恋精霊

秋藤てふてふ

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花岡明日香の恋精霊

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 花岡明日香は、朝、パンツの中に違和感を感じて、目を覚ました。
 お尻にあたるころっとした触感が存在を主張する。
 大きさは、きっと、たまご程度。

 ま、まさか、寝ている間に、小学校三年生にして、おもらしをしてしまった!?
 明日香は、肌の上を滑る冷や汗と、尊厳の危機感を感じつつ、おそるおそるパンツの中を確認する。
 すると、そこにはピンク色の、中央にハートの模様がついたたまごがあった。

「と、とうとうキターーー―!」

 人が恋をすると、生まれる精霊。
 通称、『恋精霊』のたまごを手に、明日香は、歓声をあげた。

「うわ~っ、何これ! 可愛い! 可愛い! 可愛い!」
 
 枕の上に置いたたまごを、スマートフォンのカメラアプリで、写真を撮りながら、明日香は興奮した声をあげる。
 そうしていると、明日香の部屋の扉が強めにノックされ、乱雑に開かれた。
 扉のむこう側から、美人だが、赤い髪と色素の薄い瞳の猫目で、キツい印象を感じさせるの妙齢の女性が姿を表す。
 明日香の母親だ。

「こらぁ! 明日香、朝から何を騒いでいるの?」

 早朝から、はしゃぎ声をあげる娘を注意をしようとやってきた母に、明日香はたまごを指さして言った。

「お母さん! 見て! 見て!」
「あら、もしかして、それって、恋精霊のたまご?」
「そうそう! 可愛いでしょう?」
「本当、ピンク色で、ハート模様がいっぱい、可愛いたまごね」
「えへへ、あ! ねぇ、そういえば、お母さんの……」
「なになに? どうしたんだ?」
「お父さん、明日香が恋精霊のたまごを産んだのよ」

 母親の後ろから今度は茶色の髪に瞳をした母と同じ、妙齢の男性が遠慮がちに顔を覗かせる。
 足下はぎりぎり部屋の入り口でつまさきで踏ん張って入らないようにしていた。
 明日香と妻の楽しそうな声を聞きつけて、やってきた明日香の父は、妻から娘が恋精霊のたまごを産んだことを教えられ、複雑そうな顔をした。

「そ、そうなのか……、ええと、その、相手は誰なのか聞いても良い?」
「誰だって、お父さんには、関係ないでしょう! 部屋に入って来ないでよ!」
「あ、明日香ぁ……」
 足下は入らないように気をつけていたが、顔が入ってしまうのもアウトらしい。
 娘に拒絶され、悲しげな声をあげる父親の肩を妻が慰めるように背中越しに軽くはたく。

「よしよし、恵ちゃん。ご飯の用意するから、コーヒーいれてちょうだい」
「う、うん」
「明日香、折角早起きしたんだから、早く支度しちゃいなさいよ」

 母親は言うと、父親の肩をに両手を添えてキッチンに向かって行こうとする。
 その途中でリビングからやってきた存在に気付いて、挨拶を交わしあった。

「リョウコちゃん。おはよう」
「おはよう、龍子ちゃん。恵くん」
「明日香がたまごを産んだみたいなの、いろいろ教えてあげてくれる?」
「あら、そうなの? 分かったわ! 任せておいて!」

 コンコン!
 会話の後、足音がたたず、明日香の部屋の扉がノックされる。

「明日香ちゃん。おはよう。お部屋に入っても良いかしら?」
「どうぞ」
 控えめに、しかし、明るくかけられた声に、明日香が返事を返すと、扉が静かに開かれるた。
 明日香は扉の向こうから、ひょこりと現れた存在に、改めて朝の挨拶をした。
「おはよう、リョウコちゃん」

 父親、恵の恋精霊、リョウコである。
 大きな頭とその頭と同じくらいの大きさの体をしている。
 二頭身の姿は、その全部を合わせても、人の手のひらに収まるくらいだ。
 彼女は、ちょうど明日香の目線上に、ふわふわと宙に浮いていた。

「うふふ、明日香ちゃんも、もう、恋をするお年頃になったのね」

 リョウコは口元に手をやって上品に笑う。
 足元まで伸びている、ビロードのような艶のある金髪の髪の毛は、緩い三つ編みでまとめられていた。
 釣り目の宝玉のような赤い瞳、顔立ちはどことなく龍子に似ているが、リョウコの方が上品な感じがする、と明日香は思う。
 洋服は飾り気のない、白と黒のツートンカラーのワンピースは、彼女によく似合っている。

 よく、こんな子がお父さんから生まれてきたな。
 明日香はじっとリョウコを見つめる。
 恋精霊は、男女関係なく、人間が恋をすると産まれるたまごから誕生する。
 たまごはいつの間にか出現していて、たまごの親である人間は、たまごを見ると、そのたまごが自分のものであると分かる。

 ちなみに、精霊のたまごがどのように産まれるのかは、誰にも分からない。

 精霊の性別と顔のつくりなどは、親である人間が恋した相手の性別に似るが、髪や瞳の色は親の魂の影響によって決まる。

「あ、そうだ! たまごの写真、パッカーにあげて、占いしなきゃ!」
「パッカーって、ええ!? ちょ、あ、明日香ちゃん。
 たまごを大勢の人に見せるのは、ちょっとやめておいた方が……良いんじゃないかな?」
「ええ、せっかく恋精霊のたまごが産まれたんだから、皆に見て欲しいじゃん!
 ほら、みんなやってるんだよ?」

