからず怒りを感じたようでその場から立ち上がると、暗がりに光る金色の瞳で慧牙を見下ろた。

「そうだな、なんでも思い通りにならないとすぐに当り散らすガキが、神の子であるはずがない。何かの間違いだったようだ」

 カッとなるとすぐに怒鳴りだす慧牙に嫌気が差したのか、蔑むような低い口調で言い放つと、身体の苦しさよりも怒りが勝り、上体を起こした慧牙をよそにレイヴィルは背を向けた。

「あぁ、それとイノアから島に戻りたいという話を聞いた。熱が下がり次第、戻りたければ勝手に一人で戻るがいい。俺は手を貸さないからな」

「てめぇの手なんか借りるか。俺一人で戻れる」

「まぁ、戻ろうとしても、お前みたいな頭が悪く身体も弱いガキならこの駐屯地を出た途端、すぐにこの辺りの獣にやられて死ぬだろうがな」

 慧牙の意志とは無関係に勝手にここまで連れて来たレイヴィルからそんな言葉が出てきて、慧牙の中で何かが弾けとんだ。

「なっ!? てめぇの顔なんか二度と見たくねぇ! 今すぐにでもここから出てってやる!」

 立ち去るレイヴィルの背中に怒りの感情をぶちまけて、慧牙は辛そうな顔をしながらもなんとか立ち上がると、ダウンジャケットを着て靴を履く。ここからどうすれば島に戻れるのかなんて見当もつかなかった。とにかくここにはもう一秒だっていたくはなかった。

 島じゃなくてもどこでもいい。あのムカつく奴がいるこの駐屯地から一刻も早く離れようと、慧牙はまだあまり自由の効かない身体のままで小屋を出た。

 辺りを見回すが、既にレイヴィルの姿はどこにも見当たらない。ここから出て行く前に、あの男がいたら一発殴ってやろうかと思っていた慧牙は舌打をした。

「あのちょっと! 勝手にここから出ないで下さい!」

 小屋の前で見張りをしていた一人の若い男は突然小屋から出てきた慧牙を見て、慌てて引きとめようと腕を掴んだ。背は慧牙よりも低く、顔つきは幼い。慧牙よりも年下に見えた。

「離せ! 俺はこっから出てくんだっ、離しやがれ! どいつもこいつも俺の腕を掴みやがって、ふざけんな! いい加減にしろよ、てめーら!」

「ちょ、何語ですか!? 何言ってるのか分らないですよっ、とにかく駄目です! ここから出られると僕が叱られる!」

「レイヴィルがどこへでも行けって言ったんだ! だから俺は出てく!」

 少年兵に言葉が分らないと言われて、慧牙はこの世界の言葉で大声で少年兵の耳元に怒鳴りつける。その気迫に驚いた少年兵は掴んでいた腕を思わず放してしまった。慧牙とは違い気の弱い性格なのか、もしくは慧牙の気が荒すぎるのか。

「待ってください! でも、やっぱりレイヴィルさんに確認してからでないと……」

 立ち去る慧牙に向って恐々と少年兵は声をかけるが、それっきり慧牙は言葉を返さずこの場から去ろうとしていた。

「ケイガ! 駄目ですよ、外に出てはいけません」

 その時、薬を持って小屋に戻ってきたイノアは立ち去ろうとする慧牙を見て、慌てて止めに入ってきた。一瞬、慧牙は彼を見つけて罪悪感を感じた。レイヴィルはどうでもいいが、イノアには僅かな時間の間に何度も世話になっている。イノアの制止を無視できず、慧牙はイライラしながらも足を止めた。

「レイヴィルがここから出てもいいと言った。だから俺は出て行く」

「駄目です、少なくとも熱が下がるまではいけません。それにここから出てどこへ行こうというのですか? ここから歩いてもリリー島へは辿り着けませんよ、陸続きではないのですから」

「他の村でも探して、そこで船でも借りる」

「何おかしなことを言っているんですか、ここ以外海沿いに集落なんてありません。村があるのはずっと内陸のほうです」

「じゃあ、他の方法を考えるからいい。イノアには世話になった、ありがとう。それじゃな」

 困りきった表情で必死に慧牙を止めようとするイノアに背を向けて、再び歩き始めた時だった。

「ケイガ! 言う事を聞きなさい!」

 それまでおろおろとしていたイノアは突然、烈火の如く慧牙をしかりつけた。そのあまりの激しさに慧牙は呆然とイノアの方を振り返る。まさかこんなにもやさしくて、穏やかな顔つきのイノアがここまで怒るとは思ってもいなかった。そのギャップに慧牙はそれまでの怒りが吹き飛ぶ。

