【完結】俺の好きな人は誰にでも優しい。

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急遽、実家に帰る

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 あの、長くて濃かった一日。エヴァドネ様が転入してきて、共に食事をして、フィリオン様の家令に選ばれたのは彼女のためだと知り、泣きながらヒューゴに当たり、彼の部屋で衝撃的な過去の話を聞き、ピートも嘘をついていたと知り、戻ったフィリオン様の部屋で彼視点の過去を聞いた、あの日。
 改めて考えても、すべて同じ一日で起こった出来事だなんて信じられないほど、濃密で情報量がとてつもなく多かった一日。

 あの日以降、学園は常に不穏なざわめきに包まれ、俺の心もずっとざわついている。
 エヴァドネ様と侯爵令息の問題にかかりきりなのだろうと想像がつくフィリオン様とは別に、ヒューゴもあの日以降、まったく姿を見せないからだ。

 またすぐ来い。来なかったら会いに行くからな――そう言ったはずの彼は、あの日から数日経つ今も俺の前に姿を現さない。
 そしてまた俺は思い知る。フィリオン様と会おうと思って会えなかったあのときと同じように、ヒューゴとも会おうと思って会えるような人ではなかったのだと。
 いつも彼から俺の前に姿を現していた。俺の影を追い、捕まり、部屋に連れ込まれて話をさせられる。それが主流となっていた。
 だからどうせすぐ、フィリオン様の言葉があっても彼から会いに来てくれるだろうと傲っていたのだ。

 彼がいるはずの基礎学年の教室に行く勇気も、彼の部屋を訪ねる勇気も出ないまま、日数だけが重なっていく。
 どうして会いに来ないのだろう。どうして顔を見せに来ないのだろう。どこで何をしているのだろう。何があったのだろう。そんな疑問が沸いては消え、沸いては消えていく。

 もう、俺を利用することが出来なくなったから用済みになったのだろうか。
 フィリオン様の、手に入れたら捨てるという言葉の通り、俺も彼の人生には必要がなくなり捨てられたんだろうか。
 俺が見ていたヒューゴの一面は、すべて嘘だったのだろうか。

 そう思ってしまう自分と、そんなわけがないと彼を信じたいと思う自分がぶつかる。
 フィリオン様ともヒューゴとも顔を合わせない日々は、少し前まで俺の日常だったはずなのに、ほんの短い間に強く太い根を張り巡らされてしまっていたようだ。
 自分だけなにも知らないままあの日に取り残されているようで、気持ちが浮いたまま落ち着かない。
 しかし彼らと会わない日々を過ごしたおかげなのか、情報量に潰されそうになっていた頭の中は幾分か整理出来ていた。

 お互いの視点で語られた過去の違い、それぞれの視点で見る相手の印象の違いの差を少しでも縮めたくて、確かめたいことや聞きたい話があるのに。会えなければ、なにも出来ない。なにも分からない。
 そんなもどかしさを感じる日々に嫌気が差した俺は、ついに勇気を振り絞って行動を起こすことにした。

 講義を終えた放課後、俺は図書室でもなくピートとの寮部屋でもなく、ヒューゴの部屋の前に立っていた。
 ヒューゴが基礎学年のおかげでここまではすんなり入れたが、他人の寮部屋を訪ねるなんてしたことがなくてノックをしようと握った拳が震える。

 放課後の寮の廊下には、扉の開閉する乾いた音や、教師への愚痴、今まさに話題になっているエヴァドネ様の噂話が、薄く混じり合って漂っていた。
 どれも深刻さには欠け、声は壁越しにほどよく崩れ、ただの日常として流れていく。
 まだ学科へ進んでいない基礎学年の生徒たちの空気は緩やかで、時間の進み方さえ少し甘い。つい1年前まで俺もその空気を吸っていたはずなのに、今となってはひどく懐かしく感じられた。
 廊下に満ちる若さと未熟さの匂いが、取り戻せない距離を教えてくるようだ。
 俺はそれを無理やり振り払い、緊張で冷たくなった拳の先で、目的の扉を小さく叩いた。ごくり、唾を呑み込む音がやけに大きく響いた。

 しばらく扉の前に立ち、開かれるのを待ってみたが、一向にその気配はない。扉の向こう側はひと気がなく、しんと静まり返っている。胸の内に小さな不安を抱えたまま、もう一度ノックをしてみた。
 けれど、返事が返ってくることもなく、扉の先から美味しそうな匂いが漂ってくることもなかった。ただ、静寂だけがそこに張り付いていて、時間だけが虚しく流れていく。

 まだ部屋に戻っていないだけだろうか。そう考え、夕食後にまた出直そうと、体を横へ向けた、そのときだった。
 ヒューゴの部屋の隣の扉が、きい、と小さな音を立てて開いた。その奥から、ひとりの男が顔を覗かせる。不思議そうに、探るような目で、じっと俺を見つめていた。

「ヒューゴになんか用っすか?」
「あ…はい、そうなんです。彼に会いたいんですが見つからなくて。何か知っていますか?」
「あいつなら、今学園にいないっすよ。数日前から実家に呼び出されて帰ってるらしいっす」
「え……そ、そうなんですね。教えていただきありがとうございます」
「帰ってきたら伝えておくっすよ。お名前は?」
「…じゃあ、ロランが心配していたと伝えてもらえますか?」
「了解っす」

