7 / 23
1.眠れる鴉を起こすのは
5.脱出対策1
しおりを挟む
「それにしても、よく俺のこと、見つけられたね」
二日ほど何も口にしていないということで、急いで近くから食べられるものを仕入れ、あまりの食べっぷりに三人が三人ともあっけにとられていた。
正直言って、その美しい外見とは全く見合わない口調、食べっぷりに戸惑わないわけじゃない。
リュディガーとミハエルはその戸惑いが顔にしっかりと出ていたが、クレメンスは数々の修羅場を渡ってきただけあって、相変わらずうっすらと笑みを浮かべて対応していた。
「伝書鳥が殿下の情報も一緒に載せてきましたので。それを基に探知機を生成しました」
「よひゅか」
口いっぱいに頬張り、何事かをつぶやいた皇子をそれぞれが見つめる。
リュディガーたちがその言葉を正確に読み取っていないことを理解した皇子は、それでもゆっくりと咀嚼し、確実に呑み込み、それから再度発する。
「ヨシュカ。──殿下はやめて」
どうやら自分の名前の訂正をしていたらしい。
「外ではその敬称はもちろん、名前も口にできないし、たとえ内々でも日頃そうして呼んでいたらボロがでちゃうでしょ」
残っていた肉をさらにかっ込み、また咀嚼して、呑み込んで、それから続ける。
「俺の名前はヨシュカ・モルガン。長いこと母さんも『ヨシュカ』としか呼んでいなかったし。──そもそもヨシュカって名前、すんごい気に入っているからさ」
そっちでよろしくとにっこり笑ってそう告げる皇子──ヨシュカは、リュディガーの想像していた『皇子』とはあまりにかけ離れていて、どう接していいのかわからずにいた。
恭しく、敬意をもって。そう念頭に置いて向かった先にいたのは、容姿は別として、全く皇子らしくない、実に庶民的な少年だった。
「それで? 公爵閣下は? 俺、まずは公爵閣下と話したいんだけど」
「当主は今こちらへ向かっているところです」
「──ふぅん」
少々の間の後、ヨシュカは何事か考え込んでいたが、気のない返事を返しただけだった。
それからふと我に返った顔をして、ぐいっと距離を詰めてきた。
「あ! そういえば俺、あなたたちの名前聞いてないな」
「私が、ウルリケの夫、クレメンスです。これがその息子、リュディガー。こちらが息子付きの騎士、ミハエル・フォン・ヴァルハイトです」
ヨシュカはクレメンス、リュディガーと紹介を受けて、うんうん頷いていたものの、ミハエルの名前を聴いた途端に険しい顔をした。
「ヴァルハイト?」
「はい。私は貴方のお母様、ナディーネ皇妃の弟となります」
「──カーティスの弟」
思わぬ名前が出てきて、ミハエルとリュディガーは目を見張る。
「どうして兄の名を」
ヨシュカから見れば伯父にあたる。知っていてもおかしくはないが、今この場で、ミハエルの名を聞いて一番に出てきたのが『カーティスの弟』という状況に違和感を覚えるのはおかしいことではない。
咄嗟にリュディガーは父へと視線を投げたが、どうやらクレメンスは事情を把握しているようで、黙ってやり取りを見つめていた。
「カーティスは、俺たちの護衛をしてた」
思わぬ言葉にすぐさま返す言葉もない。
「あ、違うか。正確には母さんのかな……。いやそれも違う気がする。あいつ、いつもそばにいたわけじゃないから」
ミハエルにしてみれば、ほとんど音信不通の兄の名前がここで出てくるとは思っていなかったのだろう。
「兄は今どこに」
勢い詰め寄ってくるミハエルにヨシュカは顔をゆがめた。
先ほどまで皇子らしからぬあっけらかんとした態度であったのに、沈痛な面持ちはカーティスが決していい状態でいるわけではないことを示していた。
「ごめん。残念だけど多分もう生きていない」
