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甘さに揺らめく
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放課後になった途端、すぐに貴臣が教室からいなくなってしまって、声をかけるチャンスを逃してしまった。教室を出る前に名前を呼んだのに、聞こえないふりをされた気がする。
いよいよ本気で怒らせたんじゃないかと不安に駆られていると「なんかすげぇ急いでたから気のせいじゃね?」と、呑気なタツの言葉に励まされた。放課後の教室は、どんどん人が減って静けさを取り戻していく。
「そうだよな。さすがに気のせい……」
「無視されてても、さすがに目の前に立てば話してくれんだろ」
「え、やっぱ無視されてんのかよ。タツも一緒に来て助けてくれ。なんかおごるから」
「色々お膳立てはしてやったろ。この先くらいは自分で頑張れよ。いいから、さっさと行け。おれ部活あんの」
お膳立てって何だよ、と言いかけて口を閉じる。貴臣と気まずくなって、話し合うよう場を作ってくれたのはタツだ。
「迷惑かけてごめん……」
「そういうのいらねーから、気にすんな。おれは、お前ら見てんのが面白いだけ」
あご先で教室の外を指して「泣かされてこい」とクスクス笑われた。俺はしょぼくれたまま教室を後にする。
好きだって気づかれたくないけど、嫌われるのはもっと嫌だ。わがままだろうか。
電車に揺られている間も色んな考えがあれこれかけ巡って、のろのろと家にたどり着くまでに気分はどん底まで落ちていた。
うちで一休みしたら、貴臣の家に行こう。何であっても避けていたのは事実で、そこは俺が悪いんだから腹をくくるしかない。
「ただいまー」
ドアを開けるとふわりと甘い、チョコレートの香りがした。母さんかな。
スニーカーを脱ぎながら「何か作ってんのー?」と声を張り上げて、リビングにいるであろう誰かしらに話しかける。
「ガトーショコラ作ってる。雪斗も食べるよね?」
「えっ!?」
ガタタン! っと音を立てて、うっかり玄関から転げ落ちてしまった。俺はぶつけた肘を押さえながら、貴臣を見上げる。ぱちくりとのぞく切れ長の瞳が、見開かれて真ん丸になっていた。
こうやって声をかけてくれるってことは、さっきのは本当にただ気づかれてなかっただけなのか。
張り詰めていた気が抜けた俺は思わず笑ってしまった。まだ心の準備もできてなかったのに、これから会いに行こうとしてた相手がうちにいるとは思ってもみなかった。
「大丈夫?」
「あー、ごめん。大丈夫だから気にしなくていいよ」
突然笑い出した俺に貴臣は不安そうに眉を寄せる。そりゃそうだろう。1人で転げ落ちて1人で笑ってるんだから、意味不明に決まってる。
俺からすれば、俺より先にうちにいてエプロン姿の貴臣が意味不明だ。何でその格好でうちにいるんだ。
「……悩んでたの、全部アホらしくなってきた」
膝に額をつけて、独り言ちる。はーと息を吐いて立ち上がろうとすると「ん」と、貴臣から手を差し出された。その手を遠慮なくつかんで、引き上げてもらう。
貴臣がほっとしたような顔をしたのを見て、胸がぎゅっと苦しくなった。俺の態度のせいで、手を取ってもらえないと思わせていたのかもしれない。
「雪斗は危なっかしいね」
「悪い悪い。家に貴臣いると思ってなかったから」
「おばさん、買い物に出てる。俺も一旦戻るつもりだったんだけど、雪斗がカギ持ってってないって聞いて俺が待ってた」
俺は玄関に置きっぱなしになっている自分の鍵に目を落として言った。
「確かに。今朝家出た後、鍵忘れたなと思ったんだよ。ありがとう」
「でしょ。うちのオーブン壊れてて、雪斗ん家のオーブン借りる約束してたから急いで帰ったんだけど、間に合ってよかった」
「知らなかった。俺にも言ってくれれば、」
よかったのに、までは言えずに俺は口をつぐむ。俺が貴臣を避けていたことを知っているんだから、こんな話をするのは不自然だ。自分がうちにいるとメッセージを送ったら俺が帰って来ないとでも思ったんだろう。
リビングへ一緒に行って、俺はソファに腰を下ろす。ずっと甘い香りが漂っている。貴臣はキッチンへ戻って、作業を再開したらしかった。
スマホを触るふりをしながら、俺はそっと様子を見る。貴臣が髪の毛を耳にかければ、きらりと光るピアスが目についた。あれは俺が誕生日プレゼントにあげたものだ。
やっぱ、好きだな。貴臣のこと。
その気持ちが自然と浮かんできてしまう。たぶんこれは、自覚してしまった以上はもうどうにもならない。なかったことにするのは無理だ。タツの言うとおり、認めるべきかもしれない。
認めて、気持ちを隠す方向でいけたら一番いいのかな。隠し通して、墓場まで持って行けたら。俺にはまず、相当な覚悟が必要なことへの覚悟から必要だけど、これから先も貴臣と一緒にいるにはそれしかなさそうだ。
「雪斗」と、下を向いたままの貴臣に呼ばれて返事をする。
「何?」
「見すぎ。そんなに見られても、まだ作ってる途中だからダメだよ」
「ははっ、バレてた。味見要員が必要なときは呼べよ」
貴臣がふっと口元を和らげる。
「まだもうちょっとかかるな。先にこれ飲んどく? おばさんが作ってくれて、さっきも飲んでた」
「あー、それレモネードだろ。最近ハマって、そればっか作ってんだよ」
腰を上げて、俺もキッチンの中へ入っていく。普段から使っていて広さを把握しているはずなのに、思った以上に狭く感じられた。
貴臣との距離が近い。意識すると、緩んだはずの緊張感が向こうから迫ってくる。
「炭酸もあるからって言ってたから、いるなら冷蔵庫開けてとって」
「おー、俺はそうしよっかな。貴臣は?」
「いらない」
「おー」
ぎこちない動きになりながらも、冷蔵庫を開けて炭酸水を取り出した。冷気が火照りそうな頭を冷ましてくれる。このタイミングで避けてたことを謝るべき?
