パンドラ

猫の手

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四章

【駒-2】

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 パイストス社の情報部。部長の清水が沙羅になにやら話をしている。

「未だにハッカーの捜査は進展しないようだな」

「はい。開発部のコンピューターをさらにチェックしてハッカーが何処からハッキングを仕掛けたかを調べてはいるんですけど、手掛かりとなる痕跡は残していないものですので……」

 沙羅が言った。

「ふむ、ハッキングの痕跡は見つけ出したが、ハッキング元がわからなければこれ以上の捜査は先に進まないな」

 そう言って清水は苦い顔をする。

「我が社のコンピューターにはトラップを仕掛けて置きましたから、ハッカーがもう一度ハッキングをして、トラップに引っ掛かればハッキング元を探知出来るんですけれど」

「だが、ハッカーも我が社がコンピューターにトラップを仕掛けていることくらいは想定内だろう」

「はい、恐らく……」

「ふむ、参ったものだ」

「せめてハッカーのハンドルネームでもわかれば情報は少なからず現状よりは集まるんですが」

「ふむ。一流のハッカーならばネットの世界では有名なハズだ。しかし名の知れたハッカーはいくらでもいる」

「そうですね。ですが、白井修一にアドレスを送ったということは白井修一と面識のある人物だと思います」

「ふむそうだな。ならば白井修一の身辺調査を行いたまえ」

「いえ、白井修一の身辺調査は既にしています」

「そうか。それで調査の結果は?」

「まだ特にこれといったことはありません。詳しい話はその本人に話させましょう」

 沙羅はそう言ってからスマホを取り出し電話を掛けた。

 それから十分ほどしてから一人の女が情報部に入ってきた。

「なんですか? 私、せっかく近くのカフェで休憩してたのに」

 女が不機嫌そうに言った。

「休憩中呼び出して悪いわね。あなたから部長に詳しく白井修一の身辺調査の話をしてちょうだい」

「それで呼び出されたわけですか」

 女はため息を吐いた。

「それでは話してくれたまえ」

 清水が言った。

「部長、その前に一服してもいいでしょうか? せっかくの休憩中に来たんだからタバコくらい」

 それを聞いて清水は眉間にシワを寄せたがここは抑えた。

 女はタバコを一本取り出し、肺いっぱいに煙を吸い込んだ。

「はあ、落ち着くわぁ」

「あなた、相変わらずそのタバコ吸ってるのね。女性にとってはタールがキツイわよ」

「沙羅さん、私は昔からマイルドノブァしか吸わないですから、他のタバコじゃ物足りなくて」

「昔からって、あなた二十歳でしょう?」

「みんな隠れて吸ってますよ」

 彼女は「倉木絵理くらきえり」という女でこの情報部の人間だ。今回のハッカーの捜査で白井修一の身辺調査を担当している。

 歳はちょうど二十歳でパイストス社の中では最年少の社員。

 若さからか部長の前でも堂々とタバコを吸う姿から怖いもの知らずな女だと周りの社員には思われている。見た目の面では愛想の良い印象は他人に与えない。

「倉木、そろそろ」

 沙羅が清水の表情を見て倉木に促した。

「ああ、そうですねぇ。すいません」

 そう言いながら灰皿にタバコを押し付け火を消した。

「では、話してくれ」

 清水が言った。

「ハッキリ言いますとハッカーの手掛かりは全然掴めていません」

 それを聞いて清水はまた眉間にシワを寄せた。

「仕方ないんですよ、部長。白井修一と接点のある人間はあまり居ないんですから。だから、私が調査している中で白井修一と特に付き合いのある人間は彼のバイト先のコンビニの店員くらいしか今のところはわかっていません」