言いにくいだろうことを、それでも率直に事実を述べてくる。
ミハエルは一瞬、怒りに満ちた表情を浮かべたが、すぐさまそれを押し隠し、うつむいた。
リュディガーはミハエルがどれだけ家族を大切にしていたか知っている。亡くなった姉を偲び、行方知れずの兄を捜し、心を痛めていたことを。
あまりに突然の通達にやりきれない思いがよぎる。
「それは確かなことですか」
押し黙るミハエルに代わり、リュディガーが詰め寄る。
ヨシュカはリュディガーを見て、ミハエルをみて、それから少々考え込みつつも口を開いた。
「メッツァーハウンドから俺を逃がすために盾になったから。暫くしてからあいつらが追ってきたということはカーティスはすでにやられている」
ヨシュカは立ち上がり、項垂れるミハエルの前に屈み、握りしめた両手の上から自分の手を重ねた。
「すまない」
ミハエルは反射的にその手を押し返し、咄嗟にしてしまった拒否に自分自身が戸惑っているようだった。
「──いえ、こちらこそ、失礼しました。私は、少し外を見回ってきます」
ミハエルが慌てて去った室内は何とも重苦しい空気が流れていたが、それをがらりと切り替えたのはクレメンスだった。
「先ほどおっしゃっていた『メッツァーハウンド』は、使役魔法の『メッツァーハウンド』ですか?」
「そう。さっきリュディガーが倒したのにはここに魔導石が仕込まれていた」
額に手を当ててから、ほら、と、先ほどの砕けた石を広げてみせる。
「母さんが逃がしてくれた時にはまだいなかった。部屋を出たところで待ち伏せを喰らったんだ。小柄な魔法士が一人。その前に『メッツァーハウンド』が三体」
「間違いないのですか」
「間違えるはずないよ。三体とも魔導石がぎらぎらしていた」
クレメンスは険しい顔をした。
メッツァーハウンドの話はリュディガーも耳に挟んだことがある。
魔法防衛大国として名高いフロイデン皇国において、ノーデンシュヴァルトは実に異質だ。
ノーデンシュヴァルトの領域内では魔法が一切効かないし、使えない。それは土地にも人にも言える。そしてその代償なのか、北部の者は驚異的な身体能力を持って生まれてくる。
魔法とは縁がないが彼らは、実に魔法に対して無頓着だ。
しかし使役魔法だけは少々異なる。
人や、ゴーレム、魔獣などを従属させ、それを北部にぶつければ十分な攻撃になる。
物理攻撃は北部の者にも有効だからだ。
その中でもメッツァーハウンドは高度使役魔法として有名だ。
もともと存在する物質──人間やゴーレムなど──を使役するのとは異なり、魔導石から自分の思うままの形の使役物を創造し、思うままに動かす。
それがどれだけ高度な技術で、どれだけ大量の魔力を消費するか、魔法の講義でイグナーツが熱く語っていたことがあったからだ。
「確か、一体使役するだけでもかなり大変なのでは」
リュディガーのつぶやきにうんうんとヨシュカが頷く。
「おそらく魔力の消費が並みじゃないと思う。状況によって人と犬とどちらにでも変身可能なタイプだった。あんなの今まで見たことない」
「厄介ですね……。魔法士の存在もだが、それだけの魔導石を三つもそろえられるなど、かなりの財力がなければ無理ですから」
それに呼応するかのようにヨシュカは頷きながらつぶやいた。
「つまり。俺を狙うやつらは強大な力と財力を持っているってことだね。──しかも隣国にいるってのに追ってくるなんて執着強いったらありゃしないな」
今までの軽い口調とは異なり、その時だけ、ぞっとするような凄みを感じた。
淡々と語るその顔に感情は見えないが、近づいてはいけないような張り詰めた空気が流れていた。
「メッツァーハウンドを使っているならばすぐにでもこの場を離れなければいけません」
