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第二十五話 極寒
しおりを挟む風景は相変わらずの白一色の世界で、見るもの全てが雪で覆われている。灰色を含んだ淡い水色の空が果てしなく広がっていた。
この世界にもしも温度計というものがあれば、目盛りは一番下まで下がりきるのではないかという寒さではあったが、それでもこのソリの旅は予想を遥かに上回る程の快適さだった。
ソリの床一面に敷かれた熱を発する石のおかげで、熱はどの場所に座っていてもどんどん伝わってくる。
唯一、外気に触れている顔は寒さでピリピリと痛みを伴ったが、生まれてからずっと雪の多い寒い地域で育ったせいなのか耐えることはできた。だがあまりにも冷たい時は床に敷かれた毛皮に寝そべり、冷たくなった顔を温めていた。
ソリの前方には風除けの為に取り付けられた斜めに迫り出した板もあり、前方から吹き付けてくる風もそう易々とはソリの中にまで入ってこない。
同行している者達の面々もあまり気がねする必要はない相手達だ。人見知りしやすいタイプ、というわけはないがそれでも知り合って間もない人達と長い時間を行動を共にするのはやはり落ち着くものではない。
けれどイノア達とは一緒にいても、疲れるようなことはなかった。約一名を除いては。
だがこのソリにはその人物はいない。あの男が一緒にここに乗り込んでいれば、今こんなにも開放感に浸れる事はなかっただろう。
一緒にいるだけで慧牙の感情はすぐに昂ぶり、怒りに身を任せてしまう。彼の言葉はいつも刺々しく、辛らつだった。慧牙は自身が実はドラゴンであるという信じがたい話は断固として否定するが、その慧牙が彼の目の前に現れたせいで、ここぞとばかりに憎しみをぶつけてきているようにも感じられた。
彼がいないおかげでソリでの移動は平常心を保っていられた。けれども嫌いな相手がいなくてせいせいしているはずなのに、心のどこかでは常にその人物のことが浮かんでいた。
慧牙自身どうしてあの男の事を思い出してしまうのか分らなかった。
多分、それはたった一人で慧牙達の進む先に危険がないか、安全を確かめに行っているからなのだろうと判断していた。嫌いではあるが一応現在は一緒に行動を共にする仲間となっている。仲間とは認めたくはないけれども、一人でいる仲間の身を無意識に心配しているのだろうか。
「あいつ、一向に姿が見えないけど一体どこまで先に進んでるんだ?」
出発してから数時間程経った頃、周囲を山々で囲まれた広大な雪原の中で、外の様子を見ながら独り言のように誰となく訪ねた。
雪が光を反射して、夜になっても薄っすらと明るい。夜空に輝く二つの月のおかげもあって、その明るさは冬の夜よりも明るく感じられる。別段、レイヴィルの事を心配しているつもりは毛頭なかった。
ソリに乗り込んだ時はレイヴィルがいないことに嬉しさを感じていた。だけど時間が経つに連れ、一向に彼の姿を確認することができないことに対して納得いかなかったのだ。
「彼はかなり先の方まで行っているんです。何も問題なければ明日の夜に、私達が追いつくまで適当な場所で待っていると思いますよ」
先ほどから何やら分厚い本を読んでいたイノアが慧牙に反応して静かに話し始めた。
「明日の夜? なら、あいつ今日は一人で野宿するのか」
「今日は休まず夜通し移動を続けます。言いませんでしたか?」
「へっ? 聞いてない。ていうかそんなことして平気なのかよ。幾らあんたらの体が頑丈だからって、寝ないでしかも次の日も夜まで移動し続けるなんて辛いだろ」
嫌な予感が走った。レイヴィルは寝ずに明日の夜まで移動を続ける。それならばソリに乗っている慧牙達も明日の夜まで立ち止まることなく、このまま移動を続けるのかもしれない。