それとも、タツから貴臣が俺のことを話してたのを聞いたってことで話し始めるか。何を言うのがいいか、この小さな頭の中身はすでに許容量を超えていた。
脳内で飛び交うものを何もつかめず、炭酸水を受け取り俺の分まで準備してくれる貴臣を見つめるしかできなかった。しゅわしゅわ弾ける音が聞こえる。
「はい、これ雪斗の」
「ありがとう」
一気に流し込むと舌がしびれそうなほど強めの炭酸にやられてしまった。なるべく貴臣から視線を外しつつ、ちびちび口をつける。
気まずさを感じているのは、俺だけらしい。これまで避けてたのはわかってるだろうに。貴臣は「手作りのレモネードってめっちゃうまいよな」とか「ガトーショコラ食べたら余計甘く感じそう」とか、楽しげにしゃべっている。俺はそのどれにも曖昧な反応を返すだけ。自分の部屋に戻りたくなってきた。
「――でさぁ、雪斗」
「んー?」
ソファに戻ろうと一歩踏み込んだと同時に、貴臣から肩を叩かれた。逃げようとしているのを見透かされたみたいだった。
「気になるから訊くけど」
「え、何」
「俺のこと好きなの?」
「は?」
危うく持っていたグラスを落としそうになった。俺の手よりも先に焦った貴臣の手が俺のグラスの底を支えてくれる。そのまま近くへ置いてくれた。今、何て言われた?
戻ってきた貴臣はふふっと笑って「危ないよ」と呟いた。いや、そこじゃねぇだろ。
半開きの俺の唇からは、何も言葉が出てこない。どうする? どうすればいい? 俺はなんて答えるのが正解なんだ。
「それとも俺のこと、嫌いになった?」
貴臣の落ち着いた声の中にどこかさみしさを感じられて、ぐっと俺に突き刺さる。
「そんなの……っ、なるわけねぇだろ。ずるい訊き方すんなよ」
「うん、そうだろうと思ったけど一応。じゃあ、俺のこと好きでもない?」
どうかな。と付け加えた貴臣の表情を見て、ぜんぶわかってて訊いてきているんだと理解した。素知らぬ顔で口の端を上げているくせして「避けられるようなことしたか悩んでた」と、嘘を抜かしてくる。
ぶわっと血液が沸騰したんじゃないかってくらいの熱を持って、俺の顔に集中した。顔から火が出てもおかしくない。いっそ燃えて、何も見えなくなりたかった。
なんて、現実から逃げても無駄だ。もう貴臣にはバレてる。これはわかってる顔だって、俺にはわかる。絶対、確実に俺の気持ちを知った上でからかわれてるんだ。ぎゅっと握りしめた手が少しだけ震えた。
「……す、きだよ。普通に、大事な幼なじみだし」
「そういうんじゃなくて、ちゃんと好きか訊いてるでしょ」
真っすぐ射貫くような目と合わせられなくて、揺らいでしまう。貴臣が俺の答えを待っているのだとわかっていても、はっきり言葉にするのは怖かった。息を吸って、口を開く。
目の奥にこみ上げるこれは泣きそうなのだとわかって、目を擦る。
墓場まで持って行く覚悟をするまでもなく、終わってしまった。
「貴臣が、好きだ……って、思ってる」
自信のなさが表れて、しぼんだ声になってしまった。もう引き返せない。貴臣のことだ、はっきりとした拒絶はないだろう。優しい言葉だとしても、拒絶の言葉を聞くのは怖かった。
「うん、よかった。言ってくれてありがとう」
くしゃっと頭を撫でられて、力強く引き寄せられる。この展開を考え付いたことはなくて、視線が目の前に広がる貴臣のエプロンの上をいったりきたりする。
俺が好きでいるのは構わないと思ってくれてる? このまま好きでいても、いいってことなのか。
「やっと、好きになってくれた」
「え、どういうこと?」
「どういうことだろうね?」
貴臣は流すようないい加減な答え方をした。こっちは真面目に訊いてるんだから答えてほしい。
「雪斗にわかるのかなぁ」
「ああ、そうかよ」
バカにしやがって。と、不機嫌になる俺を貴臣はたいそう満足げに微笑んで見つめてる。わかるわけねぇだろ。
貴臣がそのまま顔を近づけてくるものだから思わずぎゅっと目を閉じると、唇に重なった感触が一瞬だけあった。
目を開ければ「もうすぐ焼きあがるから座って待ってて」と、何てことなかったかのようにオーブンを確認しに行く貴臣。涙もどっかへ引っ込んでしまった。待て待て、待て! 今のは!?