「とにかく中に入りなさい、今すぐに!」

 イノアに圧倒されて、慧牙は小屋に渋々戻されてしまった。あんなにもやさしそうで怒るという感情など、こういう人には存在しないのだろうと思い込んでいた慧牙は完全に飲まれていた。

「あなたはもう少し大人にならないと」

「俺はもう大人だ、一人で生きていける」

 怒りにまかせて、外に飛び出した慧牙は先ほどよりも熱が上がってしまったようで、顔を火照らせながらイノアに力なく言うと苦しげに堰をした。再び元の場所に寝かされて、もう一枚多く毛布をかけられた。全身を襲い始めた悪寒で震えが止まらない。イノアといえば怒りはもう既にどこかへ消えてしまったのか、柔和な表情を浮かべていた。

「レイヴィルに島へケイガを連れて行く話は時期を見て、もう一度きちんと話しますから、それまで待っていてください。レイヴィルも少々きつい一面があるので、ケイガが怒る気持ちは分りますが今はとにかく動いてはいけません。レイヴィルが出て行けといったのは本心じゃないですし、それよりもまず熱を下げるのが先決ですよ。ほら、薬を飲んで」

 ここに連れてこられた直後、イノアから手渡された薬草の入ったお茶と同じような色の飲み物を飲まされる。最初に飲んだ時よりも苦味が強くかなりまずい。吐き出したくなったが、そんな力もなくて仕方なく胃に流し込んだ。胃が空っぽのせいか飲んだものが一気に胃の中で広がるのを感じる。

「セヴェリ、入ってきなさい」

 イノアは慧牙の知らない人物の名を呼んだ。

 誰だ? ここには俺達しかいないはずだけど。

 するとそう時間を置かずに扉がゆっくりと開かれた。僅かに開けられた扉の隙間から、誰かが顔だけを覗かせている。そしておずおずと辺りの様子を伺いながら入ってきた気の弱そうな一人の兵士、その兵士は小屋の前で見張りをしていた少年兵だった。先ほど怒りに駆られて飛び出した慧牙を慌てて止めようとした子だった。このセヴェリという少年もドラゴンファングの一員なのだろうか。慧牙はイノアとセヴェリのやり取りを朦朧とし始めてきた意識の中で聞いていた。

「なんでしょうか?」

「私の小屋から毛布と青い箱をもってきてもらえますか」

「は、はい」

 少しばかり怯えたような口調で受け答えするとセヴェリという兵士は一目散に走って行った。しばらくして雪の上を走る足音が近づいてきた。途中、何か変な音がして足音が止まる。どうやらセヴェリは転んだようであった。

「ありがとう、……セヴェリ」

「いえ、それでは持ち場に戻りますっ」

 思い切り腹や足の部分に雪をつけたままのセヴェリはイノアに頼まれたものを渡し、敬礼をして戻ろうとした時だった。

「これを」

「えっ、で、でも」

「リリー島から戻って、そのままここの見張りを命じられたのでしょう? それに夜が明ければすぐにまた訓練が始まる。それでは身体が持ちません。これで少しでも体力を回復させるといい」

「ありがとうございますっ」

 イノアは小さな袋をセヴェリに持たせるとフワリと笑顔をみせた。パッと明るい表情になったセヴェリは嬉しそうにイノアに礼を言うと持ち場を離れた。

「……今のは?」

「疲労回復の薬です。かなり苦いですが速攻性が高い。彼は島から戻ってから一度も休息していないので」

 リリー島にあのセヴェリという少年も来ていたのか、そしてここへ戻ってきてすぐにこの小屋の見張りをして、今の今まで一度も休息をとっていない。丸一日以上働き続けていることになる。そして夜が明ければ、そのまま訓練なのか。レイヴィルって奴はひどい奴だな、と慧牙はほとんど意識を手放しながら、そんな事を考えていた。

 ◇

「どうして黙っていたんですか! こんな大事なことを!」

「……悪かった」

「悪かったじゃ済まされません。昨日近いうちに話すというのはこの事だったんですね? もしも慧牙の具合が悪くならなければ、今も黙っていたんですか」

「……」

「答えてください!」

「そういうことになるな」

「全く……あなたという人は、どうして慧牙が神の子であることを黙っていたんですか。ドラゴンファングのリーダーと言えど、このような緊急事態はすぐに伝えるべきです。それに急いで族長にも報告をしないと」