しばしの間、思考が停止した。このまま寝ないで明日まで起きていられる自信がなかった。そしてそのまま次の日も夜まで起きている。
多分、いや絶対に無理だ。
今日も早朝から夕方までずっと黒鳥の背に乗って移動を続けてきた。その間休憩らしい休憩は一つもなかった。
途中、催して何度か地上に降りた時と、毛皮を何枚も着せられた時のみ。だがそれは休憩のうちには入らない。
休憩らしい休憩といえばピズ・コ・サイの町の酒場でこの日初めての食事をとった時だけだ。しかし食事を取るためだけだったから、食べて少し休んでから出発というこもなく、すぐソリへと乗り込んでいた。
別に慧牙は歩いて移動を続けている訳ではない。移動は全て黒鳥とこのソリだ、慧牙はひとつも体力を消耗するようなことはしていいなかった。けれども黒鳥に乗っている間、何時間もずっとレイヴィルにしがみついていたのと、慣れない移動に精神的にも体力的にもかなり消耗していた。
それからほんの僅かの食事の時間だけを取り、すぐにソリに乗り込んでいる。ただ座っているだけというのも結構くるもので、慧牙は既に眠気に誘われていた。
「無理じゃないですよ、フレア族は数日なら寝なくても大丈夫なんです。知りませんでしたか?」
慧牙の言葉にイノアは本を閉じて答えようとした時、それまで後方を警戒していたセヴェリが話に入ってきて説明を始めた。
「知らねぇよ、知ってるわけないだろ。じゃあなんだ、フレア族ってのは毎日は眠らないってこと?」
「えぇ。でも普段は毎日寝ています。だけど長距離の移動する時とか、やらなければならないことがたくさんある時は三、四日寝ないでいる事も平気なんです。人によっては十日間位寝なくてもへっちゃらな人もいますけど。僕は三日が限界かな」
「同じ人間とは思えないな……」
そんなこと初めて知った。
ズメウの駐屯地にいた時はいつも小屋の中で一人だったせいで知らなかった。
地球でも、徹夜して勉強したり、仕事をするという事はよく耳にする。でも、三日も四日も徹夜などしようものなら、フラフラになりとてもじゃないが日常生活を普通に過ごすことなんて難しいだろう。だがこのフレア族という人間達は三、四日寝なくても平気だと言う。おまけに十日間寝なくても大丈夫な者がいるとは驚きであった。
「何言ってるんだ、ケイガは人間じゃないだろう? 女王シューリアの子、俺らの神であるドラゴンなんだからさ」
ターヴィが振り返らずに前方を見たままの姿勢で大声で話に加わってきた。彼は出発してから今までずっとユニコーンの手綱を握って、ソリを操っている。
「だから! 俺は、……人間だっての」
瞬間的に声を荒げて、反論しようとする。けれどもその反論は途中で力を失った。
亡くなったフレア族の兵士達の事が頭に過ぎったからであった。同時にレイヴィルに言われたきつい言葉を思い出して、慧牙は困ったような怒ったような顔つきになると僅かに俯いた。
「ケイガの主張も分ります。けれど私達はやはりケイガはドラゴンであり、女王シューリアの子供であるという事を信じています。お互いの主張は平行線を辿って、…そのせいでケイガの負担をかなり大きなものにしてしまっていますが、族長に会えば何かきっと分るはずです。ですからもう暫く辛抱して下さい」
イノアは気を使ってくれている。会って間もない人間にここまでやさしくしてくれるのは有り難かった。
だけどそれは慧牙がドラゴンの、神の子だからなのだろうか。もし違えば、イノアの慧牙に対する態度は全く異なるものになっていたかもしれない。それはターヴィにもセヴェリにも言えないだろうか。だけど彼らは神の子である事を知る前から親切だった。もし仮に違ったとしても、それほど態度は変わらなかっただろう。