ヨシュカは先ほどの殺気など気のせいといわんばかりにぱっと再び軽い調子で答える。
「うん。そうなんだよね。それはわかっているんだ。おそらく相手の魔法士も魔力が枯渇してるんだと思う。俺を追っているときに途中1頭だけになったから。逃げるには今がチャンス。わかっているんだけどさぁ」
「──もしや『マーキング』されましたか」
クレメンスの指摘にヨシュカは苦笑いしながら首を傾げた。
「最初の一発でやられた」
左袖をまくり上げ、巻いていた布を解くや、その下からはざっくりと裂けた傷が出てきた。
その傷のひどさに思わずリュディガーもクレメンスも前のめりになる。
「なんで先に言わないんですか!」
慌てて救急セットを引き寄せて、腕を取る。
「いやぁ、一応止血はしたし、それどころじゃなかったし」
とりあえずこれ以上酷くはならないだろうからとあっけらかんというには傷が深すぎる。
リュディガーもそれなりに応急処置の技術は持っていたが、あまりにも深い傷にクレメンスが変わって処置を始めた。
「治癒薬は」
「俺、魔法効かないよ。母君の──、あ、生みの親の方ね。ナディーネ皇妃、そっちの血が濃くてさ。だから魔法も一切使えない」
外見はこんななのにねと言うヨシュカに悲壮感は全くない。
傷は上腕部にまで至っており、クレメンスは黙々と服を脱がせていく。
そもそも腹が減ったとそちらを優先して食事を先に取らせていたから、ヨシュカの服は薄汚れ、ぼろぼろのままであった。
ほとんどボロ雑巾のようなそれを脱がせ、あらわになった上半身を目の当たりにしてリュディガーもクレメンスも息を呑んだ。
あまりに、惨い傷跡だった。火傷の引き攣れた痕のような、切り傷のような、鞭で打たれた痕のような。何とも言い難い傷が幾重にも重なっていた。
「あー。これ、ほとんどが小さいころの傷でさ。ほら、一家で襲撃された時の? その傷だから。記憶もないし、辛いとかってないんだよ。痛くもないし。だからそんな顔、しなくていいよ」
「じゃああんたも平気な顔するの、やめろよ」
咄嗟に出てしまったリュディガーの強めの言葉にヨシュカは目を丸くし、本当に平気なんだけどなぁと呟いた。
一方そんな顔、と言われてリュディガーは自分がどんな顔をしていただろうと反芻する。
同情だろうか。
確かに少しは同情心もあるかもしれない。
でもそれ以上に感じるのは目の前の少年のすごさだった。
魔法が効かないということは治癒魔法も攻撃魔法も使えない。周りは敵かもしれないと常に気を張りながら、頼れる者もほとんどいない状況で、シュトレイルの特徴的な外見を晒しつつ異国で過ごす。
それがどんなに過酷な状況か、理解できるなどと簡単には口にできない。
そんな過酷な状況がたとえ日常となっていたとしても、平気だ、慣れてしまったなんてことはないはずだ。
事実、強大な敵を認識して怒りを表していたではないか。
本当はもっといろいろな感情が渦巻いているだろうに、それを押し込めて平気だよと笑う必要なんてないのだ。
もっともっと。もっと自分の感情に素直になればいいのに。
そんな風に思うものの、実際はかける言葉もなく、リュディガーはついと視線をそらして無言のまま新しい服を用意するしかできなかった。
「それより、この後どうするか、早急に対策を打たないと」
ヨシュカの言葉はもっともで、手立てを考えなければならない状況であることは間違いなかった。
「というわけで、とりあえず公爵殿と天才魔法使いとお話がしたいんだけど」
それがウルリケとイグナーツのことであるのは明白であった。
二日ほど何も口にしていないということで、急いで近くから食べられるものを仕入れ、あまりの食べっぷりに三人が三人ともあっけにとられていた。
