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第五話 家族
しおりを挟む『……』
誰かが話しているかのような音が微かに聞こえる。声といっていいのだろうか。人間のような何か機械的のような異様な声だった。なんと言っているのかは分らない。けれども、その声は自身に向けられているような感覚、がした。その途端、慧牙の足元から頭へと寒気がザザザと駆け上がった。無数の虫が全身を這うような感覚に両肩を震わせる。頭の中で警告が鳴り響いた。
「誰だ!」
恐怖に負けるのが嫌で、慧牙は自分を律するように大声を上げて振り返った。そして、先ほど見た夢を思い出す。夢で聞こえた声は、実際に聞こえていた声だったのか? それであんな夢を見たのか? ダウンジャケットのポケットに持っていた髪飾りをしまい込むと、部屋の入口の方を睨みつけながらゆっくりと近づいていった。
――もしかして、空き巣か!?
留守だと思い込み、家の中に侵入してきたのかもしれないと慧牙は思った。咄嗟に高価そうな髪飾りをポケットへ隠すようにしまいこむ。警戒しながら部屋から出ると、素早く辺りを見回す。ひるむ様子もなく、慧牙は二階の部屋を全てチェックし始めた。そして、誰もいないと分かると階段を降りようとした時。
『……!』
再び声が聞こえてきた。先ほどよりもはっきりとした声だった。けれどもやはりなんと言っているのは分らない。慧牙は軽く頭を振ると、耳に手を何度か強く押し当てた。
『……』
声は何故か、頭の中に直接響いてくる感覚だった。その感覚に堪らなくなり、慧牙は物凄い勢いで階段を駆け下りる。そしてそのままの勢いでリビングのドアを荒々しく開けた。
「てめぇは誰だっ! 一体なんなんだよっ、さっきからうるせぇな!!」
空き巣かもしれない、という考えはとうに消え去っていた。頭の中に響く異様な声の恐怖心から逃れたい一心での怒鳴り声だった。慧牙は頭を手で押さえながら、ソファや棚を蹴り、どこに向けていいのか分らない怒りをぶちまけ始めた。その間も、頭の中で声が響いている。とうとう絶えられなくなり、慧牙は家を出ようとリビングのドアに手をかけたときだった。
「慧牙!」
「うあっ!」
心臓が危うく止まりかけた。ドアを開けた途端、目の前に男が立っていたのだ。慧牙よりも少し背の高い男は、笑顔で慧牙の名を呼ぶ。
「ちゃんと帰ってきたか! 久しぶりだなぁ!」
嬉しそうに男は手に持っていた荷物を床に置くと、久しぶりだとばかりに慧牙を強く抱きしめて喜んだ。
「なっ、将! お前家にいたのかよ!? さっきから変な声だして俺をからかってたのはてめーか!?」
突然、目の前に現れた同い年の兄弟である将を嫌そうに引き離すと、慧牙は先ほどまで味わされた恐怖の怒りを将にぶちまけはじめた。
「おい、何のことだ?」
「何じゃねーよ! てめーさっきから隠れて変な声だしてたろが。俺が家に帰んないからって嫌がらせしてたのか!?」
慧牙は将の着ているコートの襟を掴みながら、今にも殴りそうな勢いで文句を垂れ始めた。けれども将はそんな慧牙に動じることもなく、相変わらず嬉しそうな顔をしながら質問に応じた。
「俺はたった今帰ってきたんだぞ? そしたらけいの声がリビングの方から聞こえてきて、ドアを開けようとしたらご対面って訳だ。別に隠れてなんかなかったし、俺がけいをからかう訳ないだろ? からかうのは親父か琉牙だろ」
ハハハと笑いながら将は慧牙の手をどける。床に置きっぱなしになっていた紙袋を持つと、そのままキッチンの方へと向かった。
「それよりけい、思ったより早く帰ってきてたんだな。俺はてっきり夜に帰ってくると予想してたんだけど。……その様子じゃホームシックって感じだな」
「ばっ……!」
