パンドラ

猫の手

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五章

【侵入-5】

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 社長室の中で修一は窮地に追い込まれていた。
 修一の前には社長室の扉を塞ぎ、修一の逃げ場を断つようにして三人の人間が立っている。

 その三人は沙羅と平松と澤井だった。修一は沙羅以外の二人とは会ったことは無かったが、沙羅同様に相手に容赦はしない人間だと、そう修一は平松と澤井から感じ取っていた。

「そのディスクを渡しなさい」

 沙羅が言った。

「どうしてあなた達はこの場所に?」

 修一は困惑した表情を浮かべ言った。

「会話が噛み合ってないわよ」

 平松が言う。

「そのディスクを早く渡しなさい」

 沙羅は修一に対して手を伸ばし、今度は強い口調で言った。

「そ、それは出来ない。僕はあなた達がなにをしようとしてるかを知ってる」

「あらそう。でも、私達も何故あなたがここにいるかを知ってるわよ。というか、だからこそ私達はこの場所に居るの」

 それを聞いて他のメンバー同様に修一も現状を理解した。

「それじゃあ、あなた達は……」

「そうよ。全て知ってるわ。それにしても君は思い切ったことをするわね。正確に言うと君達ね」

 平松が言った。その平松の言葉を聞いて修一は焦る。

「みんなにはなにもしないでくれ」

「なにかされるようなことをしてるあなた達が悪いのよ」

 沙羅は冷たい目を修一に向けた。

「みんなは無事なんですか?」

「さあ、どうかしら? 誰からもまだ報告が来てないからわからないわ。でも、今頃は池内と荒木があなたの仲間の誰かと居るところね。だから仲間がどんな目にあってるか想像がつくんじゃない?」

 修一は沙羅のその言葉を聞いて廃墟ビル跡の出来事を思い出し、不安が爆発した。

「そこをどいてくれ!」

 修一は腕を横に振り、扉の前に居る三人に言った。

「逃がさないわよ」

「逃げるわけじゃない。みんなを助けに行くんだ」

「フフフ、あなたが助けられるわけがないじゃない」

 沙羅が言っていることは事実で、それは修一は自分が一番わかっていることだった。しかし黙ってこの場に留まっていることは修一には出来なかった。
「いいからどいてくれ!」

 修一の口調は激しくなっていた。

「今、自分が置かれている立場がわかってないのかしら? どう考えても悪者はあなた達なのよ」

「そんなことは……」

「なにを言ってるの。不法侵入をしたうえに、我が社の大切な『パンドラ』のプログラムのデータを消しに来たことが悪いことじゃないわけないでしょ。君達がしていることは犯罪よ」

 平松が言った。

「警察を呼べば全て収まることなんだけど、出来ることなら私達はこの件を表沙汰にしたくないのよ。でも誰も『パンドラ』のプログラムのことも計画のことも信じないでしょうけどね」

 そう言って沙羅は修一に不敵な笑みを送る。

「た、確かにその話のことは誰も信じないだろうし、それに僕達がしていることは犯罪かもしれない。けど、全てはあなた達の計画を阻止するためだ」

「だから?」

「だから仕方ないじゃないですか」

「そんな言いわけは世間には通用しないわ。警察にも世間にも誰にも通用しないわよ」

 平松が言っていることは正論だった。

「それはわかってますけど……でも」

「でもなに」

 沙羅が割って入り言った。

「それは……その……」

 修一はそれ以上なにも言えなかった。

 初めからわかっていたことだったが、計画阻止の大義名分があるとはいえ自分達がしていることは犯罪以外のなんでもない。それはパイストス社に侵入する前からわかっていた。修一だけではなくメンバー全員が。