正直言って、その美しい外見とは全く見合わない口調、食べっぷりに戸惑わないわけじゃない。
リュディガーとミハエルはその戸惑いが顔にしっかりと出ていたが、クレメンスは数々の修羅場を渡ってきただけあって、相変わらずうっすらと笑みを浮かべて対応していた。
「伝書鳥が殿下の情報も一緒に載せてきましたので。それを基に探知機を生成しました」
「よひゅか」
口いっぱいに頬張り、何事かをつぶやいた皇子をそれぞれが見つめる。
リュディガーたちがその言葉を正確に読み取っていないことを理解した皇子は、それでもゆっくりと咀嚼し、確実に呑み込み、それから再度発する。
「ヨシュカ。──殿下はやめて」
どうやら自分の名前の訂正をしていたらしい。
「外ではその敬称はもちろん、名前も口にできないし、たとえ内々でも日頃そうして呼んでいたらボロがでちゃうでしょ」
残っていた肉をさらにかっ込み、また咀嚼して、呑み込んで、それから続ける。
「俺の名前はヨシュカ・モルガン。長いこと母さんも『ヨシュカ』としか呼んでいなかったし。──そもそもヨシュカって名前、すんごい気に入っているからさ」
そっちでよろしくとにっこり笑ってそう告げる皇子──ヨシュカは、リュディガーの想像していた『皇子』とはあまりにかけ離れていて、どう接していいのかわからずにいた。
恭しく、敬意をもって。そう念頭に置いて向かった先にいたのは、容姿は別として、全く皇子らしくない、実に庶民的な少年だった。
「それで? 公爵閣下は? 俺、まずは公爵閣下と話したいんだけど」
「当主は今こちらへ向かっているところです」
「──ふぅん」
少々の間の後、ヨシュカは何事か考え込んでいたが、気のない返事を返しただけだった。
それからふと我に返った顔をして、ぐいっと距離を詰めてきた。
「あ! そういえば俺、あなたたちの名前聞いてないな」
「私が、ウルリケの夫、クレメンスです。これがその息子、リュディガー。こちらが息子付きの騎士、ミハエル・フォン・ヴァルハイトです」
ヨシュカはクレメンス、リュディガーと紹介を受けて、うんうん頷いていたものの、ミハエルの名前を聴いた途端に険しい顔をした。
「ヴァルハイト?」
「はい。私は貴方のお母様、ナディーネ皇妃の弟となります」
「──カーティスの弟」
思わぬ名前が出てきて、ミハエルとリュディガーは目を見張る。
「どうして兄の名を」
ヨシュカから見れば伯父にあたる。知っていてもおかしくはないが、今この場で、ミハエルの名を聞いて一番に出てきたのが『カーティスの弟』という状況に違和感を覚えるのはおかしいことではない。
咄嗟にリュディガーは父へと視線を投げたが、どうやらクレメンスは事情を把握しているようで、黙ってやり取りを見つめていた。
「カーティスは、俺たちの護衛をしてた」
思わぬ言葉にすぐさま返す言葉もない。
「あ、違うか。正確には母さんのかな……。いやそれも違う気がする。あいつ、いつもそばにいたわけじゃないから」
ミハエルにしてみれば、ほとんど音信不通の兄の名前がここで出てくるとは思っていなかったのだろう。
「兄は今どこに」
勢い詰め寄ってくるミハエルにヨシュカは顔をゆがめた。
先ほどまで皇子らしからぬあっけらかんとした態度であったのに、沈痛な面持ちはカーティスが決していい状態でいるわけではないことを示していた。
「ごめん。残念だけど多分もう生きていない」
言いにくいだろうことを、それでも率直に事実を述べてくる。
ミハエルは一瞬、怒りに満ちた表情を浮かべたが、すぐさまそれを押し隠し、うつむいた。
リュディガーはミハエルがどれだけ家族を大切にしていたか知っている。亡くなった姉を偲び、行方知れずの兄を捜し、心を痛めていたことを。