 明日香は言ってスマートフォンの画面にSNSアプリを起動させ、<恋妖精のたまご キューピットのたまご>と検索バーに打ち込んだ。
 そして、検索結果が表示されると、スマートフォンの画面をリョウコに見せた。
 検索結果には、色や模様が様々なたまごの画像と、それえについて投稿した人物のコメントが表示されている。
 それをリョウコは複雑そうな顔をして見ていた。

「うわぁ、こんな時代になったのねぇ……。
 でも、やっぱり、私は、やめておいた方が良いと思うわ」
「もう、何よ、リョウコちゃん。ノリが悪いなぁ」

 他のみんなもやっているから大丈夫だという証拠を見せているにも関わらず、納得してくれないリョウコに、明日香は頬を膨らませて不満を訴える。
 そんな明日香の様子に、リョウコは困ったように眉を八の字にした。

「明日香ちゃん。せめて龍子ちゃんか、お友達と相談してからにして方が良いわ」

 お願い。と優しく諭されて、明日香はリョウコの言葉に、渋々ながらも頷いた。
 リョウコに手伝ってもらいベッドのふとんをなおし、たまごはその真ん中に置いた。

 それから、今度は自分の着替えを始める。
 明日香の通う学校は公立だったが、制服が指定されている。
 制服は、セーラー服。

 着替え終わると、髪の毛を整える。
 母親の赤毛とと父親の茶毛が混じり合った赤茶色の髪の毛は頭の形を丸く見せるようになっている。
 瞳の色も赤みがかった茶色をしていて、光に照らされると、澄んだ紅茶色になる。
 顔は母親よりも、父親寄りで、穏やかで優しい印象の顔立ちをしている。

 今日の授業に合わせた教科書を鞄の中に入れ、帽子を持って部屋を出た。 

 学校へ行く支度を整えた明日香は、リビングへ向かった。
 リビングには、コーヒーの香りが漂っていた。
 毎朝、父親か、母親が用意してくれるコーヒーの香りは、明日香にとって、今が朝であることを実感できるものだ。
 明日香は、朝食が用意されたテーブルの前の椅子に座る。
 明日香の座る席の前のテーベルには、目玉焼きにウィンナーとゆで野菜が添えられた一皿と、トーストが二枚、三種類のジャム、そして、牛乳がたっぷりと入っているカフェオレが用意されていた。

 明日香の正面隣の席に座っている恵は、もう、朝食を食べ終えたらしく、手にコーヒーの入ったカップだけ持っていた。

 そんな父を無視して、明日香は流し台で荒いものをしている龍子に声をかけた。

「ねぇねぇ、お母さん」
「なぁに?」
「あのさ、恋精霊のたまご、パッカーに上げたいんだけど、どう思う?」
「ぶほっ、え、ちょ、明日香……」

 明日香の正面隣に座った恵が、むせる。
 こぽこぽとカップの中で水が水に落ちる音が反響している。
 どうやら、飲んだコーヒーを戻してしまったらしい。
 苦し気な表情で明日香の名前を呼ぼうとする彼を制して、龍子は洗い物をしていた手を止めると、明日香に厳しい視線を向けた。

「明日香、お父さんにはたまご見せるの嫌だって言っておいて、何で、知らない人も見ているSNSにたまごをあげようと思うの?」
「お父さんとパッカーの人たちは別だよ。それにアカウントだって、匿名なんだよ? それに、ほら、皆も上げてるの」

 明日香がスマートホンを取り出して見せると、龍子は明日香からスマートホンを受け取り、パッカーの表示された投稿を見た後、
 更に顔をしかめた。

「友達だけじゃなくて、知らない、変なおじさんも見るようなものに、たまごを見られても良いの?
 あたしは、止めておいた方が良いと思うわ」

 龍子は投稿されたたまごの画像につけられた、卑猥なコメントを明日香に見せた。

 <キューピットのたまごを産んだ君の○○○○見たいな>
 <たまご産んだとき、気持ちよかった?>
 <そのたまご、売ってくれませんか?>

 コメントの気持ち悪さに、うげっと、明日香は顔を歪める。

「こんな人、少ししかいないよ。ブロックすれば、大丈夫だよ」
「そう、どうしても、たまごの写真をあげたいっていうのなら、あげなさい。
 そうしたら、私、あんたと関わりあいになりたくないから口をきかなくなるからね」
「もう、なんでよ!」
「私みたいな考えの人もいるってことよ。お友達にも確認をしてみなさい。そうね。美弦ちゃんたちとかね」
「……むぅっ」

 明日香は唇を尖らせると、無言で朝食を済ませた。
 恵が心配そうに自分を見ながら、「お父さんも反対だな」というのにも聞こえないふりをした。

 もう、どうしてそんなこと言うのよ。
 キューピットのたまごをあげるくらい別に普通のことなのに、お母さんたちは頭が固すぎるんだよ!

