9 / 35
アリスティードの恋人 04
衣装やアクセサリーを見るために、ネージュの部屋を訪問したジャンヌは、クローゼットの中を楽しげに物色している。
初対面の時から可愛らしい人だったが、上質なドレスをまとい、専属の侍女の手で磨きあげられた彼女は更に綺麗になった。
ジャンヌに付けたのは、侯爵家への忠誠心が高く、公正に彼女に接する事ができそうな使用人を選抜した。
イレーヌ夫人からは、なんとかうまくやっていると報告を受けている。
「こちらをお借りできますか?」
ようやく心が決まったのか、ジャンヌは五着のドレスを選び出していた。
それらはどれも華やかな色味で、マルセルが亡くなってからは、なんとなく憚られて袖を通していないものばかりだった。
「どうぞ。よろしければそちらは差し上げます」
クローゼットの中に埋もれているよりも、活用してくれる人に着てもらう方がいい。
そう思ったのでネージュはドレスをジャンヌに譲る事にした。
「ありがとうございます!」
ジャンヌはぱあっと顔を輝かせた。
溌剌として表情がくるくると変わる彼女は、明るく、愛嬌があってとても魅力的な女性だ。
ギュッとドレスを抱き締めると、まだ言いたい事があるのか、彼女は上目遣いでネージュを見つめてきた。
「えっと、ネージュ様、厚かましいついでにお願いがあるんですが……いつも着けていらっしゃるブローチ、素敵ですよね」
「これですか?」
ネージュは胸元に身に着けたアクアマリンのブローチに触れた。
「はい。このミントグリーンのドレスと合わせると絶対素敵だと思うんです! お借りできませんか……?」
「……!」
嫌だ、と反射的に思ってしまった。
ネージュの名前――古語で『雪』を表す言葉にちなんで作られた、雪の結晶を模した銀の台座のブローチは、マルセルが成人の祝いにとあつらえてくれたものだ。
しかも、中央に埋め込まれたアクアマリンは、ネージュの瞳と同色の石を、かなりの時間をかけて探してくれたと聞いている。
一番思い入れのあるアクセサリーだから、常日頃から身につけていた。
あまり人の気持ちを察するのが得意では無いネージュにもさすがにわかる。ジャンヌは悪意を持ってこのブローチを取り上げようとしているに違いない。
(……でも、侯爵家のものは、全てアリスティード様のものだわ……)
そしてアリスティードの資産を自由にする権利があるのは、彼が選んだ女性であるジャンヌだ。
ネージュは屋敷を出る時には、全ての価値あるものを手放して、最低限の荷物だけ持っていくつもりだった。
(どうして失念していたのかしら……。これも『価値あるもの』だわ……)
きっと無意識に考えないようにしていたのだ。
ネージュは目を閉じて深く呼吸した。
ジャンヌに貸したら、おそらくもう手元に戻ることはないだろう。
(ううん、予定より早く手放すだけ……)
「やっぱりダメですか? 宝石のブローチなんて高価ですもんね……」
葛藤していると、ジャンヌは悲しげにネージュから目を逸らした。
「いえ、大丈夫です。どうぞお持ち下さい」
ネージュはそう告げると、ブローチを外してジャンヌに差し出した。
「ありがとうございます! わあ、綺麗ですねぇ……」
ジャンヌはブローチを窓から差し込む光にかざすと、子供のようにはしゃいだ。
(これでいいのよ)
ネージュは軽くなった胸元に手を当てると、心の中でつぶやいた。
アリスティードの恋人である彼女は、いつか彼の子を産むだろう。
そうすれば、ブローチは彼の――マルセルの血を引く子供に受け継がれていくはずだ。
(私が持つより、その方がずっといいわ)
ネージュは自分の中でそう結論付けると、頑張って口角を上げて笑顔を作った。
「あの、ジャンヌさん、お伝えしたい事があります」
「何ですか?」
ジャンヌはこちらを見ると、きょとんと首を傾げた。
「視察の事です。ご不快かもしれませんが、私の侍女に扮して頂けるならお連れできると思います」
「侍女ですか……? でも、ネージュ様にはミシェルが……。あの使用人も一緒に行かれるんですよね……?」
ジャンヌは顔を曇らせた。ミシェルは彼女への敵意を隠そうとしないから無理もない。
「ご安心ください。ジャンヌさんが同行される場合、彼女は連れていきません」
ちなみに現在もミシェルは不在だ。用を言いつけてこの部屋から引き離した。
きっと戻ってきて、アクアマリンのブローチを貸した事に気付いたら、烈火のごとく怒るに違いない。
「あの人がいないのなら……」
了承してくれたので、ネージュはホッとした。
アリスティードと新婚夫婦のフリをするのは気まずいし、ジャンヌに悪いと思っていたからだ。
初対面の時から可愛らしい人だったが、上質なドレスをまとい、専属の侍女の手で磨きあげられた彼女は更に綺麗になった。
ジャンヌに付けたのは、侯爵家への忠誠心が高く、公正に彼女に接する事ができそうな使用人を選抜した。
イレーヌ夫人からは、なんとかうまくやっていると報告を受けている。