 短く答えた男子生徒は、そのまま扉の中に顔を引っ込めて、バタリと音を立てながら扉は閉じられた。
 年下の生徒に敬語を使うのは、いま話した生徒が貴族かどうか分からなかったからだ。貴族であったら失礼だと念のため丁寧に接したが、彼の砕けた敬語から察するに、貴族の可能性は薄いなと思った。
 とりあえず、ヒューゴが部屋どころか学園に今はいないと知れただけでも大きな収穫である。

 部屋へと戻りながら、実家とは男爵家だろうが突然呼び出されて帰ることなどあるのだろうかと怪訝に思う。
 もう少しで年末年始なのだし、そのときに帰るよう言われるならまだしも、今の時期に呼び出されたとなると緊急性が高いものしかあり得ない。
 家族に不幸があったり、彼の力を必要とするよっぽどのことがあったのだろうかと心配な気持ちを抱えたまま、別の寮棟にある3階の部屋へと戻った。

 勉強をする気にもなれず、ベッドに寝転がってぼーっと天井を見つめる。ピートはまだ帰ってきておらず、時計の秒針の音や隣の部屋の扉の開閉音だけがくぐもって聞こえるだけの中、しばらく時間を無駄にした。

「ただいま…って、何してんだ?」
「…おかえり。ちょっとぼんやりしてただけ」

 気付けばピートが部屋に帰ってきていて、目を開けたまま微動だにしない俺をいぶかしんだ様子で見下ろしてくる。
 俺は視線だけでちらりとピートを見たあと、また天井をぼんやりと見つめる作業に戻った。

「ふーん?飯は食べたのか?」
「…まだ」
「珍しいな、ロランが勉強するでもなくボーッとして時間を潰してるなんて。具合でも悪いのか?」
「そういうわけじゃないけど…」
「ならいいや。あ、そういえば手紙、届いてたぞ。お前の実家から」

 そう言って寝そべる俺のお腹の上に封筒がバサリと置かれる。寮の入り口にポストがあり、実家からの手紙や贈り物はその中に振り分けられている。
 その中身を確認する作業を忘れがちな俺は、神経質で綺麗好きなピートに全力で甘えていた。

 体をベッドから起こし、重たい動作で封筒を手に取る。今年も年末年始は学園で過ごすという内容の手紙を少し前に送ったが、その返事だろうし後でいいやと思いつつ、ピートの視線が読めと言っているようで渋々封筒を開ける。
 中から薄い紙を取り出し文字に目を通すと、そこには『長兄が過労で倒れた。年末年始は長兄のためにも、手伝いのためにも帰ってきてほしい』という内容が書かれていて目を見張る。

「どうした?顔色が悪いぞ」
「…上の兄が倒れたらしい。年末年始は帰ってこいって」
「それは…まずいな。帰ってやったほうがいいんじゃないか?」
「…うん、そうする」
「むしろ今すぐ帰らなくていいのか?実家まで馬車を使ったとしても結構距離があるだろうし、大雪の予報があるからその前に学園を出た方がいい。この手紙を寮の管理者と家令科の教師に見せれば、すぐにでも特別処置をしてくれると思うぞ」
「そ、そうしようかな…」

 俺は落ち着いているように見えて、内側ではひどく動揺していた。兄が倒れた――その事実は、思っていた以上に深く胸を打ち、抗いようのない不安を呼び起こす。
 去年の夏の大型連休中に顔を合わせてはいる。だが、それでも、このまま容体が悪化して、もし最悪の事態になどなったら――考えは簡単に、そこまで滑り落ちてしまう。
 気づけば、体の芯から震えが這い上がり、じっとしていられなかった。
 俺は落ち着かないまま立ち上がり、ベッドの下にしまっていた旅行鞄を引きずり出す。考えるより先に体が動き、帰るための支度を、半ば無意識のうちに始めていた。

「今夜もう出るか?事情を話して馬車を用意してもらってくるから待ってろ」
「あ、ありがとう…っ!あの、フクロウのチロの世話も誰かに代打を頼めるかお願いしてほしい。毎週金曜日もお世話を忘れないでって伝えてもらえる?」
「了解」

 不安に誘われた涙が視界をぼやけさせる中、ピートは実家からの手紙を持つと、素早く動いて俺のために段取りを整えてくれた。
 寮の管理者に手紙を見せたところすぐに馬車の手配がすみ、特別外泊許可証が渡される。家令科の単位などについて、これは後で力を発揮し、単位に影響がないようにしてくれるものだ。
 年末年始休暇までまだ1週間ほどあるが、俺はこのまま早めの年末年始休暇を取ることになりそうで、しばらく学園には戻ってこれないだろう。
 フィリオン様に挨拶も出来なかったし、ヒューゴが帰ってくる頃には俺はいなくて逆に心配をかけるかもなと思いながら、俺はピートからパンを包んだものを夕食として受け取り、馬車に乗って実家へと向かった。

 これによって、俺は初めてフィリオン様が出席する年越しパーティーへの出席は叶わないことが決定した。
 家令になるために彼のそばで彼の振る舞いを見たかったなと残念に思う気持ちと、彼とエヴァドネ様がダンスを踊る場面を見ずにすむことに安堵する気持ちが交錯する。
 しかし今は何よりも、長兄の身を案じる気持ちが強い。早く長兄の顔を見て安心したいと思いながら、不安を全身に揺蕩わせたまま、俺は次第に眠くなる。暗い冬の夜道を走る馬車の中で、揺られ続けた。

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