あまりに突然の通達にやりきれない思いがよぎる。
「それは確かなことですか」
押し黙るミハエルに代わり、リュディガーが詰め寄る。
ヨシュカはリュディガーを見て、ミハエルをみて、それから少々考え込みつつも口を開いた。
「メッツァーハウンドから俺を逃がすために盾になったから。暫くしてからあいつらが追ってきたということはカーティスはすでにやられている」
ヨシュカは立ち上がり、項垂れるミハエルの前に屈み、握りしめた両手の上から自分の手を重ねた。
「すまない」
ミハエルは反射的にその手を押し返し、咄嗟にしてしまった拒否に自分自身が戸惑っているようだった。
「──いえ、こちらこそ、失礼しました。私は、少し外を見回ってきます」
ミハエルが慌てて去った室内は何とも重苦しい空気が流れていたが、それをがらりと切り替えたのはクレメンスだった。
「先ほどおっしゃっていた『メッツァーハウンド』は、使役魔法の『メッツァーハウンド』ですか?」
「そう。さっきリュディガーが倒したのにはここに魔導石が仕込まれていた」
額に手を当ててから、ほら、と、先ほどの砕けた石を広げてみせる。
「母さんが逃がしてくれた時にはまだいなかった。部屋を出たところで待ち伏せを喰らったんだ。小柄な魔法士が一人。その前に『メッツァーハウンド』が三体」
「間違いないのですか」
「間違えるはずないよ。三体とも魔導石がぎらぎらしていた」
クレメンスは険しい顔をした。
メッツァーハウンドの話はリュディガーも耳に挟んだことがある。
魔法防衛大国として名高いフロイデン皇国において、ノーデンシュヴァルトは実に異質だ。
ノーデンシュヴァルトの領域内では魔法が一切効かないし、使えない。それは土地にも人にも言える。そしてその代償なのか、北部の者は驚異的な身体能力を持って生まれてくる。
魔法とは縁がないが彼らは、実に魔法に対して無頓着だ。
しかし使役魔法だけは少々異なる。
人や、ゴーレム、魔獣などを従属させ、それを北部にぶつければ十分な攻撃になる。
物理攻撃は北部の者にも有効だからだ。
その中でもメッツァーハウンドは高度使役魔法として有名だ。
もともと存在する物質──人間やゴーレムなど──を使役するのとは異なり、魔導石から自分の思うままの形の使役物を創造し、思うままに動かす。
それがどれだけ高度な技術で、どれだけ大量の魔力を消費するか、魔法の講義でイグナーツが熱く語っていたことがあったからだ。
「確か、一体使役するだけでもかなり大変なのでは」
リュディガーのつぶやきにうんうんとヨシュカが頷く。
「おそらく魔力の消費が並みじゃないと思う。状況によって人と犬とどちらにでも変身可能なタイプだった。あんなの今まで見たことない」
「厄介ですね……。魔法士の存在もだが、それだけの魔導石を三つもそろえられるなど、かなりの財力がなければ無理ですから」
それに呼応するかのようにヨシュカは頷きながらつぶやいた。
「つまり。俺を狙うやつらは強大な力と財力を持っているってことだね。──しかも隣国にいるってのに追ってくるなんて執着強いったらありゃしないな」
今までの軽い口調とは異なり、その時だけ、ぞっとするような凄みを感じた。
淡々と語るその顔に感情は見えないが、近づいてはいけないような張り詰めた空気が流れていた。
「メッツァーハウンドを使っているならばすぐにでもこの場を離れなければいけません」
ヨシュカは先ほどの殺気など気のせいといわんばかりにぱっと再び軽い調子で答える。
「うん。そうなんだよね。それはわかっているんだ。おそらく相手の魔法士も魔力が枯渇してるんだと思う。俺を追っているときに途中1頭だけになったから。逃げるには今がチャンス。わかっているんだけどさぁ」