「何も言うなっ。お前が戻りたくなったら、いつでもここに戻ってきていいんだぞ! なんなら今日から戻るか?」
将は幾分真顔で慧牙の両肩を勢いよく叩いた。
同い年のせいか兄弟の中で一番慧牙と仲のいい将。すぐカッとなる慧牙に対していつも適度な距離を保ち、やさしく接してきた。慧牙にとって、居心地のいい存在であった。
「ざけんな! 誰がこんな家に戻るかよっ、馬鹿じゃねーの? 俺は一人で暮らすほうがむいてんだよ。もうガキじゃねぇのになんで実家に住まなきゃいけねーんだよ。お前も早く自立しろよ、大学生だからって親に甘えてんじゃねーよ。和哉もだ、あいつ一番上なのに、バイトもしねーで勉強ばっかして二十歳越えてんのに未だに親父の世話になりやがって馬鹿じゃねーの!?」
慧牙は兄弟達に対して思っていたこと捲したてると、リビングのソファにどっかりと腰を降ろしてテレビのリモコンを手に取った。
リビングとキッチンの間には引き戸があり、普段その引き戸は開けっ放しにされている。キッチンにいた将は慧牙の嫌味を鼻歌混じりに聞き流していた。そして買ってきたものをしまい終えると、慧牙の横に座った。
「なぁ、無職になっちまったんだし、一旦家に戻ってきたらどうだ? また仕事見つかるまでの間だけでもさ。それか、まだこれからでも遅くないんだから大学……受けてみないか?」
「はぁ!? 家に戻れってんならまだしも大学行けだと? なにふざけたことぬかしんてんだよ。大学なんか行きてぇなんて思ったこともない。それに、俺頭悪いの知ってるだろが。何馬鹿なこと言ってんだよ」
慧牙は将の言葉に唖然とさせられた。幼い頃から他の兄弟達と比べて格段に成績が悪かった。慧牙はとうの昔から分りきっているはずのことを言う将に、疑うような目つきをしながら浅く座り直した。
――こいつ、俺が家を出てから俺の頭の悪さを忘れてしまったのか?
家族の中で一番自分のことを知っていると思い込んでいたのは間違いで、将も大概自分のことは忘れたのかと少々落胆してしまう。
「けいは頭悪くないだろう。ただ勉強してこなかっただけで、きちんと勉強すればそれなりの大学に行けるはずだ。…なぁ、ほんとに戻ってこないか? そして勉強しよう。俺が教えてやるから。それに兄弟で一番頭のいい和哉も頼めば教えてくれるぞ? あいつ文系科目はかなり成績いいし、俺は理系得意だし、英語は琉牙得意だしさっ……」
「俺は大学なんか行かねーし、家にも戻らねー! なんで俺が琉牙に勉強教えてもらわなきゃなんねーんだよ! 馬鹿馬鹿しい!」
琉牙の名前が将の口から飛び出した途端、慧牙は急に不機嫌な顔つきになると、将から遠ざかるようにキッチンへと逃げていった。なんであいつに勉強教えてもらわなきゃならねぇんだよっ! 絶対嫌だ! なんで琉牙に。くそっ、なんで俺家に戻ってんだろ。ここに帰ってきたら、あいつと嫌でも顔会わせるはめになるのに。深夜に突然かかってきた将の電話にでなければよかった。例え電話に出たとしても帰ってこなければよかった。将や和哉、親父と会うのはいいが、琉牙とは出来れば会いたくない慧牙であった。なのにどうして、ここに来たのだろう。慧牙は自身の矛盾する気持ちと行動に嫌気をさしながらも、会いたくない弟に必然的に会うことになってしまった今の状況を恨んだ。
——夕方。
将は慧牙の誕生日のお祝いをする為に、たくさんの食料を買い込んできていた。テーブルの上に使う予定の食材をみて、慧牙は何を作るのか尋ねるとおもむろに野菜を洗い始めた。白野家には母親がいない。慧牙と琉牙が家族としてこの白野家に住み始めてから、自然と慧牙が食事や家の事を行うようなっていた。それは慧牙は幼いころから病弱でよく学校を休んでいたのも理由の一つだった。慧牙も料理するのは嫌いではなかったようで、自身はあまり食べないものの、誰かに作った料理を食べてもらうのが好きなようであった。しかし慧牙が家をでてからは、将が主に家の事を行うようになっていた。先ほどのやり取りの最後に、"とにかく俺は家に戻らねぇから!"と最後には啖呵を切った慧牙の様子を見て、将らホッとしたような溜息をついた。慣れた手つきで包丁を握る慧牙の後からそっとエプロンを付けさせると、将は慧牙が切った食材で料理し始めた。