 フォロワーが多い人は、みんな恋精霊のたまごをパッカーにあげている。
 それをみんなも真似してあげているし、ハッシュタグをつけて、お互いの恋精霊のたまごを見せ合ったりもしている。
 コメントをきっかけにして、新しいフォロワーができたりもする。

 私も、みんなみたいにパッカーにあげたって良いじゃん……!

 第一、あんな気持ち悪いことする人なんて、ちょっとしかいないよ!
 たまごだって、産むって言い方するけど、いつのまにか出現しているのに!

 という母親たちに対する不満を、明日香は、自宅から学校へ向かう道すがら、同じマンションに住む友達の藤崎美弦に話していた。
 黒々とした髪の毛は肩よりも少し下くらいまで伸びていて、それをツインテールにしている。
 長いまつげは大きな瞳をぱっちりと見せて存在感を主張させていた。

「お母さんも、リョウコちゃんも考えすぎだと思わない?」
「うぅん……私だったら、見られたくないかも」

 美弦は腕を組み、小さく声をあげて考えると、明日香に返事を返した。
 てっきり自分の意見に同意してくれると思っていた友達が、母親たちと同じ意見であることに、明日香は驚いた。

「ええ、なんで?」
「だってさ……」
「へぇ、花岡、お前、たまご産んだのかよ? 相手誰?」

 美弦が理由を話そうとするのを、背後からの声が遮った。
 明日香と美弦の後ろからやってきたのは、クラスメイトの中島という男子生徒だ。
 
  
 身体の大きさに合わない、少し大きめの制服を着ている。
 何かを狙っているような、彼の三白眼の瞳が明日香はあまり好きではなかった。
 

 明日香のスマートホンを覗き込んでいた中島に、美弦は眉を吊り上げ、中島を注意した。

「ちょっと、中島! お前、勝手に人のスマホ覗くなよ!」
「だったら、そんなもの、スマホの中に入れてんじゃねえよ。バーカ!」

 美弦に怒られると、中島はさっと身を翻し、明日香と美弦を遠巻きに追い越していった。

「はぁ、もう、本当、馬鹿な奴ね」
「……なんか、お母さんとリョウコちゃんが止めた理由分かったかも……」

 明日香は、ため息をついた。
 本名とは違う名前にしているとはいえ、自分のSNSは学校の少し仲の良いクラスメイトなら皆知っているし、たぶんその子たちが友達に自分のことを教えている。
 その子たち皆に自分が誰かに片思いであることが分かってしまうのだ。
 それを考えると、恥ずかしかった。

 やっぱりパッカーにあげるのは、やめておこう。
 仲の良い子だけのグループアプリにあげるだけにしとこう。
 
 帰ったら、ちゃんとお母さんとリョウコちゃんにも話しておこう、と明日香は決めた。

 学校に着き、自分のクラスに到着すると、中島を含めた数人の男子生徒たちが、教室の後ろ側のスペースに集まっていた。

「あ、おい、花岡が来たぞ!」

 男子生徒の一人が声をあげて合図をする。
 すると、中島が床に四つん這いになり、甲高い声を上げながら、大げさに腰を振りはじめた。

「あん、あん!」
「ぷりっ! ぷりっ!」
「ぱっかーん! 生まれました! ピンクのたまごでーす!」

 中島の後ろにしゃがみ込んでいた男子生徒が効果音のような声をあげ、背中に隠していたピンクの固まりを取り出す。
 雑にマジックペンで塗られたコピー用紙の固まりだった。
 それを見て、中島の周りにいる生徒たちが笑い出した。

 恋精霊のたまごを産んだ自分のことを笑いものにされ、明日香は恥ずかしさで口の中と体の芯がひきつるようだった。
 お腹の奥が冷えるような感覚に、顔と体がより熱く感じた。

「……っやめてよ!」

 明日香の大声は教室に響いた。
 明日香の声に、笑っていた生徒たちの一部は、明日香の様子と声とで笑うのをやめた。
 しかし、残りの生徒と、中島たちは、まだへらへらと笑っていたり、中には明日香を「怒りすぎ」だと、顔しかめて、言うものもいた。

「お前ら、それ、本当に笑えないんだけど」

 明日香の隣に並んだ美弦は中島と一緒に悪ふざけをする男子と、彼らと一緒に笑っている生徒たちを睨みつける。

「はぁ? 人に見られんの嫌なら、スマホに画像保存してんじゃねーよ。
 保存してんだから、人に見られてもいいってことだろ、バーカ!」
「……っ!」

 中島の言葉を、違うと、すぐに否定することは、出来なかった。
 だって、スマホで写真を撮ったのは、SNSに投稿しようと思ったからで、それは、中島の言うとおり、人に見て欲しくなかったからだ。

 でも、こんな風になりたかったからではない。
 ただ、自分のたまごを見て、みんなに、良いな、かわいいね、と言って欲しかったのだ。
 こんな風に、バカにされて、笑い物になりたかったわけじゃない。 