「まぁいいわ。それよりディスクを渡しなさい」

「それは出来ない」

「相変わらずあなたは聞き分けが悪いわね。大人しく渡さないなら無理矢理にでも取り返すわよ」

 沙羅の言葉を聞いて修一は危険を察知したのか、手に持っているディスクをまた床に置いた。

「なにをするのよ?」

 沙羅は焦りながら言った。

「僕に危害を加える気ならこのディスクを今すぐ踏み潰して破壊する」

「やめなさいよ!」

 平松も焦りながら言う。

「だったら、僕になにもしないで」

「参ったわね……」

 沙羅はため息を吐いてから、そう呟いた。

「あと、みんなにも危害を加えないでくれ。それを池内と荒木って人になにもしないように伝えて」

「どうします澤井さん?」

 平松は扉のスグそばの壁に寄りかかりながら、今までずっと修一達の会話を黙って聞いていた澤井に言った。

 それを聞いて澤井は沙羅と平松の前に出る。

「どうもしなくていい。そしてなにもしなくていい」

 澤井は冷静に言った。

「しかし……」

 そう言って平松は修一を見た。

「あのディスクが破壊でもされたら。彼は本気のようですし」

「そうだな」

「そうだなって……、澤井さん」

「なにも動揺することはないだろ? 彼がディスクを破壊出来るわけがない」

 澤井は修一を見て言った。

「僕は本当にディスクを破壊する! 僕は本当にやる!」

「そうか。だが、君がそのディスクを破壊するということは結果として、それは自分や仲間を守る術を無くすことになる」

 修一はそれを言われて動揺する。自分がこの場のピンチを切り抜けるためと、メンバーのみんなを救うための自分の行動が通用しないことを知り動揺した。

「だ、だけど、もともと僕はこのディスクを破壊するためにここに居るんだ! だからディスクを破壊する覚悟はある! ハッタリなんかじゃない!」

 修一は動揺を隠せなかったが負けじと言い返す。

「そうか。ならば破壊したらいい」

 澤井は至って冷静だった。

「くっ」

 修一は澤井にはなにを言っても無駄だと悟った。

「どうしたのかしら? さっきまでの威勢は何処にいったのよ」

 沙羅が微笑を浮かべ言った。

「良く考えたら澤井さんの言う通りよね。君は自分達を守る術を無くすことになるわ」

 平松も沙羅と同様に微笑を浮かべて言う。

 二人は澤井の発言で強気になっていた。

 修一は形勢逆転された現実を受け止めてしまった。

 修一はディスクを手に取り拾った。

「それで良いんだ」

 澤井は満足そうに言った。

「それじゃディスクを渡してちょうだい」

 沙羅が言った。

 修一は黙り込んだ。

「どうしたのかしら? 早くしなさい」

 無言で立ったまま返事もしない。

「なにを黙り込んでるのよ! 早くしてちょうだい!」

 沙羅は修一の態度にイラつき口調が荒くなる。

「だって、良く考えたらディスクを渡したら結局は守る術を無くすことになるじゃないですか」

 口を開き修一も澤井と同じく事実を言った。

「ああ、その通りだ。流石に引っ掛かりはしなかったか」

 澤井はニヤリと笑い言う。

「言葉巧みに言いくるめられるところでしたよ。危うくディスクを渡すところでした」

 そう言って修一はディスクをもう一度床に置き、ディスクの上で足を上げ構える。

「振り出しに戻ったな。やれやれだ……」

 澤井は軽くウンザリ気味になっている。

「君って面倒ね」

 平松が言った。

「似たようなことが廃墟ビル跡の時にあったわね」

 そう言って沙羅はため息を吐いた。

「さあ、池内と荒木って人に僕の仲間達になにも危害を加えないように言ってくれ」

 修一は三人に言い放つ。

「警察を呼ばれたいの?」

 平松のその言葉を聞いて修一は笑みを浮かべる。

「警察を呼ぶんならディスクを踏み潰します。それに出来ることなら表沙汰にしたくないんですよね?」

