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篠宮華

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おまけ:彼女についての話

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 初めて話したのは新入社員挨拶の日。
 同じ部署に配属になった4人のうち、たまたま俺と彼女が早めに到着し、2人だけ先に別室で待たされていたときだった。

「わくわくしますね…!」

 黙っていたって仕事は始まる。どんな人間であれ そこに採用された時点で「今日から一緒に働く」以外の選択肢なんかないのだから、大した挨拶なんか必要ないだろうと斜に構えていた俺に、キラキラした笑顔を向けてきたのが彼女だった。

「どんな人と一緒にお仕事するんだろうとか、早くいろいろなこと覚えたいなあと思ってたら昨日ぐっすり眠れませんでした」
「え…」

——そんなやついんのか。
 新生活の緊張感など憂鬱でしかない。わくわくなんて まったくもって未知の思考だった。
 とはいえ このご時世、こんなに希望に満ちた人材はなかなかいない。集団面接に強そうだなとか、取引先の重役に気に入られそうだなとか、どうでもいいことを考えながら、「へぇ、すごいですね」と適当なことを返したような記憶がある。



 実際に働き始めると、彼女は相当「有能な新入社員」だということがわかった。よく気がつくし、飲み込みも早い。何か意見を伝えるときも相手が不快にならないような絶妙な言葉選びができるし、勘も記憶力もよかった。
 そして何より、その明るさと人懐っこさ、素直さは俺にはないものだった。周りの人間から愛される力。
 指導係としてついてくれていた先輩が配置替えで異動することになったときは「お世話になりました」と泣き、初めて主要メンバーとして関わった大きなプロジェクトを完了させたときは、「みなさんのおかげです」と泣いていた。普段はがつがつ仕事をするのに、妙に涙脆い。
——なぜこんなに人を信じることが出来るのだろう。
 当時、新しい環境での人間関係の築き方に悩んでいた俺は、誰とでもすぐに打ち解けることが出来る彼女の姿が眩しくて、羨ましくて仕方なかった。
 そこで、いろいろな同僚とコミュニケーションをとる様子に聞き耳を立てたり、目で追ったりするようになった。
 好きな飲み物や食べ物など、当然のことながら、彼女のことについて一方的に詳しくなっていく日々。そんなこんなで、異性としても気になり始めるのにそう時間はかからなかった。

 そんな時、人事異動による配置換えが行われ、たまたまデスクが隣同士になった。
 自然と親しくなり、お互いに苗字を呼び捨てにしたり、タメ口で話したりできるようになったある日、飲みに誘われた。しかもサシ飲みだというではないか。
——願ったり叶ったりだ。
 サシ飲みなんてよほど仲の良い友人とでないと行ったことがない。でも、二つ返事で応じた。
 ガラにもなく、浮き足立っていた。

 どうにかこうにか定時より少し過ぎたあたりで仕事を切り上げることができて、適当な飲み屋に入った。
 普段からいろいろな話はしていたものの、会社の外だとよりくだけた内容になる。
 1杯目を飲みながら、他の部署の同期のことや休みの日の過ごし方など、当たり障りのないことを話した。
 しかし、2杯目あたりから少し様子が変わってくる。

「ちょっと忙し過ぎない…!?そう思ってるの私だけじゃないよね…?」
「間違いなく激務だろ」
「私なんかよりももっとすごい量の仕事担当してる先輩もいるから、弱音吐かないように頑張ってるけどさぁ…」
「神山って真面目だよな」
「仕事は好きなの。でも、もううちの部署の同期で残ってるの、私と菅原しかいないのってヤバくない?」

 そう。なかなかのブラックぶりに、4人いたはずの同期は俺と彼女以外は退職してしまったのだ。
 正直、俺も何度か転職を考えたくらいにはしんどいから、辞めてしまった2人が甘かったとは全く思わない。むしろ、彼女が溌剌と仕事をしている姿に引っ張られるようになんとなくここまできているくらいで。

「そのうちに俺も辞めるかもな」
「えぇ~…そんなこと言わないで一緒に頑張ろうよぉ…」

 めそめそしながら、ビールを飲み、肘をつきながら潤んだ瞳で上目遣いでこちらを見る彼女を見て、たまらない気持ちになる。
 仕事なんていつ辞めたっていい。しかし「仲の良い同期」の立ち位置は、もう俺だけのものなのだ。
——誰かに譲ってたまるか。

「…まあ、誰かが酔っ払った神山の相手しないといけないし。給料も悪くないから、まだしばらくは続けるよ」
「あ、じゃあさ、時々こうやって一緒に飲もうよ!悪口言うとかじゃないけど、時々吐き出さないとやってらんないもん」
「別に悪口でもいいけど。あー、でも俺から漏れる可能性あるから気を付けろよ」
「えー、それはないから大丈夫」