「え、おま、貴臣……えっ、俺のこと好きなの!?」
「ばーか。気づくのが遅いんだよ。俺はわかりやすかったでしょ?」
「はあ!? 何だよそれ。早く言えよ。ぜんっぜんわかんねぇよ!」
貴臣から好きだって先に言われてたら、俺だってこんな時間がかかることもなかったのに。体の力が抜けていく。安堵と喜びがないまぜになって、ちょっと疲れた。
「雪斗からいつ言われるのかなって待ってたんだから、早く言って来てよ。1週間かかるとか長すぎてありえないんだけど」
意味がわからない。自分だって言わなかったくせして悪いの俺かよ。
その場で頭を抱えてしゃがみ込む。何だよこれ。俺の今までの悩みはいったい!?
「俺が貴臣のこと好きで避けてるって、すぐ気づいた?」
「当たり前でしょ。だてに長年幼なじみやってないからね。雪斗の気持ちに整理つくまでは待とうと思ったけど、俺のほうが限界だった。もう待てなかったなぁ」
ははは、と爽やかに笑う貴臣にものすごくいらっとした。完全に手のひらで転がされた!
レモンスカッシュを飲んで落ち着こうとグラスに口をつけて、さっき貴臣に触れられた感覚を思い出す。簡単にやったことじゃ、ねぇよな。
部屋に引き返して頭を抱えたいのを堪えて、唇を押さえる。貴臣はそんな俺を「そこ危ないし邪魔だよ」と邪険に扱った。仮にも俺のこと好きでやっと両想いだってわかったんなら、もっと何かないのかよ!
いまいち釈然としない。俺が好きを自覚した後の反応を見て楽しむなんて悪趣味だ。でも、そういうやつなんだよなあ、貴臣は。俺が一番よく知ってる。今さらながらに幼なじみの人間性をしみじみ振り返った。
ひょうひょうとした横顔を見て、悔しいほどに好きだなと思う。この感情を、貴臣はどのくらい持っていたんだろう。
「すぐに言わないで、俺のこと待っててくれたんだよな。ありがとう」
「……そうだね、どういたしまして」
おどけてみせる貴臣に、胸が痛んだ。
貴臣のほうが先に俺を好きだったとすると、その間ずっと貴臣はここ最近の俺みたいに悩んでいたということだ。俺は1週間、たいした時間じゃなかった。あれ、意識をしていた期間も数えるともう少し長いから、俺のが長い可能性もある?
「貴臣、いつから俺のこと好きだった?」
「んー、いつからって難しいけど、俺は小さい頃からずっと雪斗だけだったよ。それこそほら、アシカで泣いたあのときも俺の一番だった」
俺のが長いなんてちょっとでも考えたのがバカだった。貴臣はその間ずっと、自分の気持ちを押し殺してそばにいてくれたんだ。それこそ、俺から好かれてるとわかるまでは墓場まで持っていくつもりだったのかもしれない。
俺が疑うこともないくらいに自然で、いつも通りでいられるよう努力をしてくれていた。どれほど自分が大事にされていたかを思い知った。気づかなかったなんて、鈍すぎるのも大概だ。
「貴臣って、やっぱかっこいいよな」
不意打ちだったのか、優雅にレモネードを飲んでいる最中だった貴臣が思いっきりむせた。慌てて俺はその背中をぽんぽん叩く。
「ごめん、そんなつもりじゃ……」
「雪斗はどしたの、急に」
「いや、昔も今も自慢の幼なじみだよなって思っただけ」
「当然でしょ」
口元を拭った貴臣は「かっこつけなきゃいけない相手がいるからね」と得意げに笑った。俺のためにそうであろうとしてくれた部分もあるとわかって、痛いほど刺さる。
貴臣が俺に優しかったのは幼なじみだったから、だけではないんだろう。俺のことが好きだったからだ。俺だけを、好きでいてくれたんだ。まだ実感ができないし、信じ切れていない。
オーブンから終わりを知らせる音が鳴った。
邪魔だと言われたけど、近くにいたくてそのまま隣でガトーショコラのできあがりを眺める。どうやら見た目は貴臣の納得のいくものになったらしい。表面がざっくりと割れているそれを見て、貴臣が大きくうなずいた。
「まだ熱いけど、食べてみる?」
「食べる。やった、貴臣のガトーショコラ久々だ」
「雪斗の部屋で食べよう。皿とって」
「りょーかい!」
貴臣を手伝って準備をして、俺の部屋で腰を下ろす。小さなテーブルを挟んで2人。いつもの場所だ。
まして俺の部屋なのに、指先が冷えていくような感覚があった。どきどきして、ガトーショコラを全部食べきれる自信がない。だんだんと現実味を帯びてきている。
好きな相手に好かれる。こんなの、あると思っていなかった。
せっかく貴臣が作ってくれたものを食べないなんて、そんなわけにはいかない。いただきますと声を揃えて、ガトーショコラにフォークを入れる。
「やば、うまこれ! 貴臣、すげぇ天才!」
味はわかるし、最高だし、だけどやっぱり胸がいっぱいだった。フォークを置いて、貴臣を見る。残りはあとで食べさせてもらうことにしよう。
「うん、味もうまくいった。雪斗、これ好きだよなーって思ったから、そろそろまた作るかって、なって、」
言いつつ、ほんのり頬が色づいていく貴臣。どうしたんだろう。気になってそのまま凝視していると、貴臣は「遅れてきた」と口元を手で覆った。耳朶まで赤くなるのは珍しい。
何だ、浮かれてるのは俺だけじゃないのか。貴臣の顔を見ようと手を剥がそうとするも、なかなか力強かった。
「顔、見せてくれてもいいだろ」
「……っ、るさい。死んでも嫌だ」
隠すように腕でガードされてしまって、貴臣の表情がわからなくなってしまった。こんな貴臣は生まれて初めてだ。
こういう貴臣もいいものだな、とのんびり考えていると、
「雪斗、歯食いしばって」
「え? え、何でだよ。何で!?」
拳を振り上げた貴臣に迫られて、俺は狭い部屋の中を必死に逃げる。いくらからかったからって、理不尽すぎる!
