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【生まれ育つ感情-1】
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先日、「柳沼クリニック」で薬を貰ってからのこの四日間、望美は満足とまではいかないが、十分な時間の睡眠をとることが出来ていた。しかし寝起きのダルさは相変わらずで、毎朝ベッドから出るのに時間が掛かってしまっている。
今日も最低限の身だしなみだけを整えて、望美は仕事に向かうため、いつものバス停へと歩いた。
バスに乗り込んでからの道中、仕事に向かうべく連なる車の列を眺めながら望美は思う。
(あなた達はそんなに急いでドコに行こうとしているの? 目的はなに?)
誰にというわけでもなく、わかりきっていることを無意味に問いかけた。
(そうよね。仕事に行くのよね。お金を稼ぐためなのよね。私と同じだわ)
バスが信号で止まり、青信号になった横断歩道を歩く人々に視線を変えた。
(あなた達にも殺してやりたい人がいるでしょ?)
ここ最近の望美は誰かれ構わず、声には出さずに他人に問いかけるのが癖になってしまっていた。それは自分の中で殺意を固め、実行する決心がついてしまったからなのかもしれない。
自分は殺人なんかしたくない。そんな気持ちは今も消えずにあるのだが、葛藤によるストレスに望美の精神は耐えられなくなっていた。そのため、理性を働かせている脳にある思考回路の歯車が外れかけていた。
(そうだ、忘れてたわ)
バスの揺れで、夢の中のような所にいた望美の意識は連れ戻され、毎日の日課である行動に移る。
(ちゃんと薬を飲まないとね。きっと柳沼先生に怒られちゃうわ)
バッグを開けて、バス停付近の自販機で買った清涼飲料水と薬がいれられている小さなプラスチック製のケースを取り出した。
(精神安定、精神安定)
軽く唱えごとのように頭の中で呟きながら、望美は鬱の薬を二粒口の中に放り、ゴクゴクと音をたてて水を飲んでから息を吐き出す。
(普段、コレって効いてるのかしら?)
ケースに残っている薬に訝しい表情を向けて首を傾げた。
(効いてるわよね。効いてるハズよ!)
本心では実感など全くなかったのだが、そう思い込めばそんな気がすると感じ、望美は自分で納得づけた。
本当は薬の作用が働いており、効果があらわれているのだが、現在の望美の病んだ精神世界には通用していなかった。
眠気が襲ってきたのか、望美は大きなアクビをする。
その時、バス車内に取り付けられているスピーカーから運行状況を乗客に伝えるアナウンスが流れた。
「コスモス循環西ノ内経由郡山駅前行き。次、停まります」
機械的に流れる音声が切れ、少ししてから望美の目的地である朝日三丁目のバス停に到着。「プシュー」と音をたて、バスのドアが開いた。
夕方になり仕事が終わった望美は、今朝、「野中ペットショップ」へと出勤するために利用した同じ路線である郡山駅前行きのバスに乗車し、疲れた身体で郡山駅前に向かった。
目的は買い物と気分転換。いつもの望美ならば、仕事が終われば娯楽にもなににも目もくれずにそそくさと帰宅するのだが、薬が効き気分が少しだけ晴れたのか、今日は仕事終わりにそんな気持ちにさせられた。
バスは駅前の大通りを抜け、バスターミナルへと到着した。そこにはいくつものバス停があり、各方面行きのバスが五、六台停車している。
望美は乗車賃を払いバスから降りて、駅前の周辺を見回した。
郡山駅前には『ビックアイ』と呼ばれる大きなビルがあり、最上階にはギネスに認定されているプラネタリウムがある。なんでも、世界で一番高い位置にあるかららしい。
駅の真向かいにある広場には音楽都市郡山を象徴するかの如く、福島県出身の四人組音楽グループ『GReeeeN』の関連物がある。それはまるで、漫画に出てくる『ドコでもドア』みたいな感じの緑色の扉だ。
