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第二十九話 怨恨
しおりを挟むしばらく村の中を歩き、とある十字路で右に曲がる。すると先ほどまでとは違い、比較的大きな通りにでた。そこは通りに幾つも露店が出ており、人の数は途端に増えて、先ほどまでの落ち着いた雰囲気と一遍する。活気に満ちた声があちらこちらで上がっていた。
どうやらこの通りはアデレ村で一番人が賑う場のようで、これまで見ることのなかった女性の姿も普通に見受けられた。大半は農作物や果物、肉を売る店であったが、服やアクセサリーの類や道具類を売っている店もあった。
「さっきとは随分雰囲気が違うな。それに女の人もちゃんといるじゃん。ってやっと一人見つけただけだけど」
「ここは露店通りと言われていて、アリーシェ大陸に点在するそれぞれの村人達が集まる場所なのです。アデレ村は大陸で唯一、全ての村との取引が一度にできる場所ですからね。あと、あの女性は力を持たない方なのでしょう。力のない女性はすごく少ないのですが、その方達は普通に生活しています」
「そうなのか」
あまりに村の雰囲気がガラリと変わった理由をイノアに尋ねた慧牙は、説明を聞き終えるとすぐに見たこともない食料や道具などの売り物を物珍しそうに見始めた。
実際に近くへ寄ってマジマジと商品を見て回ることはできなかったが、遠くからでも充分楽しめる場所である。
これまでに見たこともないような変わった形や色をした野菜や果物、何に使うのか全く分からない道具や、色鮮やかな絨毯のような織物を見ているだけで、普段買い物にあまり興味のなかった慧牙でも自然と浮足立っていた。
露店通りを抜けて、Y字型に分かれている道を右のほうへと入っていく。
賑わいは先ほどよりもずっと静かなものになったが、それでも点々とこの道にも露店はあった。そこからしばらく進むと、村の奥側は小高い丘になっているようで、立ち並ぶ家々の屋根の奥の方には緑が生い茂っていた。緑に囲まれた小高い丘の中に、他の家とは造りの違う背の高い建物がある。
レイヴィル達はどうやらそこに向かっているようであった。蛇のように曲がりくねった道を進み続けると、次第に村の雰囲気は変わり、いつしか露店は姿を消して、時が止まったかのように静かな住宅街の中に入る。そしてある細路地に入り、しばらく行くと、円形の広場にでていた。無意識に声を出してはいけないような、緊張感が周囲に漂っていた。気がつけば人の姿はどこにも見当たらない。
広場から丘に続く坂道を登ると、突き当りは高い木々が立ち並んでいる。その木々の中央の合間には白い石で造られた立派な門があった。既にその門は開かれており、両側には二人の兵士が長い槍を持って警備にあたっている。レイヴィルがそこを通り過ぎる時、二人の兵士は槍を構えなおし、首だけを曲げてお辞儀のような動きをした。
慧牙やイノア達もレイヴィルの後を追って門をくぐる。その間、兵士達はただ石造のようにそのままの姿勢でいた。周りを木で囲まれた細く長い道を更に登っていく。アデレ村の族長のいるという場所は他の家々とは比べ物にならないほど立派な城のようにも見受けられた。
道の終わりに再び門が立ちはだかっている。けれども二つ目の門は石の扉で固く閉ざされており、またも兵士が二人、門の前で槍を持って門番をしていた。次はすぐに通してもらえるようではなく、何やら二言、三言レイヴィルが門番に話しかけると、石で出来た重そうな扉がゆっくりと左右に開かれた。目の前に白亜の荘厳な城が天高くそびえていた。族長という言葉で、どこか小さな部族の長というイメージをしていた慧牙はここに来て考えを改めた。このアデレ村の人の多さといい、族長のいる建物の立派さといい、族長というのは王のような存在なんだと考えを切り替える。
「すげぇな。この世界にもこんな立派な建物があったんだな」
「すごいでしょう? ハシマ王国だってこんなすごいお城は建てられない。ケイガのいた世界にだって、こんな立派なお城はなかったでしょう?」
「う、うん。そうだな……」
確かに慧牙の住んでいた街にはこのような城はなかった。高層ビルなどは幾つもあるが、このような西洋風で美しく芸術的な建物は存在しない。西洋風の城、という観点から考えればセヴェリの言葉には一応、同意することができた。どこか女性的な感じを思わせる真っ白な城は荘厳ながらも繊細で、雪の女王でも住んでいそうな雰囲気である。
城内は真っ白い花が綺麗に飾られていて、村に入った時よりも甘美な匂いが漂っていた。空気も一層清んでおり、自然と気分が和らぐ。城内にいる者達は村人達とは違い、金色の布のようなもので作られた細かな花で肩や胸、袖口や裾を装飾した白いローブを纏い、悠然と歩いていた。そんな中を毛皮を着込んで、武器を装備している一団が歩くと、何かとても自分達が浮いているような気分になった。けれどもレイヴィルは勝手知ったる城内を足早に歩いていく。
なんか、やけに歩くの早くないか?