「つまり、ハッカーの候補となる人間が少なく、情報も足りなく、なにも掴めないと?」

「はい、そうです」

「あとは他に白井修一の友人の三人がいますけど、あの三人は廃墟ビル跡の出来事から考えると無関係でしょう」

 沙羅が間を取るようにそう言った。

「ふむ……」

 清水は考えが行き詰まった。

 そこで沙羅が口を開く。

「しかし、白井修一との関わりがある人間が少ないということは逆に考えればその少人数の中にハッカーがいる可能性も大きいかと」

「そうですねぇ。ハッカーは白井修一を知っている人物なのは確かでしょうし、ハッカーはその中にいる誰かかもしれないですよね」

 倉木は沙羅の考えに納得した。

「ならば、疑わしいのは白井修一のバイト先の人間か?」

「普段から彼と関わりがある点では、店員は可能性があるかも」

 倉木が言った。

「そうか、わかった。ならば引き続きお前達はハッカーの調査に全力を尽くせ!」

「わかりました!」

「はーい」

 二人は返事をしてからそれぞれ自分のデスクに向かった。

 その時、倉木が沙羅に言う。

「せっかくの休憩が潰れちゃったぁ」

「それより、あなたは休憩する時間が早いのよ。まだ昼前よ」

「そうですけど、呼ばれるタイミングが悪かったなぁ」

 倉木は沙羅に不満を剥き出しながら言った。

「ハッカーの調査は重要なことよ。それに来月には『パンドラ』の発売が控えているの。その前に確実にハッカーの居場所を突き止めるのよ」

「でも、『パンドラ』の発売までなにもトラブルが起きなければ問題ないんじゃないですかぁ? まぁ、廃墟ビル跡の件がありましたけど」

「全てにおいて万が一に備えるのよ。計画は必ず成功させるわ。それはパイストス社の社員みんなの願っていること。そのためには徹底的にやるのよ」

 沙羅の気迫のこもった言葉に倉木はたじろぐ。

「そうですよね」

「わかればいいの」

「ところで沙羅さん」

「なにかしら?」

「池内さんと荒木さんはどうしたんですか? 姿が見当たらないんですけど」

 倉木は室内をキョロキョロと見渡しながら言った。

「二人は開発部に行っているわ。白井修一に起きていた変化のことで色々と開発部の人間と話しをしてるのよ」

「そうなんですか」

「ええ、ちょうど開発部長も居合わせているわ。それより、私達は私達で仕事に取り掛かるわよ」

「はい」

 そして二人はそれぞれの仕事に取り掛かった。



 ここは開発部。相変わらずキーボードをカタカタと叩く音が室内に広がっている。

「池内君。もう一度、白井修一に起きていた変化のことを話してちょうだい」

 平松が言った。

「はい。彼に起こっていた心の変化はあくまでも先日の廃墟ビル跡の件からの我々、情報部の推測に過ぎませんが、災いの逆の状態だと思われます」

 情報部の池内と荒木は改めて、開発部に廃墟ビル跡での白井修一のことを説明していた。

「つまり、白井修一の脳には災いとは逆の脳内麻薬の作用が起きているってことね」

「そうだと思われます」

 池内はコクリと頷いた。

「そうなると、災いが脳内麻薬の分泌を狂わせたり、停止させたりして、心に絶望を与えるのなら、変化は脳内麻薬の分泌を効率的にプラスに促進させ心に希望を与えるってところね。まぁ、これも推測に過ぎないんだけど……」