辺りを見回した望美の目にソレが映り、久しぶりに扉をくぐろうとその場に向かった。
(何年前だっけ? コレが作られたのって)
どこか懐かしみを含めながら、望美は扉に触れて過去を思い返す。
(高校の頃、目を閉じながら何度かこの扉をくぐったっけ……。ドラえもんの道具みたいに行きたい場所に行けたらよかったのに)
切なさと空しさ、そして懐かしさの織り交ぜられた気持ちで今一度、望美は扉をくぐった。
だが視界に映るのは、広場にある噴水が夕日に照らされて茜色の水しぶきをあげている光景と、ベンチに座り仲むつまじく会話をしている男女の姿だった。
(コレはコレで悪くないかな……)
「望んだ美しい舞台」とまではいかないにしても、望美は小さく笑みをこぼした。この場を離れるために歩く望美の横顔は、夕日の優しい茜色と女性の微笑みが相まって綺麗にも見えるが、日が沈むときの刹那のような、どこか寂しげな哀愁漂う表情にも見えた。
駅の建物前の広い歩道を歩き、大きなショッピングモールの建物の脇にある小道へと入っていく。暗い地下道のようにヒンヤリとジメジメした空間の通路をスタスタと歩き抜けていく。スグにひらけた駅裏へと出て、望美は足早に木造の老舗の各商店や、居酒屋、雑貨屋の横を通りすぎ目的の店へと着いた。
「Help」という店名を掲げた古着屋で、外装はレトロな感じに黒と茶を基調とした色で統一されていた。
店の正面入り口には全長一メートル程ある木製のカブトムシの置物があり、店の壁面は外を歩く歩行者に店内が見えるように一面ガラス張りになっている。
店の横には車が三台は停められる駐車スペースがあって、そこに一台の黒塗りの旧式ビートルが停まっていた。
店の景観はなんともオシャレな印象を客に与える作りになっている。
望美は指先で軽く前髪をそろえてから店のトビラを開き中へと入った。
客が店内に入ってきたことを店の従業員に伝えるためのインターホンが「パポーンパポーン」と変わった音で鳴ったが、この時、望美の耳に入るのは店内に流れているビートルズの名曲である『レット・イット・ビー』だ。
曲の冒頭からピアノのメロディーが心地よくて、サビの部分では「なすがままに」といった意味である曲のタイトルを何度か繰り返す。
店内に立ち尽くし、望美はビートルズの曲を静かに聴いていたのだが、最初のサビが終わったところでレジの後ろにある扉が開き、一人の男が姿を現した。
「いらっしゃい! あれ? 望美ちゃんじゃん」
驚きで目を輝かせながら、喜びで爽やかな笑みを浮かべた男の名前は「渋谷博人」といい、この店の店主である。
まだ春だというのに渋谷の肌は焼きたてのパンのように日焼けしていた。自然に出来上がった褐色の肌と綺麗に整った白い歯がちょうど良い色合いで、その笑顔は他人に真夏のビーチを連想させる。だが決して暑苦しい印象を与えるわけではなく、ビーチパラソルの下でスクリュードライバー片手にくつろいでいる男性のような、そんなダンディーで涼しげな印象を与える。年齢は望美の二つ上の二十二歳で、身長は高く小顔で脚も長い。見た目は誰が見てもいわゆるモテ男だ。
「元気にしてる? 店に来るのってだいたい一ヶ月振りくらいじゃん」
「そんなになりますか?」
望美は赤らめた顔を隠すように軽く下を向き言った。
「ああ。どうしたんだろうって少し心配だったんだよ」
「そうですか。とりあえず元気だと思います」
「へぇ、そんな感じはしないなぁ。なにか悩んでるの?」
「いえいえ、なんでもないですよ。気にしないでください」
望美は両手を胸の前の辺りで左右に振って、笑顔を作りながら気持ちを装った。
「ふーん。まあ、ならいいけどさ。でも前に店に来てくれた時よりやつれた感じに見えてさ……」
そう言って渋谷は望美の顔や身体を上から下まで見通す。その目には当然、イヤラシイ下心などはなく、望美にたいする心配が込められていた。
