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ハロウィーンの夜
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フクロウが鳴いている。
小川のせせらぎ。
小動物が駆け、枝や木の葉を揺らす。
時折吹くそよ風が、俺の耳を叩く。
俺はよく、休日が来る度に、山に来ていた。
100円ショップで揃えた道具で、枯れた木々を切り倒し、シェルターを作り、焚き火を作って、晴れていれば川沿いで、雨が降っていれば岩陰でキャンプをする。
この山は、自分の庭のようなものだ。
そう思っていた。
俺は、コーヒーを啜り、空を見上げた。
きらきらと輝く星々が、俺を見下ろしていた。
周囲には、霧が立ち込めている。
山での霧なんか慣れたものだったけれど、今回のこれは、なんだか少し様子がおかしかった。
3メートル先も見えず、足元もおぼつかない。
不思議なことに、この霧に触れていると、身がすくみ、散々俺を怖がらせてきた心霊番組のことばかりが頭に浮かぶ。
認めるのは癪だけれど、どうやら、俺は、遭難してしまったようだ。
携帯電話の電波は立っているので、救助を呼ぼうと思えば呼べるのだけれど、親には1週間ほどキャンプをしてくると言ったし、今日はその1日目。
幸い、食料はあるし、釣り竿もナイフもある。
そして、目の前には川だってあった。
まあ、救助を呼ぶのは最終日まで待ってからでも良いだろう。
一応、日持ちする食料には手を付けないでおくことにして、今夜は魚を食べることにした。
石を動かして、川の流れを遮るように囲いを作り、さらにペットボトルで罠を作れば、魚は面白いくらいに簡単に採れた。
それらの血抜きをして、内蔵を抜き、焚き火にかけ、塩をふる。
これだけで、晩ごはんの完成だ。
足りなくなったときのために、罠はそのままにしておいた。
成長期だからだろうか、最近はすぐに腹が減ってしまう。
俺の上半身くらいある大きなリュックサックには大量の食料が入っていたけれど、ぎりぎり1週間保つかどうかっていう感じだった。
腹が膨れた俺は、全身にアルコールを吹きかけ、蚊取り線香を5個点け、枯れた太い木の枝を焚き火に添えて、ハンモックに横になった。
一応、周囲3mには網で出来たカーテンも下げてある。
10月の最終日にも限らず、山の中にはまだ虫がたくさんいた。
俺は、大きくなった焚き火を見つめながら、ゆっくりと呼吸をした。
とりあえず、明日は山を登り、登山道を探してみよう。
見つからなければ、またここに戻ってくれば良い。
俺は、目を閉じた。
10月31日
目を覚ますと、周囲一帯は白く輝いていた。
濃い霧。
空を見上げれば、白い朝日が薄雲を照らしていた。
俺は、身体を起こして、焚き火を見た。
焚き火は小さくなり、消えかけていた。
俺は、昨日のうちに調達をしておいた薪を焚き火に放り込んで、小川で顔を洗った。
今日はどうしようか。
とりあえずご飯を食べよう。
そう思って、川に作っておいた石の囲いを見ると、そこには、大きな魚が一匹いた。
俺は、眉をひそめた。
この川に、こんな大きな魚がいたなんて。
俺は、手作りのクロスボウで魚を仕留め、下準備をして、焚き火にかけた。
川の流れを見つめながら、焚き火に薪を放り込んでいると、視界の端でなにかが動いた気がした。