ならばレイヴィルはどうか。もしも自分がただの人間だったならば、今よりも彼の態度は違ったものになっていたはずだ。まず慧牙を殺したい程憎む、というのはあり得なかったであろう。
「悪い、俺のせいでこんなことになってるのに。でもやっぱ俺は……」
「自分を責めないで下さい。アデレ村に着けば解決するはずですから」
「そうだといいけど」
アリーシェ大陸を東へ東へと真っ直ぐに、慧牙達を乗せたソリは走り続けた。
夜も深まり、一人だけ眠気に耐え切れなくなった慧牙は時折、頭を何度も下げていたがすぐに目を覚ますとまた皆と同じようになんとか起きていた。他の者達は寝ないのに、一人だけ寝てしまうのが悪いことのように思えた。それになんとなくではあるが負けたくない、というような変な対抗心も出ていた。
イノアやセヴェリ達はもちろん寝る事はなく、欠伸一つ出さずに交代でユニコーンの手綱を握る。周囲を警戒しながら一睡もせずに慧牙達は夜の移動を続けていた。
朝になり何度目かの僅かな居眠りから目を覚ます。
しまったという風に慧牙は慌てて起き上がった。夜の間、無理をして起きている慧牙に対してイノアは「寝てもいいんですよ?」と何度も言ってくれたが、自分だけ寝るのは嫌だった。けれども眠気は起きようとすればするほど強さを増して、夜の間何度も眠りかけてしまっていたのだ。
まだかなり眠そうな眼をしている慧牙を見て、イノアはクスリと笑うとソリを止めた。用を足してから、すぐにまたソリは走り出す。
ソリで移動を続けながら食事を摂る。食料はピズ・コ・サイの町で調達したもので、両手で持っても余るほどの太さのある固い肉の固まりをナイフでそぎ落としながら食べた。その日もずっと太陽が沈むまで走り続けていた。ここで十日の日程の内の一日と半分を消化したのかと、一向に変わることのない真っ白い風景をぼんやりと眺めていた。
あと八日と半分もの長い時間を何もすることのないソリの上で過ごすのかよ。
しかも寝るのは一日起きである。最初の夜は何度か寝てしまったが、ほとんど起きていた状態に近い慧牙にとってはこの先、これがまだ当分の間続くのだと考えると、ソリで移動を始めた日のような快適さはとっくに消えていた。
「休ませなくて、大丈夫なのか?」
慧牙達と同じように夜の間もずっと眠ることなく走り続けているユニコーンを見て、さすがに心配になってきていた。幾ら移動手段用の動物だからといっても、丸一日以上走らせるのは酷だ。
「この位でしたらユニコーンは苦もなくできます。心配いりませんよ」
「だけど少し位休ませたほうがいいだろ。ちょっとかわいそうな感じがするけど」
「やさしいですね、ケイガは」
「そんなことねぇよ。突然ぶっ倒れられたら、こっちが困るだろ」
「セヴェリがあなたを小屋の外に連れ出した時も、彼の事を心配していた。ケイガはとても心のやさしい方なのですね」
「あれは……」
セヴェリが罰を受けたのは慧牙の責任だった。軽い気持ちで小屋から勝手に抜け出して、気の弱いセヴェリに慧牙は知らぬうちに付け込んでいたようであった。イノアの言うやさしさという部分から、ああいう行動に出た訳ではない。なんとなく後ろめたい気分になり、それ以上話す事が出来なくなる。
「そうだったんですか? ありがとうケイガ! 僕の心配をしてくれてたなんて、本当に嬉しいです!」
嬉しそうにお礼を言われて、咄嗟にセヴェリから視線を逸らす。
「違うって、あの時はレイヴィルに腹が立ってしょうがなかっただけだ。それに普通どんな奴だって、雪の上を長い間走り続けるなんて無理だろ、あんな積もってる中走るなんてさ。ここの世界の人間にしたら大したことじゃないかもしれねぇけど、セヴェリは他の奴らに比べて……あぁもう、あの時は悪かったな」