「──もしや『マーキング』されましたか」
クレメンスの指摘にヨシュカは苦笑いしながら首を傾げた。
「最初の一発でやられた」
左袖をまくり上げ、巻いていた布を解くや、その下からはざっくりと裂けた傷が出てきた。
その傷のひどさに思わずリュディガーもクレメンスも前のめりになる。
「なんで先に言わないんですか!」
慌てて救急セットを引き寄せて、腕を取る。
「いやぁ、一応止血はしたし、それどころじゃなかったし」
とりあえずこれ以上酷くはならないだろうからとあっけらかんというには傷が深すぎる。
リュディガーもそれなりに応急処置の技術は持っていたが、あまりにも深い傷にクレメンスが変わって処置を始めた。
「治癒薬は」
「俺、魔法効かないよ。母君の──、あ、生みの親の方ね。ナディーネ皇妃、そっちの血が濃くてさ。だから魔法も一切使えない」
外見はこんななのにねと言うヨシュカに悲壮感は全くない。
傷は上腕部にまで至っており、クレメンスは黙々と服を脱がせていく。
そもそも腹が減ったとそちらを優先して食事を先に取らせていたから、ヨシュカの服は薄汚れ、ぼろぼろのままであった。
ほとんどボロ雑巾のようなそれを脱がせ、あらわになった上半身を目の当たりにしてリュディガーもクレメンスも息を呑んだ。
あまりに、惨い傷跡だった。火傷の引き攣れた痕のような、切り傷のような、鞭で打たれた痕のような。何とも言い難い傷が幾重にも重なっていた。
「あー。これ、ほとんどが小さいころの傷でさ。ほら、一家で襲撃された時の? その傷だから。記憶もないし、辛いとかってないんだよ。痛くもないし。だからそんな顔、しなくていいよ」
「じゃああんたも平気な顔するの、やめろよ」
咄嗟に出てしまったリュディガーの強めの言葉にヨシュカは目を丸くし、本当に平気なんだけどなぁと呟いた。
一方そんな顔、と言われてリュディガーは自分がどんな顔をしていただろうと反芻する。
同情だろうか。
確かに少しは同情心もあるかもしれない。
でもそれ以上に感じるのは目の前の少年のすごさだった。
魔法が効かないということは治癒魔法も攻撃魔法も使えない。周りは敵かもしれないと常に気を張りながら、頼れる者もほとんどいない状況で、シュトレイルの特徴的な外見を晒しつつ異国で過ごす。
それがどんなに過酷な状況か、理解できるなどと簡単には口にできない。
そんな過酷な状況がたとえ日常となっていたとしても、平気だ、慣れてしまったなんてことはないはずだ。
事実、強大な敵を認識して怒りを表していたではないか。
本当はもっといろいろな感情が渦巻いているだろうに、それを押し込めて平気だよと笑う必要なんてないのだ。
もっともっと。もっと自分の感情に素直になればいいのに。
そんな風に思うものの、実際はかける言葉もなく、リュディガーはついと視線をそらして無言のまま新しい服を用意するしかできなかった。
「それより、この後どうするか、早急に対策を打たないと」
ヨシュカの言葉はもっともで、手立てを考えなければならない状況であることは間違いなかった。
「というわけで、とりあえず公爵殿と天才魔法使いとお話がしたいんだけど」
それがウルリケとイグナーツのことであるのは明白であった。
0
あなたにおすすめの小説
愛してやまなかった婚約者は俺に興味がない
了承
BL
卒業パーティー。
皇子は婚約者に破棄を告げ、左腕には新しい恋人を抱いていた。
青年はただ微笑み、一枚の紙を手渡す。
皇子が目を向けた、その瞬間——。
「この瞬間だと思った。」
すべてを愛で終わらせた、沈黙の恋の物語。
IFストーリーあり
誤字あれば報告お願いします!