 新たに形勢逆転した修一は強気になっていた。

「仕方がない。沙羅、池内と荒木に連絡をしてくれ」

 澤井は沙羅に振り向き言った。

「ですが……」

「構わん。ディスクが大事だ」

「わかりました」

 沙羅は頷きケータイを取り出した。

 それから沙羅は最初に池内のケータイに連絡をしたが応答が無かった。続いて荒木のケータイに連絡をしたが池内と同様に応答が無かった。

「澤井さん。二人とも応答がありません」

「考えられる原因は二人がケータイに出れない状態というのが可能性として一番高いな」

 澤井は顎に手をつき考えを巡らす。

「我が社に侵入したのは彼を含めて五人よね?」

 平松は一度修一を見てから沙羅に言った。

「ええ、そうよ。社内に取り付けた赤外線暗視カメラで確認した限りわね」

 それを聞いて修一が口を挟む。

「そんな物を仕掛けてたのか……」

「そうよ。あなた達に社内には誰も社員が居ないってことを思わせるために社内の明かりは全て切って真っ暗にしておく必要があったからね。だから暗闇の中でもあなた達の姿が確認出来るように赤外線暗視カメラをわざわざ仕掛けたのよ」

 沙羅は修一に淡々と説明した。

「待ち伏せしていることが僕達にバレないためと、僕達が何人侵入したのかを知るためにですか?」

「その通りよ。情報部で全員で映像を見てたわ。最初にカメラに映った位置から考えると会社の入り口の近くにある窓から侵入したのね」

「そうだったのか」

 沙羅はさらに話を続ける。

「あなた達五人は社内案内板を見てから、それぞれが別々に行動したから、私達も別々に行動してあなた達の元に向かったのよ。まぁ、我が社の計画を阻止するために侵入したんだからあなた達が向かう目的地は初めからわかってたんだけど」

 そこで平松が割って入り言う。

「でも、警備のセキュリティを遮断して侵入して来るとは正直驚いたわ。それも一応は予測していたんだけど、まさかと思ったわ。それは当然ハッカーがやったんでしょう? 我が社の開発部にハッキングを仕掛けてプログラムをコピーして盗み出し、君にアドレスを送ったハッカーが」

 平松の言葉で修一は胸を撃たれた気分にさせられた。

(ハッカーが絡んでるのに気付いてる。でも、そのハッカーがシンドラーさんだとまでは……)

「そしてそのハッカーから我が社の計画と『パンドラ』のプログラム、それらのことを教えられて全てを知ったってところよね? だから計画を阻止しようとしてるのよね?」

 沙羅は修一の頭の中を見据えたように言った。

 既に現状を理解していたとはいえ、初めから全てが見抜かれていた事実に修一はショックを受けた。

「どうしてあなた達にそこまで見抜かれているんですか? どうして僕達が計画を阻止しようとしているに気付いたんですか?」

「全てはここに居る澤井さんの推理よ。あなた達が計画を阻止するために侵入して来ることに気付いたのもね。そして私達は澤井さんの命令に従って今日あなた達を待ち伏せて社内に居るのよ」

 平松は澤井を見てから言った。

「私達の直属の上司の部長達や、我が社のトップである社長もそこまでは考えてなかったのよ。最初はあなたの変化のことや、あなたが今もハッカーと繋がりがあることを考えてはいたんだけど、それらのことを調査していく内に色々とわかってきて、それらに対する考えがまとまったんだけど、結局は我が社には問題無しの結論に達したわ。そして最後には我が社の計画を阻止しようと企んでいることを警戒しなくなったの。ハッキリ言って考えが足りなかったのよね。今もハッカーのことは警戒してるけどね」

 沙羅はそう言ってから修一に嫌な微笑を浮かべる。

「あなたにとっては朗報でしょうけど、如月彩のことも結果としてどうでも良くなったわ」

 沙羅のその言葉を聞いて修一はホッとした。

(良かった……彩……)