慧牙はそう思いながらも、かなりの大股で先を行くレイヴィルの後を追うように歩いた。村の中ではそんなに早く歩いているようには思わなかった。城の中は村とは違い、人も少なく歩きやすいからだろうか。そんなことを考えていると、ふと大事な事を思い出した。慧牙が神の子かどうかをフレア族の族長に判断を仰ぐ為、ズメウから遠く離れたここアデレ村までやってきたのだ。慧牙は突然走り出すと、レイヴィルの横に並んだ。
「おい、今から族長に会うんだろ?」
「そうだ」
話しかけてもレイヴィルは真っ直ぐに前を向いたまま、そのままの速度で歩き続ける。すぐに置いていかれそうになり、慧牙はムッとしながらも、また少し駆けてレイヴィルの横にぴったりとついた。
「ちゃんと説明しろよ? 俺はただの人間だって事をな、それと違う世界から飛ばされてきたってさ。出来れば、元の世界に帰る方法も分れば教えて欲しいって事も伝えてくれ」
「言われなくとも説明するさ。ただ、…父上がどう判断するかは父上次第だな」
「おい、それじゃ駄目だろ。お前だって前に言っただろ、俺が人間だって。勝手に神の子を連れてきましたとかだけ言って、ほっぽりだすなよって言ってんだ」
「ならば刻印のことはどう説明する?」
それまで慧牙の方を見ようともしなかったレイヴィルは、刻印の件を出した時に一瞬だけ慧牙の方を見た。
「あれは! 知らねぇよ、やっぱりただの痣だろ」
何か痛いところをつかれたような気がして、少し声を荒げる。
「痣か。俺の胸にある痣と全く同じ模様の痣が、なぜシューリアと血縁者でもないお前の足についているんだ? それはどう説明する?」
「説明って、お前の役目だろが。……痣は偶然だろ、たまたま同じ痣がお前と俺についてるだけだ」
レイヴィルに説明しづらい部分を突かれて、次第に慧牙の歯切れが悪くなった。
「偶然で片付けられるか、俺の胸の刻印は女王シューリアから直々に与えられたものだ。この刻印が出来上がるのをこの目で見ていた。その刻印がどうしてお前の足にある? 前にも言っただろう。あの時、女王は言った。この刻印は既に女王の腹の中にいた子にもつけたと…。その刻印がどうしてお前にあるんだ」
「…知らねぇよ、そんなの」
「とにかく族長にはこれまでの経緯と、お前が言った内容は正確に話すつもりだ。こんなところで嘘をついてもなんの意味もないからな。それにここでお前が神の子ではないとすれば、俺も清々する」
歩調を緩めると、すぐにレイヴィルとの距離が開いた。
「俺のほうがもっと清々するっての」
慧牙はレイヴィルの背に投げつけるように言い返すと、イノア達と一緒に再び歩き始めた。
暫くすると慧牙達は城の中の中庭へと出た。空からの光が中庭を照らし出し、光に満ち溢れている。慧牙は眩しそうにしながらも、その中庭の横を通る廊下を歩いているとき、ふと中庭にいる人影に気づいた。草木が植えられており、初めは気がつかなかったが確かに中庭に誰かがいた。
庭師かなにかだろうと思った時だった。
「なぜここにお前がいる」
人影に気づいた数秒後、ちょうど中庭の中央付近を歩いていた時であった。中庭の方から男の低い声が聞こえてきた。レイヴィルと同じように低い声だが、どことなくやや棘のあるような嫌な声質だった。
「ここから追放されたはずであったろう。誰の許可を得てアデレ村へ戻ってきた?」
黒い髪を肩位の長さで切りそろえて、長い前髪と一緒に少し襟足を残した状態で髪を後ろで縛っている神経質そうな顔つきの男性が、右手に長剣を手にしたまま中庭から歩み寄ってきた。
それと同時に新たに二人の男の姿が近づいてくる男のすぐ後ろに見えた。どこからどう現れたのか気づいたら姿があった二人を視界に捉えながら数度瞬きをする。