「こちらをお借りできますか?」
ようやく心が決まったのか、ジャンヌは五着のドレスを選び出していた。
それらはどれも華やかな色味で、マルセルが亡くなってからは、なんとなく憚られて袖を通していないものばかりだった。
「どうぞ。よろしければそちらは差し上げます」
クローゼットの中に埋もれているよりも、活用してくれる人に着てもらう方がいい。
そう思ったのでネージュはドレスをジャンヌに譲る事にした。
「ありがとうございます!」
ジャンヌはぱあっと顔を輝かせた。
溌剌として表情がくるくると変わる彼女は、明るく、愛嬌があってとても魅力的な女性だ。
ギュッとドレスを抱き締めると、まだ言いたい事があるのか、彼女は上目遣いでネージュを見つめてきた。
「えっと、ネージュ様、厚かましいついでにお願いがあるんですが……いつも着けていらっしゃるブローチ、素敵ですよね」
「これですか?」
ネージュは胸元に身に着けたアクアマリンのブローチに触れた。
「はい。このミントグリーンのドレスと合わせると絶対素敵だと思うんです! お借りできませんか……?」
「……!」
嫌だ、と反射的に思ってしまった。
ネージュの名前――古語で『雪』を表す言葉にちなんで作られた、雪の結晶を模した銀の台座のブローチは、マルセルが成人の祝いにとあつらえてくれたものだ。
しかも、中央に埋め込まれたアクアマリンは、ネージュの瞳と同色の石を、かなりの時間をかけて探してくれたと聞いている。
一番思い入れのあるアクセサリーだから、常日頃から身につけていた。
あまり人の気持ちを察するのが得意では無いネージュにもさすがにわかる。ジャンヌは悪意を持ってこのブローチを取り上げようとしているに違いない。
(……でも、侯爵家のものは、全てアリスティード様のものだわ……)
そしてアリスティードの資産を自由にする権利があるのは、彼が選んだ女性であるジャンヌだ。
ネージュは屋敷を出る時には、全ての価値あるものを手放して、最低限の荷物だけ持っていくつもりだった。
(どうして失念していたのかしら……。これも『価値あるもの』だわ……)
きっと無意識に考えないようにしていたのだ。
ネージュは目を閉じて深く呼吸した。
ジャンヌに貸したら、おそらくもう手元に戻ることはないだろう。
(ううん、予定より早く手放すだけ……)
「やっぱりダメですか? 宝石のブローチなんて高価ですもんね……」
葛藤していると、ジャンヌは悲しげにネージュから目を逸らした。
「いえ、大丈夫です。どうぞお持ち下さい」
ネージュはそう告げると、ブローチを外してジャンヌに差し出した。
「ありがとうございます! わあ、綺麗ですねぇ……」
ジャンヌはブローチを窓から差し込む光にかざすと、子供のようにはしゃいだ。
(これでいいのよ)
ネージュは軽くなった胸元に手を当てると、心の中でつぶやいた。
アリスティードの恋人である彼女は、いつか彼の子を産むだろう。
そうすれば、ブローチは彼の――マルセルの血を引く子供に受け継がれていくはずだ。
(私が持つより、その方がずっといいわ)
ネージュは自分の中でそう結論付けると、頑張って口角を上げて笑顔を作った。
「あの、ジャンヌさん、お伝えしたい事があります」
「何ですか?」
ジャンヌはこちらを見ると、きょとんと首を傾げた。
「視察の事です。ご不快かもしれませんが、私の侍女に扮して頂けるならお連れできると思います」
「侍女ですか……? でも、ネージュ様にはミシェルが……。あの使用人も一緒に行かれるんですよね……?」
ジャンヌは顔を曇らせた。ミシェルは彼女への敵意を隠そうとしないから無理もない。
「ご安心ください。ジャンヌさんが同行される場合、彼女は連れていきません」
ちなみに現在もミシェルは不在だ。用を言いつけてこの部屋から引き離した。
きっと戻ってきて、アクアマリンのブローチを貸した事に気付いたら、烈火のごとく怒るに違いない。
「あの人がいないのなら……」
了承してくれたので、ネージュはホッとした。
アリスティードと新婚夫婦のフリをするのは気まずいし、ジャンヌに悪いと思っていたからだ。
あなたにおすすめの小説
つまらない妃と呼ばれた日
柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。
舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。
さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。
リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。
――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。
あなたへの愛を捨てた日
柴田はつみ
恋愛
