【R18】氷の悪女の契約結婚~愛さない宣言されましたが、すぐに出て行って差し上げますのでご安心下さい

吉川一巳

文字の大きさ
17 / 35

絡まる思惑 01

 アリスティードは、エリックが待機する部屋へと移動すると、ネージュが意識を取り戻したことを報告した。

 するとエリックはほっと息をつく。

「良かった……」

 そして、アリスティードに頭を下げた。

「ネージュ様に付いて下さってありがとうございました。ほとんど眠られていないのではありませんか?」

 アリスティードは首を振った。

 周囲の「休んで下さい」という声を振り切ってネージュの傍にいたのは、ただの自己満足だ。
 自分が無傷で生還できたのは、彼女のお陰と言っても過言ではない状況だったから、どうしても何かしたかった。

「……まさかネージュに銃が扱えるとは思わなかった」

 それだけでなく彼女は人を撃った。
 厳しい訓練を受けた兵士でも、敵兵を目の前にして躊躇なく実弾を撃ち込める者は実は一握りだ。

 銃は重い。銃自体の重量もさることながら、引き金を引くと、強い反動がくる。
 手元で火薬が爆発し、とんでもないエネルギーが銃口から射出されるのが感覚でわかるのだ。それが人に当たったらどうなるのかも。

 過去の戦争において、前線に送り込まれた兵士の銃使用率は二割以下だったと聞いた事がある。
 銃は人を殺すために最適化された道具だ。だから、生半可な覚悟では人に向けては撃てない。

「護身術の訓練の賜物ですね。ネージュ様はあの容姿ですから、嫌な思いや危険な目に遭われる事が多々ございました」

 エリックはどこか物憂げな様子で発言した。

「………………」

 ネージュから聞いたばかりの壮絶な過去を思い出し、アリスティードは沈黙した。

「体の傷痕の話を聞いた。子供の頃の……」

 ぽつりと告げると、エリックは目を見張った。

「そうですか。ダニエル様の事をお話しになられたのですか……」

「……さっき多々って言ったよな。マルセル爺さんに引き取られた後も何かあったのか?」

「はい。攫われかけたり、物陰に連れ込まれそうになったり……。上流階級の子女には珍しい事でもないのですが」

 そう告げると、エリックはため息をついた。

「………………」

 ネージュが感情表現に乏しいのは、恐らく過去の経験のせいだ。

 ここに来るまで腹を割って話してくれなかったのも、どこか自己肯定感が低く見えるのも、その生い立ちが原因に違いない。

 あれだけネージュがマルセルを慕っているという事は、祖父は大きな愛情で彼女を包み込み癒したのだろう。

 その想いの強さは、マルセルの話をする彼女の顔からも明らかだ。
 表情の変化に乏しい人物なのに、あの時の彼女は――。

「……俺は、思い込みであの人を誤解していたんだな」

 アリスティードはネージュの顔を思考の中から追い出しながら、小さな声でつぶやいた。

 エリックは、何度も辛抱強くネージュの噂を否定し、本質を見て欲しいと説き伏せてきた。
 その彼の前で非を認めるのは恥ずかしかった。

「ネージュ様に対する世間の噂が酷いのは承知しております。元が孤児であのお顔立ちなので、嫉妬があの悪評に繋がったのかと……」

 侯爵家にやってきてからのアリスティードには、様々な負の感情が向けられた。

 様々な種類のものがあったが、その中には、女中から生まれた庶子でありながら、美しい花嫁とレーネ侯爵家を手に入れた事に対する嫉妬が含まれていたのを思い出す。
 それをアリスティードに最もあからさまに向けてきたのは、結婚式に現れたフェリクス王子だ。

「……エリック、一つ確認しておきたい事があるんだ」

「何でしょうか?」

「家令という立場のあなたから見て、ナゼール卿はどういう人なのか」

「ナゼール卿? 顧問弁護士の?」

 エリックはアリスティードの質問に眉をひそめた。

「法曹一家の出身で、当家とは二代に渡るお付き合いになりますね。まだお若いですが、優秀で信頼できる方ですよ」

「……エリックの目にそう見えているのなら、あいつは二枚舌の大嘘つきだ」

「えっ……」

「俺のところにマルセル爺さんの遺言を伝えに来た時、あいつ、俺に、悪女に食い物にされてる侯爵家を助けてくれって言ってきた」

 そう告げると、エリックは大きく目を見開いた。



 アリスティードがナゼールと初めて出会ったのは、当時勤務していた陸軍基地の面会室だった。

 マルセルの遺言状を携えて訪れたあの男は、侯爵家がネージュという悪女に滅茶苦茶にされていると嘆いた。そして、大恩ある侯爵家のために、ネージュを追い出して救って欲しいと。