 明日香が何も言えずにいると、後ろからよく通る声が響いた。
 教室の入り口のところに、一人の男子生徒が立っていた。

 綺麗に切り揃えられた髪の毛、上品な顔立ちの整った顔。
 目の端が少し垂れ下がっている瞳は、人によっては優しくも見えるし、睨んでいるようにも見える。

 以前、明日香は彼の瞳が怖かったが、今は優しく見える。
 そして、その瞳が大好きだった。

「和人君」
「それって、花岡が、中島に、見て欲しいって、見せたのか?」

 和人くん。こと、月影和人は、美弦とは反対側の明日香の隣に並び立つと、更に言った。 

「女子のスマホのぞき見したのか? 気持ち悪い奴だな」

 月影の発言で、今度は、中島とふざけていた男子が、

「お前、マジかよ、変態じゃん!」
「ちげーよ!」

 と言って、大袈裟に中島から距離をとったり、
「いやぁ、痴漢よぉ、変態よぉ!」
「ちげぇって言ってんだろ! ふざけんな!」

 と中島をからかい始める。
 中島は顔を真っ赤にして、眉をつりあげると、自分をからう友人たちを怒鳴り返していた。

 そんな様子を和人は冷めた目で見ていた。
 明日香はそんな和人を頬を赤く染めながら見つめていた。
 明日香の中にもう、中島の存在はなくなっていた。

「……う、うるせーな! ただ、ちょっと、からかっただけだろう!」
「花岡泣きそうになってんだろ。ちょっと、どころか、やりすぎなんだよ」

 はぅうっ!
 明日香は、心の中で奇声をあげた。
 まさか、和人が自分のことを庇ってくれるなんて、思っていなかったのだ。

 和人はクラスの中でもそれほどしゃべる方ではなく、
 女子とあまり積極的に話そうとしない。
 それでも、整った顔立ちと、落ち着いた雰囲気で、穏やかな性格の、
 彼のことを好きになる女子生徒は多かった。

 明日香もその中の一人だった。
 
 ただ、その理由は他の皆と少し違う。

 この前、風邪で休んでしまった明日香に、
 同じマンションに住んでいる、美弦と一緒に、
 プリントを持ってきてくれた和人は、
 明日香が前の日に、給食袋を忘れてしまったことを知ると、
 わざわざ学校へ取りに戻ってくれたのだ。

 給食袋はなぜか見つからなかった。
 すると、和人は、次の日に、給食袋が見つからなかったことを
 謝りに来てくれた。

 そして、数日後、明日香に新しい給食袋をくれた。
 男の子用ではなく、女の子用のかわいらしいデザインのそれは、
 和人がお店で自分で選んで買ってきてくれた。

 それが分かったのは、中島が和人くんが、女の子の給食袋を
 選んでいるところを見たと、皆の前で和人をからかったときだ。


 明日香はそのとき、和人に恋をした。 
 
「……あ、あの、和人、ありがとう」

 頬を赤くし、おずおずと和人にお礼を言う明日香。
 誰が見ても、和人のことを好きだと分かる彼女の態度に、誰かが冷やかしを入れようとしたが、美弦の鋭い視線に射抜かれ、やめた。

「いや、別に、良いよ。気にしないで」
「う、うん……!」
 
 はぅわぁあっ、和人が! 
 和人が、私に向かって、わら、笑ってくれてる!
 
「……っけ! 偉そうに、この、女好きが!」

 嬉しさに満面の笑顔になった明日香の顔を見て、
 明日香の頭の中から完全に自分の存在が消されたことに、
 気づいてしまった中島は、顔をしかめ、
 和人に悪態をつきながら自分の席へ戻っていった。
 その様子を、美弦は、呆れた様子で見つめていた。

 和人も自分の席につこうとして、

「そうだ」

 その途中でふいに、足を止め、明日香に向かって振り返る。
 整った顔が、微笑を浮かべていた。

「おはよう花岡」
「お、おはよう、和人君……」


 午前の授業が終わった昼休み、明日香は、美弦と一緒に食堂へやってきていた。

「ああ、和人、好き……」
 
 お弁当に入れてもらった、大好物の甘いたまご焼きをほおばりながら、明日香は、うっとりと今朝の出来事を思い出していた。

「おはよう、花岡」
「おはようございます。和人君……やぁーーーっ! 格好良い!」
「格好良いか? ちょっと、キザ過ぎるように思ったけど……」
 
 一人で今朝の再現をしながら、悶える明日香の姿を、美弦は複雑な表情で見つめていた。

「キザじゃないよ! あれは、大人っ、アダルトな魅力なんだよぉ!
 本当、好きぃ!」

 両腕を振り回し、和人への想いを語る明日香に、適当に頷きながら、
 美弦は明日香に知られないように、もう一度、ため息を吐いていた。

 和人への想いを吐ききると、明日香は、満足そうに息を吐いた。
 
「あ、そうだ。恋精霊の名前考えてるんだけど、どれが良いかアドバイスくれる?」

 頭の中を占領していた和人が、頭の中から飛び出していったことで、明日香は恋精霊のたまごのことを思いだした。

「げっ」

 美弦が嫌そうな声を出したが、明日香はかまわず続けた。

「たまごがハート模様だったから、ハートにまつわる名前にしようと思ってるんだ!
 だから、ハートで、心臓、ハツとか」
「いや、響きは可愛いけど、焼き鳥じゃん……」
「じゃあ、ラブ子? あ、でも、和人君が好きってことは、生まれてくる恋精霊は、男の子か」
「……名前、つけない方が、良いんじゃないかな?」