 こんな現状でも修一は心からホッとしていた。

「君達、今はそんなことより話を戻そうじゃないか。悠長にそんな話をしている必要は無い」

 澤井のその言葉で修一も含めた三人はディスクのことに対して意識を変えた。

「君達は池内と荒木のところに行ってくれ。二人のケータイに連絡を入れても応答が無いのが気に掛かるからな」

 澤井は沙羅と平松を見て言った。

「それに彼とは二人だけで話したいこともあるんでな」

 澤井は修一に振り向き意味深に言った。その澤井の言葉に修一は反応する。

(僕と二人だけで話したいこと? 一体なんの話だ)

 沙羅と平松も澤井の言葉を聞いて軽く反応したが、なんのことだかわからなかった。

「わかりました。それでは私は池内が居る一階に行きます」

 沙羅が言った。

「私は開発部に行きます」

 平松が言った。

「頼んだぞ」

 沙羅と平松は頷き社長室から出ていった。

 そして二人が居なくなり社長室には修一と澤井の二人になった。



「ハアハア……」

 荒木は息を切らしながら村野を見ている。

「どうした? さっきまでの威勢はどうした?」

 村野は勝ち気な顔で言った。

「ハア……て、てめえ、今まで力を加減してやがったな」

「ああ。けど、自分の意思で加減してたわけじゃねぇよ」

「あん? どういう意味だ?」

 そう言ってから荒木はさっきの出来事を思い出した。

「スマホか? てめえ、それで……」

「そうだよ。変化の力のお陰だ。本当に助かったぜ」

「ハッカーの野郎からか?」

「それがわからねぇんだ。送信者不明でよ」

「あの白井修一って野郎も確かそうだったな。なら、てめぇのもハッカーからだろうが」

「さあ? どうだかな」

 村野はしらばっくれた。

 だが当然、変化のアドレスを自分に送ってくれたのが誰かはわかっている。

(きっとシンドラーの奴だ。本当に助かったぜ)

 しかし、一つ疑問があった。

(どうして俺のスマホの連絡先を知ってんだ?)

 だが、村野はスグにその疑問の答えに気付いた。

(修一の時と同じ方法を使ったのか? 多分それだな)

 村野はシンドラーが修一のケータイの連絡先をどうやって知ったかの方法を図書館での時に聞いていたので、その考えに辿り着いた。

「さっきから一人でなにを考えてんだ?」

 荒木はそう言ってからフラフラになりながらも殴り合う構えを見せ村野に歩み寄る。

「てめえがハッカーがどうとか訊いてきたんだろうが。それで考えごとをな」

 村野も荒木と同じくフラフラの状態だったが、構えて荒木に歩み寄る。

「で? 誰からだったよ?」

「さあ?」

 その瞬間に殴り合いが再開した。

「ガハッ!」

 村野の拳が荒木の顔面に強烈にヒットした。続けて脇腹にラッシュを打ち込む。それはさっきのお返しだった。

「ゴハッ! ガハッ!」

 さらに膝蹴りを荒木の腹にヒットさせる。二発、三発と。

「ゴフッ……っ」

 遂に荒木は膝を落とした。

「ハァ……どうだ? もう降参しろよ」

 村野は荒木を見下ろして言った。

「て、てめ……うっ」

 荒木は堪えきれずに口から胃の中の物を吐き出した。

「オエッ! オエッ!」

 先程までとは全てが逆転していた。

「汚すんじゃねぇよ」

「ップ……ハァ……ハァ」

「コレでお互い様だな」

 荒木は言葉にもならない呻きを洩らして、意識を失い倒れた。

「とりあえずはこっちの問題は解決したな」

 その村野の表情はまさに勝者の顔をしている。

 それからメンバーみんなのことを思い出した。

(福井さんは多分大丈夫だろうけど、修一や蒼太と紅太はどうしてんだ? 大丈夫なのか?)