「それは必要ない」

「なぜですか、これは急を要する件なのに。すぐアデレ村に使いをやらないと」

「使いはやらない。それよりあいつもアデレ村に直接連れて行く。そのほうが話が早いからな」
「それならまぁ、賛成ですが」

「熱が下がり体力を回復させたらすぐに出発する。メンバーは……」

「レイヴィル……ちょっと待ってください」

「なんだ?」

「どうして慧牙が神の子であると分ったんですか? ……というよりも慧牙は女ではありません、男です。神の子は必ず女性のはず、これまでの神も全て女王でした。ドラゴンの子であっても、男だった場合は子ではなく、女王の護衛、言わば僕になるはず。神の子を指すのはあくまでも女性のみ。ですが慧牙は男です、それならば神の子ではなく、神の僕ということになります」

「あったんだよ」

「あったとは?」

「……知ってるだろう? 刻印だ」

「シューリアが……あなたと交した契約の証ですか?」

「そうだ、あいつの左腿の内側にくっきりと刻印があった。俺の胸にある刻印と同じ六芒星のな。リリー島であいつを見つけた瞬間、それまで消えていた刻印が再び浮かび上がった」

「まさか、そんな……だってレイヴィル、あなたは男です。伴侶を与えるというならば当然女性のはずだ。女王シューリアは私達フレア族をより繁栄させる為に次代の神になる子を伴侶に与えると約束したはずです!」

「あぁ、その通りだ。なのに突然現れたあいつは男だった。なぜか分かるか?」

「分かりませんよ、そんなこと!」

「イノア、このことは誰にも言わないと約束してくれ」

「構いませんが、そんなことをしてもすぐに知れ渡りますよ。アデレ村に連れて行き、族長に合わせたなら族長が黙っていません」

「分っている。だが、それまでの間は伏せておきたいんだ。今ここで、この事が広まれば、兵士の士気に関わる。ユーリャ族もあいつに気がついているらしいからな」

「それで、海上で聖騎士団に襲われたんですね」

「あぁ、ヴァリオははっきりとあいつを返せと言ってきた。多分、聖霊も気がついているのだろう。ただあいつが神の子と知っているかは不明だがな。あいつが黒曜石の影響でこちらの世界に流されたと言っていただろう? 多分、それは本当だろう。その時に聖霊は黒曜石の異常に気がついたのかもしれない」

「これは大変なことになりますよ」

「今はまだ大丈夫だろう。もし本当に聖霊が神の子が現れたと知ったなら、精霊が直接乗り込んでくるはずだ。でも襲ってきたのは聖騎士団だった、しかもヴァリオ一人。けれど、近いうちにここにユーリャ族が乗り込んでくるだろうな。それが聖騎士団か、もしくは死の風か……聖霊か」

「死の風ならまだかろうじて勝ち目はあるかもしれませんが……聖霊だったら私達に待ち受けているのは死のみですよ」

「聖霊とドラゴンは、俺達人間のように争っているわけではない。お互いに干渉していないだけだ。だけど、シューリアがいなくなってから、聖霊どもはずっと探し続けていたんだ。俺達に神の考えなんか分るはずもないが、何か重大な理由があるんだろうな」

「レイヴィル、慧牙の事以外にも、別に私達が例の物を探し回っているせいで、聖騎士団は不穏な動きをしています。そうでなくても、最近ここを攻撃されるかもしれないという情報もあるのですから、慎重に行動をしないといけません」

「分っているさ。大丈夫だ、聖騎士団の奇襲の件も折込み済だ。既にその攻撃に備えての訓練もしているのだからな」

「早く慧牙を族長に合わせないと。そして族長の判断がどうでるか」

「とにかくあいつの熱が下がり次第、出立する。イノア、お前もついてきてもらうぞ」

「ヨハンにはこの事を伝えないのですか? 彼はドラゴンファングの副長ですよ?」

「あいつにはもう暫く黙っておく」

「ですが、レイヴィルとヨハン、そして私はあの約束をした仲間ですよ? いいんですか?」

「ヨハンを騙すつもりはない。ただ少しの間この件は伝えないだけだ。人の事は言えないが、あれも激情家だからな。イノア、いいな? この事は俺の許可が出るまで絶対に口外するな」

「分かりました」
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