公爵夫人エステルは、冷徹な夫レオニスを心から愛していた。彼の好みを調べ、帰宅を待ちわび、献身的に尽くす毎日。
しかし、ある夜会の回廊で、エステルは残酷な真実を知る。
レオニスが、未亡人クラリスの手を取り囁いていたのだ。
「君のような(自立した)女性が、私の隣にいるべきだった」
エステルは悟る。自分の愛は彼にとって「重荷」であり、自分という人間は彼にとって「不足」だったのだと。その瞬間、彼女の中で何かが音を立てて砕け散る。
婚約破棄のあと、あなたのことだけ思い出せない
柴田はつみ
恋愛
伯爵令嬢セシリアは、王宮の舞踏会で王太子レイヴンから公開の場で婚約破棄を言い渡され、その場で倒れた。
目覚めた彼女は、礼儀も常識も覚えているのに――ただ一つ、レイヴンだけを思い出せない。
「あなたは、どなたですか?」
その一言に、彼の瞳は壊れた。
けれどレイヴンは何も語らず、セシリアを遠ざける。彼女を守るために、あの日婚約を捨てたのだと告げられないまま。
セシリアは過去を断ち切り、王宮の侍女として新しい生活を始める。
優しく手を差し伸べる護衛騎士アデルと心を通わせていくほど、レイヴンの胸は嫉妬と後悔で焼けていった。
――守るために捨てたはずなのに。忘れられたまま、他の男に笑う彼女を見ていられない。
一方、王宮では“偽聖女”の陰謀と、セシリアの血に眠る秘密が動き出す。
記憶を取り戻せば、彼女は狙われる。取り戻さなければ、二人は永遠に届かない。
これは、忘れてしまった令嬢と、忘れられてなお愛を捨てられない王太子が、もう一度“選び直す”恋の物語。
二年間の花嫁
柴田はつみ
恋愛
名門公爵家との政略結婚――それは、彼にとっても、私にとっても期間限定の約束だった。
公爵アランにはすでに将来を誓い合った女性がいる。私はただ、その日までの“仮の妻”でしかない。
二年後、契約が終われば彼の元を去らなければならないと分かっていた。
それでも構わなかった。
たとえ短い時間でも、ずっと想い続けてきた彼のそばにいられるなら――。
けれど、私の知らないところで、アランは密かに策略を巡らせていた。
この結婚は、ただの義務でも慈悲でもない。
彼にとっても、私を手放すつもりなど初めからなかったのだ。
やがて二人の距離は少しずつ近づき、契約という鎖が、甘く熱い絆へと変わっていく。
期限が迫る中、真実の愛がすべてを覆す。
――これは、嘘から始まった恋が、永遠へと変わる物語。
夫が運命の番と出会いました
重田いの
恋愛
幼馴染のいいなづけとして育ってきた銀狼族の族長エーリヒと、妻ローゼマリー。
だがエーリヒに運命の番が現れたことにより、二人は離別する。
しかし二年後、修道院に暮らすローゼマリーの元へエーリヒが現れ――!?
冷徹公爵の誤解された花嫁
柴田はつみ
恋愛
片思いしていた冷徹公爵から求婚された令嬢。幸せの絶頂にあった彼女を打ち砕いたのは、舞踏会で耳にした「地味女…」という言葉だった。望まれぬ花嫁としての結婚に、彼女は一年だけ妻を務めた後、離縁する決意を固める。
冷たくも美しい公爵。誤解とすれ違いを繰り返す日々の中、令嬢は揺れる心を抑え込もうとするが――。
一年後、彼女が選ぶのは別れか、それとも永遠の契約か。
白い結婚のまま、旦那様は薔薇のような美人に夢中になりました
柴田はつみ
恋愛
伯爵令嬢リディアは、美貌で有名な侯爵レオンハルトに嫁いだ。
けれど結婚して二年、夫婦は一度も結ばれないまま――白い結婚だった。
それでも旦那様は優しかった。
冷たいわけではない。気づかいの言葉も、穏やかな笑顔もくれる。
だからリディアは、愛されてはいなくても、いつか少しは夫婦になれるのではないかと信じていた。
そんなある日、彼女は知ってしまう。
旦那様が薔薇の君と呼ばれる絶世の美女に心を奪われていることを。
彼が触れなかったのは私にだけだったのだと。
都合のいい奥方として、役に立っていたと悟る
静かに離縁を決意したリディアは、実家へ戻ったあと、女子学院で働き始める。
すると侯爵夫人時代には当たり前だった実務のすべてが、外では驚くほど必要とされていた。
感謝され、認められ、自分の足で立ち始めた彼女は、少しずつ見違えるほど美しくなっていく
【完結】20年後の真実
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。
マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。
それから20年。
マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。
そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。
おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。
全4話書き上げ済み。