 美弦はいつものハキハキとした口調ではなく、人に聞こえるか聞こえないかの小さな声を出した。
 そんな美弦の言葉を、明日香はしっかりと聞いていた。
 
「ええ、なんで?」
「……だって、さ、失恋したら、恋精霊は死んじゃうじゃん」

 フライパンで殴られたような衝撃が明日香の頭を襲った。
「み、美弦ちゃん、まだ告白すらしてないのに、そんなこと言わないでよぉ」
 声を震わせ、目に涙をたたえながら、明日香はじっと美弦へ視線を向ける。
 その視線に、美弦は、申し訳なさそうに、顔を向け返す。
 そんな美弦の表情を見て、明日香は、思い出した。
 
「あ、そういえば、美弦ちゃんは和人君とご近所だったよね?」
「っていうか、一緒の幼稚園だった」
「え、じゃあ、幼なじみ、っというか、失恋したらって、言うってことは、もしかして、和人、好きな子とかいるのぉおおおおお?」
 
 明日香の瞼が決壊し、明日香の瞳から涙がぼろぼろとこぼれ落ちる。

「違う、違う、いない、いない」
「そ、そっかぁ、良かったぁ、じゃあ、なんで?」

 美弦は慌てて明日香の早とちりをただした。
 それに、明日香は心底安心したように息を吐き、胸をなで下ろした。
 しかし、それなら、なぜ、美弦が自分の恋が叶わないかのようなことを言うのかが分からず、明日香は美弦に聞き返していた。
 
「それは、私の口からは、話せない。
 でも、和人に告白するつもりなら、
 絶対に、和人に、恋精霊を見せちゃダメ」
「……う、うん、分かった」

 美弦の答えは、明日香が聞きたいこととは違ったものだったが、自分を見つめてくる美弦は真剣な表情をしていた。
 それが何より美弦が自分の和人への片思いを応援してくれていること、真剣に考えてくれていることを伝えてくる。
 明日香は、それ以上は、聞かないことにした。

 ただ、恋精霊には、名前をつけるつもりだった。
 SNSでみんなの恋精霊のたまごを見ているときから、ずっと恋精霊のたまごが生まれたら、つけようと思っていた名前があったのだ。

 明日香はわくわくしながら午後の授業を終えて、美弦と一緒にマンションへ帰った。
 
「ただい……!?」
「お帰りぃ!」
「ふわっ!?」

 玄関の扉を開いた瞬間、明日香の顔面に衝撃がやってきた。
 物理的な痛みをおでこに与えられ、明日香は、額を押さえて、しゃがみこんだ。
 衝撃を感じた後、明日香は、おでこに生ぬるい何かかが、ぺったりと貼り付いているのを感じた。
 ふわふわの綿が、たっぷり入っている、着ぐるみカイロをあてられているようだった。
 
「な、なに!?」
「ああ、こらこら! ユイ君!
 そんなに、お顔にぺったり貼り付いちゃっていたら、明日香ちゃんが困っちゃうわ」
 混乱する明日香の視界に、焦った様子で明日香を心配そうに見ているリョウコの姿を見つけて、明日香は説明をしてもらおうとした。
 
「ゆ、ユイ」

 って、誰?

「そう、俺は、ユイだ!」
「!?」

 明日香の疑問に答えたのは、元気な少年の声。
 その声に、明日香は聞き覚えがあった。
 その声は、和人のものと同じだった。
 しかし、その調子は、しゃべり方は、和人のものとは、まったく違っていた。

 おでこに貼り付いていた柔らかくて、暖かいものがはがれると、
 明日香の目の前に、和人によく似た顔をした二等身の和人が姿を現した。 

「はじめましてだな、明日香! 俺はユイ! お前の恋精霊だ! 
 これから、明日香の恋を全力で応援していくから、よろしくな!」
 
 明日香が見たこともないような、満面の笑みを浮かべて、自己紹介をする二等身の和人そっくりの男の子。

 明日香は、たまごから孵った恋精霊と初めて対面をした。

 学校にいる間、午前中、明日香は和人のことで、頭がいっぱいだったときは、忘れていたが、午後はずっと恋精霊のことを考えていて、授業の内容が頭の中に入ってこなかった。

 たまごから孵った恋精霊はどんな姿をしているのだろうか。
 どんな声をしているのだろうか。
 名前は思い切りかわいいものをつけてあげよう。
 食べ物はなにが好きだろう。
 どんな格好をしてもらおう。

 ずっと、考えていたのだ。
 なのに、

 ユイ? 
 俺は、ユイって言っているんだから、やっぱりこの子の名前だよね?
 どうして、まだ私が名前をつけていないのに、この子に名前があるの?
 