「ジャンヌはナゼールが用意した偽物の恋人だ。悪女は人の心に入り込むのがうまいから、盾を用意しておいた方がいいって言われて……」

「なっ……」

 エリックは絶句した。

「それが本当なら性質たちが悪すぎます! ナゼール卿は一体何が目的でそんな事を……」

 つぶやいたエリックは、ハッと目を見開いた。

「ジャンヌさんは……。彼女もグルですか?」

 エリックに言われ、アリスティードは愕然とした。
 自分はジャンヌの事を何も知らない。

(そうか、グルという可能性もあるのか……)

 彼女を紹介してきたのはナゼールで、金に困っていたからこの仕事を受けたと言っていた。
 だが、こうなると、直前までお針子として働いていたという触れ込みも怪しく思えてくる。

「確認しましょう」

 エリックの発言に、アリスティードはジャンヌを視察に同行させていた事を思い出した。
 襲撃からこちら、襲撃者の素性や目覚めないネージュの心配など、考える事が多すぎてすっかりと忘れていた。

 アリスティードは、エリックと一緒にジャンヌにあてがったホテルの一室に向かう。

 しかし、そこは既にもぬけの殻になっていた。



   ◆ ◆ ◆



 ホテルの中で、ジャンヌは奥様気取りで過ごすつもりだったらしく、分不相応にも何着もの豪華なドレスや宝石を持参していた。

 それらを詰めたトランクケースも、ジャンヌ自身も見当たらない事に、アリスティードもエリックも絶句した。

「ホテルのスタッフが何か見ているかも……いや、彼女を追うだけではなくてナゼールの身柄も押さえないといけませんね。失礼します!」

 自失から立ち直ったのはエリックの方が早かった。彼はバタバタとジャンヌの部屋を退出した。

 ――襲撃の黒幕はナゼールだったのだろうか。

 一人部屋に残されたアリスティードは、呆然と立ち尽くした。



   ◆ ◆ ◆



 同時刻――。
 ジャンヌは、首都に向かう汽車の中にいた。

 逃げ出した理由は簡単だ。嫌な予感がした。
 こういう時はさっさとずらかるに限る。それを、街娼として夜の世界で生きてきたジャンヌは肌で知っている。

 視察中に襲撃事件があったとかで、急遽周囲が騒がしくなり、不安を覚えつつ待機していると、エリックに連れられてアリスティードと一緒に負傷したネージュがホテルに帰ってきた。

 不穏な気配を察知したのはこの時である。
 その時のアリスティードの様子がこれまでと違った。

 彼は、自分の寝食すら疎かにして、意識を失ったネージュに付き添い、周囲がどれだけ説得しても離れようとしなかった。

 しかも、ネージュが怪我をしたのは、命懸けでアリスティードを助けようとしたかららしい。

 そして、ネージュが運び込まれた部屋から、何かの用事があって出てきたアリスティードの顔を見かけた時、ジャンヌは確信した。
 これはダメだ、と。

 その瞬間、ジャンヌはキッパリと何もかも諦めた。そして手元にある金目の物をかき集めて逃走したのである。

 元々無理のある計画だったのだ。
 アリスティードとネージュが、何かのきっかけで対話するだけで簡単に瓦解する。
 ジャンヌはその対話を妨げるために用意された駒である。

 ネージュが好きで好きで仕方ないナゼールは、彼女の思考回路を熟知していた。

 ネージュはマルセル至上主義者だ。だから彼の血を受け継ぎ、後継者として指名されたアリスティードの為なら何でもする。

 どんな酷い言葉にも冷たい態度にも耐え、恋人を愛人として迎えたいと伝えたら受け入れ、アリスティードが幸せになる道を探すはず――。

 事は面白いほど彼の考え通りに進んだ。
 だけど襲撃事件が発生してしまった。

 強盗か、それとも何者かの意図があったのかはわからないけれど、二人揃って命の危機に直面して、距離がぐっと近付いたのは間違いない。

(がっつり稼がせてもらったから、一報だけは入れてあげようかな)

