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第4話神官初級審査④
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古代神殿、再奥の間。そこには聖女マリアンヌが身を浄めたという伝承の泉が存在した。聖女マリアンヌが神から洗礼を受けたとされる2か所の神殿が、現在でも実地試験を通して神官を志す子供たちの洗礼の場として使用されている。
「クルーさん、見てください。泉です。祭壇もあります」
「ここで間違いなさそうだな」
最奥の間に到達した2人が顔を見合わせてうなずく。
「よっし。じゃあチビ、水浴びしてこい」
「……」
「なんだよ?」
不審そうな目で自分を見つめるマイに、クルーガーが尋ねる。
「クルーさんは、後ろ向いていてください」
「はあ? チビの裸なんてこれっぽっちも興味ねぇよ。それより、俺が目を離してる隙に何かあったらどーすんだよ?」
「クルーさんが気にしなくても、私が嫌なんですっ。本当にデリカシーないですよね。すぐ近くなんですから、何かあれば大声で呼びます」
「へいへい、わかったよ。後ろ向いてりゃいんだろ」
クルーガーは面倒くさそうに泉と反対側に体を向けた。
「クルーさん、こっち見ちゃダメですよ」
「誰が見るかっ。ったく、ガキのくせに色気づきやがって」
クルーガーが舌打ちをする。
マイは衣服をすべて脱ぎ、ゆっくり足元を確かめながら泉の中へ入って行く。泉の中央に近づくにつれて、水深が徐々に増していった。
ちょうど、お腹あたりの深さまできたところで、ぬかるみに足を滑らせ、マイは「キャッ」と悲鳴をあげた。
「チビ、どうした!?」
クルーガーが振り向き敵襲ではないことを一瞬で判断して、泉に向かって跳躍する。
溺れるマイのすぐそばで大きな水しぶきが上がり、飛び込んできたクルーガーが素早く彼女を抱きかかえた。
「大丈夫か?」
「キャアアアアアアアア!」
「お、おいコラ。暴れるな」
「クルーさんの、エッチィィィ!」
「どわあっ」
クルーガーは彼女を抱きかかえたまま、泉の中央でひっくり返り、再び大きな水しぶきを上げた。
意に反して自分まで聖女の泉で身を浄めるはめとなったクルーガーが、ビチョビチョに濡れた衣服を力いっぱい絞る。体を拭いて服を着たマイが、その様子をすまなそうに見つめる。
「ったく、あんな浅いとこで溺れるなよ」
「……すみません」
「おまけに顔まで引っかきやがって」
「ごめんなさい」
「まったく、いい男が台無しだぜ」
「……ふふふっ」
荒い口調に反して、クルーガーがそれほど怒っていないことを悟ったマイから笑みがこぼれる。
「ほら、次は祭壇だろ。さっさと行ってこい」
「はいっ」
元気よく返事したマイが、階段を上り祭壇に立つ。古代文字が記された石板に右手をかざすと、まばゆい光が発せられた。マイが閉じた目をゆっくり開けると、光はおさまり、手の甲には円形の中に三日月という、マリアンヌ聖教の紋章が浮き上がっていたた。
「クルーさん、やりました! 1つ目の洗礼、完了です」
マイが嬉しそうに手甲の印をクルーガーに見せる。
「おう、おめでとさん。んじゃ、戻るとするか」
「はいっ」
クルーガーは絞った衣服を身に着け、祭壇から下りてきたマイは笑顔で彼に歩み寄った。
ユーシー王国魔導士連盟本部の一室。
2人の男が向かい合ってソファに腰かける。髪はロマンスグレー、白い口ひげを生やした男が、テーブルの上に出された資料を手に取り、眼鏡をかけてその中身を確認する。