壁まで追い詰められて、観念した俺が目を閉じると「ばーか」と貴臣が囁いた。目を開けようとすると、がっとネクタイを引っ張られてバランスを崩す。
「わっ、バカはお前だ。危ないから!」
両目は貴臣の手で遮られてしまった。べちっとぶつかって、ちょっと痛い。そのまま戻され、背中が壁についた。何なんだ、もう。
やられっぱなしの俺がさぞかし面白いのだろう。クツクツ笑う貴臣に俺はお手上げ状態だった。貴臣が楽しそうなら、いいか。いいのか?
いつまで貴臣の手はこのままなんだろう。外そうとするくらいのことはしたほうがいいんだろうか。だらんと下ろしたままの自分の手をどうすべきか迷ってしまう。
「――貴臣?」
あまりにも貴臣が動く気配がないので声をかける。唇にちょんと何かが触れたかと思えば、啄まれた。もう一度重なって、俺は慌てて貴臣の手をどかす。
「ちょっ、とま、止まれ。そんながっついてこなくてもいいだろ!?」
「別に普通だよ」
「俺には普通じゃない! 心臓に悪い! 死んだらどうするんだよ」
けろりとした顔で「それはごめん」と貴臣が言った。全然悪いと思ってない!
心臓が耳元で鳴っているんじゃないかってくらいにうるさかった。顔が熱すぎて、くらくらする。
「じゃあ、雪斗の心臓がどこまでいけるか試そっか」
「実験すんなよ! 心の準備くらいさせろよ、頼むから」
寿命が縮んだら困るだろ。もう縮んでるかもしれない。両手で顔を覆って、俺はため息をつきながらへたり込んだ。もうやだこの人。
貴臣のことは一番知ってるつもりだったけど、まだまだ俺の知らない貴臣がたくさんあるらしい。それをこれから見られるのは、楽しみかもしれない。ちょっとだけ。心臓が持たなさそうなことはやめてほしい。
「俺と付き合うからには覚悟してね」
「えー……、あの、お手柔らかにお願いします」
墓場までの覚悟とは別の覚悟が必要そうだ。
「まあ、気長に付き合うよ」
「それはそれで怖すぎる」
ひぇ、と情けない声を出すと、貴臣の艶めく唇が弧を描いた。長く付き合うつもりでいてくれてるのを喜んでいいのか怖がったらいいのか、わからない。
「よし、とりあえずちょっと冷めたやつ食べよう。雪斗はもう食欲戻った?」
「あ、戻った」と答えてはたと気づく。一言も言ってないのに、バレてたのか。食欲がなくて食べれないわけじゃなかったけど、もうすっかり持っていた緊張感がどこかへ行ってしまっていた。
緊張の飛ばし方おかしくねぇか。絶対それだけじゃなくて、貴臣のやりたいようにされたのもあるだろうけど、そこは飲み込むことにした。貴臣も舞い上がってるのは何となく伝わる。
「はー、貴臣って怖い」
「何でだよ、今のは褒められるとこだったでしょ」
「うん、すごいけど怖い。怖いけどすごい」
「雪斗から怖いって言われるのは何か嫌だ」
はいはいと軽い調子で流して、今度はガトーショコラを口いっぱいに頬張った。貴臣が作ってくれる中でも俺が一番好きなもの。
「ついてる。慌てなくてもいいよ」
普段なら言われて終わりなのに、今日はとってくれた。付き合うとこういうことになるのか。俺に甘い貴臣、ぐっとくる。
むずがゆいような気持ちをどう消化していいかわからず、テーブルに倒れ込んで、額がゴンとぶつかった。
「何やってんの雪斗、大丈夫?」
「大丈夫じゃねぇ……」
「このくらいで頭ぶつけないでよ。心配になるでしょ」
俺、これからも無事でいられんのかな。短い間だけでこんなんで、今からこの先が心配だ。慣れるといいけど、想像すらできなかった甘さを感じられるなら、しばらく慣れたくない気もした。
いよいよ本気で怒らせたんじゃないかと不安に駆られていると「なんかすげぇ急いでたから気のせいじゃね?」と、呑気なタツの言葉に励まされた。放課後の教室は、どんどん人が減って静けさを取り戻していく。
「そうだよな。さすがに気のせい……」
「無視されてても、さすがに目の前に立てば話してくれんだろ」
「え、やっぱ無視されてんのかよ。タツも一緒に来て助けてくれ。なんかおごるから」
「色々お膳立てはしてやったろ。この先くらいは自分で頑張れよ。いいから、さっさと行け。おれ部活あんの」
お膳立てって何だよ、と言いかけて口を閉じる。貴臣と気まずくなって、話し合うよう場を作ってくれたのはタツだ。
「迷惑かけてごめん……」
「そういうのいらねーから、気にすんな。おれは、お前ら見てんのが面白いだけ」
あご先で教室の外を指して「泣かされてこい」とクスクス笑われた。俺はしょぼくれたまま教室を後にする。