再び声をかけてきた男をみやる。左手は腰にあてたまま顎を軽く上げて、まるで人を見下すかのような態度を示している。慧牙が怪訝そうな顔つきでその男を見ていると、男は一瞬だけ慧牙の方を見てから、再びレイヴィルの方へと視線を戻した。会ったばかりではあるが、慧牙は瞬間的にこの男に対して嫌悪感を抱いた。彼の目つきや話し方、素振り全てが鼻につくのだ。それに後方にいる男二人にもなんだか嫌な雰囲気を感じていた。
「兄上…、お久しぶりです。族長は中におられますか?」
レイヴィルの言葉に慧牙は目を丸くした。急いでレイヴィルの方を見ると、彼は少し気まずそうに俯いていた。こんなレイヴィルの姿を見て、慧牙は横にいたセヴェリを軽く小突いた。
「レイヴィルさんのお兄様、ヒューゴ様です…」
前を向いたままの状態で、セヴェリはとても小さな声で教えてきてくれた。兄の名を聞いて聖騎士団から受けた奇襲の日の事を思い出す。あの時、ズメウに奇襲をかけてきた聖騎士団から見つからぬよう隠れていたときだ。ターヴィがレイヴィルの兄の話をしていた。
レイヴィルもやな奴だけど、兄貴はもっと嫌な奴みたいだな。顔は似てないけど、性格は似てるのか。
「私の質問に答えろ。どうして神聖な城にお前が入ってきたのだ。ズメウで死ぬまで戦うのではなかったのか? そのような適当な誓を立てて、ここから逃げ出したはずのお前がなぜここに? 答えろ」
言いながら、いきなりヒューゴは持っていた長剣の切っ先をレイヴィルに向けた。兄のその行動に慧牙は驚いて思わず声が出かかる。だがイノアの制止によって抑えられた。レイヴィルと兄の間に何があったのかは知らないが、普通ではあまり考えられない事であった。
「剣を収めてください。用が済めばすぐズメウに戻ります、ここにとても大事な用で参りました。どうしても族長と会わなければならない事態が起こったのです」
なぜここに戻ってきたのかという問いにレイヴィルは答えたが、兄のヒューゴはそれに返事は返さなかった。そしてレイヴィルと一緒にいる慧牙達の顔を品定めでもするかのように一瞥すると、剣を手にしたまま近寄ってきた。
「……イノアにターヴィか、あとの二人は何者だ?」
ヒューゴがまるでゴミでも見るかのような顔つきでそう言うと、見知らぬ二人のことを訊ねてきた。
「左側はセヴェリです。キロの家の子息です。もう一人は、島で見つけた不審者です」
不審者と呼ばれて、慧牙は眉を寄せながら無言でレイヴィルを睨みつけた。
「不審者? そのような輩をこの城に入れたのか?」
言い終わると同時に、今度は突然鋭い剣先が慧牙へと向けられた。剣は慧牙の顔から十センチと離れていない。すぐ目の前で光り輝く切っ先が僅かに傾き、太陽の光が反射して眩しさで一瞬目を瞑る。剣をすぐ目の前で向けられた事は生まれて初めてであった。けれども元の世界にいた頃、何度か喧嘩相手からナイフを出されたことはあり、それほど動揺はしなかった。光の反射で目を細めながらも、強くヒューゴに睨み返してやる。
「おやめください、ヒューゴ様。この者は我々フレア族に関係する、非常に重要な方なのです」
驚いたイノアが慧牙の身体を強い力で後ろへと押しのけて、庇うように前に飛び込んできた。
「どういう意味だ? 答えろ」
「詳しいことは族長に会わせていただいてから説明致しますので、どうか剣を収めください」
「俺に指図するのか? イノア、お前もえらくなったものだな」
「いえ、そういう意味ではありません」
イノアはすまなそうな声でヒューゴに対して短く弁解をした。けれどもヒューゴは更に剣をイノアに近づけると、唇を歪めた。