そちらを見れば、3mほど先、小川の向こうで、小さな女の子がこっちを見ていた気がしたけれど、たぶん気のせいだ。
だって、女の子は手ぶらで、しかもこんなに肌寒いっていうのに、黒のTシャツに、紺色のデニムっていう、身軽な格好をしていたんだから。
俺は、焼けた魚を頬張り、荷物をまとめた。
夕方
やはりおかしい。
どれだけ登っても、登山道が見つからない。
ひょっとしたら、濃い霧のせいで見逃したのかもしれない。
霧は濃くなるばかり。
なんだか少し怖くなってきたので、俺は、山を降り、昨晩過ごした川に戻ることとした。
川を見つけてほっとしたのもつかの間、そのそばで揺らめく焚き火の明かりを見て、眉をひそめた。
たぶん、小学校の高学年くらいだろうか、小さな女の子が、焚き火を見つめている。
彼女のそばには串に通された大きめの魚が3匹、焚き火に炙られていた。
本来なら、俺は物音を立てないようにしながら、女の子から距離を起き、別のキャンプ地を探すところだ。
だが、今回ばかりは事情が違った。
まず第一に、彼女は、清潔な服を着ていた。
清潔さを保てる環境が周囲にはあるのだろう。
彼女に訊けばそこに行けるかもしれない。
2つ目の理由は、彼女がめちゃくちゃ可愛かったから。
彼女の横顔を見た瞬間、俺の視力は3.0になった。
ほっそりとしていて、スレンダーな感じ。
小さな顔は端正に整っている。
脂肪のない薄いまぶた、豊かなまつ毛と下まつ毛、彫りの深い顔立ち、柔らかな輪郭。
髪は黒で、ショートカット。
ボーイッシュな感じ。
なによりも特別なのは、彼女の存在が、周囲の景色から切り取られているかのように、輝いて見えたのだ。
俺は、なんとなく確信した。
今朝の子だ。
俺は深呼吸をした。
例えば、これが学校なら、俺は彼女と目も合わせずにすれ違う。
でも、今は山の中。
遭難中だ。
つまり、これはどういうことか。
話しかける話題がある。
可愛い女の子と話せる!
ひゃっほうっ!
俺は深呼吸をして、女の子の下へ向かった。
女の子は、俺が足音を立てた瞬間に、こちらを見た。
大人びている物憂げな眼差し、レモン色の瞳。
レモン色の瞳。
カラコンかと思ったけれど、違った。
カラコンは見ればそうとわかる。
女の子の瞳は、まごうことなきレモン色だった。
女の子は、無表情に俺を見て、口を開いた。「今朝もいたね」
高いソプラノの声が、耳から入り込み、俺の心臓を握りつぶした。
男の子っぽい喋り方だったけど、そこがまた良かった。
俺は頷いた。「そっちも」
女の子は頷いた。「1人?」
「うん。そっちは?」
「ぼくも」
俺は眉をひそめた。
ぼく?
こいつ男か?
よく見れば、平らな胸をしていた。
俺は、探りを入れることにした。「俺は秋。君は?」
「空だよ」
俺は心の中で舌打ちをした。
空っていう名前じゃ、男か女かわからない。
「中学生?」空はそう続けた。
「うん。空は?」
「中3」
「一緒だ」
「そっか」空は、焚き火に炙られている魚を見た。「食べる?」
俺は頷いた。「うん」俺は、空の隣に座った。
そして、確信した。
空は女の子だ。
しかもめちゃくちゃ良い匂いがする。
「空って、彼氏いる?」
空は、俺を見て、考えるように目を動かした。「いない。興味ないし」
「なんで?」俺は、内心めちゃくちゃ喜びながら聞いた。聞いたかおい、彼氏いねーんだってよ! ひゃっほう!