「大丈夫ですよ大丈夫! 寝不足だったり食事が偏ってたりってだけですから」
頭をコツンと軽く叩き、望美は元気におどけてみせた。
「でも、だからこそ心配に思うんだよなぁ」
「女には色々と男にはわからない悩みがあるってことで!」
「ああ、なるほどね」
理由になるようでならない望美の言葉に渋谷は納得してしまった。
「それにしても相変わらずですよね」
会話の流れを変えるようにそう言って、望美は店内に流れているビートルズの曲に耳を傾けた。
「ん? なにが?」
「相変わらずビートルズが好きなんですね」
「ああ、もちろんじゃん! 最高のロックバンドだよ!」
「この曲の名前ってなんでしたっけ?」
『レット・イット・ビー』は終わり、今は別の曲が流れていた。
「これは『イン・マイ・ライフ』だよ。懐かしい気持ちになる曲だよなぁ」
「確かにそうですね。なにか過ぎ去った日々を思い出させてくれる感じの曲ですよね」
望美は無意識に目を閉じて、どこか和らいだ気持ちに浸る。
「そんな歌詞の曲だよ。まあ、俺が一番好きな曲は『ヘルプ』なんだけどさ」
「それは知ってますよ。何度も聞いてますし。だから店名にしたんですよね」
「そうそう。ファッションのことで困ったり助けを求めてたら、うちの店に逃げてこい的な意味があるんだけどさ」
「フフ、改めて聞くと面白いですね」
以前から知っていた話とはいえ、渋谷の好みと趣向の意味合いに、望美は面白可笑しく八重歯を見せて笑った。
「でしょ! ちゃんと意味を込めて考えてんのさ」
「ホントですね。そういうの好きです」
「でしょでしょ! 他にもビートルズの曲で良いのがたくさんあるんだけど、やっぱり俺は『ヘルプ』が一番だね。『イエスタデイ』とか『ヘイ・ジュード』とか色々と好きなんだけど店名にピッタリだったし。他には――」
ビートルズの話題になると会話のやまない渋谷は意気揚々に話を続けるが、その話を返事一つで受け答えるこの時、望美の頭にあったのは「Hるelp」を初めて訪れた日からの今までの思い出と驚くべき出来事。
望美の頭に映し出される過去。
今日も最低限の身だしなみだけを整えて、望美は仕事に向かうため、いつものバス停へと歩いた。
バスに乗り込んでからの道中、仕事に向かうべく連なる車の列を眺めながら望美は思う。
(あなた達はそんなに急いでドコに行こうとしているの? 目的はなに?)
誰にというわけでもなく、わかりきっていることを無意味に問いかけた。
(そうよね。仕事に行くのよね。お金を稼ぐためなのよね。私と同じだわ)
バスが信号で止まり、青信号になった横断歩道を歩く人々に視線を変えた。
(あなた達にも殺してやりたい人がいるでしょ?)
ここ最近の望美は誰かれ構わず、声には出さずに他人に問いかけるのが癖になってしまっていた。それは自分の中で殺意を固め、実行する決心がついてしまったからなのかもしれない。
自分は殺人なんかしたくない。そんな気持ちは今も消えずにあるのだが、葛藤によるストレスに望美の精神は耐えられなくなっていた。そのため、理性を働かせている脳にある思考回路の歯車が外れかけていた。
(そうだ、忘れてたわ)
バスの揺れで、夢の中のような所にいた望美の意識は連れ戻され、毎日の日課である行動に移る。
(ちゃんと薬を飲まないとね。きっと柳沼先生に怒られちゃうわ)
バッグを開けて、バス停付近の自販機で買った清涼飲料水と薬がいれられている小さなプラスチック製のケースを取り出した。
(精神安定、精神安定)
軽く唱えごとのように頭の中で呟きながら、望美は鬱の薬を二粒口の中に放り、ゴクゴクと音をたてて水を飲んでから息を吐き出す。
(普段、コレって効いてるのかしら?)
ケースに残っている薬に訝しい表情を向けて首を傾げた。
(効いてるわよね。効いてるハズよ!)