好きだって気づかれたくないけど、嫌われるのはもっと嫌だ。わがままだろうか。
電車に揺られている間も色んな考えがあれこれかけ巡って、のろのろと家にたどり着くまでに気分はどん底まで落ちていた。
うちで一休みしたら、貴臣の家に行こう。何であっても避けていたのは事実で、そこは俺が悪いんだから腹をくくるしかない。
「ただいまー」
ドアを開けるとふわりと甘い、チョコレートの香りがした。母さんかな。
スニーカーを脱ぎながら「何か作ってんのー?」と声を張り上げて、リビングにいるであろう誰かしらに話しかける。
「ガトーショコラ作ってる。雪斗も食べるよね?」
「えっ!?」
ガタタン! っと音を立てて、うっかり玄関から転げ落ちてしまった。俺はぶつけた肘を押さえながら、貴臣を見上げる。ぱちくりとのぞく切れ長の瞳が、見開かれて真ん丸になっていた。
こうやって声をかけてくれるってことは、さっきのは本当にただ気づかれてなかっただけなのか。
張り詰めていた気が抜けた俺は思わず笑ってしまった。まだ心の準備もできてなかったのに、これから会いに行こうとしてた相手がうちにいるとは思ってもみなかった。
「大丈夫?」
「あー、ごめん。大丈夫だから気にしなくていいよ」
突然笑い出した俺に貴臣は不安そうに眉を寄せる。そりゃそうだろう。1人で転げ落ちて1人で笑ってるんだから、意味不明に決まってる。
俺からすれば、俺より先にうちにいてエプロン姿の貴臣が意味不明だ。何でその格好でうちにいるんだ。
「……悩んでたの、全部アホらしくなってきた」
膝に額をつけて、独り言ちる。はーと息を吐いて立ち上がろうとすると「ん」と、貴臣から手を差し出された。その手を遠慮なくつかんで、引き上げてもらう。
貴臣がほっとしたような顔をしたのを見て、胸がぎゅっと苦しくなった。俺の態度のせいで、手を取ってもらえないと思わせていたのかもしれない。
「雪斗は危なっかしいね」
「悪い悪い。家に貴臣いると思ってなかったから」
「おばさん、買い物に出てる。俺も一旦戻るつもりだったんだけど、雪斗がカギ持ってってないって聞いて俺が待ってた」
俺は玄関に置きっぱなしになっている自分の鍵に目を落として言った。
「確かに。今朝家出た後、鍵忘れたなと思ったんだよ。ありがとう」
「でしょ。うちのオーブン壊れてて、雪斗ん家のオーブン借りる約束してたから急いで帰ったんだけど、間に合ってよかった」
「知らなかった。俺にも言ってくれれば、」
よかったのに、までは言えずに俺は口をつぐむ。俺が貴臣を避けていたことを知っているんだから、こんな話をするのは不自然だ。自分がうちにいるとメッセージを送ったら俺が帰って来ないとでも思ったんだろう。
リビングへ一緒に行って、俺はソファに腰を下ろす。ずっと甘い香りが漂っている。貴臣はキッチンへ戻って、作業を再開したらしかった。
スマホを触るふりをしながら、俺はそっと様子を見る。貴臣が髪の毛を耳にかければ、きらりと光るピアスが目についた。あれは俺が誕生日プレゼントにあげたものだ。
やっぱ、好きだな。貴臣のこと。
その気持ちが自然と浮かんできてしまう。たぶんこれは、自覚してしまった以上はもうどうにもならない。なかったことにするのは無理だ。タツの言うとおり、認めるべきかもしれない。
認めて、気持ちを隠す方向でいけたら一番いいのかな。隠し通して、墓場まで持って行けたら。俺にはまず、相当な覚悟が必要なことへの覚悟から必要だけど、これから先も貴臣と一緒にいるにはそれしかなさそうだ。
「雪斗」と、下を向いたままの貴臣に呼ばれて返事をする。
「何?」
「見すぎ。そんなに見られても、まだ作ってる途中だからダメだよ」
「ははっ、バレてた。味見要員が必要なときは呼べよ」
貴臣がふっと口元を和らげる。
「まだもうちょっとかかるな。先にこれ飲んどく? おばさんが作ってくれて、さっきも飲んでた」
「あー、それレモネードだろ。最近ハマって、そればっか作ってんだよ」
腰を上げて、俺もキッチンの中へ入っていく。普段から使っていて広さを把握しているはずなのに、思った以上に狭く感じられた。
貴臣との距離が近い。意識すると、緩んだはずの緊張感が向こうから迫ってくる。
「炭酸もあるからって言ってたから、いるなら冷蔵庫開けてとって」
「おー、俺はそうしよっかな。貴臣は?」
「いらない」
「おー」
ぎこちない動きになりながらも、冷蔵庫を開けて炭酸水を取り出した。冷気が火照りそうな頭を冷ましてくれる。このタイミングで避けてたことを謝るべき?