空ちゃんは、首を傾げた。「なんでかな。例えば、好きでもない犬に懐かれてもペットにしようとか思わないでしょ? そういう感じ」
「……なるほど」ちょっと変わった子だ。でもそこが良い。
「ぼくは本読んだり、たまに散歩したりするのが好き。こういうとこをね」空ちゃんは、そのピンク色の唇で魚をかじった。
魚になりたいと思いながら、俺は空ちゃんを見た。「散歩?」
空ちゃんは頷きながら、口をもぐもぐとして、ごくんと飲み込んだ。「おいひー」
可愛い。
あぁもう無理、好き。
結婚したい。
しかしどうすれば。
「秋くんはここでキャンプ?」
「うん」
「そっか。コーヒー持ってる? 今朝飲んでたよね」
「見てたの?」
「通りがかっただけだよ」
「そっか。飲む?」
「良い?」
「もちろん」俺は、ミネラルウォーターをヤカンに入れて、焚き火にかけた。「ケータイ持ってる?」
「ない」
「まじで?」
「必要ないし」
「そっか。家近いの?」
空ちゃんは、口をもぐもぐしながら考えるように唸った。「3kmくらいかな」
「行っても良い?」言ったあとで、しまったと思った。この言い方じゃ、出会ってすぐにキスをしたがる猿みたいじゃないか。いや、そのとおりではあるのだけれど。俺が言いたかったのは、「正直、霧が深くて遭難しちゃったみたいでさ。公衆電話とかコンビニはあるかなって」
「あー」空ちゃんは、相変わらずもぐもぐしながら、考えるように目を動かした。「そういうことね。そっか。もぐもぐ、ごくん。おいひー」
「可愛い」
空ちゃんは、自信満々な様子でほくそ笑んだ。「知ってる」
「知ってましたか」
「ぼくは世界一可愛いのさ」
あぁもう無理好き可愛い結婚したい。
俺は、バッグから取り出したカップにインスタントコーヒーの粉を入れ、お湯を注いで、空ちゃんに渡した。
指先同士が触れた。
空ちゃんの指は、マシュマロのように柔らかかった。
「ありがと。どうする? 今から行く?」
「今から?」辺りは薄暗くなっていた。ライトは7つ持っているけど、それでも危ない気がする。
「大丈夫だよ。ここら辺慣れてるから」空ちゃんはコーヒーを啜った。「おいひー」
「ごめん空ちゃん」
「なに?」
「もっかいおいひーって言って?」
空ちゃんはぱちぱちと瞬きをして、コーヒーを啜った。「おいひー」
「可愛い」
「ふふん」
自慢気にほくそ笑むのが最高に可愛い空ちゃんなのだった。
夜
軽快な足取りで、川を登っていく空ちゃん。
俺は、その平らなおしりを眺めながら、彼女のあとについて行った。
川の傾斜は穏やかで、月も明るい。
俺の両手には大きなライトが1つずつ、頭にはヘッドライトが1つ。
対して、空ちゃんは手ぶらだ。
「ライト無しでよく見えるね」
空ちゃんは、自分のレモン色の瞳を指さした。
「綺麗」俺は言った。
「ありがと」
「ハーフ?」
「っていうわけじゃない。生まれつき。シャンパンゴールド色」
「そうなんだ。綺麗だね」
「知ってる」空ちゃんは自慢気にほくそ笑んだ。
「結婚してください」
空ちゃんは笑った。「ぼくはぼくと結婚してんだよ」
さらに少し歩くと、空ちゃんは立ち止まり、小川の左側を指さした。
見れば、そちらには山道があった。
俺達は、そこを進んだ。
両端には、密度の濃い森が広がっていた。
俺は、空ちゃんにライトを渡そうとしたが、空ちゃんはそれを断った。
「なんで一人称ぼくなの?」ぼくは訊いた。
「自分のことを、女だと思えないからかな」
「めちゃくちゃ可愛いのに」
「ふふん。秋は、自分のこと好き?」
「うん」
「良いじゃん。ぼくも自分のこと大好き」
「そっか」
足取りの柔らかい山道を進んでいるうちに、俺は、違和感を抱き、周囲を見た。