「魔石による魔力の増幅と肉体強化、そして呪いによるマインドコントロール。これなら最強の軍隊が作れるぞ! で、この指輪の効果はどうなんだ?」
「今、カーリック村の子供を使ってテストしている。じきにレイマーから報告がくる。待っていろ。それより、量産は可能なんだろうな?」
もう一方の男が尋ねる。
「ああ、問題ない。教会本部の犬どもが動き出しているが、そちらは大丈夫か?」
「予定通りと言ったところだな。戦力こそ優秀だが聖教の騎士は頭が悪い。我々の計画には及ばぬな」
「ハハハハハ。教皇の青ざめた顔が目に浮かぶぞ!」
男は口ひげをしきりに触りながら、室内に高らかな笑いを響かせた。
洗礼を無事に済ませたマイとクルーガーは、出口に向かって古代神殿の幅広い通路を歩いていた。神殿を支える何本もの太い円柱には、様々な絵が描かれている。マイは時々柱の前に立ち止まってはその彫刻を眺め、たびたびクルーガーに「早くしろ」とせかされていた。
「クルーさん、あの柱の絵なんですけど、物語になっているんですよ。すごいですね!」
「観光に来たんじゃないんだぞ。洗礼を済ませたからって油断するなよ。いつまた、あの森のときみたいに――」
クルーガーは話している途中で、神殿の外から聞こえてくる異様な鳴き声に気がついた。
「クルーさん? どうしたんです?」
「シッ。この鳴き声は、馬か?」
「えっ、私には聞こえませんけど……」
「なあチビ、ローラとじいさんは村に戻ったはずだよな?」
念のために確認するクルーガーと目を合わせたマイは小さく頷いた。
出口に向かって2人が同時に駆け出す。
古代遺跡から飛び出した2人を待っていたのは、まるで何かを知らせるように鳴き続ける一頭の馬だった。
「この子、おじいさんの馬車を引いてくれてた子です!」
「ずいぶん興奮してるな。よーしよし、もう大丈夫だ」
クルーガーが声をかけながらゆっくりと近づき、首を優しくなでてやると、馬は落ち着きを取り戻した。
「村へ戻る途中、あるいは村で何かが起こったか? チビ、急ぐぞ!」
「ハイッ」
クルーガーはマイを抱き上げて馬の背に乗せ、自分も馬にまたがると、彼女の後ろからたずなを握った。
馬は2人を乗せてカーリック村へ続く道を疾風のごとく駆け抜けていく。途中でローラと彼女の祖父、馬車に遭遇することは無かった。クルーガーの頭に、嫌な感覚がよぎる。
――チッ。あの時とおんなじだ。死の臭いが鼻につきまといやがる。無事でいろよっ。
丘を越えて目に飛び込んできた光景は、真っ赤な炎と黒煙に包まれるカーリック村の変わり果てた姿だった。
「ひどい……なんで、こんな」
マイが愕然として言葉を失う。
村の入り口に到着した2人が馬から降りて、大声で呼びかける。
ローラや彼女の祖父、村長や村人たちの姿は見えず、呼びかけにも応えない。
「チビ、お前はここにいろ」
「いやです! 私もいっしょに行きます。きっと火傷を負ってる方がたくさんいます。私が施術しないと」
「わかった。絶対に俺から離れるな」
マイはうなずくと、辺りを警戒しながら進む彼の後ろにピッタリついていった。
「クルーさん、あそこ! 誰かいます」
そう叫んだマイは、井戸のそばで倒れている者のところへ一直線に走り出した。クルーがあとに続く。
「お……ねえ……ちゃん」
「ローラちゃん!」
マイが驚愕して叫ぶ。
「おなか……いたいよ。おねえ……ちゃん、たすけて……」
ローラの腹部は横に大きく切り裂かれていた。小さな両手で押さえる傷口から大量の血が流れ出ている。