拗らせ問題児は癒しの君を独占したい
結衣可
BL
前世で限界社畜として心をすり減らした青年は、異世界の貧乏子爵家三男・セナとして転生する。王立貴族学院に奨学生として通う彼は、座学で首席の成績を持ちながらも、目立つことを徹底的に避けて生きていた。期待されることは、壊れる前触れだと知っているからだ。
一方、公爵家次男のアレクシスは、魔法も剣術も学年トップの才能を持ちながら、「何も期待されていない」立場に嫌気がさし、問題児として学院で浮いた存在になっていた。
補習課題のペアとして出会った二人。
セナはアレクシスを特別視せず、恐れも媚びも見せない。その静かな態度と、美しい瞳に、アレクシスは強く惹かれていく。放課後を共に過ごすうち、アレクシスはセナを守りたいと思い始める。
身分差と噂、そしてセナが隠す“癒やしの光魔法”。
期待されることを恐れるセナと、期待されないことに傷つくアレクシスは、すれ違いながらも互いを唯一の居場所として見つけていく。
これは、静かに生きたい少年と、選ばれたかった少年が出会った物語。
番を拒み続けるΩと、執着を隠しきれないαが同じ学園で再会したら逃げ場がなくなった話 ――優等生αの過保護な束縛は恋か支配か
雪兎
BL
第二性が存在する世界。
Ωであることを隠し、平穏な学園生活を送ろうと決めていた転校生・湊。
しかし入学初日、彼の前に現れたのは――
幼い頃に「番になろう」と言ってきた幼馴染のα・蓮だった。
成績優秀、容姿端麗、生徒から絶大な信頼を集める完璧なα。
だが湊だけが知っている。
彼が異常なほど執着深いことを。
「大丈夫、全部管理してあげる」
「君が困らないようにしてるだけだよ」
座席、時間割、交友関係、体調管理。
いつの間にか整えられていく環境。
逃げ場のない距離。
番を拒みたいΩと、手放す気のないα。
これは保護か、それとも束縛か。
閉じた学園の中で、二人の関係は静かに歪み始める――。
カランコエの咲く所で
mahiro
BL
先生から大事な一人息子を託されたイブは、何故出来損ないの俺に大切な子供を託したのかと考える。
しかし、考えたところで答えが出るわけがなく、兎に角子供を連れて逃げることにした。
次の瞬間、背中に衝撃を受けそのまま亡くなってしまう。
それから、五年が経過しまたこの地に生まれ変わることができた。
だが、生まれ変わってすぐに森の中に捨てられてしまった。
そんなとき、たまたま通りかかった人物があの時最後まで守ることの出来なかった子供だったのだ。
【完結】第三王子、ただいま輸送中。理由は多分、大臣です
ナポ
BL
ラクス王子、目覚めたら馬車の中。
理由は不明、手紙一通とパン一個。
どうやら「王宮の空気を乱したため、左遷」だそうです。
そんな理由でいいのか!?
でもなぜか辺境での暮らしが思いのほか快適!
自由だし、食事は美味しいし、うるさい兄たちもいない!
……と思いきや、襲撃事件に巻き込まれたり、何かの教祖にされたり、ドタバタと騒がしい!!
分厚いメガネ令息の非日常
餅粉
BL
「こいつは俺の女だ。手を出したらどうなるかわかるよな」
「シノ様……素敵!」
おかしい。おかしすぎる!恥ずかしくないのか?高位貴族が平民の女学生に俺の女ってしかもお前は婚約者いるだろうが!!
その女学生の周りにはお慕いしているであろう貴族数名が立っていた。
「ジュリーが一番素敵だよ」
「そうだよ!ジュリーが一番可愛いし美人だし素敵だよ!!」
「……うん。ジュリーの方が…素敵」
ほんと何この状況、怖い!怖いすぎるぞ!あと妙にキモい
「先輩、私もおかしいと思います」
「だよな!」
これは真面目に学生生活を送ろうとする俺の日常のお話
※長くなりそうでしたら長編へ変更します。
君に望むは僕の弔辞
爺誤
BL
僕は生まれつき身体が弱かった。父の期待に応えられなかった僕は屋敷のなかで打ち捨てられて、早く死んでしまいたいばかりだった。姉の成人で賑わう屋敷のなか、鍵のかけられた部屋で悲しみに押しつぶされかけた僕は、迷い込んだ客人に外に出してもらった。そこで自分の可能性を知り、希望を抱いた……。
全9話
匂わせBL(エ◻︎なし)。死ネタ注意
表紙はあいえだ様!!
小説家になろうにも投稿
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる