【完結】俺の好きな人は誰にでも優しい。

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誰にでも優しい人は残酷



 時間が重い鎖をひきずるようにして俺の頭上を通過する。ゆっくりと空を流れる雲のように、11月が窓の外を過ぎ去っていった。

 フィリオン様と出会い、彼に恋をしてからあっとい間に3年の月日が流れた。ベレズフォード学園で過ごす、4度目の冬が到来している。
 俺は基礎学年を終え、19歳となった。学年で数えると4年となった今は無事、目標としていた家令科に進むことができ、家令の心得10ヶ条を読み上げることから講義が始まる日々を送っている。

 俺が19歳になっている今、フィリオン様は21歳の6年生だ。彼はもちろん誰よりも早く貴族科に進み、本来ならあと1年以上ある履修をすべて終えているとの噂も流れてくる。
 しかし卒業をしていないということはまだ彼にもこの学園に残っている意味があるのだろう。俺は彼に卒業してほしくないような、むしろ早く卒業してほしいような、複雑な気持ちを抱えていた。

 3年前、フィリオン様の家令を志したときの青い自分を思い出すと耳の裏が痒くなってくる。それだけの月日が経った。その月日の中で、俺は恋の本当の正体を知った。

「麗しいご令嬢、これはあなたのものではないかな?落とされたようだ」
「そっ、そうです!ありがとうございます…!フィリオン様に拾って頂けるなんて…!」
「大切なものならば気を付けないとね。では」
「はぅぅ~…」

 いっそ雪でも降った方が暖かいのではと思われるほど風は冷たい。頬が、耳が痺れるほどの冷たい風の中、窓から声のしたほうに向けて頭を出すと目をハートマークにさせた女子生徒に柔らかな笑みを浮かべるフィリオン様を目撃する。
 講義の鐘が鳴り響くまであまり余裕がないというのに、この耳は、この心は無意識に彼へと引き寄せられてしまう。その後に襲いくるのはキリキリと痛む胸だと分かっているのに。

 俺は、フィリオン様の優しさに恋をした。確かにそれは、事実だった。
 最初は俺と同じように彼から優しさを受け取った生徒たちの話を聞くたびに、やはりフィリオン様は素敵な人だ、と誇らしげな気持ちになっていた。
 優しさなどというものも、彼にすれば、愛と同じに消耗しない固形物のような存在なのだろうかと思うほど、彼が優しいという話はあちらこちらで咲いていた。
 それは春夏秋冬も、男女も、学年も、身分も関係なく、分け隔てなくいつだって彼の優しさは言葉にのせられて学園中に漂っていた。

 いつからだろう。そんな話に耳を塞ぎたくなってしまったのは。

 いつからか、名前も知らない誰かがフィリオン様の名前を出すたび、彼の優しさを自慢げにうっとりと語るたび、俺は羨望ではなく嫉妬心を抱くようになっていた。
 彼が優しいことを俺はよく知っているのに、彼の優しさに何度も救われたのに。いつからか、その優しさを憎らしいと思うようになっていた。

 二度目まして以降も、フィリオン様とはたびたび顔を合わせることがあった。彼は俺に気付くと必ず声をかけてきて下さるのだ。
 最初はそれが本当に嬉しくていちいち浮かれていた。にやける顔を隠しきれず、ピートに気持ち悪いと一蹴されたことは何度もある。
 入学してから半年ほどは全くお会いすることもなかったのに、出会ってからはこんなに高い頻度で会えるのは偶然だろうか、まさか彼がわざわざ会いに来てくれているのではないだろうかと自惚れそうになったときもあった。

 会うたび、彼は俺にとびきり優しかった。ボタンが外れかけていること、髪をほんの数センチ切ったこと、今日は寝不足だろうこと。ほんの些細な変化を見逃さず、必ず心あたたまる優しい言葉をかけてくれた。
 こうして長くはないが些細なやり取りを重ねて親交を深めていくことで、彼の家令になるという夢はいつか叶うのではないだろうかと期待することも増えた。
 だって、どう考えても彼は俺に優しすぎる。俺を特別扱いしているように思えてならないのだ。それくらい、いつでも彼は俺を、俺が気付くよりも先に気付いて声をかけ続けてくれた。

 こんな傲慢な考えを持ってしまったからか、俺は誰かがフィリオン様の話をするたびに無意識に俺の出来事と比較して、彼の優しさの大きさを比べるようになってしまった。
 重たいものを運ぶのを手伝ってもらった人がいれば、俺だってそんなことは何度もあるしもっと長い距離を手伝ってもらったぞ、と内心で敵対心を燃やす。
 図書室で本が落ちてきそうなところを庇ってもらったという人がいれば、俺だって階段から落ちそうなところを抱き締めてもらったことあるし、と歯軋りをする。
 フィリオン様の優しさに消費期限はなく、限度がないことを分かっているのに、俺のほうがお前よりも優しくしてもらったと思うのを止められなくなってしまった。

 そんな自分に気付いたとき、なんて浅ましくなんて卑劣な人間なのだと自分自身に失望した。俺は一体いつからこんなにも嫌な人間になっていたのだと絶望した。
 決定的だったのは、同室者のピートがフィリオン様に落とした学生証を拾ってもらったと語ったときだった。
 これまでは、話したこともない、顔をたまに見るか見ないかの人から聞く話や人づてに聞いた話ばかりだった。身近な人からフィリオン様の名前が出ることはあまりなかった。
 ピートから「お前が言ってた通り、フィリオン様ってのは本当にお優しい方なんだな」と言われたとき、俺はなぜかひどいショックを受けていた。
 友人に優しくしてくれたのが好きな人なら、喜ぶべきだし誇らしげな気持ちになるべきなのに、俺は醜くもそんな明るい感情にはなれなかった。悔しくて悔しくて、笑顔を作ろうとして失敗したような、引きつった顔になってしまっていたと思う。

 この出来事があってから、俺はフィリオン様の話を聞くたびに負の感情ばかりに支配されるようになった。
 優しい彼を好きになったはずなのに、彼の優しさが誰にでも向けられていることが苦しく感じるようになった。誰にでも優しい彼を好きなはずなのに、憎らしく思うようになった。

 そして俺はやっと、気付いたのだ。恋というものがどんなに愚かで醜くて哀れな感情なのかということを。
 同じくして、俺は優しい彼が好きなのではなく、"俺にだけ"優しい彼が好きなのだと気付いた。

 "優しい人"

 確かに彼は優しい。不自然なくらいに、誰にでも優しい。けれど、"誰にでも優しい"は、"誰にも優しくない"と等しいのではないかと、思うようになってしまった。

    彼の優しさを残酷だと思ってしまうほどに、この恋は地獄の業火の中にあった。


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