お礼を言われる筋合いなんて何にもない。あの時の自分の行動を更に後悔する形になり、慧牙は無邪気にお礼を言ってきたセヴェリにどう受け答えしていいのか困っていた。
「案外照れ屋なんですね」
「顔赤いですよ」
「だから! ……勝手にしろ」
イノアとセヴェリから指摘されて、慧牙は怒ったような表情を浮かべると二人に背を向けて遠くの山々を見つめた。
◇
「嫌だ!」
薄暗い暗がりの中で慧牙の声がこだました。
あれから数時間経ち、すっかり辺り一帯は夜に包まれていた。ソリで出発してから二日経ち、ようやくユニコーンの足が止まった。レイヴィルが崖のようになっている箇所のすぐ真下で慧牙達の到着を待っており、ピズ・コ・サイの町を出てから初めて慧牙達はレイヴィルと合流した。
出発してからずっと移動し続けていたユニコーンもさすがに疲れたのか、黙々とその辺りの雪を口に入れている。何もない雪原でユニコーンを鎖で繋がずに、レイヴィルに案内されるまま慧牙達はそのまま崖にぽっかりと大きな穴が開いている所に入っていった。
今夜はここで寝るらしい。崖の下にある大きな洞窟は天井が高く、幅も十メートル程の広さがあった。雪の入ってこない奥まで行くと、ここでターヴィとセヴェリが光る石を周囲に置いて灯りをとった。イノアは大きな袋から薪を取り出して、火をおこしていた。レイヴィルはというと、何枚もの大きな布を木で組んだ骨組みにかけていた。
そんな中、慧牙はすることがなくレイヴィルのやっていることを見ながら何気なく訪ねた。
「テントって二つしかないけど、どうやって分かれるんだ? こんなちっさいテントで男が何人も入れないだろ?」
慧牙も含めて男が五人いる。どう見ても一人しか入れないような小さなテントだ。無理に入れば窮屈で身体を休めるどころか、逆に疲れそうだと感じた。
「二人ずつに分かれて休む、多少狭いが我慢しろ」
「でもそれだと一人あぶれるだろ、どうすんだよ、残った一人は」
「全員で休む訳にはいかない。交代で一人は見張りを立てる。この辺りは獰猛な獣も結構いるからな」
「ふうん、それで? どうやって分かれるんだ?」
嫌な予感がした。イノアやセヴェリ、ターヴィとなら狭くても我慢してテントに入る事はできる。だけど、このいつも勘に触る物言いしかしないレイヴィルとだけは死んでも一緒に寝るなんて考えたくもなかった。
「もちろん、ケイガはレイヴィルと一緒に休んでください」
「はっ!? なんで!」
火をおこし終えたイノアが余った薪を隅に置きながら、とんでもない発言をしてくる。その言葉に慧牙は反響する洞窟の中で素っ頓狂な声を上げた。
「なんでと言われましても、ケイガはレイヴィルの伴侶なのですよ。当然でしょう」
「伴侶じゃないって! 俺は男だぞ、おかしな事を言うなって」
「恥かしがることないだろ、それにおかしいことなんてあるか。夫婦が一緒に寝るなんて当たり前のことだろう」
ターヴィが口を挟んできた。少しばかり目つきがおもしろがっているように見えなくもない。
「当たり前じゃねぇだろ! だから男同士で夫婦だとか、不自然だ!」
「いいからレイヴィルと寝ろって」
「嫌だ!」
薄暗い暗がりの中で慧牙の声がこだました。それならばと、慧牙は洞窟の中に一緒に持ってきたソリの中に入る。ここであれば暖かい石のおかげで寒さを感じずに寝られる。別に寒い洞窟の中で地べたにテントを張って寝る必要もない。頑張ればソリの中で男五人が縦に寝てもいけそうだった。
「俺はここで寝る」
そう言ってソリの中で寝転がる。けれども何か先ほどまでの感じと違っていた。すぐに慧牙は起き上がると不思議そうに手の平でソリの床を確かめる。