それとも、タツから貴臣が俺のことを話してたのを聞いたってことで話し始めるか。何を言うのがいいか、この小さな頭の中身はすでに許容量を超えていた。
脳内で飛び交うものを何もつかめず、炭酸水を受け取り俺の分まで準備してくれる貴臣を見つめるしかできなかった。しゅわしゅわ弾ける音が聞こえる。
「はい、これ雪斗の」
「ありがとう」
一気に流し込むと舌がしびれそうなほど強めの炭酸にやられてしまった。なるべく貴臣から視線を外しつつ、ちびちび口をつける。
気まずさを感じているのは、俺だけらしい。これまで避けてたのはわかってるだろうに。貴臣は「手作りのレモネードってめっちゃうまいよな」とか「ガトーショコラ食べたら余計甘く感じそう」とか、楽しげにしゃべっている。俺はそのどれにも曖昧な反応を返すだけ。自分の部屋に戻りたくなってきた。
「――でさぁ、雪斗」
「んー?」
ソファに戻ろうと一歩踏み込んだと同時に、貴臣から肩を叩かれた。逃げようとしているのを見透かされたみたいだった。
「気になるから訊くけど」
「え、何」
「俺のこと好きなの?」
「は?」
危うく持っていたグラスを落としそうになった。俺の手よりも先に焦った貴臣の手が俺のグラスの底を支えてくれる。そのまま近くへ置いてくれた。今、何て言われた?
戻ってきた貴臣はふふっと笑って「危ないよ」と呟いた。いや、そこじゃねぇだろ。
半開きの俺の唇からは、何も言葉が出てこない。どうする? どうすればいい? 俺はなんて答えるのが正解なんだ。
「それとも俺のこと、嫌いになった?」
貴臣の落ち着いた声の中にどこかさみしさを感じられて、ぐっと俺に突き刺さる。
「そんなの……っ、なるわけねぇだろ。ずるい訊き方すんなよ」
「うん、そうだろうと思ったけど一応。じゃあ、俺のこと好きでもない?」
どうかな。と付け加えた貴臣の表情を見て、ぜんぶわかってて訊いてきているんだと理解した。素知らぬ顔で口の端を上げているくせして「避けられるようなことしたか悩んでた」と、嘘を抜かしてくる。
ぶわっと血液が沸騰したんじゃないかってくらいの熱を持って、俺の顔に集中した。顔から火が出てもおかしくない。いっそ燃えて、何も見えなくなりたかった。
なんて、現実から逃げても無駄だ。もう貴臣にはバレてる。これはわかってる顔だって、俺にはわかる。絶対、確実に俺の気持ちを知った上でからかわれてるんだ。ぎゅっと握りしめた手が少しだけ震えた。
「……す、きだよ。普通に、大事な幼なじみだし」
「そういうんじゃなくて、ちゃんと好きか訊いてるでしょ」
真っすぐ射貫くような目と合わせられなくて、揺らいでしまう。貴臣が俺の答えを待っているのだとわかっていても、はっきり言葉にするのは怖かった。息を吸って、口を開く。
目の奥にこみ上げるこれは泣きそうなのだとわかって、目を擦る。
墓場まで持って行く覚悟をするまでもなく、終わってしまった。
「貴臣が、好きだ……って、思ってる」
自信のなさが表れて、しぼんだ声になってしまった。もう引き返せない。貴臣のことだ、はっきりとした拒絶はないだろう。優しい言葉だとしても、拒絶の言葉を聞くのは怖かった。
「うん、よかった。言ってくれてありがとう」
くしゃっと頭を撫でられて、力強く引き寄せられる。この展開を考え付いたことはなくて、視線が目の前に広がる貴臣のエプロンの上をいったりきたりする。
俺が好きでいるのは構わないと思ってくれてる? このまま好きでいても、いいってことなのか。
「やっと、好きになってくれた」
「え、どういうこと?」
「どういうことだろうね?」
貴臣は流すようないい加減な答え方をした。こっちは真面目に訊いてるんだから答えてほしい。
「雪斗にわかるのかなぁ」
「ああ、そうかよ」
バカにしやがって。と、不機嫌になる俺を貴臣はたいそう満足げに微笑んで見つめてる。わかるわけねぇだろ。
貴臣がそのまま顔を近づけてくるものだから思わずぎゅっと目を閉じると、唇に重なった感触が一瞬だけあった。
目を開ければ「もうすぐ焼きあがるから座って待ってて」と、何てことなかったかのようにオーブンを確認しに行く貴臣。涙もどっかへ引っ込んでしまった。待て待て、待て! 今のは!?