 村野の不安は膨れ上がった。

(この野郎が居たってことは他の奴等も居るはずだ)

 村野は屋上の出口に向かい走り出す。

 だが、その時に後ろで音がした。村野は振り向いた。

「ま……待てよ……クソガキ……」

 意識を取り戻した荒木が立っていた。

「てめぇ、しつこいんだよ! 目を覚ますのが早すぎだぜ! 俺はてめぇに構ってる暇はねぇんだよ!」

「て、てめぇみてぇなガキにやられるわけにゃいかねぇんだよ」

「仕方ねぇ。トドメにもう一発だ!」

 そう言って村野は荒木に近付こうとしたが、その瞬間、荒木が村野に突っ込んできた。

「オウッてめぇ!」

 荒木は村野の体を押し倒した。

「クソガキがぁ、殺してやるぜ!」

 そう言って荒木は村野の首を両手で力一杯絞める。

「っ……かか……」

 村野は荒木の手を離そうとするがダメだった。
「く、くたばりやがれや」

 村野は荒木の目を見た。その目からは完全なる殺意が見て取れた。

(や……やべ……ぇ)

 冗談抜きでこのままでは自分が殺されることを悟った村野は焦った。

 村野はなにか無いかズボンのポケットの中を探る。そしたら左ポケットになにかが入っていた。それは二センチ程度のガラスの破片で、窓ガラスを割って侵入した時に偶然ポケットに入った物だった。

 ガムテープを使いガラスの破片が飛び散らないようにしたのだが、侵入する時に窓枠にズボンが触れて残っていたガラスがポケットに入ったのだろう。穴の広いポケットのズボンを着ていたのが幸いした。

 村野はガラスの破片で荒木の頬を切りつけた。
「ッ! なっ?」

 その痛みと驚きで荒木は力を緩める。村野は残る力を全て振り絞り荒木の両手を自分の首から離した。

「クソガキがぁ!」

 それから村野は荒木を横に突き飛ばして体勢を逆転させ荒木の両腕を押さえつけた。

「ハァハァ……っハァ……。し、死ぬところだったぜ……」

「惜しかったな」

「そうかい。だけどよ、次も形勢逆転したな」

 村野は荒木を見下して言った。

「クソがぁ」

 荒木は押さえつけられている両腕を動かし暴れる。

「大人しくしとけ! もうてめぇの負けなんだよ!」

 しかし、荒木は聞く耳を全く持たなかった。

「降参しろよ!」

 荒木はさらに暴れて、村野も荒木の両腕を押さえつける力が無くなってきた。

「離しやがれ! このクソガキがぁ!」

「クソ野郎が!」

 村野は業を煮やし遂にキレた。両腕を離し、素早く荒木の頭を掴んだ。

「もう一回寝てな!」

 そう言って村野は荒木の頭を地面に思いっきり叩きつけた。

「がぁっ……」

 そして荒木は動かなくなった。

「ハァ……面倒なクソ野郎だぜ」

 村野は立ち上がり屋上の出口に向かおうとした。だが、またさっきと同じように荒木が意識を取り戻して同じことにならないかを警戒して村野は立ち止まり荒木を見た。

(今度は大丈夫そうだな……)

 しかし村野はなにか嫌な違和感を感じた。それがなんなのかはわからなかったが、嫌な感じがしたために村野は荒木に近付いた。

「オイ、クソ野郎」

 意識を失っていることを知っているのに何故か声を掛けた。

「オイ」

 意識を取り戻さない方が良いのに声を掛けた。

 無意識に体が動き村野は横たわっている荒木に駆け寄った。

 村野は自分の手で荒木の後頭部を持ち上げてさらに声を掛ける。

「オイ……」

 村野は荒木の後頭部に当てていた自分の手を見る。

 手の平には血がベットリと付いていた。

「まさか」

 荒木の左胸に耳を当てた。

 本来するハズの心臓の鼓動は聞こえなかった。

「そんな嘘だろ!」

 思わず叫び、村野はその場にへたり込む。

「殺っちまった……今度は本当に本当に……」

 荒木は頭から血を流し死んでいた。

「本当に人の人生を奪っちまった……」

 パイストス社の屋上には冷たい夜風か吹き抜けた。

 その風は村野の絶望を何処か遠くへ吹き飛ばしてはくれなかった。
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