真っ黒な壁のようだった、両サイドの森が、いつの間にかすかすかになっていた。
月明かりが差し込む森の中は、とても明るくて、ライトなんか必要なさそうだ。
試しに、ライトの電源を切ってみると、周囲は、月明かりだけで歩けそうなくらい。
いつの間にやら、霧も晴れていた。
「着いたよ」
俺は、空ちゃんが指差す先を見た。
そこは、かなり広いコロッセオの中のような感じだった。
直径は3、4kmくらい。
周囲は高い山々に覆われており、俺と空ちゃんがいるのは、そんな山の1つだった。
中央に建つ、バベルの塔のような巨大なビル。
その周囲を、木造の一軒家が囲んでいる。
俺は、眉をひそめた。
夜空の中を、右へ左へ飛んでいる人影が見える。
彼らは、みんな、なにか、細い棒のようなものにまたがっていた。
「なにあれ」
「あれは……」空ちゃんは、考えるように唸った。「あ、別に良いのか。あれは、魔女と魔法使いだよ」
「へー」俺は頷いた。「そういう乗り物? ハンググライダーみたいな?」
空ちゃんは笑った。「まあ、そんな感じ」
「俺も乗りたいな」
「秋くんにはまだ無理だよ」
「免許とかあるの?」
「そんな感じ」
「初めて来たな」
「そりゃそうだ」
「なんて街?」
「学園って呼んでる」空ちゃんは、手の平を広げた。
次の瞬間、彼女の手の平に、シャンパンゴールド色の光の球が生まれ、それは、ふわふわと宙を泳ぎ、バベルの塔のような巨大なビルへと向かって行った。
「え、なにそれ」
空ちゃんは、にやりとした。彼女は、指先に、ピンポン玉くらいのシャンパンゴールド色の光の球を作り出した。それらは、空ちゃんの指先を離れると、俺達の周囲にふわふわと浮いた。
「どうやってんの?」
空ちゃんは、俺の反応を楽しむように、にやにやしながら、指先で自分のピンク色の唇を撫でた。「そういう反応するんだね。人間って。違うか。秋くんがそういう反応するだけか」
俺は、空ちゃんを見た。
なんだか、急に空気が美味しくなってきた。
自然の香りが強く感じられる。
心臓の鼓動が早くなり、意識が妙に冴えてくる。
俺は既に、空ちゃんの正体がなんとなくわかっていた。
でもまさか、そんなことがあるのだろうか。
あっても良いとは思うし、むしろそうであって欲しいと俺は半ばそう思い始めていた。
俺は、つばを飲み、口を開いた。「マジシャン? 魔法使い?」
空ちゃんは、にやりとして、口を開いた。「ぼくは魔女だよ」
小川のせせらぎ。
小動物が駆け、枝や木の葉を揺らす。
時折吹くそよ風が、俺の耳を叩く。
俺はよく、休日が来る度に、山に来ていた。
100円ショップで揃えた道具で、枯れた木々を切り倒し、シェルターを作り、焚き火を作って、晴れていれば川沿いで、雨が降っていれば岩陰でキャンプをする。
この山は、自分の庭のようなものだ。
そう思っていた。
俺は、コーヒーを啜り、空を見上げた。
きらきらと輝く星々が、俺を見下ろしていた。
周囲には、霧が立ち込めている。
山での霧なんか慣れたものだったけれど、今回のこれは、なんだか少し様子がおかしかった。
3メートル先も見えず、足元もおぼつかない。
不思議なことに、この霧に触れていると、身がすくみ、散々俺を怖がらせてきた心霊番組のことばかりが頭に浮かぶ。
認めるのは癪だけれど、どうやら、俺は、遭難してしまったようだ。
携帯電話の電波は立っているので、救助を呼ぼうと思えば呼べるのだけれど、親には1週間ほどキャンプをしてくると言ったし、今日はその1日目。
幸い、食料はあるし、釣り竿もナイフもある。
そして、目の前には川だってあった。
まあ、救助を呼ぶのは最終日まで待ってからでも良いだろう。
一応、日持ちする食料には手を付けないでおくことにして、今夜は魚を食べることにした。