「え、おま、貴臣……えっ、俺のこと好きなの!?」
「ばーか。気づくのが遅いんだよ。俺はわかりやすかったでしょ?」
「はあ!? 何だよそれ。早く言えよ。ぜんっぜんわかんねぇよ!」
貴臣から好きだって先に言われてたら、俺だってこんな時間がかかることもなかったのに。体の力が抜けていく。安堵と喜びがないまぜになって、ちょっと疲れた。
「雪斗からいつ言われるのかなって待ってたんだから、早く言って来てよ。1週間かかるとか長すぎてありえないんだけど」
意味がわからない。自分だって言わなかったくせして悪いの俺かよ。
その場で頭を抱えてしゃがみ込む。何だよこれ。俺の今までの悩みはいったい!?
「俺が貴臣のこと好きで避けてるって、すぐ気づいた?」
「当たり前でしょ。だてに長年幼なじみやってないからね。雪斗の気持ちに整理つくまでは待とうと思ったけど、俺のほうが限界だった。もう待てなかったなぁ」
ははは、と爽やかに笑う貴臣にものすごくいらっとした。完全に手のひらで転がされた!
レモンスカッシュを飲んで落ち着こうとグラスに口をつけて、さっき貴臣に触れられた感覚を思い出す。簡単にやったことじゃ、ねぇよな。
部屋に引き返して頭を抱えたいのを堪えて、唇を押さえる。貴臣はそんな俺を「そこ危ないし邪魔だよ」と邪険に扱った。仮にも俺のこと好きでやっと両想いだってわかったんなら、もっと何かないのかよ!
いまいち釈然としない。俺が好きを自覚した後の反応を見て楽しむなんて悪趣味だ。でも、そういうやつなんだよなあ、貴臣は。俺が一番よく知ってる。今さらながらに幼なじみの人間性をしみじみ振り返った。
ひょうひょうとした横顔を見て、悔しいほどに好きだなと思う。この感情を、貴臣はどのくらい持っていたんだろう。
「すぐに言わないで、俺のこと待っててくれたんだよな。ありがとう」
「……そうだね、どういたしまして」
おどけてみせる貴臣に、胸が痛んだ。
貴臣のほうが先に俺を好きだったとすると、その間ずっと貴臣はここ最近の俺みたいに悩んでいたということだ。俺は1週間、たいした時間じゃなかった。あれ、意識をしていた期間も数えるともう少し長いから、俺のが長い可能性もある?
「貴臣、いつから俺のこと好きだった?」
「んー、いつからって難しいけど、俺は小さい頃からずっと雪斗だけだったよ。それこそほら、アシカで泣いたあのときも俺の一番だった」
俺のが長いなんてちょっとでも考えたのがバカだった。貴臣はその間ずっと、自分の気持ちを押し殺してそばにいてくれたんだ。それこそ、俺から好かれてるとわかるまでは墓場まで持っていくつもりだったのかもしれない。
俺が疑うこともないくらいに自然で、いつも通りでいられるよう努力をしてくれていた。どれほど自分が大事にされていたかを思い知った。気づかなかったなんて、鈍すぎるのも大概だ。
「貴臣って、やっぱかっこいいよな」
不意打ちだったのか、優雅にレモネードを飲んでいる最中だった貴臣が思いっきりむせた。慌てて俺はその背中をぽんぽん叩く。
「ごめん、そんなつもりじゃ……」
「雪斗はどしたの、急に」
「いや、昔も今も自慢の幼なじみだよなって思っただけ」
「当然でしょ」
口元を拭った貴臣は「かっこつけなきゃいけない相手がいるからね」と得意げに笑った。俺のためにそうであろうとしてくれた部分もあるとわかって、痛いほど刺さる。
貴臣が俺に優しかったのは幼なじみだったから、だけではないんだろう。俺のことが好きだったからだ。俺だけを、好きでいてくれたんだ。まだ実感ができないし、信じ切れていない。
オーブンから終わりを知らせる音が鳴った。
邪魔だと言われたけど、近くにいたくてそのまま隣でガトーショコラのできあがりを眺める。どうやら見た目は貴臣の納得のいくものになったらしい。表面がざっくりと割れているそれを見て、貴臣が大きくうなずいた。
「まだ熱いけど、食べてみる?」
「食べる。やった、貴臣のガトーショコラ久々だ」
「雪斗の部屋で食べよう。皿とって」
「りょーかい!」
貴臣を手伝って準備をして、俺の部屋で腰を下ろす。小さなテーブルを挟んで2人。いつもの場所だ。
まして俺の部屋なのに、指先が冷えていくような感覚があった。どきどきして、ガトーショコラを全部食べきれる自信がない。だんだんと現実味を帯びてきている。
好きな相手に好かれる。こんなの、あると思っていなかった。
せっかく貴臣が作ってくれたものを食べないなんて、そんなわけにはいかない。いただきますと声を揃えて、ガトーショコラにフォークを入れる。
「やば、うまこれ! 貴臣、すげぇ天才!」
味はわかるし、最高だし、だけどやっぱり胸がいっぱいだった。フォークを置いて、貴臣を見る。残りはあとで食べさせてもらうことにしよう。
「うん、味もうまくいった。雪斗、これ好きだよなーって思ったから、そろそろまた作るかって、なって、」
言いつつ、ほんのり頬が色づいていく貴臣。どうしたんだろう。気になってそのまま凝視していると、貴臣は「遅れてきた」と口元を手で覆った。耳朶まで赤くなるのは珍しい。
何だ、浮かれてるのは俺だけじゃないのか。貴臣の顔を見ようと手を剥がそうとするも、なかなか力強かった。
「顔、見せてくれてもいいだろ」
「……っ、るさい。死んでも嫌だ」
隠すように腕でガードされてしまって、貴臣の表情がわからなくなってしまった。こんな貴臣は生まれて初めてだ。
こういう貴臣もいいものだな、とのんびり考えていると、
「雪斗、歯食いしばって」
「え? え、何でだよ。何で!?」
拳を振り上げた貴臣に迫られて、俺は狭い部屋の中を必死に逃げる。いくらからかったからって、理不尽すぎる!
