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恋心と復讐心は似ている
岩のように固くて重い沈黙がしばらく続いたあと、俺の視線に縛り付けられていた彼は、そっと目を伏せた。それは、夕日が沈んで夜を連れてくるようにも見えた。
ふぅ、と喉の奥で息を落とした彼の、逃げ場を探すように揺れた瞳がやがて静かに定まる。肩から力が抜け、長い沈黙を受け入れた末のように、彼はついに観念した声音で口を開いた。
「あんたの言う通りだ。オレは―――あんたをアイツへの復讐の通過点として利用しようと思って近付いた」
分かっていたはずの事実なのに、胸を打ち抜く衝撃は想像以上に強かった。どうしてここまで心が揺さぶられるのか、自分でも理由が分からない。
ただ、この男は変態で変人で遊び人だと彼のことを分かっているつもりでいた自分が恥ずかしかった。砕け散った先入観が、感情の中で虚しく音を立てていた。
「あんたがアイツに恋をしていることになぜオレが気付いたか。それはオレがアイツを意識して観察していたからだ。そして、誰にでも仮面をつけたような微笑みを向けるアイツが唯一、力を抜いたような微笑みを向ける相手がいることに気が付いた。それが、あんただった。
あんたがアイツに強い恋愛感情を持っていることもすぐに分かった。姉貴と同じ目をしていたからな。その目を見て……あんたも姉貴と同じ末路を辿ってほしくないと思った。あんたの恋を成就させれば、救えなかった姉貴を救える気がしたんだ」
俺の目が好きだと言った男は、俺の目を通して義姉の影を追っていたにすぎなかった。
あんなにしつこかった理由が分かり、納得すると共に失意がわき起こる。どこから来る、何に対しての失意なのかは、分からなかった。
「でも、あんたの恋を成就させてアイツが幸せそうな顔をすることだけは許せなかった。アイツがあんたに惚れて恋人になったあと、あんたにこっぴどくフラれれば、自殺するほど苦しんだ姉貴の気持ちが分かるだろうと思った。後悔させてやりたかったんだ。
あんたがアイツと両思いになって喜んだとしても、姉貴のことを話せば幻滅するだろうと考えた。両思いにさせたあと、あんたは人殺しを好きになったんだぞって目を覚まさせるつもりでいたんだ」
苦渋に歪んだ表情のまま、彼は暗く沈んだ声で言葉を紡いだ。その一語一語には、押し殺してもなお溢れ出す悲しみが滲んでいる。
姉を失った弟としての喪失感は、癒えない傷のように胸の奥に居座り、彼を内側から確実に蝕んでいたのだろう。
言葉にするたびに崩れてしまいそうで、彼はただ苦しげに息を吐きながら、その重みを耐え忍んでいるようだった。
「…パーティーであなたと俺がダンスを踊る提案は何のためにしたんですか?彼が留学を回避するために先手を打っていたことは本当に知らなかったんですか?」
「…知っていた。アイツならそれくらいのことはすると分かっていた。オレが何もしなくても勝手に留学を回避するだろうことなんざ、分かりきっていた。あの取引は、あんたをオレのダンスパートナーにするためだけに持ちかけたものだった」
「なぜそんなことを…」
「アイツがあんたを特別視していることは明らかだ。ただ、その"特別"がどんな感情の"特別"なのかが分からなかった。あんたとダンスのパートナーとしてアイツの前に現れりゃ、その答えが分かると思った。恋愛の"特別"なら一気にあんたの恋を成就させる動きをしようと考えていた。まぁ、この話は無かったことにされちまったが」
俺もフィリオン様から特別扱いを受けていると感じたことがあるが、彼も同じように感じていたのか。しかしそれも今となっては、その"特別"がただの"利用価値がある特別"だと判明したわけだが。
彼の義姉もフィリオン様にとって利用価値があり、恋心を逆手に取られて踏みにじられるようなことをされたんだろうか、と疑念がわく。しかしすぐに、彼はそこまで酷いことをするような人じゃないと否定する自分がいた。
「お義姉さんは…フィリオン様にひどいフラれ方をしたんですか?」
「分からない。アイツと姉貴の間にどんなやり取りがあって、どんな酷い言葉を浴びせられたのか、姉貴は誰にも言わなかった。
ただ活発で明るい姉貴がどんどん塞ぎ込むようになって、アイツに会いに行くと言って帰ってきてしばらくしたあと…命を絶ったらしい。そのときのオレは…そばにいてやれなかったが、自殺をするなんてよっぽどのことがあったに違いねぇよ。
実際、遺書には"フィリオン様お許しを。あなたを愛したのが大きな過ちでした。自分の罪を償います。さよなら"とだけ書かれていたしな。アイツに心を壊されたんだ、姉貴は」
唇を強く噛み締め、怒りが漏れ出すのを必死に押さえ込むような声で、彼は言葉を絞り出した。
フィリオン様に突き放され、自ら命を絶った義姉――その事実が、今も彼の胸の奥で燻り続けている。
悲しみは通り越し、燃え上がる怒りへと姿を変え、行き場を失ったまま血の中を巡り、彼の喉を焼いた。叫びたい衝動を噛み殺し、拳を震わせながら、彼はその激しすぎる感情に耐えていた。
その姿は痛々しさに満ちており、俺は慰めの言葉を探したがなんて言ったらいいのか分からず、ただ彼と同じく視線を伏せるしかなかった。
「あんたをアイツへの復讐の道具にしようとしたことは事実だ。本当は、あんたに姉貴の話をするつもりだってなかった。何も言わず、うまくやるつもりだったんだ。