 そう言ってから平松は人差し指で前髪を巻きながら考える。

「ハッカーの野郎は一体なにをしたいんですかい?」

 荒木が平松に訊いた。

「現段階の情報から考えると、多分だけど恐らく……」

 平松がそう言ってから、室内の奥で黙って会話を聞いていた澤井が口を開く。

「恐らくは我々パイストス社の計画を阻止することを企んでいる可能性があるな」

 平松達は澤井の方に振り向いた。

「ええ。その可能性は高いと思いますわ、澤井さん」

「その根拠はあるのかね?」

 平松達の会話を黙って聞いていたもう一人の男が言った。

 この男は開発部部長の「亀井吉郎かめいよしろう」という男だ。

 歳は四十代後半で情報部部長の清水とは対称的に体形はやせ形で薄い眉に細い目をしている。その顔立ちからは誰に対しても猜疑心の心で接する、そんな印象を周りには与える。

「今のところは根拠はないがね」

「だが、本当にそうだとしたらエライことだ」

 亀井が怪訝な表情で言った。

「ええ……」

 平松が頷く。

「まぁいい。話は変わるが情報部の二人、その後、白井修一には新たにその変化とやらは起きているのかね?」

「今のところはなにも起きてはいないかと。私も先日の廃墟ビル跡の時以外に彼と接触していないのでなんとも言えませんが」

 池内が言った。

「けど、うちの倉木って女が白井修一の身辺調査をこの前からしてますぜ」

 荒木が言った。

「それで? 倉木の調査の結果、現状どうなっているんだね?」

「それが……よくわからないようで」

 池内が決まりの悪そうに言う。

「なんだねそれは! 彼女は調査をしているんじゃないのか?」

「調査はしているんですが、変化と言うことが起きる前の白井修一を倉木が知っているのなら、変化が起きたあとの彼と比べて違いがわかるのですが。なにせ、倉木は廃墟ビル跡の時にその場に居合わせなかったので、彼に対することは我々の話でしかわからないので仕方ないかと……」

「うむ……それはそうかもしれんが……」

「しかし、それは我々にも言えることです。我々もこれ以上は彼に対する情報は無いですから」

「うむ」

 それは確かに池内の言う通りだと亀井はわかっていた。だが、開発部の部長である自分には責任者としての立場がある以上は素直に納得することは出来ない。

「とりあえずの現状はハッカーが廃墟ビル跡の件以降、白井修一にプログラムの力を持っているアドレスを送ったのかも、白井修一にまた変化とやらが起きているのかもわからんのだな?」

「はい」

「それがわかりゃ、今もあのガキがハッカーの野郎と繋がりがあることがわかって、そこからハッカーの居場所を突き止める手掛かりになるんですけどね」

「そうだな」

 池内が荒木に言葉を返した。

「今は我が社の計画が成功するために障害になりうる問題は全て排除することが最善だ。君達、情報部は引き続きハッカーの調査を続けてくれ。我々、開発部は白井修一に起きていた変化の力を現段階の情報を元に詳しく調べるつもりだ」

 亀井は池内と荒木に力説した。亀井の言葉を聞いて平松が口を開く。

「アドレスを削除したのが仇になったわね」

「はい。今思えばそれは失敗だったと思います」

 池内が言った。

 それは情報部と開発部が全員そう思っていることだった。アドレスを元にプログラムを解析すれば変化の力を推測ではなく確証として知ることが出来たからだ。

「まぁ、沙羅は完璧主義で徹底的にやるから仕方ないんだけどね」

「そうですね」

「とりあえず今はさっき部長が言ったように引き続きハッカーの調査を続けてちょうだい」

「わかりました」

 池内はハッキリと返事をした。

「それでは、君達は情報部に戻っていい」

 それを聞いて池内と荒木は開発部から出ていった。

「部長、私は澤井さんや他の社員と一緒にこれから再度、白井修一に起きていた変化を現在知り得ている情報を元に検証してみます」

「うむ、わかった」

 そう言ってから亀井はイスから立ち上がった。

「部長、これからどこかへ?」

「うむ、社長に現段階の全ての情報を報告しにな。それに清水部長も同じく社長室に呼ばれている」

「そうですか、わかりました」

 それから、亀井は情報部から出ていった。

 平松は室内から出ていった亀井を見送ってから室内の隅の方でパソコンのモニターを凝視しながらカタカタ素早くキーボードを叩いている澤井に声を掛ける。

「澤井さん。話を聞いていたと思いますけど、変化の力を正確に検証しましょう。お願い出来ますか?」

「ああそうだな。わかった」

 澤井は物静かに言った。

「話を聞く限りだとやっぱり脳内麻薬の分泌を効率的にプラスに促進させ心に希望を与えるってことは的を得ていると思います」

 平松は自信ありげに言った。

「そうか」

「きっとそうです。それしかありません」

「確かに的を得ているな」

「それでは作業を開始しましょう。みんなもよ」

 平松は澤井と他の数名の開発部の社員に言った。

 それから、さらに室内にキーボードを叩く音が広がった。
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