石を動かして、川の流れを遮るように囲いを作り、さらにペットボトルで罠を作れば、魚は面白いくらいに簡単に採れた。
それらの血抜きをして、内蔵を抜き、焚き火にかけ、塩をふる。
これだけで、晩ごはんの完成だ。
足りなくなったときのために、罠はそのままにしておいた。
成長期だからだろうか、最近はすぐに腹が減ってしまう。
俺の上半身くらいある大きなリュックサックには大量の食料が入っていたけれど、ぎりぎり1週間保つかどうかっていう感じだった。
腹が膨れた俺は、全身にアルコールを吹きかけ、蚊取り線香を5個点け、枯れた太い木の枝を焚き火に添えて、ハンモックに横になった。
一応、周囲3mには網で出来たカーテンも下げてある。
10月の最終日にも限らず、山の中にはまだ虫がたくさんいた。
俺は、大きくなった焚き火を見つめながら、ゆっくりと呼吸をした。
とりあえず、明日は山を登り、登山道を探してみよう。
見つからなければ、またここに戻ってくれば良い。
俺は、目を閉じた。
10月31日
目を覚ますと、周囲一帯は白く輝いていた。
濃い霧。
空を見上げれば、白い朝日が薄雲を照らしていた。
俺は、身体を起こして、焚き火を見た。
焚き火は小さくなり、消えかけていた。
俺は、昨日のうちに調達をしておいた薪を焚き火に放り込んで、小川で顔を洗った。
今日はどうしようか。
とりあえずご飯を食べよう。
そう思って、川に作っておいた石の囲いを見ると、そこには、大きな魚が一匹いた。
俺は、眉をひそめた。
この川に、こんな大きな魚がいたなんて。
俺は、手作りのクロスボウで魚を仕留め、下準備をして、焚き火にかけた。
川の流れを見つめながら、焚き火に薪を放り込んでいると、視界の端でなにかが動いた気がした。
そちらを見れば、3mほど先、小川の向こうで、小さな女の子がこっちを見ていた気がしたけれど、たぶん気のせいだ。
だって、女の子は手ぶらで、しかもこんなに肌寒いっていうのに、黒のTシャツに、紺色のデニムっていう、身軽な格好をしていたんだから。
俺は、焼けた魚を頬張り、荷物をまとめた。
夕方
やはりおかしい。
どれだけ登っても、登山道が見つからない。
ひょっとしたら、濃い霧のせいで見逃したのかもしれない。
霧は濃くなるばかり。
なんだか少し怖くなってきたので、俺は、山を降り、昨晩過ごした川に戻ることとした。
川を見つけてほっとしたのもつかの間、そのそばで揺らめく焚き火の明かりを見て、眉をひそめた。
たぶん、小学校の高学年くらいだろうか、小さな女の子が、焚き火を見つめている。
彼女のそばには串に通された大きめの魚が3匹、焚き火に炙られていた。
本来なら、俺は物音を立てないようにしながら、女の子から距離を起き、別のキャンプ地を探すところだ。
だが、今回ばかりは事情が違った。
まず第一に、彼女は、清潔な服を着ていた。
清潔さを保てる環境が周囲にはあるのだろう。
彼女に訊けばそこに行けるかもしれない。
2つ目の理由は、彼女がめちゃくちゃ可愛かったから。
彼女の横顔を見た瞬間、俺の視力は3.0になった。
ほっそりとしていて、スレンダーな感じ。
小さな顔は端正に整っている。
脂肪のない薄いまぶた、豊かなまつ毛と下まつ毛、彫りの深い顔立ち、柔らかな輪郭。
髪は黒で、ショートカット。
ボーイッシュな感じ。
なによりも特別なのは、彼女の存在が、周囲の景色から切り取られているかのように、輝いて見えたのだ。
俺は、なんとなく確信した。
今朝の子だ。
俺は深呼吸をした。
例えば、これが学校なら、俺は彼女と目も合わせずにすれ違う。
でも、今は山の中。
遭難中だ。
つまり、これはどういうことか。
話しかける話題がある。
可愛い女の子と話せる!
ひゃっほうっ!