「な、なんで? 
 名前、お母さんがつけちゃったの?」
 
 困惑しながらユイはリョウコを見ながら聞いていた。
 リョウコは心配そうな瞳で、明日香とユイと名乗る恋精霊を見て、
 それから、おずおずと口を頷いた。 

「いいえ、ユイ君が、自分で決めたの」
「へへ、良い名前だろう? 
 明日香が好きな、和人との恋の縁結びになるって、この名前にしたんだ!」

 明日香とリョウコの、強ばった表情に気づかず、ユイと名乗る恋精霊は、満面の笑みを浮かべて、答える。
 その瞬間、明日香の全身から力が抜けていった。
  
「そ、そんなぁ……」
「な、なんだよ。どうしたんだよ?」

 床に座り込んで、力なく呟く明日香の態度に、恋精霊は驚き、心配そうに明日香の顔をのぞき込む。

「自分で名前、付けたかったのにぃ……」
「名前? なに言ってんだお前?」

 明日香はくわっと顔を上げ、自分の恋精霊を睨みつけた。

「貴方の名前だよ! 私がつけたかったのに、どうして、自分で名前をつけちゃうのよ!」
「はぁ? 何だよ、せっかくお前のために、この名前にしたのに、ふてくされやがって!」
「だって、私、自分で、名前付けたかったんだもん!」
「ふざけんな! 俺は、お前のペットじゃねぇ!」

 恋精霊は明日香を怒鳴りつけると、背を向け、リビングの方へ飛んでいってしまった。

 なに、あの子、リョウコちゃんと全然違う……。
 ああ、なんか、がっかりだなぁ……。

 朝、恋精霊のたまごが産まれて、いろいろあったが、和人君に格好良く挨拶をしてもらって、本当に嬉しくて、最高の気分だったのに……。

 一番楽しみにしていた精霊の名前をつけることを、精霊が勝手に、自分でやってしまった。
 しかも、恋精霊は、自分勝手で、親である自分の言うことに従わない。

 まぁ、美弦ちゃんに、和人の前に連れ出すなって言われているし、あんな子、みんなに見て欲しいなんて思わないし、家で留守番させてよう。
 

 翌日、明日香はいつもと同じように学校へ登校した。
 恋精霊は、玄関で喧嘩してから、明日香の前に姿を現さなかった。

「おはよう、美弦ちゃん」
「おはよう、明日香、どう? 
 恋精霊は孵った? 
 どんな名前をつけたの?」
「孵ったんだけどさ、なんか、自分で勝手に名前つけちゃってたんだ。
 しかも、ぜぇんぜぇん可愛くないの!
 顔は和人なのに!
 言うこときかないし、生意気だし、リョウコちゃんみたいな、おとなしく、上品な子がだったら良かったのに、ホントがっかりだよ!」
「なんだとぉお!? 」
「!?」

 明日香のランドセルから小さな人型の陰が飛び出す。
 眉を吊り上げたその顔は、和人そっくりだった。
 しかし、やはり、学校で見たことのない、顔をしていた。

「ちょ、ちょ、ちょっと、あなた、何でついてきてるの!?」
「初めて会ったときに言っただろ、俺はお前の恋をなんとかしてやるために産まれてきたんだよ。お前のそばにいないとしょうがないだろ!」
「うわぁ、随分と面白そうな子が生まれてきたね」

 和人君と似ている顔をした、小さな精霊が、明日香と喧嘩をしている様子を見て、美弦は顔を小刻みに揺らしていた。
 面白がって笑いを耐えているのだ。

「面白くないよ! 面白がっているのは、美弦ちゃんでしょう?
 ……貴方は、今すぐ帰りなさい!」
「イーやーだーよー!」
「もう! いい加減にして!」

 道の真ん中で立ち止まって、恋精霊と言いあいをいた明日香は、後ろの方からやってきていた和人に気づかなかった。
 
「……どいてもらっても、良いかな?」
「あ、うん、ごめんなさい」
「みんなの邪魔になるから、道をふさぐようなことはしない方が良いよ」
 
 自分と、言い合いをする恋精霊を見て、和人が目を細めた。
 それを見た明日香は、和人の言葉を冷たく感じた。
 
 和人に嫌な奴だなんて、思われたくない。
 そう思った瞬間、明日香は和人に向かって声をかけていた。
 
「あ、あの和人君!」
「……なに?」

 明日香の横を通り過ぎて、歩いていた和人が歩くのをやめて、明日香の方へ体ごと振り向く。

「ごめんなさ……っぐ!」

 彼に向かって、明日香は思い切り頭を下げた。
 背負っていた鞄が跳ね上がって、明日香の頭に激突する。
 激痛にその場にうずくまりたいのを押さえながら、体明日香は必死で頭を下げ続けた。

「本当に、ごめんなさい。和人君」
「……俺に謝ったって、仕方がないだろう」

 和人の声とため息に、明日香が体をびくりと震わせるのを見て、美弦は和人を睨みつけた。 

「ちょっと、和人! 言い方きつすぎ!」

 美弦に言われて、和人は自分でも思うところがあったのか、小さな声で謝った。

「……ごめん」
「い、いや、悪かったのは、私の方だし、本当にごめんね……」
「……じゃあ」

 つま先を学校の方へ向けて、再び歩き出そうとした和人をボーイソプラノの声が引き留める。

「待ってくれ! 和人!」
「……?」
「明日香が、お前に伝えたいことがあるんだ」
「な、なに?」

 明日香の恋精霊に声をかけられた和人は、緊張したように恋精霊と、明日香にそれぞれ視線を移しながら問い返してきた。

 ちょっとぉ! なんで、そんなこと言うのよ……! 
 これでは、告白をするようじゃないか。堅い表情をして、緊張している様子の和人をみるに、彼はもう、告白をされる可能性を考えているように見える。