「答えろ、答えなければこれ以上先へは通さぬぞ? それに来た道を戻ることもできなくなるだろう。この意味が分かるな?」
「……この者は神の子です。女王シューリアの真の子です」
言えないでいるイノアに変わって、レイヴィルが説明した。言い終えた瞬間、異様な空気が辺りに漂う。慧牙を除く全員が、ヒューゴの次の反応を固唾を飲んで待った。
「ふっ、何を言うかと思えば! レイヴィル! お前はズメウで完全に頭がおかしくなったようだな」
イノアの後ろにいた慧牙を覗き込むような仕草を見せてから、剣をそのままに一頻りヒューゴは笑い続けた。
「お前の口からそのような冗談が飛び出すようになるとは、いや、お前は昔からおかしな人間だったが、更に磨きがかかったようだ。そうか、とうとうそんな大嘘をつくようになるまで成長したか」
「嘘ではありません。この者は本当に神の子なのです、証拠もあります」
「はははっ、嘘も休み休みに言え。分かりきった嘘を堂々とつくとは……まさかこの俺をコケにする為にわざわざズメウから戻ってきたのか? これではドラゴンファングも先は短いな。まぁそもそもハシマにちょっかいしかだせぬ臆病者の集団、ただの落ちこぼれどもだったな」
わざとらしく大きな声でヒューゴは話すと、最後に口だけは笑ったままで殺気だった目でレイヴィルを凝視した。
「兄上、ここを通してください」
「勝手に動くな、私の用件はまだすんでいない。なぜこんなガキが神の子だと言い切る? 嘘をつくならもっとそれらしい嘘をつくのだな。……こいつは、男であろう? 男が神の子であるはずがない。女だ、女がこのアリーシェを支えているのだぞ。祈祷者は全て女であり、神は女王シューリア様。この世の全ては女が握っているのだ。……それを男が神の子だと……そこまでして私を馬鹿にして、笑いにきたのか」
一層棘のある言い方をするヒューゴの話を聞いていて、慧牙はイノアを押しのけるとレイヴィルの兄という彼に向って、何か言い返してやろうとした。だけどイノアは無言で慧牙に駄目だというような合図を送る。アデレ村に入る前、イノアから言われた言葉を思い出して慧牙は口惜しそうに唇を噛んだ。
「そんなことをする為にわざわざアデレ村まで戻ってきたのではありません。本当にこの者は神の…」
「レイヴィル!」
咄嗟にヒューゴは弟の名を叫んだ。そしてレイヴィルの目の前までやってきて、持っていた剣を勢いよく振り抜いた。その瞬間、レイヴィルの黒く長い髪のひとふさが宙を舞う。剣で行く手を阻まれて、レイヴィルは兄であるヒューゴを鎮痛な面持ちで見つめた。
ヒューゴの態度に我慢できなくなった慧牙は大声を上げて、ヒューゴに殴りかかろうとした。けれどもターヴィに身体を押さえられて、セヴェリに口を塞がれる。
レイヴィルの事は嫌いであった。しかし目の前で彼が切りつけられることには、どうしても黙って見ていることはできなかった。先ほどのヒューゴの言葉もそうだが、レイヴィルを罵倒されることも我慢がならない。慧牙はターヴィとセヴェリに押さえつけられながらも、ヒューゴに対して完全に頭に血が上っていた。
「いい加減にしろ。これ以上その下らぬ嘘をつくのなら、今度は口に剣を突き立ててやるぞ?」
「ヒューゴ様! おやめください、レイヴィルはあなたにとって大切な弟のはず、兄弟でこのような争いをおこさないでください」
兄弟の間を割って入るように身体を滑り込ませたイノアは、レイヴィルを庇うように説得し始めた。