俺は深呼吸をして、女の子の下へ向かった。
女の子は、俺が足音を立てた瞬間に、こちらを見た。
大人びている物憂げな眼差し、レモン色の瞳。
レモン色の瞳。
カラコンかと思ったけれど、違った。
カラコンは見ればそうとわかる。
女の子の瞳は、まごうことなきレモン色だった。
女の子は、無表情に俺を見て、口を開いた。「今朝もいたね」
高いソプラノの声が、耳から入り込み、俺の心臓を握りつぶした。
男の子っぽい喋り方だったけど、そこがまた良かった。
俺は頷いた。「そっちも」
女の子は頷いた。「1人?」
「うん。そっちは?」
「ぼくも」
俺は眉をひそめた。
ぼく?
こいつ男か?
よく見れば、平らな胸をしていた。
俺は、探りを入れることにした。「俺は秋。君は?」
「空だよ」
俺は心の中で舌打ちをした。
空っていう名前じゃ、男か女かわからない。
「中学生?」空はそう続けた。
「うん。空は?」
「中3」
「一緒だ」
「そっか」空は、焚き火に炙られている魚を見た。「食べる?」
俺は頷いた。「うん」俺は、空の隣に座った。
そして、確信した。
空は女の子だ。
しかもめちゃくちゃ良い匂いがする。
「空って、彼氏いる?」
空は、俺を見て、考えるように目を動かした。「いない。興味ないし」
「なんで?」俺は、内心めちゃくちゃ喜びながら聞いた。聞いたかおい、彼氏いねーんだってよ! ひゃっほう!
空ちゃんは、首を傾げた。「なんでかな。例えば、好きでもない犬に懐かれてもペットにしようとか思わないでしょ? そういう感じ」
「……なるほど」ちょっと変わった子だ。でもそこが良い。
「ぼくは本読んだり、たまに散歩したりするのが好き。こういうとこをね」空ちゃんは、そのピンク色の唇で魚をかじった。
魚になりたいと思いながら、俺は空ちゃんを見た。「散歩?」
空ちゃんは頷きながら、口をもぐもぐとして、ごくんと飲み込んだ。「おいひー」
可愛い。
あぁもう無理、好き。
結婚したい。
しかしどうすれば。
「秋くんはここでキャンプ?」
「うん」
「そっか。コーヒー持ってる? 今朝飲んでたよね」
「見てたの?」
「通りがかっただけだよ」
「そっか。飲む?」
「良い?」
「もちろん」俺は、ミネラルウォーターをヤカンに入れて、焚き火にかけた。「ケータイ持ってる?」
「ない」
「まじで?」
「必要ないし」
「そっか。家近いの?」
空ちゃんは、口をもぐもぐしながら考えるように唸った。「3kmくらいかな」
「行っても良い?」言ったあとで、しまったと思った。この言い方じゃ、出会ってすぐにキスをしたがる猿みたいじゃないか。いや、そのとおりではあるのだけれど。俺が言いたかったのは、「正直、霧が深くて遭難しちゃったみたいでさ。公衆電話とかコンビニはあるかなって」
「あー」空ちゃんは、相変わらずもぐもぐしながら、考えるように目を動かした。「そういうことね。そっか。もぐもぐ、ごくん。おいひー」
「可愛い」
空ちゃんは、自信満々な様子でほくそ笑んだ。「知ってる」
「知ってましたか」
「ぼくは世界一可愛いのさ」
あぁもう無理好き可愛い結婚したい。
俺は、バッグから取り出したカップにインスタントコーヒーの粉を入れ、お湯を注いで、空ちゃんに渡した。
指先同士が触れた。
空ちゃんの指は、マシュマロのように柔らかかった。
「ありがと。どうする? 今から行く?」
「今から?」辺りは薄暗くなっていた。ライトは7つ持っているけど、それでも危ない気がする。
「大丈夫だよ。ここら辺慣れてるから」空ちゃんはコーヒーを啜った。「おいひー」
「ごめん空ちゃん」
「なに?」
「もっかいおいひーって言って?」
空ちゃんはぱちぱちと瞬きをして、コーヒーを啜った。「おいひー」
「可愛い」
「ふふん」