「こんな感じでいいのか?」
「うん、そんな感じ。さすがけいは上手いな」
「ずっとやってたんだから当たり前だろ、何を今更……」
軽快なリズムでネギを輪切りにしていた慧牙はつっけんどんに返事をする。
「ネギ終わったら、トマトとアボカドも切ってくれ。サラダ用にな」
「はいはい」
「切ったら、テーブルの上に出してあるボールに全部入れてくれ」
「はいはい」
やる気のなさそうな声を出しながらも、慧牙は素直に将の言われた通り他の食材も切り始めた。
料理の支度が出来た頃、玄関の方から父親の声が聞こえてきた。
「今帰ったぞー、おっ、けい、帰ってきたんだな。玄関に見慣れない靴があったから、お前だなと思ったらやっぱりそうだったか。元気にしてたか?」
「……あぁ」
約一年振りに会う父親は最後に会った時と変わっていなかった。白髪交じりの短い髪に積もった雪を振り落としながらキッチンに入ってくる。実の父親ではないが、幼い頃からずっと一緒に暮らしてきた。慧牙の短気な性格も、病気がちなことも全て受け入れて、実の子供と全く同じように接してきた。慧牙もまた、実の父親のように慕っていた。チラッと父親の姿を見ると、すぐに顔を背けて食器を並べ始めた。表面上は素っ気無い慧牙だったが、元気そうな父親の姿を見て心の中では安心していた。
「どうだ? 仕事のほうは順調なのか? 毎日明け方近くまで仕事しているんだろう? 昼夜逆転の生活は身体に支障ないのか?」
「親父! こんなとことで雪払うなよっ、床が水浸しになるだろ。払うなら玄関で払ってこいよ」
慧牙に話しかける父親の言葉を遮るように、床に落ちた雪を見つけた将は普段あまり出さない大きな声で父親を嗜めると、急いで雑巾を取りに行く。
「おぉ、すまんすまん。つい癖でな」
「そんな癖あるかよ、それよりほら! 肩にも雪ついてんじゃないか。早く玄関行けって」
「わかった、わかったよ」
将にキッチンから追い払われて、父親は渋々玄関のほうへと戻っていった。その様子を見ていた慧牙は先ほどの父親の問いに答えなくて済んだと思い、軽く溜息をついた。
「全く子供じゃないんだから、いい年して毎度毎度同じ事を言わせるなよ。あぁ、それとけい」
雑巾で雪を集めて拾い上げた将はそのまま洗面所に雪を捨てに行かず慧牙に話しかけた。
「お前クビになったことの言い訳、今のうち考えてとけ」
「あ……あぁ、わかった」
今日、家に戻らなければ聞かれることもなかっただろう。顔を合わせれば親父達が仕事のことを聞いてくるのは当然だった。改めて家に帰ってきたことに慧牙は後悔していた。別に順調だ、と嘘を言ってしまえばいいとも思ったが、あまり嘘が得意ではない慧牙にとっては面倒なことだったので、将に言われた通り上手い言い訳を考え始める。
「いやー、まだ雪降ってるから、和哉達が帰ってきたら雪かきしないとならんな。お、すごい料理だな! これは旨そうだ」
「けいほどじゃないけど、俺が作ったんだから旨いさ。でもまだ食べたら駄目だからな。和哉と琉牙が帰ってきてからだよ」
父親が玄関で雪を払い終わって戻ってくると、先ほどの質問も一緒に払ってしまったのか、慧牙なりに一生懸命考えていた話は豪勢な料理に変わった。慧牙は胸を撫で下ろすとリビングに移動した。
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