だが…なぜか、言っちまった。アイツに利用されているだけだと知って泣いたあんたの涙が……オレの中に罪悪感を生んだんだと思う。今日、あんたの涙を見ていなければ、一生あかさない話だったはずだ」
俺の涙が、彼の分岐点になったということか。
しかしこうして真実を聞かされた今、俺は知らないままが良かったと思ってしまっている。知らないままの方がこの男を、最低な遊び人で衝動的かつ野性的な男だと気軽に思えたから。
話を聞いた前と後では、彼への印象が大きく変わってしまった。彼の"遊び"の理由は、きっともっと、複雑な感情の背景がある。
「彼氏がいる女性や自分を好きにならない女性としか関係を持たなかったのは、相手に本気になられたくなかったからですか?お義姉さんのように、フラれて傷付く人を自分自身が作りたくなかったからですか?」
「…そうだ。姉貴のことがあってから、オレは恋愛感情なんつーもんは、人間の感情の中で一番いらねぇもんだと思った。そんな感情持たない方が、知らない方が、ずっと幸せじゃねぇかって今でも思ってる」
彼の気持ちはよく分かる。俺も最初は恋というものを誤解していたから。キラキラしていて、優しい気持ちになれて、心をあたためてくれるものだと思っていたから。
恋の正体は、醜くて、哀れで、愚かで、見苦しくて、心を歪ませるものだと知ってからは、早く捨てたかった。
でも、捨てたいのに捨てれないのが恋というもので、それが余計に恋の厄介なところだった。
「確かに俺も、恋を知らない前に戻れるのなら戻りたいと思ったことはあります。でも……恋をしていなかったら知らなかった幸せも確かにあって…お義姉さんも、苦しみの中に少しでも幸せを感じていたんじゃないかと思うんです。ただ苦しいだけではなかったと思うんです」
「…気休めならいらねぇ。恋を正当化しようとすんな。そんな言葉でオレのアイツへの復讐心はなくならねぇから」
「そういうつもりはないですけど……ただ、お義姉さんは、あなたがフィリオン様に復讐しようとしていることを喜ばないんじゃないかと」
「んなの分かってる!姉貴はきっと、早く自分のことなんか忘れて楽しく生きろって言うはずだ!オレだって出来ることならそうしてぇよ!でも出来ねぇからずっと踠き続けて、こんなところでアイツの影ばっか追いかけてんじゃねーか!あんたを利用しようとしてまで!」
いつの間にか、彼に嘘をつかれていた、復讐の道具に利用されようとしていたという事実にショックを受ける気持ちよりも。
深く傷付き、出口の見えない迷路を彷徨い歩いているような彼に寄り添いたいという気持ちのほうが、大きくなっていた。
大切な人が自ら命を絶つほど恋に苦しんだのなら、恋というものに嫌悪感を覚えるのも深い憎悪を向けるのも仕方ない。
でもそれを人に向け続けることは危ないと思うのだ。いつかきっと、その負の感情は巡り巡って、彼自身を傷付けることになる気がした。
「あなたの今の生きる目的は、復讐になっているんだと思います。復讐のためにしか生きれないのなら、フィリオン様への復讐心を持ち続けてもいいと思います。
でも、いつかはそれを手放せるあなたにならないと…あなた自身の人生を取り戻さないと苦しいだけじゃないですか。
お義姉さんのように、あなたもフィリオン様に縛られる人生でいいんですか?それこそ悔しくないんですか?」
俺は話しながら、この言葉は誰のために言っているんだろうと頭の隅で考えていた。
フィリオン様を守るためなのか、ヒューゴ・ファレルを少しでも救うためなのか。はたまた、俺自身に向けて言っているのか。
「……あんた、怒らねぇのか。オレもアイツと同じようにあんたを利用しようとしてたんだぞ。それを知ったのに、オレを慰めようってのか?それとも愛しのフィリオン様がオレに傷付けられないよう、守るために言ってんのか?」
「さぁ…どうなんでしょう。自分でも分かりません」
「あ?んだそれ」
「でも、理屈より感覚で、理性より衝動で動いて自由気ままに生きていそうなあなたが、誰よりも復讐心というものに縛られて生きているのが、らしくないなと思っただけです」
貴族らしからぬ立ち振舞いと風貌、遊び人で有名な男。なのに医学科を目指し、自分で料理を作り、伸び伸びと生きているように見えた男。俺はそんな男が、羨ましかったのかもしれない。
でも、俺から見えていた男の一面は一部分にしか過ぎず、彼には彼なりの重い過去と感情を背負っていた。
俺からも、誰からも見えていなかった、彼の影。長く、濃く、暗い影。
平面のように見えていた彼の一面も、しっかり立体的だったことを知れた今。どこか、安心している自分がいた。
「でも、復讐心を捨てるなとは言いません。捨てようと思って捨てられるものならとっくに捨てているはずだから。恋心と復讐心って、似てるのかもしれませんね」
無意識に、小さく苦笑が溢れた。自分の一部が彼の中に見えて、親近感を感じたからかもしれない。
「復讐心よりもあなたを生かす生き甲斐が…見つかるといいなぁ」
俺にも、見つかるだろうか。
フィリオン様の立派な家令になるという生き甲斐を失った、お飾りの家令の俺にも。
俺自身のことを、本当に必要としてくれる存在が、俺自身を見てくれる存在が、俺という石ころを愛してくれる存在が―――見つかるだろうか。
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