自慢気にほくそ笑むのが最高に可愛い空ちゃんなのだった。
夜
軽快な足取りで、川を登っていく空ちゃん。
俺は、その平らなおしりを眺めながら、彼女のあとについて行った。
川の傾斜は穏やかで、月も明るい。
俺の両手には大きなライトが1つずつ、頭にはヘッドライトが1つ。
対して、空ちゃんは手ぶらだ。
「ライト無しでよく見えるね」
空ちゃんは、自分のレモン色の瞳を指さした。
「綺麗」俺は言った。
「ありがと」
「ハーフ?」
「っていうわけじゃない。生まれつき。シャンパンゴールド色」
「そうなんだ。綺麗だね」
「知ってる」空ちゃんは自慢気にほくそ笑んだ。
「結婚してください」
空ちゃんは笑った。「ぼくはぼくと結婚してんだよ」
さらに少し歩くと、空ちゃんは立ち止まり、小川の左側を指さした。
見れば、そちらには山道があった。
俺達は、そこを進んだ。
両端には、密度の濃い森が広がっていた。
俺は、空ちゃんにライトを渡そうとしたが、空ちゃんはそれを断った。
「なんで一人称ぼくなの?」ぼくは訊いた。
「自分のことを、女だと思えないからかな」
「めちゃくちゃ可愛いのに」
「ふふん。秋は、自分のこと好き?」
「うん」
「良いじゃん。ぼくも自分のこと大好き」
「そっか」
足取りの柔らかい山道を進んでいるうちに、俺は、違和感を抱き、周囲を見た。
真っ黒な壁のようだった、両サイドの森が、いつの間にかすかすかになっていた。
月明かりが差し込む森の中は、とても明るくて、ライトなんか必要なさそうだ。
試しに、ライトの電源を切ってみると、周囲は、月明かりだけで歩けそうなくらい。
いつの間にやら、霧も晴れていた。
「着いたよ」
俺は、空ちゃんが指差す先を見た。
そこは、かなり広いコロッセオの中のような感じだった。
直径は3、4kmくらい。
周囲は高い山々に覆われており、俺と空ちゃんがいるのは、そんな山の1つだった。
中央に建つ、バベルの塔のような巨大なビル。
その周囲を、木造の一軒家が囲んでいる。
俺は、眉をひそめた。
夜空の中を、右へ左へ飛んでいる人影が見える。
彼らは、みんな、なにか、細い棒のようなものにまたがっていた。
「なにあれ」
「あれは……」空ちゃんは、考えるように唸った。「あ、別に良いのか。あれは、魔女と魔法使いだよ」
「へー」俺は頷いた。「そういう乗り物? ハンググライダーみたいな?」
空ちゃんは笑った。「まあ、そんな感じ」
「俺も乗りたいな」
「秋くんにはまだ無理だよ」
「免許とかあるの?」
「そんな感じ」
「初めて来たな」
「そりゃそうだ」
「なんて街?」
「学園って呼んでる」空ちゃんは、手の平を広げた。
次の瞬間、彼女の手の平に、シャンパンゴールド色の光の球が生まれ、それは、ふわふわと宙を泳ぎ、バベルの塔のような巨大なビルへと向かって行った。
「え、なにそれ」
空ちゃんは、にやりとした。彼女は、指先に、ピンポン玉くらいのシャンパンゴールド色の光の球を作り出した。それらは、空ちゃんの指先を離れると、俺達の周囲にふわふわと浮いた。
「どうやってんの?」
空ちゃんは、俺の反応を楽しむように、にやにやしながら、指先で自分のピンク色の唇を撫でた。「そういう反応するんだね。人間って。違うか。秋くんがそういう反応するだけか」
俺は、空ちゃんを見た。
なんだか、急に空気が美味しくなってきた。
自然の香りが強く感じられる。
心臓の鼓動が早くなり、意識が妙に冴えてくる。
俺は既に、空ちゃんの正体がなんとなくわかっていた。
でもまさか、そんなことがあるのだろうか。
あっても良いとは思うし、むしろそうであって欲しいと俺は半ばそう思い始めていた。
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