「イノア、こいつは私の家を乗っ取ろうとする薄汚い悪党だ。フォルシウスの家を乗っ取るだけでなく、フレア族をすべて自分の手中に収めようとしている。そして神である女王シューリアすらも奪おうとしている男だ。こいつはとんでもない悪魔のような人間だ、今すぐにこいつの息の根を止めなければ、フレア族は近いうちに滅びてしまうかもしれない」
早口で捲し立てるように吐き捨てると、ヒューゴはイノアがいようがいまいが関係ないといった風に長剣を両手で構えた。
「そんなことはありません! レイヴィルはフレア族の為、神の為に命を捧げて日々ユーリャ族と戦っています。レイヴィルは危険を顧みず、私達の誰よりも犠牲を払っているのです」
「そう思い込ませているだけだ。イノア、お前達はこいつに騙されている。いい加減目を覚ましたらどうだ? こいつは生まれた時からフレア族に不幸をもたらしてきた。人の良い父上の計らいで死なずに済んではいるが、私が族長になればまず真っ先にこいつを処刑してやる」
「そんな、レイヴィルはヒューゴ様のたった一人の弟、そのような考えを持つのはおやください」
「ただの兵士の分際で何を言う。イノア、お前の誠実さ、強さを私は認めてはいたが、この悪魔のそばに長くいたせいでお前も毒されてしまったか」
「彼は悪魔ではありません、それに私も昔から変わってはいません。お願いですからおやめください。それに、族長の住まわれるこの城で血を流すことはふさわしくありません。ここで血が流れれば族長はさぞやお嘆きになるでしょう、それが自身の息子の血であるならば尚更に」
その言葉に、一瞬ヒューゴの片眉がピクリと動いた。
「……ふん、相変わらず口は達者だな。いいだろう、ここはイノアに免じて許してやろう。だが父上との面会が住めばすぐにここから立ち去れ。そうしなければ、この私が次に剣を抜いた時、こいつの命はなくなっているだろう」
イノアの言葉が通じたのか、ヒューゴは両手で構えていた長剣を降ろすとわざとらしくゆっくりと剣を鞘に収めた。
「……貧弱な薄汚いガキめ」
去り際、慧牙に向ってヒューゴは汚いものでも見るかのような目つきで言い放つと、レイヴィル達に背を向けた。
「レイヴィル、父上と会ったらすぐにズメウに戻れ。私は貴様の顔など見たくはないのだからな」
去り際に、ヒューゴは背を向けたままそう言った。
「……」
「返事をしろ」
イラついたような声でレイヴィルの返事を催促する。
「――畏まりました」
「本当にお前の顔を見るだけで虫唾が走る。金輪際、二度とその面を私に見せるな」
ヒューゴが立ち去る寸前、今までずっと後方に控えていた二人の男のうち、暗いグレーのウェーブがかった髪をした男がチラリと慧牙に笑いかけた。
「カレン、余計なことをするな。いくぞ」
「はい、ヒューゴ様」
離れゆくレイヴィルの兄の声で慧牙に笑いかけた男は軽くウインクするとサッと踵を返した。
中庭でヒューゴとの遭遇から、再び慧牙達は城の中を歩いていた。つい先ほどまで感じていた心が透き通るような気持ちは慧牙の中には既になく、ただ表現しがたい苦々しさだけが口の中に残っているような感覚だった。イノアやターヴィ、セヴェリもまた慧牙と同じような気持ちを味わったのか、一様に誰も言葉を発しなかった。
こんなことが起こるなどとは全く予想していないことだった。アデレ村でイノアから誰から話しかけられても、絶対に話すなというのはこういうことが起こると予測して事前に言ってきたのだろうかと考えていた。イノアは慧牙の性格を知っていて、余計な面倒を引き起こさせないようにしたのだろう。慧牙にしてみれば、それは心外なことであったけれど、冷静になって考えるとあの場面で自分が余計な口出しをしていたら、事はもっとひどい方向に向かったかもしれないと感じていた。
「あいつ、本当にレイヴィルの兄さんなのか? なんであんなひどいことができるんだ」