「暖石はずっと熱を放っているわけじゃないんです。何日か経つと熱を発しなくなって、ある程度時間が経つと再び暖かくなるんです。ですからソリの中では寝られないですよ」
セヴェリの言葉に慧牙は思いっ切り嫌そうな表情を浮かべると、渋々とソリを降りた。
「ケイガ、今夜は我慢してテントの中で寝てください」
「……わかったよ」
「俺もこんなガキと一緒に寝るなんて願い下げだ」
「んだと!?」
「まぁまぁ、落ち着いて。レイヴィルも変な事言ってケイガを煽らないでください」
セヴェリが料理を始めていた。慧牙は焚き火の前に座ると、ターヴィやイノアもまた焚き火の前に座る。レイヴィルだけは一人、ユニコーンの様子を見てくると言い、洞窟から出て行った。
「ケイガってさ、やっぱり神の子だからそんな髪の色をしているんだろ? 俺、ドラゴンが人間になった姿って始めて見たんだよな」
「神の子だからとかじゃねぇよ、多分。反論するのもいい加減疲れてきたからいちいち違うって言うのはやめるけどさ、俺の生まれた日本ではみんな黒い髪に黒い目だ、俺だけが突然変異かなんだか知らんけど、こんな姿で生まれちまったんだ。こんな容姿になったのは俺にもわからない」
改めてターヴィが慧牙の髪や顔を興味深そうに観察しながら尋ねてくる。そういえばターヴィと会ったのは奇襲を受けている真っ只中で、その次はこの旅の出立の日であった。旅の途中も彼はソリを操っている時間の方が多く、きちんと向き合って会話をしたことはなかった。ピズ・コ・サイの酒場で食事をした際も彼とあまり話をすることもなかった。今こうして初めてゆっくりとした時間を共有していることに気がつく。
「でもどうして違う世界から来たんだ? どうしてこの時期に? 何か理由があるんだろ?」
「それは俺も知りたい。なんで俺はこっちの世界に飛ばされたんだ?」
ターヴィの質問に慧牙は質問で返した。
「ケイガはこことは違う世界で生まれたんですよね。どういう世界かなんて想像もつかないけれど、初めてズメウに来た時に着ていた服はすごく変わっていた。見たこともない生地を使っていて、縫製も驚くほど綺麗だった。とても高い技術だと思ったんだけど、ケイガのいた世界はとても素晴らしい世界だったの?」
鍋を大きな木のスプーンでかき混ぜながらセヴェリも話に加わってくる。
「ここよりは天と地ほどの差があるってくらい、元の世界のほうが文明はずっと進んでる。だけど素晴らしいかって聞かれたら、悩むな」
「向こうの世界もやっぱりドラゴンや聖霊の神が人間を守っているんですよね? そしてケイガはあちらの世界を守っていたのでしょう?」
「待てって、まずあっちに神を信じてる人間は大勢いるけど、神なんて実際には存在しない。いや…もしかしたらいるのかもしんねぇけど、はっきりと形のある神なんていない。それに俺はあっちの世界では普通の人間として生きてきたし、それは今でも変わらないんだ。つうか人間だし…」
本当に神ではなくて、人間だと言う事を説明するのが疲れてきた。慧牙は意識していなかったが、自然とイノアの方を見た。
「セヴェリ、ケイガが神の子であると言う事は私も認識していますが、これはケイガとは大きな隔たりがあるのです。ですからその話はもうよしましょう。それよりもセヴェリ、鍋の様子は私が見ておくのでレイヴィルを呼んできてくれますか?」
イノアが助け舟を出してくれてセヴェリは元気に返事をすると立ち上がり、話は途中で終わった。慧牙はふうっと軽く息を吐くと、イノアに視線だけで感謝を表した。
「本当にこいつと一緒に寝ないとならないわけ? 俺はイノアやセヴェリとかと一緒で全然構わないんだけど」
「駄目ですよ、レイヴィルの伴侶と同じテントで一夜を共にするなんて、あり得ないことです。ここは大人しく一緒に寝てください」
