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第1章
§10 旅立ちの春
しおりを挟む俺がゼフィロス王国へ出立したのは戦いの三日後だった。
グレン様にはもっとゆっくり準備していいのにと言われたが、スフェーンでお世話になった人たちへ挨拶して荷物をまとめるのにも十分な時間があった。
何より、せっかくなのでグレン様と一緒にゼフィロス王国へ行きたかったのだ。本人に知られるのは気恥ずかしくて、口にはしなかったが。
馬車に乗って城を出発し、王都へ出ると民たちが花を降らせながら別れの言葉と祝いの言葉をかけてくれた。
馬車の窓を開けると、春の日の光と、色とりどりの花の芳しい香りが流れ込んできた。
隣国だし早駆けは得意だから俺個人としては離れるという気持ちは薄いのだが、こうして気にかけてくれる民が多いのは素直に嬉しいと思った。人々の温かい祝福の言葉に、目頭が熱くなる。
この国を守り抜いたことへの誇りと、新しい場所へ向かう決意が、胸の中で混ざり合った。
温かい門出となり、今は国境に向けて順調に進んでいる。
馬車の揺れは心地よく、外から聞こえる蹄の音と隊列の静かな進行音が、新しい旅の始まりを告げているようだった。
俺は馬車の中で何をしているかというと、ゼフィロス王国に関する資料を頭に叩き込んでいる。国交がほぼ無かったのでゼフィロス王国に関しては知らないことが多い。
先ほどから「え!」だの「は~なるほど~」だの独り言を漏らす度にグレン様が資料を覗き込んで「それはだな」と説明を挟んでくれる。
「すみません、移動中に」
「構いませんよ。ただライゼル王子こそ無理はなさらず」
「はい!」
ふと、自分の呼び方に違和感を感じる。
「グレン様。私はグレン様の伴侶になるので、王子と呼ばれるのには少々違和感があるのですが……」
「……確かにそうですね」
「どうぞ気軽にお呼びください」
「ライゼル、と?」
「えぇ、きっとお互いすぐに慣れますよ」
慣れるかどうか甚だ疑問だと内心思いながら嘘を言った。時間が解決してくれると思いたい。
「あなたは嘘が苦手なのですね」
「……そういえば、お前に腹芸は無理だと兄達に言われていました」
隠し事ができない性質は、兄たちだけでなく、この方にも筒抜けらしい。
ふ、と笑ったグレン様に顔が熱くなる。精悍な顔つきの方が柔らかく笑うと不意を突かれたような気持ちになる。
「ライゼル王子も、早く私のことを気安く呼んでください」
「頑張ります……」
「隣に行っても?」
「えぇ、もちろんです」
グレン様が俺の左隣に座る。彼の逞しい身体が、すぐ横にある。一気に増した体温と、かすかに香るお日様のような匂いに意識が集中してしまう。
馬車が揺れるたびに、二の腕や肩が微かに触れ合う。その度に俺の心臓は少し速くなる。
その後も俺が疑問を持つと隣から優しい声が降ってきて、時折身を寄せながら丁寧に教えを説いてくれた。
ありがたく聞きながら、ふと気になったことを尋ねてみる。
「貴族制度などはスフェーンと変わりませんか?」
「えぇ。ただ、旧王族を敬う貴族と新しい実力主義の王制に賛同する貴族とで軋轢があります。もうそろそろ制度が変わって50年が経つと言うのに勘弁してほしいと思っていますが」
「なるほど、そうだったのですね」
「もしかすると、旧王族一派の貴族共があなたにちょっかいをかけてくるかもしれません。何かあればすぐに相談してください」
「分かりました」
どこの国でも同じようなことは起こるものだなと思う。スフェーンの貴族は比較的穏やかだが、いざこざが起きる時もある。
要は、俺が有用な人間だと認めてもらえればいいのだ。己で証明していくしかない。グレン様の手を煩わせるようなことはしたくない。自分の力でこの立場を確立したい。
「今、自分が頑張って認めてもらえるようにしようと思いませんでしたか」
「な、何故お分かりに……」
「顔に出ていますよ。認めるも何もないのですから気に病まないでください。……とは言っても、あなたには難しいことはお兄様達とお話しして少しは分かっているつもりですが」
少し困った顔で俺の顔を覗き込むグレン様。俺は相当に分かりやすいらしい。
グレン様も兄さん達の前で俺を籠の鳥扱いはしないと明言していた手前、強く反対するつもりはないようだけれど。
俺の独立心を尊重しつつ、同時に俺を心配している。その優しさが、じわりと胸に染み渡った。なるべく心労をかけないようにしようと自分に言い聞かせるのだった。
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