 彼女は、俺の肩に ばしっと手を置き、運ばれてきたカルーアミルクをこくっと一口飲む。それから、仕事では見せないような気の抜けた顔で、ふにゃ~っと笑った。

「私、菅原のこと、信頼してるもん」

 その時の、心臓がぐっと締め付けられる感じは、未だに忘れられない。
 その「信頼」はおそらく、戦友的なニュアンスのものだろう。もちろん、それを裏切ることはしたくない。
 でも、気付いてしまった自分の中の特別な想いに、名前をつけるとしたらこれは。

「…そういうところなんだろうな、きっと」
「んー?」
「いや、なんでもない」

 自分の小さな動揺と高揚感に苦笑する。
 らしくないけど、嫌じゃない。

 それから1時間後、酔っ払って眠り込みそうになった彼女をタクシーに押し込みながら独りごちる。
 とりあえず、こういう時間を積み重ねていこう。仕事人間の彼女にとって、オンもオフも大して差はないのだろうから、とにかくどんなときも一番気を許せる人間でいられるように努力しよう。

——そして、今日こんにちに至る。



*  *  *



「おーい、出来たぞー」

 待ちに待った大型連休。
 「どこ行っても混んでるから、和馬の家のベランダでご飯食べようよ」という彼女の提案に応え、酒やつまみを用意した。

 しかし、キッチンから声を掛けるも返事がない。
 さっきまで「いい匂い」とにこにこしながら飲み物やカトラリーを運んでいたのに急に静かになったから、何かあったかと様子を見に行く。
 すると。

「おい、マジか」

 ベランダに出したリクライニングチェアですやすやと気持ちよさそうに眠る彼女を発見する。

「まあ確かに昨日も遅かったしな…」

 なんだかまた新しい案件を任されて、昼飯すらまともにとれない様子だったから、ゼリー飲料や軽食を買ってきて渡したのを思い出す。
 起こそうか起こすまいか悩んで、部屋から持ってきた薄手のタオルケットをかける。とはいえ、外でこんな風に寝たら身体を痛めそうだ。少ししたら起こそうと思いながら傍らにしゃがみ込み、近くでその顔を見つめる。前髪が風に吹かれてふわふわと揺れた。
 あまりにも無防備なその様子が愛おしくなって、そっとその頭を撫でると、瞼がぴくりと震えてから、ゆっくりと瞳が開く。

「…ん、あれ…?」
「…おはよう。寝てたぞ」
「うわ…ごめんなさい…!準備してもらってたのに」

 人に全部準備させといて寝てるなんてなどと からかおうかと思っていたが、本気で謝られたので気が抜ける。

「いいよ、疲れてるだろ」
「それは和馬も同じでしょ。仕事が忙しくてもこういうのはちゃんとしなくちゃ」
「いや、全然気にしてない。つーかお前はそういうタイプじゃないだろ」

 あまりにも行動が伴っていない発言に思わず笑ってしまう。
 しかし、彼女はリクライニングチェアに正座して、再び頭を下げるではないか。
 あまりにも申し訳なさそうにするから、「じゃあちょっとその席代われ」と彼女を立たせる。ちょっとしょんぼりしたように離れた椅子へ移動しようとしたので、腕を引っ張って抱き締めた。

「今日の紗月の席はここ」

 そのまま横抱きにして、その身体を自分の膝の上に乗せる。
 すると、彼女はようやくほっとしたように俺の胸にもたれかかってきた。

「和馬、体温高いからあったかくてまた寝ちゃいそう」
「いや、寝るなよ」
「んー…寝かさないで」

 時間と場所が違えば誘い文句のようにも聞こえるその言葉に小さく笑うと、頬にちゅっと唇を押し付けられた。
 意外なスキンシップに驚いて、その顔を覗き込むと、彼女は照れたように微笑む。

「……いつも、ありがと。大好き」

——…ずるい。
 自分の些細な言動が、日々どれだけ俺のことを甘やかに翻弄しているか、彼女はきっとわかっていない。
 ちょっと苦しくなるくらいの愛おしさを伝えるように、俺も柔らかな頬に口づける。

「…俺も、好きだよ」

 以前、「言わなくてもわからせる」なんて宣言したのに、こんな風に素直に伝えられては、同じように返さざるを得ない。
 でも、そうすると彼女は心から嬉しそうに微笑むから。

 穏やかな時間の尊さを噛み締めながら、俺は何かを確かめるように もう一度 愛しい人を抱き締めた。




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