「……」
大きな鍋で作ったチーズの匂いが強烈な肉入りスープを食べた後、慧牙は寝るためにテントに入ろうか悩んで、イノアに小声で話しかけた。
やはりどうしてもあのレイヴィルと一緒に寝るのが嫌だった。百歩譲って、レイヴィルという男がイノアのようにやさしい男であったなら一緒に寝る事はもしかしたら出来たかもしれない。だけどレイヴィルとは伴侶、男同士ではやはりあり得ない関係だ。慧牙の知らぬところでそんなことが決まっていて、ある日突然伴侶だと言われて、はいそうですかと納得できるものではなかった。
「早く来い」
「なんだよ、俺に命令すんな」
いつまでも渋っている慧牙を見て、苛立ったのかレイヴィルは恐そうな顔つきで言ってくる。
「お前は俺達よりもずっと体力がないんだ。だから休める時はすぐに休んでおかないと、またすぐに熱を出すぞ」
「てめーは、なんでいつもそうムカつくことしか言えねぇんだよ。すぐに熱って、知ったふうな口を聞くな」
「ズメウに来てすぐに熱を出しただろう、それに息ができないと言って苦しんでいた。身体の弱いことは証明済みだろう」
「うるせぇな、勝手に弱いとか決め付けんな」
「いいから来い」
服を掴まれて無理矢理テントの中に入れられた。外から見て小さいと感じていたテントは、やはり中に入っても小さかった。テントの高さがあまりない為に圧迫感を感じる。慧牙一人で寝るには一応充分ではあったが、ここにレイヴィルも寝るとなると明らかに身体はくっついてしまうだろう。慧牙はうんざりしたような表情を浮かべると、なるべく端に寄って毛布に包まった。
「あんまり近づくなよ」
「えらそうに、こうやってテントを作ってやったり食事を作ってやったりしているのは俺達だ。そんな言葉よりもまずは礼を述べるべきではないのか?」
「ふん、……感謝はしてるよ。あんた以外にはな」
「ならいい」
「?」
テントの閉まる音がして、包まっていた慧牙は顔を出した。てっきりレイヴィルも一緒に寝るのかと思っていたが、テントの中で慧牙は一人にされたのだった。そしてレイヴィル以外のイノア達には感謝していると言ったが、その言葉に対する返答が気になった。あえてレイヴィルには感謝はしていないと言ったつもりであったが、レイヴィルはそれでいいというような返事を返した。
「おかしな奴だな」
ボソッと呟くと、慧牙はとりあえずレイヴィルが一緒に寝ないと分り安堵しながら姿勢を変えた。地面から伝わってくる寒さが少しばかり寝るには支障があった。テントを張っているといっても外気は冷たく顔を出していると痛みを感じる。身体は正直言って疲れていたが、寝ようにもまだ冷え切った足先のせいで中々眠りにつけなかった。毛布の中で足を暖めるために何度も擦り合わせたりする。そうしながらも慧牙はレイヴィルの事を考えていた。
あいつは寝ないで見張りをするのか? でも…交代でやるっていってたよな。
ふと交代で見張りをつけると言っていた事を思い出して、慧牙は目を瞑りながら眉間に皺を寄せた。気になりだした慧牙は考えながら何度も寝る姿勢を変えていたが、とうとう居ても経ってもいられなくなって、テントの隙間から外の様子を盗み見た。どうやらイノアはまだ起きているようで、焚き火のすぐ傍に居るのが視界に入った。ターヴィとセヴェリは既にテントに入ったらしく姿が見えない。イノアのいる焚き火から少し離れた所でレイヴィルが剣の手入れしているのが見えた。
「寝なくていいんですか? ずっと雪原を移動していたから疲れたでしょう?」
「手入れが済んだら寝るさ、それにまだ眠くはないからな。イノア、このまま俺が見張りをするから寝ててもいいぞ」