壁まで追い詰められて、観念した俺が目を閉じると「ばーか」と貴臣が囁いた。目を開けようとすると、がっとネクタイを引っ張られてバランスを崩す。
「わっ、バカはお前だ。危ないから!」
両目は貴臣の手で遮られてしまった。べちっとぶつかって、ちょっと痛い。そのまま戻され、背中が壁についた。何なんだ、もう。
やられっぱなしの俺がさぞかし面白いのだろう。クツクツ笑う貴臣に俺はお手上げ状態だった。貴臣が楽しそうなら、いいか。いいのか?
いつまで貴臣の手はこのままなんだろう。外そうとするくらいのことはしたほうがいいんだろうか。だらんと下ろしたままの自分の手をどうすべきか迷ってしまう。
「――貴臣?」
あまりにも貴臣が動く気配がないので声をかける。唇にちょんと何かが触れたかと思えば、啄まれた。もう一度重なって、俺は慌てて貴臣の手をどかす。
「ちょっ、とま、止まれ。そんながっついてこなくてもいいだろ!?」
「別に普通だよ」
「俺には普通じゃない! 心臓に悪い! 死んだらどうするんだよ」
けろりとした顔で「それはごめん」と貴臣が言った。全然悪いと思ってない!
心臓が耳元で鳴っているんじゃないかってくらいにうるさかった。顔が熱すぎて、くらくらする。
「じゃあ、雪斗の心臓がどこまでいけるか試そっか」
「実験すんなよ! 心の準備くらいさせろよ、頼むから」
寿命が縮んだら困るだろ。もう縮んでるかもしれない。両手で顔を覆って、俺はため息をつきながらへたり込んだ。もうやだこの人。
貴臣のことは一番知ってるつもりだったけど、まだまだ俺の知らない貴臣がたくさんあるらしい。それをこれから見られるのは、楽しみかもしれない。ちょっとだけ。心臓が持たなさそうなことはやめてほしい。
「俺と付き合うからには覚悟してね」
「えー……、あの、お手柔らかにお願いします」
墓場までの覚悟とは別の覚悟が必要そうだ。
「まあ、気長に付き合うよ」
「それはそれで怖すぎる」
ひぇ、と情けない声を出すと、貴臣の艶めく唇が弧を描いた。長く付き合うつもりでいてくれてるのを喜んでいいのか怖がったらいいのか、わからない。
「よし、とりあえずちょっと冷めたやつ食べよう。雪斗はもう食欲戻った?」
「あ、戻った」と答えてはたと気づく。一言も言ってないのに、バレてたのか。食欲がなくて食べれないわけじゃなかったけど、もうすっかり持っていた緊張感がどこかへ行ってしまっていた。
緊張の飛ばし方おかしくねぇか。絶対それだけじゃなくて、貴臣のやりたいようにされたのもあるだろうけど、そこは飲み込むことにした。貴臣も舞い上がってるのは何となく伝わる。
「はー、貴臣って怖い」
「何でだよ、今のは褒められるとこだったでしょ」
「うん、すごいけど怖い。怖いけどすごい」
「雪斗から怖いって言われるのは何か嫌だ」
はいはいと軽い調子で流して、今度はガトーショコラを口いっぱいに頬張った。貴臣が作ってくれる中でも俺が一番好きなもの。
「ついてる。慌てなくてもいいよ」
普段なら言われて終わりなのに、今日はとってくれた。付き合うとこういうことになるのか。俺に甘い貴臣、ぐっとくる。
むずがゆいような気持ちをどう消化していいかわからず、テーブルに倒れ込んで、額がゴンとぶつかった。
「何やってんの雪斗、大丈夫?」
「大丈夫じゃねぇ……」
「このくらいで頭ぶつけないでよ。心配になるでしょ」
俺、これからも無事でいられんのかな。短い間だけでこんなんで、今からこの先が心配だ。慣れるといいけど、想像すらできなかった甘さを感じられるなら、しばらく慣れたくない気もした。
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