 だめ、こんな、タイミングで、こんなシチュエーションで、告白なんて出来ないよぉ。
 
「そ、その、おはよう……」
「……おはよう、花岡。美弦あと……君の名前は?」

 和人に名前を尋ねられて、明日香の恋精霊は、和人から目線をそらし、小さな声で言った。
 明日香に名前を変えろと言われて、自分の名前が本当に良いものなのかどうか、悩んでいたのだ。

「……俺はユイだ」
「良い名前だな」

 和人に名前を誉められたことで、嬉しくなったのか、恋精霊は笑顔を和人に向けた。

「おう! 俺が自分でつけたんだ!」
「じゃあな、ユイ」
「おう! またな、和人!」

 和人は、恋精霊に名前を呼ばれると、痛みに耐えるような顔を一瞬して、それから早足でその場を立ち去っていった。

「……あちゃぁ、和人に見られちゃうなんて、運が悪かったわね……」
「うう、私、和人に嫌われちゃった、かも……」

 和人が歩き出すのと同時に、明日香はその場にしゃがみ込んだ。
 今にも泣き出しそうな顔をしている明日香のことを美弦が慰める。
 明日香は、顔をあげると、自分の恋精霊を睨みつけた。

 あなた、なんてことを、してくれたのよ!」
「なんだよ。何で、怒ってるんだよ?」
「和人君に、恋精霊を見せちゃいけないって、美弦ちゃんがアドバイスをくれていたのに、あなた
のことを見られちゃったじゃない!」
「なんで、俺のことを見られちゃいけないんだよ?
 和人は恋精霊のことが嫌いなのか?
 そんな風には見えなかったぞ?
 俺の名前も、良い名前だって、言ってくれたし」
「……それは……」
「……」

 明日香は美弦を見る。
 美弦も困ったように明日香を見つめ返した。
 昨日は話せないと言ったものの、明日香の気持ちを知っているため、話すことをためらっていた。

 そうしていると、一人の女子生徒が明日香に話しかけてきた。

「ねぇ、花岡さんだっけ? ちょっと良い?」
「え、は、はい。なんでしょうか?」

 明日香たちの一学年上の生徒がつける、赤い色のリボンをつけている少女は、明日香のことを睨みつけた。

「貴方、和人のことが好きなのね。
 ああ、言わなくていいわ。その恋精霊を見れば分かるもの」
「何だよ。和人のことを明日香が好きなことに、文句があるのか?」

 明日香の恋精霊は明日香を庇うように、上級生の女子生徒の前に浮き上がった。
 その口から放たれた言葉に、上級生の女子は目の端を吊り上げた。

「まぁ、和人の顔で、なんて言葉遣いさせてるよ! 信じられないわ!」
「大ありだよ。和人君は、今、僕の花子ちゃんと付き合ってるんだから!」
「ええ!?」

 和人君を呼び捨てで呼ぶ上級生の女子と、彼女が連れている和人君にそっくりな恋精霊の姿と、発言にその場に存在する全員が驚いた。

 驚愕する明日香の前に、声を上げたのは、ほかの女子生徒たちだった。

「は、何言ってんの? アンタ。和人君は、私と付き合ってるのよ!?」
「あんた達こそ、何言ってんのよ。和人は私と付き合ってるの!」
「なんですって!」
「ふざけんじゃないわよ!」
「私が告白をしたら、受けてくれたもの!」
「なに言ってんのよ! 私の告白だって、受け入れてくれたもの」

「ひぃっ!?」
「な、なんだ?」

 皆が自分は和人とつきあっているのだと主張している。
 その一人一人が和人と同じ顔をした恋精霊を連れていた。
 少女たちの目は、皆血走っている。
 その姿にあるはずのない角や、燃え上がる炎を幻視するほどだった。

「ひ、ひえ……」
「和人……何股してるんだよ……」
「和人と、同じ顔がいっぱいいる……気持ち悪……」

 罵りあい、自分こそが和人の彼女だと主張する少女たち。

 その中から一人の少女がふらふらと出てきて、地面に座り込んだ。
 両手で顔を覆う彼女を、彼女の恋精霊が必死で慰めている。

「どうして、私だけじゃないの? どうして?」
「大丈夫ですか?」

 心配になった明日香たちが声をかける。
 すると、彼女は、勢いよく顔をあげ、明日香を睨みつけた。

「大丈夫じゃないわ! ふざけんなよ! あんな女好き、大っ嫌いっ!」
「あ……!」

 声をあげたのは、彼女の恋精霊だった。
 カチャーンと甲高い陶器が割れるような音がその場に響き、それと同時に、恋精霊は光の花火となって、その場に散った。
 火花が散り終わると、あとには、もう、なにもいなかった。

「ど、どうして? 恋精霊が消えちゃった?」
「和人に恋をするのをやめたから、和人のことを好きじゃなくなったから、恋精霊が消えたのよ」
「ふん、あんな奴の恋精霊なんて、もう、見たくもないから、ちょうど良かったわ」

 少女は恋精霊が消えたことで、清々したと吐き捨てると、明日香たちの間をすり抜けて、その場から立ち去っていった。
 そんな少女を見送った後、美弦は明日香に尋ねた。

「ねぇ、明日香は和人のことを嫌いにならないのか?」
「……どうして、私が和人のことを嫌いになるの?」
「だって、たくさんの女とつき合ってるみたいなんだよ?」
「和人がそんなことをする筈ないよ」