本心では実感など全くなかったのだが、そう思い込めばそんな気がすると感じ、望美は自分で納得づけた。
本当は薬の作用が働いており、効果があらわれているのだが、現在の望美の病んだ精神世界には通用していなかった。
眠気が襲ってきたのか、望美は大きなアクビをする。
その時、バス車内に取り付けられているスピーカーから運行状況を乗客に伝えるアナウンスが流れた。
「コスモス循環西ノ内経由郡山駅前行き。次、停まります」
機械的に流れる音声が切れ、少ししてから望美の目的地である朝日三丁目のバス停に到着。「プシュー」と音をたて、バスのドアが開いた。
夕方になり仕事が終わった望美は、今朝、「野中ペットショップ」へと出勤するために利用した同じ路線である郡山駅前行きのバスに乗車し、疲れた身体で郡山駅前に向かった。
目的は買い物と気分転換。いつもの望美ならば、仕事が終われば娯楽にもなににも目もくれずにそそくさと帰宅するのだが、薬が効き気分が少しだけ晴れたのか、今日は仕事終わりにそんな気持ちにさせられた。
バスは駅前の大通りを抜け、バスターミナルへと到着した。そこにはいくつものバス停があり、各方面行きのバスが五、六台停車している。
望美は乗車賃を払いバスから降りて、駅前の周辺を見回した。
郡山駅前には『ビックアイ』と呼ばれる大きなビルがあり、最上階にはギネスに認定されているプラネタリウムがある。なんでも、世界で一番高い位置にあるかららしい。
駅の真向かいにある広場には音楽都市郡山を象徴するかの如く、福島県出身の四人組音楽グループ『GReeeeN』の関連物がある。それはまるで、漫画に出てくる『ドコでもドア』みたいな感じの緑色の扉だ。
辺りを見回した望美の目にソレが映り、久しぶりに扉をくぐろうとその場に向かった。
(何年前だっけ? コレが作られたのって)
どこか懐かしみを含めながら、望美は扉に触れて過去を思い返す。
(高校の頃、目を閉じながら何度かこの扉をくぐったっけ……。ドラえもんの道具みたいに行きたい場所に行けたらよかったのに)
切なさと空しさ、そして懐かしさの織り交ぜられた気持ちで今一度、望美は扉をくぐった。
だが視界に映るのは、広場にある噴水が夕日に照らされて茜色の水しぶきをあげている光景と、ベンチに座り仲むつまじく会話をしている男女の姿だった。
(コレはコレで悪くないかな……)
「望んだ美しい舞台」とまではいかないにしても、望美は小さく笑みをこぼした。この場を離れるために歩く望美の横顔は、夕日の優しい茜色と女性の微笑みが相まって綺麗にも見えるが、日が沈むときの刹那のような、どこか寂しげな哀愁漂う表情にも見えた。
駅の建物前の広い歩道を歩き、大きなショッピングモールの建物の脇にある小道へと入っていく。暗い地下道のようにヒンヤリとジメジメした空間の通路をスタスタと歩き抜けていく。スグにひらけた駅裏へと出て、望美は足早に木造の老舗の各商店や、居酒屋、雑貨屋の横を通りすぎ目的の店へと着いた。
「Help」という店名を掲げた古着屋で、外装はレトロな感じに黒と茶を基調とした色で統一されていた。
店の正面入り口には全長一メートル程ある木製のカブトムシの置物があり、店の壁面は外を歩く歩行者に店内が見えるように一面ガラス張りになっている。
店の横には車が三台は停められる駐車スペースがあって、そこに一台の黒塗りの旧式ビートルが停まっていた。
店の景観はなんともオシャレな印象を客に与える作りになっている。
望美は指先で軽く前髪をそろえてから店のトビラを開き中へと入った。
客が店内に入ってきたことを店の従業員に伝えるためのインターホンが「パポーンパポーン」と変わった音で鳴ったが、この時、望美の耳に入るのは店内に流れているビートルズの名曲である『レット・イット・ビー』だ。
曲の冒頭からピアノのメロディーが心地よくて、サビの部分では「なすがままに」といった意味である曲のタイトルを何度か繰り返す。
