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第二章 黒の主、混沌の街に立つ
25:借金パン屋の母親
しおりを挟む■ヒイノ 兎人族 女
■30歳 カオテッド南西区(獣帝国領) パン屋経営
私はヒイノ。カオテッドでパン屋を開いています。
今は娘のティナと二人暮らし。
慎ましくも充実した毎日を送っていました。
パン屋を開くというのは私の幼い頃からの夢でした。
両親は小さな街でパン屋を開いていたので、私も子供ながらに手伝っていたのです。
そしていずれは大きな街で私もパン屋を開きたい、そう思っていました。
幼馴染のディウスは子供の頃から木剣を振り、組合員になると意気込んでいました。
そして実際に才能があったのでしょう。
彼はみるみるうちに組合員のランクを上げ、街でも有数の剣士となったのです。
私とディウスは気付けば互いに惹かれあい、そして結婚しました。
彼は出来たばかりのカオテッドという街に行くと言いました。
四つの国が共同で統治する、大迷宮を中心とした街へ。
私はそれに付いて行きました。
新しい街で私はパン屋を開きたい。
彼はその夢を叶えてくれたのです。
彼はカオテッドの迷宮でも活躍し、南西区の大通り沿いに私のパン屋ができました。
実家秘伝のエキスを使い、黒パンではなく白パンをメインに売り出しました。
すると小さな街では考えられなかった反響がありました。
私のパン屋は常連客で賑わう有名店になったのです。
嬉しい事は続き、私には子供ができました。
夫と三人で幸せな家庭を築ける。
そう思った矢先です。
まるでそれまでの反動のように不幸が重なりました。
子供も産まれ、これから何かと入用になると迷宮に稼ぎに出向いた夫が大怪我をしたのです。
どうやら卑劣な同業者の罠にかかり、姿も見えないまま腕を斬られたらしいのです。
失血がひどく昏睡状態の中、なんとか助け出された夫。
それでも一命は取り止めたと、私は借金をし、高価な回復薬を買い、それを夫に飲ませました。
夫は目覚めませんでした。
時間がかかりすぎたのか、血を流しすぎたのか分かりません。
夫は――ディウスは私とティナを残して逝ってしまったのです。
悲しみに暮れる日が続きましたが、ティナのためにも働かなければなりません。
幸いにもお客さんは入ってくれるのです。
ティナの為、お客さんの為、ディウスと共に開いたこの店を潰すわけにはいきません。
しかし借金は増えるばかりです。
私はディウスの怪我を治すことばかり考えて、借金の契約内容をよく見ていなかったのです。
理不尽なほどの高利契約だと気付いた時には遅すぎました。
金貸しの猪人族の男は事あるごとに訪ねて来ます。
「ブヒヒ、さっさと諦めて店を畳んだらどうだ? なんならお前が身体で払ってもいいんだぞ?」
大きな腹をゆすりながら笑います。
この人はどうも私の事を自分のものにしようとしているのです。
さらには秘伝のエキスの作り方を聞き出し、自分の系列店でうちの白パンを作りだそうとしているらしいです。
エキスは実家秘伝のもので、教えることなど出来ません。
私の身を明け渡すのも、店を明け渡すのも、ディウスにもティナにも申し訳ない。
何より私はあの猪が嫌いです。
なんとか利息を返していき、お客さんにパンを提供し続ける。
それしか出来ないと何年も頑張りました。
ティナも成長し、私の店を手伝ってくれるようになりました。
それでもダメでした。
借金は増すばかり。
利息はふくらみ、到底返済できないところまで来ていたのです。
もう無理だ。
ディウス、ティナ、ごめんなさい。
店は終わり、私の身もあの男のものになる。
せめてティナだけでも逃がせるよう……
「何を言っている? お前と娘、二人とも奴隷にするに決まっているだろう」
「そ、そんなっ! 娘だけはっ!」
「お前一人と店の権利だけで借金がなくなるわけない。娘を入れたところで足りないくらいだ。ほら、来いっ!」
「いやあっ! お母さぁぁん!」
「ティナ! やめて! ティナに乱暴しないで!」
「ふんっ、うるさい。とりあえず奴隷契約で黙らせるか。おい、さっさとやれ!」
猪人族の金貸しは奴隷契約用に連れて来ていたらしき蛙人族の男に契約魔法を使わせました。
私とティナの左手に丸い印が刻まれます。
何やら笑った口に歪に並んだ牙が醜く見える奴隷印。
不気味なそれが刻まれた瞬間から私とティナの自由は奪われました。
そこからは泣くことも出来ません。まるで死んだように感情を出せないのです。
横目に見るティナも同じような状態でした。
どうしてこんな事に……なぜ私は契約書を確認しなかったのか、なぜ意固地になって返済し続けたのか、なぜさっさと店と秘伝のエキスを売り渡さなかったのか、そんな考えばかりが巡ります。
「ブヒヒ、やれやれ、長い事かかったもんだ。女一匹手にするのに随分遠回りしたもんだ。最初から強引にヤっておけば良かったなぁ」
やはりこの猪は最初から私目当てで……!
「大変だったんだぞ? 迷宮でディウスを罠にはめるよう依頼したのに結局死なんし、しょうがないから低級ポーションを高級ポーションと騙して売りつけ、高利の契約書を作ってやっと契約させたんだ。そこまでやったのに店は繁盛し続けるもんだから、妨害までやったのになぁ、ここまで時間がかかってしまった。全部ヒイノ、お前の為だ。むしろここまで引き延ばしてやったことに感謝するんだな。ブヒヒヒ!」
―――表情の出ない顔の裏で私は泣き崩れました。
頭が真っ白になりました。
今までの苦労、その全てがこの男に仕組まれた事。
奴隷契約がなければ、その事実に発狂していたでしょう。
「さあ、来るんだ! さっさと歩け!」
私とティナは感情を出せないまま、言われた通りに立ち上がり、店の入り口へと歩き出します。
行きたくない思いに反して。
ティナごめんなさい。ダメなお母さんでごめんなさい。
ディウスごめんなさい。お店を守れなくて、間違った薬を飲ませてごめんなさい。
お父さん、お母さん、秘伝を守れなくてごめんなさい。
神様、どうかティナだけでも……
―――カランカラン
その時、扉につけた入店合図の鐘が鳴りました。
金貸しの猪人族が来ていることを知っている常連客は恐れて入って来ないはず。
今まで散々、店で借金の取り立てをしている場面を見ているのですから。
そしてカオテッドの闇組織と猪人族が繋がっているであろう事も知られているはずですから。
だと言うのに誰が入って来たのか。
死んだ目で入口に眼球を向けました。
そこには真っ黒な服を着た基人族の男性と、メイドの人たちが立っていたのです。
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