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ため息の雨
しおりを挟むパン屋の朝は早い。
パン屋にもよるだろうが、ちひろは6時には店に出て仕込みをはじめる。
最初にフランスパンなどの固いものから食パンなどを仕込んでいき、発酵させる。
その間にあらかじめ発酵させていた菓子パンなどを焼いていく。
昔に比べ、いろいろな機械や、コンピュータで手間が省かれているといえど、
すべて一人で行っているためかなりの労働となる。
フランスパンや、食パンが焼きあがり店頭に並べる頃、
健太が学校に行くため店先に顔を出す。
「ちーたん、行ってくるね」
「ご飯は、ちゃんと食べた?宿題持った?」
「やだなぁ。ちゃんと食べたよ。それに学校に持っていくものは
さっきもう一度チェックしたよ。じゃあ、行ってきます」
小学一年生なのにやけにしっかりしているのは母親に似ている。
彼女はいつもいろんな人の世話を焼いてくれたものだった。
ちひろはヒラヒラと手を振りながら集団登校の輪の中に入っていくのを
パン屋の入り口から見送った。
「さ、お店が開くまであと2時間。がんばろ!」
腕まくりしながら自分に気合を入れた。
今日もあの人は来るのだろうか・・・・。
パンを並べながらちひろはふと思いにふけた。
数日前、ふらりと現れたスーツ姿の男。
とても甘いパンを見ているとは思えないほど厳しい表情でパンを選んでいた。
最初は立ち退きを進める会社からきた人かと思っていたが、
素直にパンが好きらしく、それ以来毎日お昼になるとパンを買いにくる。
甘いパンばかり5つも。
そんなに甘いものばかり食べてよっぽど好きなんだろう。
そしてレジに並ぶとなぜか必ず話しかけてくる。
今日は天気がいいとか。
風が強いから風邪引かないようにとか。
とても世間話をするような表情でなく、目が真剣でとてもまじめそうに天気の話をするため、
最初ちひろは驚いたが、だんだん慣れるにつれて話しかけられるのが待ち遠しくなっていた。
それに彼とその好みのギャップにあまりにも違いすぎてかわいらしいと感じていた。
そんなふうに男を思い出すたびに思わず笑みが浮かび上がっていることに
ちひろは気付いていなかった。
「ちょっと、その顔。にやけて怖いわよ」
パン屋の入り口から背の低いぽっちゃりとしたショートカットの女性が現れた。
「おはよう。にやけてなんかないから」
ちひろはぷいっと顔を背けると両頬をさすりながら店の奥に引っ込む。それを見逃すことなく
後ろから女性はついていった。
「ね、ね。なに?もしかしてなんかいいことあったの?」
「瞳。そんなこと言ってないでほら準備して」
「え~、いやだ。理由を聞かなきゃ動けませーん」
幼い頃から一緒だった瞳に対してこう言い出したら聞かないという事は十分にわかっていた。
それでもしらをとおし仕事口調を続ける。
「そんなことを言ってると給料減らしますから。ほら、準備準備」
「うちのオーナーはケチじゃないからそんなことをしないもーん」
もーんと口を尖らせて話す瞳はとても子供が3人もいるとは思えないほどかわいらしい。
はぁっと溜息吐きながらちひろは自分にもこの位かわいらしさがあればあの人にも・・・・・・・。
そこまで考えてちひろは頭をフルフルと横に振った。
なにを考えているんだろうか。
今はそれどころじゃないくせに。
問題は山ほどあるというのに。
不意に現実に戻っててきぱきと動き始めた。
その姿に、瞳は後ろから眺めふぅっと溜息を吐いた。
ちひろはまじめすぎる。
そして自分を追い込みすぎるところがある。
責任感が強いのはいいことだが、たまにそれが痛々しく見えるときがあり、
それをほぐそうとこころみるがなかなか思うように行かない。
ちひろが甘えられるような男性が現れることを誰より望んだが、
逆にしっかりしすぎて甘えてくるような男性しか近寄ってこなかったため、
どんどん強くなっていった。
でも・・・。
久しぶりに見た親友の笑顔はとても暖かい表情であったことを思い出し
瞳は希望を持った。
もしかしたらその相手がちひろの心の壁を砕いてくれるかもしれない。
