春は手段を選ばない

篠宮華

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事の経緯

5.思い切って

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 もう耐えられない。完全に花山先輩不足だ。

 新年度が始まって1ヶ月弱。
 本人には、頑張りますなんて殊勝な挨拶をしたけれど、海外事業部に異動してから大好きな人と離れ離れになって顔を合わせることが全くなくなったことに、いちいち凹み続けた日々だった。それまでほぼ毎日会えていたのだ。そのショックは大きかった。

 仕事には全力で打ち込んでいたつもりだった。幸いなことに、みんなとてもいい人たちだったし、何より自分を推薦してくれた(らしい)先輩の顔に泥を塗るわけにはいかなかったから。
 しかし、「なんか悩んでる?」と、そんな俺のもやもやを今の直属の上司である山岡課長にはあっさりと見抜かれ、洗いざらい吐かされた。おまけに同じ部署のほぼ全員に暴露され、開き直らざるを得なくなって。
 若手男性社員の片思いの恋愛話なんて、飲み会のネタとしては丁度いいのだろう。

「お前のその『花山以外見えてない』みたいな一直線なところ、うまく活かせないもんかね」

 ハイボールを煽りながら、山岡課長は「知ってる?花山って本人は気付いてないけど、割とおっさんたちにモテるんだよ」などと言うから、思わずムッとする。

「年下にだってモテますよ」
「春日は拗らせ過ぎ。もうさぁ、さくっと告って、付き合っちゃえば?そしたら少しは落ち着くんじゃないの?」
「…結構アピールしてるつもりではあったんですけど…。それに、まだ結果出してなかったですし。いろんな意味で頼りなさそうじゃないですか、年下の後輩って」

 すると、斜め向かいの席に座っていた菅原先輩が言う。

「そんなこと言ってたらわけわかんないやつに横から取られるぞ。本気で好きならスピードも大事だよ。そんでとりあえず押しまくるしかない」
「おっ、なになに?実体験?」
「ほっとけ」

 菅原先輩は山岡課長と同級生で、一昨年海外事業部に異動してきたらしい。男の俺から見てもすごいイケメンだな思うけれど、愛妻家で有名なんだとか。奥さんも同じ会社の違う部署でバリバリ働いている人だと聞いている。

「菅原も部署異動で嫁さんと離れたときは凹んでたもんなー」
「…余計なこと言うなよ」
「菅原先輩ですらそんな感じなんですか…」
「そ。でも菅原はちゃんと結婚してるからね。お家帰ったら愛しの紗月ちゃんが待ってるもんな」
「人んちの嫁を馴れ馴れしく名前で呼ぶな。それに基本的にあいつの方が帰りは遅い。仕事大好き人間だから」
「そうなんですね…」

 …そうか。
 俺は大好きな人と離れてしまったことに落ち込んでばかり。何も行動に移していないではないか。
 でも…結婚したら毎日同じ家に帰るのか。いいなあ。一緒に夕飯食べて、一緒に朝を迎えられるなんて最高過ぎる。もう付き合うとかすっ飛ばして結婚したい。
 そんな妄想をする俺を見て、山岡課長は、「あ、じゃあさ…」と急に何かを思いついたように鞄をごそごそし始めた。

「そんな悩める春日くんにこれをプレゼントしよう」

 渡されたのは栄養ドリンクの瓶のようなもの。赤いラベルには、暗号のような細かい字で何やらごちゃごちゃ書いてある。これ、どこの国の言葉だ…?読めない。

「なんですか、これ」
「なんか飲むと元気になるらしい。輸入販売してる業者から試供品だってもらった」
「何か怪しいですね」
「そう思うじゃん?オーガニックを売りにしてる会社のだから変なもんは入ってないって。冷え性治ったり、血行よくなったりするみたい」

 ネットで商品名を検索すると、大手通信販売サイトでも販売しているし、なんなら評価も上々だ。

 俺は冷え性ではないけれど、辛い人はかなり辛いらしいと聞く。そういえば、以前花山先輩も冷え性だと言っていた。

『冬とか靴下重ね履きしてるの。床暖房ついてるとこに引っ越したくなるくらい寒くって』
『俺の家、床暖房ついてますよ』
『うわぁ!いいなあ』

 ていうか、足でも手でも俺がいくらでもあっためますよ。
 ……そこまでは言わなかったけど。

「春日もこれ飲んでよく寝て、元気出しな」
「ありがとうございます」
「そんで早く花山と付き合って、仕事に集中して」
「…し、集中してますよ!」
「いや、お前はもっとできるやつだ。勝手に自分でリミットかけてる。だから、実っても砕けてもどっちでもいいからさっさとすっきりしてこい。早くしないと俺が花山に告っちゃうかもよ」
「どっちでもいいんですか…それに山岡課長、ご結婚されてるじゃないですか」
「バレたか」

 我が上司ながらとんでもないことを言い出すなあと、やや呆れた眼差しを向ける。

「冗談だから安心しろ、菅原ほどではないけど俺も奥さん大好きだから」

 山岡課長は「ちょっとマスターに挨拶してくるわ」と言いながら笑い、立ち上がった。この飲み屋は山岡課長の知り合いが経営しているらしく、よく海外事業部で利用するんだとか。
 小さく溜め息をついた俺に、菅原先輩が「でもさ、春日…」と声をかけてくる。

「本気で好きなら、ちゃんと伝えといた方がいいぞ」

 菅原先輩はものすごく真剣なトーンでそんな風に言う。

「自分がうじうじ落ち込んでる間に、その『花山先輩』に自分じゃない彼氏ができてたらどう?」

 頭の中に、花山先輩が知らないやつと腕を組んで、幸せそうに微笑み合いながら歩いていく後ろ姿が浮かんで、想像しただけなのに絶望する。
 そこは俺の場所であってほしい。そうでないと気が狂う。

「…地獄です」
「だろ?じゃあ頑張れ」

 そうだった。なんだか弱気になっていたけれど、俺はこれまで、花山先輩に気がありそうなやつを幾度となく牽制してきたではないか。取引先のチャラそうなあいつとか、隣の部署の変な先輩とか。
 そう考えると、なんだかやる気が漲ってくるような気がする。もう、こうなったら今日伝えに行くしかない。
 花山先輩の家は知っている。以前、飲み会で遅くなって送って行ったことがある、駅近の新築アパートだ。

「俺、頑張ります」
「頑張れ。海外事業部のためにも」

 しかしまだ飲み会は続きそうだなと思っていると、菅原先輩が「山岡には俺が言っとくから抜けちゃえば?」などと言ってくれたので、鞄を持って立ち上がる。

「ありがとうございます!このご恩は忘れません!」
「大袈裟だな」

 時間的に今から行くのは遅いけど、ちゃんと顔を見て、伝えることだけ伝えたら帰ろう。


 ……と、思っていたのだけれど。



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