「天に輝く神の光よ、神の子の苦しみを癒したもう、救いたもう。聖なる光で清めたまえ」
傷口に手を当てたマイが何度も詠唱を繰り返す。
しかし、傷はふさがらず出血も止まらない。
「どうしよう! クルーさん、どうしよう! 血が止まらないのっ」
「……」
ベッタリ血の付いた両手ですがりつくよにクルーガーのズボンを握る。
泣きながら、懇願するように尋ねるマイを見つめ、クルーガーは無言のままギュッと唇を噛んだ。
「おねえちゃん……ありがとう。おなかは、もう……痛くないよ。でも、体がすごく寒いの……」
ローラの肌が土色に変わっていく。先ほどよりも声が細くなり、せき込むたびに吐血する。
「わかったから、しゃべらないで。私が治してあげるから。必ず助けてあげるからっ」
マイが泣きながら声を震わせる。
突然、クルーガーがホルダーからナイフを抜いて身構えた。彼の視線の先には体中返り血に染まった1人の少年が立っていた。
「……ビリーさん、なの?」
信じられないという様子でマイがビリーを見つめる。
「おい、お前はなんだ? 剣士か冒険者か? それとも殺人鬼か?」
「ヒャハッ。力だ! これが力だぁぁぁ! これがオレ様だぁぁぁ!」
ビリーは握りしめたロングソードを天に向かって高く振りかざし、雄叫びをあげた。
「そうかよ、これがお前のなりたかったもんかよ。チッ、くそったれ」
クルーガーが唾を吐き捨て、ゆっくり歩きだす。
「クルーさん、待ってくださいっ。ビリーさんは、精神系の魔術で操られているだけかもしれません。だから――」
「だから、なんだ? そうだったとしても、今の俺たちにビリーを救うすべはない。選択肢はただ1つ。お前たちを守るため、ビリーを殺す。それが従者の、俺の役目だ」
――どんな状況でも、自分が今何をすべきかを考えろ。自分の決めた道を一時の感情で曲げるな。世界中の不幸な人間を救うことなんてできない。自分のそばにいる一番大切な奴らだけを守れ!
マイの頭の中に、クルーガーの言葉が浮かぶ。
小刻みに体を震わせ、つらそうに呼吸するローラを見つめる。
マイは覚悟を決めて立ち上がった。
「クルーさん、前衛お願いしますっ。私が後衛でしっかり支援しますから」
「俺がチビを守る。だからお前は、ローラをしっかり守れ。その子の手を握っていてやれ」
クルーガーは目の前の敵から視線を離さずに、優しく言葉を投げかけた。
マイは涙を流しながら「はい」と返事をすると、再び座り込み、ローラの小さな手をギュッと握りしめた。
先に動いたのはビリーだった。
機先を制するごとく、間合いを一気に詰めてロングソードを振り下ろす。それを回避しながらクルーガーは前に踏み込み、両手のナイフで肩と腕を切りつける。切ったはずなのに、手ごたえが感じられない。人の肉を断つ感触とはまったく異なるものだった。
――クソッ。かてぇな。ヤツの速さは問題ねぇ。剣術も素人が、ただでたらめに振り回してるだけ。しっかし、この防御力はやっかいだ。
落ち着いて敵を分析するクルーガーと対照的に、ビリーは感情的に、荒く激しく攻撃をぶつけてくる。
「うおぉぉぉぉぉ! おらぁ、おらっ!」
連続する斬撃をすべて見極め、クルーガーが正確に回避する。
苛立ちがつのるビリーはどんどん力任せに、大振りの攻撃を繰り出した。
隙を見て相手のふところに潜ったクルーガーが、低い姿勢で太ももに何度も刃を突き立てる。
「ウアァァァ!」
ビリーが大勢を崩して地面に膝をついた。
――上半身より、下半身のほうがやらけぇ。回転数上げて攻撃すりゃ、動きが止められる。
手ごたえを掴んだクルーガーが、再び臨戦態勢でビリーに向かっていく。
「これでも、くらえっ! うおぉぉぉぉぉ!」
ビリーの振り上げたロングソードが炎をまとう。
「クルーさん、火の魔術です! よけてっ」
マイが叫んだ。
振り下ろされた剣から真っすぐ伸びていく炎に、クルーガーは飲み込まれた。
「ウハハハハハッ。見たかっ。これが力だ! これがオレ様だぁ」
ビリーが両手を大きく広げて天を仰ぎ、勝利に酔いしれ高らかに笑う。
「クルーさぁぁぁぁん!」
「次はお前だ」
叫び声を上げるマイに視線を向ける。
「へっ? なんで――」
跡形もなく焼き殺したはずのクルーガーが目の前に現れる。
「お前の炎はぬる過ぎる」
クルーガーがナイフを一振りし、そのまま走り抜ける。
ビリーの頭部が胴体から離れ、地面へ転がり落ちる。そして、胴体も首から血を吹き出しながらその場に崩れ落ちた。
「クルーさん、無事ですか? 火傷は?」
戻ってきたクルーガーにマイが心配して何度も尋ねる。
「俺は平気だ。俺より、ローラを見ててやれ」
マイはうなずき、ローラの手を握りなおす。
「おねえちゃん……どこ? どこにいるの? おねえちゃんが、見えない」
「私はここにいるよ。ローラちゃんのそばに、ずっといるよ」
ローラが目を開けたまま首を傾けてマイを探す。
彼女の目には、もう何も映らない。
マイが彼女を抱きしめ、頬ずりをする。
「ああ、おねえちゃんだ。もう、寒くないよ。すごく、暖かい」
マイの体温を感じて、ローラは安心したようにつぶやいた。
「うん、うん……」
ローラを抱きしめたままマイがうなずく。
「おねえちゃん……」
「なあに?」
焦点の合っていないローラの瞳を見つめる。
「助けにきてくれて……ありがとう。私……お姉ちゃんに会えて、嬉しかった」
幸せそうに微笑んだローラは、そのあと言葉を発することはなかった。
「ローラちゃん、ローラちゃんっ」
マイの頬をつたって流れ落ちた大粒の涙がローラの顔を濡らす。
無残な姿に変わり果てたカーリック村に、マイの悲痛な泣き声が響く。
クルーガーは無言のまま、そっと彼女に寄り添った――。
「クルーさん、見てください。泉です。祭壇もあります」
「ここで間違いなさそうだな」
最奥の間に到達した2人が顔を見合わせてうなずく。
「よっし。じゃあチビ、水浴びしてこい」
「……」
「なんだよ?」
不審そうな目で自分を見つめるマイに、クルーガーが尋ねる。
「クルーさんは、後ろ向いていてください」
「はあ? チビの裸なんてこれっぽっちも興味ねぇよ。それより、俺が目を離してる隙に何かあったらどーすんだよ?」
「クルーさんが気にしなくても、私が嫌なんですっ。本当にデリカシーないですよね。すぐ近くなんですから、何かあれば大声で呼びます」
「へいへい、わかったよ。後ろ向いてりゃいんだろ」
クルーガーは面倒くさそうに泉と反対側に体を向けた。
「クルーさん、こっち見ちゃダメですよ」
「誰が見るかっ。ったく、ガキのくせに色気づきやがって」
クルーガーが舌打ちをする。
マイは衣服をすべて脱ぎ、ゆっくり足元を確かめながら泉の中へ入って行く。泉の中央に近づくにつれて、水深が徐々に増していった。
ちょうど、お腹あたりの深さまできたところで、ぬかるみに足を滑らせ、マイは「キャッ」と悲鳴をあげた。
「チビ、どうした!?」
クルーガーが振り向き敵襲ではないことを一瞬で判断して、泉に向かって跳躍する。
溺れるマイのすぐそばで大きな水しぶきが上がり、飛び込んできたクルーガーが素早く彼女を抱きかかえた。
「大丈夫か?」
「キャアアアアアアアア!」
「お、おいコラ。暴れるな」
「クルーさんの、エッチィィィ!」
「どわあっ」
クルーガーは彼女を抱きかかえたまま、泉の中央でひっくり返り、再び大きな水しぶきを上げた。
意に反して自分まで聖女の泉で身を浄めるはめとなったクルーガーが、ビチョビチョに濡れた衣服を力いっぱい絞る。体を拭いて服を着たマイが、その様子をすまなそうに見つめる。
「ったく、あんな浅いとこで溺れるなよ」
「……すみません」
「おまけに顔まで引っかきやがって」
「ごめんなさい」
「まったく、いい男が台無しだぜ」
「……ふふふっ」
荒い口調に反して、クルーガーがそれほど怒っていないことを悟ったマイから笑みがこぼれる。
「ほら、次は祭壇だろ。さっさと行ってこい」
「はいっ」
元気よく返事したマイが、階段を上り祭壇に立つ。古代文字が記された石板に右手をかざすと、まばゆい光が発せられた。マイが閉じた目をゆっくり開けると、光はおさまり、手の甲には円形の中に三日月という、マリアンヌ聖教の紋章が浮き上がっていたた。
「クルーさん、やりました! 1つ目の洗礼、完了です」
マイが嬉しそうに手甲の印をクルーガーに見せる。
「おう、おめでとさん。んじゃ、戻るとするか」
「はいっ」
クルーガーは絞った衣服を身に着け、祭壇から下りてきたマイは笑顔で彼に歩み寄った。
ユーシー王国魔導士連盟本部の一室。
2人の男が向かい合ってソファに腰かける。髪はロマンスグレー、白い口ひげを生やした男が、テーブルの上に出された資料を手に取り、眼鏡をかけてその中身を確認する。
「魔石による魔力の増幅と肉体強化、そして呪いによるマインドコントロール。これなら最強の軍隊が作れるぞ! で、この指輪の効果はどうなんだ?」
「今、カーリック村の子供を使ってテストしている。じきにレイマーから報告がくる。待っていろ。それより、量産は可能なんだろうな?」
もう一方の男が尋ねる。
「ああ、問題ない。教会本部の犬どもが動き出しているが、そちらは大丈夫か?」
「予定通りと言ったところだな。戦力こそ優秀だが聖教の騎士は頭が悪い。我々の計画には及ばぬな」
「ハハハハハ。教皇の青ざめた顔が目に浮かぶぞ!」
男は口ひげをしきりに触りながら、室内に高らかな笑いを響かせた。
洗礼を無事に済ませたマイとクルーガーは、出口に向かって古代神殿の幅広い通路を歩いていた。神殿を支える何本もの太い円柱には、様々な絵が描かれている。マイは時々柱の前に立ち止まってはその彫刻を眺め、たびたびクルーガーに「早くしろ」とせかされていた。
「クルーさん、あの柱の絵なんですけど、物語になっているんですよ。すごいですね!」
「観光に来たんじゃないんだぞ。洗礼を済ませたからって油断するなよ。いつまた、あの森のときみたいに――」
クルーガーは話している途中で、神殿の外から聞こえてくる異様な鳴き声に気がついた。
「クルーさん? どうしたんです?」
「シッ。この鳴き声は、馬か?」
「えっ、私には聞こえませんけど……」
「なあチビ、ローラとじいさんは村に戻ったはずだよな?」
念のために確認するクルーガーと目を合わせたマイは小さく頷いた。
出口に向かって2人が同時に駆け出す。
古代遺跡から飛び出した2人を待っていたのは、まるで何かを知らせるように鳴き続ける一頭の馬だった。
「この子、おじいさんの馬車を引いてくれてた子です!」
「ずいぶん興奮してるな。よーしよし、もう大丈夫だ」
クルーガーが声をかけながらゆっくりと近づき、首を優しくなでてやると、馬は落ち着きを取り戻した。
「村へ戻る途中、あるいは村で何かが起こったか? チビ、急ぐぞ!」
「ハイッ」
クルーガーはマイを抱き上げて馬の背に乗せ、自分も馬にまたがると、彼女の後ろからたずなを握った。
馬は2人を乗せてカーリック村へ続く道を疾風のごとく駆け抜けていく。途中でローラと彼女の祖父、馬車に遭遇することは無かった。クルーガーの頭に、嫌な感覚がよぎる。
――チッ。あの時とおんなじだ。死の臭いが鼻につきまといやがる。無事でいろよっ。
丘を越えて目に飛び込んできた光景は、真っ赤な炎と黒煙に包まれるカーリック村の変わり果てた姿だった。
「ひどい……なんで、こんな」
マイが愕然として言葉を失う。
村の入り口に到着した2人が馬から降りて、大声で呼びかける。
ローラや彼女の祖父、村長や村人たちの姿は見えず、呼びかけにも応えない。
「チビ、お前はここにいろ」
「いやです! 私もいっしょに行きます。きっと火傷を負ってる方がたくさんいます。私が施術しないと」
「わかった。絶対に俺から離れるな」
マイはうなずくと、辺りを警戒しながら進む彼の後ろにピッタリついていった。
「クルーさん、あそこ! 誰かいます」
そう叫んだマイは、井戸のそばで倒れている者のところへ一直線に走り出した。クルーがあとに続く。
「お……ねえ……ちゃん」
「ローラちゃん!」
マイが驚愕して叫ぶ。
「おなか……いたいよ。おねえ……ちゃん、たすけて……」
ローラの腹部は横に大きく切り裂かれていた。小さな両手で押さえる傷口から大量の血が流れ出ている。
「天に輝く神の光よ、神の子の苦しみを癒したもう、救いたもう。聖なる光で清めたまえ」
傷口に手を当てたマイが何度も詠唱を繰り返す。
しかし、傷はふさがらず出血も止まらない。
「どうしよう! クルーさん、どうしよう! 血が止まらないのっ」
「……」
ベッタリ血の付いた両手ですがりつくよにクルーガーのズボンを握る。
泣きながら、懇願するように尋ねるマイを見つめ、クルーガーは無言のままギュッと唇を噛んだ。
「おねえちゃん……ありがとう。おなかは、もう……痛くないよ。でも、体がすごく寒いの……」
ローラの肌が土色に変わっていく。先ほどよりも声が細くなり、せき込むたびに吐血する。
「わかったから、しゃべらないで。私が治してあげるから。必ず助けてあげるからっ」
マイが泣きながら声を震わせる。
突然、クルーガーがホルダーからナイフを抜いて身構えた。彼の視線の先には体中返り血に染まった1人の少年が立っていた。
「……ビリーさん、なの?」
信じられないという様子でマイがビリーを見つめる。
「おい、お前はなんだ? 剣士か冒険者か? それとも殺人鬼か?」
「ヒャハッ。力だ! これが力だぁぁぁ! これがオレ様だぁぁぁ!」
ビリーは握りしめたロングソードを天に向かって高く振りかざし、雄叫びをあげた。
「そうかよ、これがお前のなりたかったもんかよ。チッ、くそったれ」
クルーガーが唾を吐き捨て、ゆっくり歩きだす。
「クルーさん、待ってくださいっ。ビリーさんは、精神系の魔術で操られているだけかもしれません。だから――」
「だから、なんだ? そうだったとしても、今の俺たちにビリーを救うすべはない。選択肢はただ1つ。お前たちを守るため、ビリーを殺す。それが従者の、俺の役目だ」
――どんな状況でも、自分が今何をすべきかを考えろ。自分の決めた道を一時の感情で曲げるな。世界中の不幸な人間を救うことなんてできない。自分のそばにいる一番大切な奴らだけを守れ!
マイの頭の中に、クルーガーの言葉が浮かぶ。
小刻みに体を震わせ、つらそうに呼吸するローラを見つめる。
マイは覚悟を決めて立ち上がった。
「クルーさん、前衛お願いしますっ。私が後衛でしっかり支援しますから」
「俺がチビを守る。だからお前は、ローラをしっかり守れ。その子の手を握っていてやれ」
クルーガーは目の前の敵から視線を離さずに、優しく言葉を投げかけた。
マイは涙を流しながら「はい」と返事をすると、再び座り込み、ローラの小さな手をギュッと握りしめた。
先に動いたのはビリーだった。
機先を制するごとく、間合いを一気に詰めてロングソードを振り下ろす。それを回避しながらクルーガーは前に踏み込み、両手のナイフで肩と腕を切りつける。切ったはずなのに、手ごたえが感じられない。人の肉を断つ感触とはまったく異なるものだった。
――クソッ。かてぇな。ヤツの速さは問題ねぇ。剣術も素人が、ただでたらめに振り回してるだけ。しっかし、この防御力はやっかいだ。
落ち着いて敵を分析するクルーガーと対照的に、ビリーは感情的に、荒く激しく攻撃をぶつけてくる。
「うおぉぉぉぉぉ! おらぁ、おらっ!」
連続する斬撃をすべて見極め、クルーガーが正確に回避する。
苛立ちがつのるビリーはどんどん力任せに、大振りの攻撃を繰り出した。
隙を見て相手のふところに潜ったクルーガーが、低い姿勢で太ももに何度も刃を突き立てる。
「ウアァァァ!」
ビリーが大勢を崩して地面に膝をついた。
――上半身より、下半身のほうがやらけぇ。回転数上げて攻撃すりゃ、動きが止められる。
手ごたえを掴んだクルーガーが、再び臨戦態勢でビリーに向かっていく。
「これでも、くらえっ! うおぉぉぉぉぉ!」
ビリーの振り上げたロングソードが炎をまとう。
「クルーさん、火の魔術です! よけてっ」
マイが叫んだ。
振り下ろされた剣から真っすぐ伸びていく炎に、クルーガーは飲み込まれた。
「ウハハハハハッ。見たかっ。これが力だ! これがオレ様だぁ」
ビリーが両手を大きく広げて天を仰ぎ、勝利に酔いしれ高らかに笑う。
「クルーさぁぁぁぁん!」
「次はお前だ」
叫び声を上げるマイに視線を向ける。
「へっ? なんで――」
跡形もなく焼き殺したはずのクルーガーが目の前に現れる。
「お前の炎はぬる過ぎる」
クルーガーがナイフを一振りし、そのまま走り抜ける。
ビリーの頭部が胴体から離れ、地面へ転がり落ちる。そして、胴体も首から血を吹き出しながらその場に崩れ落ちた。
「クルーさん、無事ですか? 火傷は?」
戻ってきたクルーガーにマイが心配して何度も尋ねる。
「俺は平気だ。俺より、ローラを見ててやれ」
マイはうなずき、ローラの手を握りなおす。
「おねえちゃん……どこ? どこにいるの? おねえちゃんが、見えない」
「私はここにいるよ。ローラちゃんのそばに、ずっといるよ」
ローラが目を開けたまま首を傾けてマイを探す。
彼女の目には、もう何も映らない。
マイが彼女を抱きしめ、頬ずりをする。
「ああ、おねえちゃんだ。もう、寒くないよ。すごく、暖かい」
マイの体温を感じて、ローラは安心したようにつぶやいた。
「うん、うん……」
ローラを抱きしめたままマイがうなずく。
「おねえちゃん……」
「なあに?」
焦点の合っていないローラの瞳を見つめる。
「助けにきてくれて……ありがとう。私……お姉ちゃんに会えて、嬉しかった」
幸せそうに微笑んだローラは、そのあと言葉を発することはなかった。
「ローラちゃん、ローラちゃんっ」
マイの頬をつたって流れ落ちた大粒の涙がローラの顔を濡らす。
無残な姿に変わり果てたカーリック村に、マイの悲痛な泣き声が響く。
クルーガーは無言のまま、そっと彼女に寄り添った――。
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「私は今、アイスブラット王国の〝守護精霊〟をやっていまして」
精霊を自称する彼女は、「ちょ、ちょっと待ってくれ」と混乱するパーチに構わず、ニッコリ笑いながら畳み掛ける。
「そこで師匠には、私たちと一緒に〝魔王〟を倒して欲しいんです!」
これは、〝弟子たちがあっと言う間に強くなるのは、師匠である自分の特殊な力ゆえ〟であることに気付かず、〝実は最強の実力を持っている〟ことにも全く気付いていない男が、〝実は精霊だった美少女たち〟と再会し、言い寄られ、弟子たちに愛され、弟子以外の者たちからも尊敬され、世界を救って英雄になってしまう物語。
(※第18回ファンタジー小説大賞に参加しています。
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何卒宜しくお願いいたします!)
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