そう願い瞳は店を開ける準備に取り掛かった。
「この数字は私の計算ではもう少し下がると思うのだが」
広い会議室の中で、真正面に座っていた男が静かに言った。
周りの役員たちは、慌てて手元にあった資料をのぞきこむ。
「確かに今までのやり方ではこの数字しか出ないだろう。しかし、
別の企画書を見ると20パーセントは数字が違ってくるはずだが」
男の手元には別の企画書があり、これはこの会議に出席すら出来ないまだ下っ端の
社員が出したものだった。
「社長、しかしそれでは今まで提携していたところではその数字は無理です」
「じゃあ、違うところにするまでだ」
ピシャリと冷たい口調で言い放ち、企画書をテーブルの上に投げ捨てた。
「いつまでも昔のままでいると会社はつぶれる。
悪いところは変えていかないと。数字も人事も」
その一言で皆が青くなる。
数年前に交代した先代から居座っている幹部の者達は自分達がいつ首を切られるのか
思い知らされるのであった。
「とりあえず明日の会議までもう一度数字を割り出すように。
それから守屋」
守屋と呼ばれた男は慌てて立ち上がる。
「計画はどこまで進んだ」
「それが・・・・・」
うつむきながら書類をごそごそとめくりながら慌て始めた。
そして聞えるか聞えないかぐらいの声で答えた。
「それが・・・。前回の会議で報告したことと変化がありません」
はぁっと大きな溜息を吐き、男は両手を顔の前で手を組み冷ややかな目で守屋と呼ばれた男を見つめた。
「前と同じように進めていても先に進まないことぐらいどうしてわからない。
違う方向から物事を見るという事は出来ないのか」
「しかしそれではコンセプトから外れてしまいます」
「コンセプトから外れずに違う角度から見れないのか。
それでは頭の固いどこかのジジィたちとたして変わらんぞ」
そう言い放し、守屋と呼ばれた男をしばらく眺めた。
守屋は、下を向いたまま、何も答えることなかった。
これ以上、話しても無駄だと男は理解し、司会をしていた男に目配せをして会議を終わらせ、
次の会議のために自室へ戻った。
秘書が部屋に戻りながら、昼食をとる時間出ることを告ると男は腕時計を見、
ため息をついた。
「社長。どうされましたか?」
「いや。なんでもない。今日は、時間がないから適当に何か持ってきてくれ」
「・・・・・・。かしこまりました」
いつもなら、決まってこの時間は一人で昼食をとるようになっていたが、
さすがに今日は無理らしい。
現在手がけている仕事だけではなく、会社を継続していくために方々に走っているため、
ほとんどプライベートの時間が無くなってきている。
昼食のほんの1時間だけが唯一のゆっくり出来る時間だったのに。
働きすぎである上司の体が心配で無言でじっと見つめた。
視線に気がついたのか、社長室の前で立ち止まり、振り返った。
「大丈夫だ。休息はきちんととっている。でなければ、能率もさがるからな。
この資料、たのむ」
「・・・・・かしこまりました」
深々とお辞儀をして秘書は自室に下がった。男は社長室に入りパソコンに電源を入れながら
ネクタイを緩めた。
今日は、会えないのか・・・。
一人になってもう一度溜息を吐く。
甘いものは大嫌いなくせに、何度もあのパン屋の甘いパンを買ってしまう。
最初の目的は、かたくなに立ち退きを拒んでいる女性をただ直接会って弱点を探るためだった。
下のものに任せていてもなかなか進まないため
自分が動いた方が早いと思ったのだった。
もともと、そんな仕事をしていたので苦痛ではなかった。
しかし、あの女性にあってからどうも勝手が違うと感じ始めていた。
別に女に不自由しているわけではなかった。
適当に寄って来た女性を相手に適当に遊ぶ。
それが男の恋愛の仕方だった。
忙しくて合えないと思うとますます顔が浮かんでくる。
机に座りパソコンの液晶を見つめ、もう一度深い溜息を吐き、
男は書類を手にした。
あの笑顔を見るために。
少しでも声を聞くために。
壁の時計を睨みつけ、仕事に取り掛かった。
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