「寝るといっても、セヴェリとターヴィがテントで寝ているから無理ですよ」
「あいつのテントがあるだろう。あっちで寝ていろ」
「それはできませんよ、仮にもレイヴィルの伴侶なのですから、ケイガは」
イノアの言葉を聞いて、慧牙は心の中で激しく否定した。
「伴侶といってもシューリアが勝手に決めたことだ。それについ最近までその伴侶はシューリア共々死んだと思っていたのだからな。あいつに特別な感情はない」
「だとしても、できない話です。レイヴィル、剣の手入れが終わったら休んでください」
「そうだな……」
「レイヴィル、本当にあなたはケイガに何かしらの感情は抱いてないのですか?」
「なぜそんなことを訪ねる」
その問い掛けに慧牙もまたテントの中でイノアに疑問を抱いた。
「…最近はあからさまに感情を出していますよね。普段のあなたからは考えられなかったものですから」
「確かにそうだな。あいつを見ているとイライラしてくるんだ、それでついきついことを言いたくなる。自分でも分かってはいるが、少しばかり大人気なかったな。これからは気をつけよう」
「いえ、そのままでいいですよ。あえて変える必要もないでしょう」
その言葉に対するレイヴィルの返答はなく、しばしの間無言が続く。
「あなた達二人のやり取りを見ているのは結構楽しいですから」
「人が悪いな」
「リアルトがいた時のように楽しそうにも見えます」
知らない人物の名が出てきて慧牙はテントの中で微かに首を傾げた。
「何を言い出す、リアルトは俺の尊敬する師だ。あれと同じ態度をとったことなどない」
「態度は全く違いますけど、それでも彼がいた頃のように思えるんです。……あの時、あんなことにならなければ今の状況も少しは変わっていたでしょう」
「その話はもういい、全ては過ぎたことだ。ここで過去を思い出して、リアルトが生きていたらという仮定の話をすることになんの意味がある」
「そうですが、でもリアルトがいなくなった穴は余りにも大きかった」
「分かっている。だから俺はその穴を埋めるためにも…」
「ここでその話はよしましょう」
「イノアからこの話を振ってきたのであろう」
「みだりにあの件の話をするのは危険です。それよりも早く横になって下さい」
「全く…」
レイヴィルが苦笑したような口調で言い、それっきり静かになった。慧牙は盗み聞きしたことに少しばかり罪悪感を感じて、音を立てないように静かに寝床に横になる。
後半の二人の会話はよく分からないものだった。ただやはりレイヴィルは慧牙の事を嫌っていて、そのことを再確認できただけであった。
なんとなく不満に感じる。別にレイヴィルという男から好意を抱いて欲しいなどという事は考えたこともない。ただ、人を煽るような口調がどうしても気に入らないのだ。そして慧牙を憎んでいるということ。慧牙はここへ来てから一向に晴れることのない気持ちを整理しきれないまま、深い眠りに落ちていった。
寒さで意識が浮上する。けれども寝ている状態は未だ続いており、身体は寒さを訴えてはいるが頭はまだ眠りの中に足を突っ込んでいた。もぞもぞと寒さを感じる場所に毛布を掛けようと身体が無意識に動く。
「ん…」
洞窟の中といっても、零下何十度も下回っているこの凍りついた大地では外気に当たらずとも寒さは毛布の中にまで入り込んでくる。寒さで身体を振るわせた時、背中に暖かいものを感じて慧牙は無意識に小さな声をあげた。後ろから伝わる暖かい熱で、それまで硬直していた身体が弛緩していく。
誰かに手を掴まれたような感覚を覚えた。でもまだ意識ははっきりとすることはなく、逆に温かさに包まれて再び眠りに入っていった。
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