 ジャンヌは汽車の車窓から流れていく景色を見つめ、目をついっと細めた。
感想 21

あなたにおすすめの小説

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

あなたへの愛を捨てた日

柴田はつみ
恋愛
公爵夫人エステルは、冷徹な夫レオニスを心から愛していた。彼の好みを調べ、帰宅を待ちわび、献身的に尽くす毎日。 しかし、ある夜会の回廊で、エステルは残酷な真実を知る。 レオニスが、未亡人クラリスの手を取り囁いていたのだ。 「君のような(自立した)女性が、私の隣にいるべきだった」 エステルは悟る。自分の愛は彼にとって「重荷」であり、自分という人間は彼にとって「不足」だったのだと。その瞬間、彼女の中で何かが音を立てて砕け散る。

婚約破棄のあと、あなたのことだけ思い出せない

柴田はつみ
恋愛
伯爵令嬢セシリアは、王宮の舞踏会で王太子レイヴンから公開の場で婚約破棄を言い渡され、その場で倒れた。 目覚めた彼女は、礼儀も常識も覚えているのに――ただ一つ、レイヴンだけを思い出せない。 「あなたは、どなたですか?」 その一言に、彼の瞳は壊れた。 けれどレイヴンは何も語らず、セシリアを遠ざける。彼女を守るために、あの日婚約を捨てたのだと告げられないまま。 セシリアは過去を断ち切り、王宮の侍女として新しい生活を始める。 優しく手を差し伸べる護衛騎士アデルと心を通わせていくほど、レイヴンの胸は嫉妬と後悔で焼けていった。 ――守るために捨てたはずなのに。忘れられたまま、他の男に笑う彼女を見ていられない。 一方、王宮では“偽聖女”の陰謀と、セシリアの血に眠る秘密が動き出す。 記憶を取り戻せば、彼女は狙われる。取り戻さなければ、二人は永遠に届かない。 これは、忘れてしまった令嬢と、忘れられてなお愛を捨てられない王太子が、もう一度“選び直す”恋の物語。

二年間の花嫁

柴田はつみ
恋愛
名門公爵家との政略結婚――それは、彼にとっても、私にとっても期間限定の約束だった。 公爵アランにはすでに将来を誓い合った女性がいる。私はただ、その日までの“仮の妻”でしかない。 二年後、契約が終われば彼の元を去らなければならないと分かっていた。 それでも構わなかった。 たとえ短い時間でも、ずっと想い続けてきた彼のそばにいられるなら――。 けれど、私の知らないところで、アランは密かに策略を巡らせていた。 この結婚は、ただの義務でも慈悲でもない。 彼にとっても、私を手放すつもりなど初めからなかったのだ。 やがて二人の距離は少しずつ近づき、契約という鎖が、甘く熱い絆へと変わっていく。 期限が迫る中、真実の愛がすべてを覆す。 ――これは、嘘から始まった恋が、永遠へと変わる物語。

夫が運命の番と出会いました

重田いの
恋愛
幼馴染のいいなづけとして育ってきた銀狼族の族長エーリヒと、妻ローゼマリー。 だがエーリヒに運命の番が現れたことにより、二人は離別する。 しかし二年後、修道院に暮らすローゼマリーの元へエーリヒが現れ――!?

冷徹公爵の誤解された花嫁

柴田はつみ
恋愛
片思いしていた冷徹公爵から求婚された令嬢。幸せの絶頂にあった彼女を打ち砕いたのは、舞踏会で耳にした「地味女…」という言葉だった。望まれぬ花嫁としての結婚に、彼女は一年だけ妻を務めた後、離縁する決意を固める。 冷たくも美しい公爵。誤解とすれ違いを繰り返す日々の中、令嬢は揺れる心を抑え込もうとするが――。 一年後、彼女が選ぶのは別れか、それとも永遠の契約か。

白い結婚のまま、旦那様は薔薇のような美人に夢中になりました

柴田はつみ
恋愛
伯爵令嬢リディアは、美貌で有名な侯爵レオンハルトに嫁いだ。 けれど結婚して二年、夫婦は一度も結ばれないまま――白い結婚だった。 それでも旦那様は優しかった。 冷たいわけではない。気づかいの言葉も、穏やかな笑顔もくれる。 だからリディアは、愛されてはいなくても、いつか少しは夫婦になれるのではないかと信じていた。 そんなある日、彼女は知ってしまう。 旦那様が薔薇の君と呼ばれる絶世の美女に心を奪われていることを。 彼が触れなかったのは私にだけだったのだと。 都合のいい奥方として、役に立っていたと悟る 静かに離縁を決意したリディアは、実家へ戻ったあと、女子学院で働き始める。 すると侯爵夫人時代には当たり前だった実務のすべてが、外では驚くほど必要とされていた。 感謝され、認められ、自分の足で立ち始めた彼女は、少しずつ見違えるほど美しくなっていく

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。