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熱を出して看病される
しおりを挟む寮の廊下は風を凌いでいる建物内とはいえ、つんざくような寒さがある。俺はどうしたものかと回らない頭で考えた結果、扉に背をつけて座りこむことにした。
扉の内側に意識して耳を傾けてみてもピートが起きている気配はない。まだ夢の中の彼を扉を叩いて起こすのは彼の機嫌を損ねる。ピートだけは怒らせてはいけないという教訓が染み付いている俺に、そんなことは出来ない
今が何時なのか分からないが、あと数十分、長くても1時間くらいでピートがお祈りに行く時間になるだろう。その時までここで待つことにしたのだ。
廊下はひどく冷たくて寒い。図書室はもう開いている時間だろうが、これ以上歩き疲れた足に寒さで痛む爪先を虐めたくない。図書室まで行く労力も鍵を探しに行く気力も残っていない。
背をつけた扉とお尻をつけた廊下の床は、厚手のマント越しでも冷たさが伝わってくる。手袋のおかげで手は比較的あたたかく、指先を自由に動かせることだけが救いだった。
ぼやけてとっ散らかる自分の思考を整理したくて朝の散歩に出たのに、部屋の鍵を落として帰ってくるなんて、本当に嫌になる。
フィリオン様が選ばれた婚約者候補の方が来週には転入してくるのだからそれまでに気持ちを建て直さないといけないのに、余計に落ち込む種を自分で作ってしまった。
こんな俺で本当に彼の家令は務まるのだろうかと自信を失っていくことにも嫌気がさして、俺は膝を抱えて蹲った。
寒さがさらに俺を精神的に追い詰める。悔しくて悲しくて、こんなところで蹲っている自分が恥ずかしくて、涙の粒が溢れ落ち、それはマントの中に吸い込まれていった。
そのまましばらくそうしていると、寝不足のせいか眠気が襲ってくる。体は寒気を感じるのに頬が熱を持っている気がする。外ではないから少しくらい寝ても大丈夫だろうか、と考えているうちに思考はどんどんぼやけていく。
静けさの中に落ちてきた音と声、人の気配すらも分からなくなった俺の意識は、そこでぷつりと途切れた。
***
ゆっくりと、意識が浮上する。闇の底から引き上げられるように、重たいまぶたがわずかに震えた。
光が差し込み、輪郭のない世界が少しずつ形を持ちはじめる。目を覚ました瞬間、違和感が先に立った。
見慣れない天井。淡い装飾と落ち着いた色合いが、ここが自分の部屋ではないことを告げている。殺風景ではあるが、調度品の一つ一つに品があり、どこか貴族の気配を感じさせた。
身体を起こそうとして、やめる。頭が重く、思考が熱に溶けたようにぼんやりとしている。どうやら熱を出しているらしい。
理由も経緯も掴めないまま、ただその部屋の空気に包まれ、現実と夢の境目を漂っていると。
「起きたか。胃に優しいもん作ってやったけど食えそうか?」
開いた扉から大きな図体をのぞかせたのは、ヒューゴ・ファレルだった。なぜ、という疑問が溶けかけている脳の中に浮かぶ。
知らない匂いのするベッドに横たわったまま、ボーッと彼を見上げて何も答えずにいると、チッと軽く舌打ちをした彼がベッドにどさりと腰かける。ただでさえ揺れている頭が、さらに揺れた。
「おい、大丈夫かよ。ったく、何であんな朝っぱから部屋の前で寝てんだよ。バカなのかあんた」
「……部屋、はいれなくて」
「鍵を忘れたのか失くしたのか知らねーが、同室者を叩き起こせば良かっただろ。あんな寒い廊下で寝てるなんて風邪をひきたいですって言ってるようなもんじゃねーか」
その通りなので何も言い返せない。体がだる重く、口を開くのでさえ億劫で言い返す気力がないというほうが正しいかもしれない。
いつもなら刺々しく言い返す俺が唇を閉ざして押し黙っているからか、彼は夕焼け色の髪をがしがしと無造作に乱したあと、俺の額に手のひらを乗せた。
「あっちーな。とりあえず飯食って薬飲むぞ。持ってくるから待ってろ」
そう言ってベッドを揺らしながら立ち上がって部屋を出ていく大きな背中を見送り、一度目を瞑る。
ここは彼の部屋なのだろうか。だとして、なぜ俺は自分の部屋ではなく彼の部屋で寝ているのだろうか。今は何時で講義はどうなっているのだろうか。疑問は尽きないはずなのに何も考えたくないほど体がだるい。
湯気がたつおかゆのようなものが入ったお椀とコップに入った水、そして粒状の薬が乗ったトレーを持って戻ってきた男。図体のでかい彼がいるだけで部屋の空気が圧迫した気がする。
貴族で野性的な風貌には見合わず、料理をするという事実を知ったのはつい昨日のことだ。まだ半信半疑だったが、このおかゆも彼が作ったものなのだろうか。
「起きれるか?めんどくせーけど食わしてやるから、体起こすぞ」
「…ん、ありがとう」
「あんたが素直だと気が狂うな」
ベッドから体を起こすとあらゆる関節が痛みを訴える。思わず顔をしかめると彼は大きな掌で俺の肩を擦る。案外、面倒見がいいんだなと遠い思考を巡らせながら、湯気の立つ椀を前に、俺はヘッドボードにもたれていた。
彼は木匙でおかゆを静かにかき混ぜた。白い粒がゆっくりとほどけ、ほのかな米の匂いが広がる。一口分すくい、息を吹きかける。その仕草が不思議と落ち着かせてくれた。
「ほら、食え」
差し出された匙に、俺は素直に口を開く。やさしい温度が舌に触れ、体の奥まで染み渡る。
「どうだ?」
「……おいしい」
それだけで、男は少しだけ笑った。彼は焦らず、急かさず、次の一口を用意する。木匙が椀に触れる小さな音が、時間をゆっくりと解いていく。
俺は思った。食べさせてもらうという行為は、こんなにも心細さを溶かすものなのだと。
彼の手の温もりと、白いおかゆのやさしさが、俺の胃と共に心をあたためていった。
普段の荒々しい口ぶりと最低な言動を繰り返してきた男が作ったものとは思えないほどやさしい味のおかゆは、気づけばすべて俺の胃の中におさまっていた。
その事に気まずさと恥ずかしさを感じ、誤魔化すように手渡された水と薬を一気に飲み干す。そんな俺を見下ろした彼は、フッと静かに笑ってトレーを持ちながら立ち上がった。
なぜか彼の動きを目で追ってしまう。それはまるで置いていかれる子供のような仕草だった。
「冷やした布巾を持ってくる。すぐ戻っから、そんな顔すんな」
俺を安心させるように言い残してまた大きい図体がいなくなると、部屋の圧迫感が薄れる。それを寂しいと思ってしまうのは、絶対に熱のせいだ。
もぞもぞと布団の中に潜り込み、おさまりの良い体勢を見つけると目を瞑る。するとすぐに眠気がやってきて、意識が遠のいていった。
男の手が汗で額に張り付いた髪の毛をはらうことにも気づかぬまま、俺は強い眠気に誘われていった。
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