店内に立ち尽くし、望美はビートルズの曲を静かに聴いていたのだが、最初のサビが終わったところでレジの後ろにある扉が開き、一人の男が姿を現した。
「いらっしゃい! あれ? 望美ちゃんじゃん」
驚きで目を輝かせながら、喜びで爽やかな笑みを浮かべた男の名前は「渋谷博人」といい、この店の店主である。
まだ春だというのに渋谷の肌は焼きたてのパンのように日焼けしていた。自然に出来上がった褐色の肌と綺麗に整った白い歯がちょうど良い色合いで、その笑顔は他人に真夏のビーチを連想させる。だが決して暑苦しい印象を与えるわけではなく、ビーチパラソルの下でスクリュードライバー片手にくつろいでいる男性のような、そんなダンディーで涼しげな印象を与える。年齢は望美の二つ上の二十二歳で、身長は高く小顔で脚も長い。見た目は誰が見てもいわゆるモテ男だ。
「元気にしてる? 店に来るのってだいたい一ヶ月振りくらいじゃん」
「そんなになりますか?」
望美は赤らめた顔を隠すように軽く下を向き言った。
「ああ。どうしたんだろうって少し心配だったんだよ」
「そうですか。とりあえず元気だと思います」
「へぇ、そんな感じはしないなぁ。なにか悩んでるの?」
「いえいえ、なんでもないですよ。気にしないでください」
望美は両手を胸の前の辺りで左右に振って、笑顔を作りながら気持ちを装った。
「ふーん。まあ、ならいいけどさ。でも前に店に来てくれた時よりやつれた感じに見えてさ……」
そう言って渋谷は望美の顔や身体を上から下まで見通す。その目には当然、イヤラシイ下心などはなく、望美にたいする心配が込められていた。
「大丈夫ですよ大丈夫! 寝不足だったり食事が偏ってたりってだけですから」
頭をコツンと軽く叩き、望美は元気におどけてみせた。
「でも、だからこそ心配に思うんだよなぁ」
「女には色々と男にはわからない悩みがあるってことで!」
「ああ、なるほどね」
理由になるようでならない望美の言葉に渋谷は納得してしまった。
「それにしても相変わらずですよね」
会話の流れを変えるようにそう言って、望美は店内に流れているビートルズの曲に耳を傾けた。
「ん? なにが?」
「相変わらずビートルズが好きなんですね」
「ああ、もちろんじゃん! 最高のロックバンドだよ!」
「この曲の名前ってなんでしたっけ?」
『レット・イット・ビー』は終わり、今は別の曲が流れていた。
「これは『イン・マイ・ライフ』だよ。懐かしい気持ちになる曲だよなぁ」
「確かにそうですね。なにか過ぎ去った日々を思い出させてくれる感じの曲ですよね」
望美は無意識に目を閉じて、どこか和らいだ気持ちに浸る。
「そんな歌詞の曲だよ。まあ、俺が一番好きな曲は『ヘルプ』なんだけどさ」
「それは知ってますよ。何度も聞いてますし。だから店名にしたんですよね」
「そうそう。ファッションのことで困ったり助けを求めてたら、うちの店に逃げてこい的な意味があるんだけどさ」
「フフ、改めて聞くと面白いですね」
以前から知っていた話とはいえ、渋谷の好みと趣向の意味合いに、望美は面白可笑しく八重歯を見せて笑った。
「でしょ! ちゃんと意味を込めて考えてんのさ」
「ホントですね。そういうの好きです」
「でしょでしょ! 他にもビートルズの曲で良いのがたくさんあるんだけど、やっぱり俺は『ヘルプ』が一番だね。『イエスタデイ』とか『ヘイ・ジュード』とか色々と好きなんだけど店名にピッタリだったし。他には――」
ビートルズの話題になると会話のやまない渋谷は意気揚々に話を続けるが、その話を返事一つで受け答えるこの時、望美の頭にあったのは「Hるelp」を初めて訪れた日からの今までの思い出と驚くべき出来事。
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