無言に耐え切れず、慧牙はボソッと独り言のようにつぶやいた。
族長の仕度が出来るまで待たされることとなった慧牙達は、城の四階にある部屋に通された。大きな窓から村を一望できる部屋は広く、室内には柔らかそうなクッションが幾つも置かれたカウチが暖炉の前に配置されている。レイヴィルだけは族長の息子であるためか、城内の違う場所にいるらしかった。
「兄であるヒューゴと、…レイヴィルは昔から兄弟仲があまりよくないのです」
窓から村の風景を眺めながらヒューゴの事を思い出して未だに腹を立てていると、いつの間にか傍にきていたイノアが二人の兄弟関係をおもむろに話し始めた。
「仲が良くないからって、あんなすぐに剣を弟に対して向けるか!? 普通ありえないだろ。それになんであいつも大人しく従ってたんだ? 普通なら黙っちゃいないはずだ。なんであんなひどいことを言う奴の言いなりになってんだよ」
なんとなく許せなかった。レイヴィルは初めて会った時から、独善的で相手の意見など一切聞かないといったような人間だと判断していた。あの誰も寄せつけないような冷たい話し方で、いつも部下を叱咤していると思っていた。実際にそうだと今も思っている。けれども、先ほどのヒューゴとのやり取りを見て、慧牙はなぜかがっかりしていたのであった。あの冷酷的な態度は部下や自分よりも下の人間に対してだけで、自分よりも上の人間には謙るのかと思うと、彼に対する捉え方を変えなければならない。そのことが慧牙にしてみると、自身でもよく分からなかったが、ひどく落胆せざるをえなかったのである。
「ケイガ、これには深い事情があるんです」
「深い事情って、なんだよ…」
二人の会話を聞いていたセヴェリが部屋の中央に置かれている椅子に座って、繕い物をしながら話に加わってきた。内心、何が深い事情だと思いながら聞き返す。
「小さい頃はすごく仲の良い兄弟だった。だけど、あることがきっかけでヒューゴ様は弟であるレイヴィルさんを憎むようになってしまった」
「あることって?」
「それは女王が関係しててさ、この話は大っぴらには話せないタブーなんだけど…」
今度は剣の手入れをしていたターヴィが話に入ってきて、続けて話そうとしていたセヴェリの言葉を奪ってしまった。
「ターヴィ、セヴェリ。ケイガにおかしなことを吹き込まないでください」
ターヴィが言いかけたその時、途中でイノアが少しきつめの口調で言葉を遮ってしまった。結局そのままセヴェリもターヴィも言い出しにくくなったのか、それぞれの作業に戻ってしまった。慧牙は途中まで聞いた話の続きが気になったが、イノアから「のちのち話します」と言われてしまい、さっぱり分からないままに会話は終了してしまった。
レイヴィルの兄であるヒューゴが相当弟を憎んでいる事は、先ほどの中庭での一件でよく分ったが、なぜそこまでヒューゴがレイヴィルを憎むようになったのか。どうしていつも厳しい言葉で反撃してくるレイヴィルがああも大人しく言われるがままになっていたのか。頭をどう捻っても慧牙は答えを見つけ出すことはできなかった。だけどひとつだけ確信できることはあった。レイヴィルは人を腹立たせることにかけては一流だが、根はやさしく、とても頼りになる存在であることは確かだと判断していた。
そういえばさっき、あいつがやけに早足だったのは、兄さんに出会いたくなかったからか?
「…そういうことか」
慧牙は一人で納得すると、窓際に両手をつけて身を乗り出すように綺麗な緑で覆われた村を眺めた。
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