 美弦の言葉に明日香は即答し、断言した。
 美弦は明日香の言葉に、納得できないのか、疑問の声をあげた。

「いや、実際してるでしょう?」

 美弦は、未だに喧嘩をしている少女たちを指さす。
 明日香はそれを見ても、首を振った。
 
「何か理由があるんだよ。
 和人君は、人の気持ちがわかる。優しい子だもん!
 私、知っているよ。和人は、とっても、誠実な人だもん。
 そんな子が、たくさんの女の子を悲しませるようなこと、出来るわけないもん。
 きっと、何か、訳が、理由があるんだよ!」

 美弦の目をまっすぐに見つめて、明日香は言った。
 みんな、和人に告白をしたら、受けてくれたと言っている。
 みんな、和人と同じ顔をした恋精霊を連れている。

 しかし、明日香はそれを信じなかった。
 明日香の気持ちは揺るがなかった。

 そんな明日香の想いに、美弦は答えずにいられなかった。 
 
「明日香は、本当に、和人が好きなんだね」
「うん、私、和人君のことが好き」

 明日香の口から、和人の想いを聞いて、美弦は空を仰いだ。
 その瞳と、唇は、小刻みに震えていた。
 瞳と唇の奥から沸き上がってくるなにかを押さえつけているようだった。

「美弦ちゃん。泣いているの?」 
「……うん、まさか、明日香がそこまで、和人のことを想ってくれているなんて想わなくて……」

 感動した。と、美弦は言った。

 私が話すのは、いけないことかもしれないって、思っていたけど、
 話させて……」

 そして、美弦は、和人に過去にあったことについて、話をしはじめた。

「幼稚園のときに和人に告白をしてきた女の子がいたの
 その子、恋精霊が生まれたら、幼稚園に連れてくるようになって、
 和人もその子の恋精霊と話したり、遊んだりするようになったんだ。
 それで、ある日、その恋精霊の親の女の子が和人に告白をした。
 傍では、恋精霊が応援していたわ……」
「もしかして……」

 美弦の話の先になにがあったのかを想像し、明日香は顔を曇らせる。
 美弦は明日香の考えが当っていると、言うように、頷いた。

「うん、和人はその子の告白を断わったわ。
 その子の恋精霊は、和人の目の前で消えてしまった……」
「……」
「和人はそれから幼稚園でなんでその子の告白を断ったんだって、みんなから責められたわ」
「そんな、そんなの、仕方がないことなのに!」
「皆から責められたこともショックだったみたいだけど、
 でも、それよりも、目の前で恋精霊が消えてしまったことが、
 ショックだったみたい」
「……」
「それから、和人は誰から告白されても、断らなくなってしまったんだ……」
「そう、だったんだ……」

 恋精霊を死なせないために、和人は、女子生徒に告白をされても、自分の本当の気持ちに嘘をついて、女子生徒たちの告白を受け入れてきたのだ。

 やはり、明日香が思っていた通り、和人は、優しい人だった。
 しかし、それが分かっても、明日香は喜べなかった。
 なぜなら、今のままでは、和人も、和人を好きな女の子たちも、誰も幸せにはなれないからだ。

 和人に告白し、つき合うことになったのが、自分だけではない、
 と知った女の子たちは傷つく。
 そして、先ほどの女の子のように、和人君を嫌いになって、恋精霊を消してしまっても、せいせいしたと想うようになってしまう。

 和人君に恋をしたことを嫌な思い出だったと想ってしまう。
 
 そんなの嫌っ!
 そんなのダメ!

 皆に、和人を誤解して欲しくなかった。
 誤解をさせたままでいさせたくなかった。
 和人に、自分の気持ちに正直になって欲しかった。 
 
 でも、どうすれば良いのか分からない。
 いったいなにをすれば、良いのだろう。

 告白をことわれば、恋精霊が消えてしまう。
 それは、どうしようもないことだ。
 
「……おい、明日香! お前、和人に告白をしろ!」

 どうすれば良いのか、悩む明日香に、恋精霊は言った。
「え? ちょ、何言ってるの?」
「ま、まさか、和人なら告白をしても断らないから、告白しろってこと?」
「ちげぇ! 俺はそんな卑怯な告白を明日香にはさせねぇ!」
「だったらどういうことなのよ?」

 自分の恋精霊の考えが分からない。
 明日香は恋精霊の考えをなんとか分かろうと、彼の瞳をまっすぐに見つめた。

「明日香、お前、和人のことを、どうにかしてやりたいって、思ってるんだろ?」
「うん、和人君が、みんなに、女好きって思われて、嫌われちゃうなんていや!」
「だったら、お前が言ってやれば良いんだよ」
「!?」
「ちょっと、待って、和人が明日香の告白を受けてくれるとは限らないのよ!?」
「良いんだよ、それで、俺が消える瞬間に、和人に、お前は悪くねぇって、言ってやる!
 恋精霊は、親が死ぬか、恋を終えれば、消えるしかないんだ。
 だったら、せめて、親に、この恋をして良かったと、俺たちが生まれてきて、良かったと、思って欲しいんだ!」
「……あなたは、それで良いの?」

 明日香の問いかけに、明日香の恋精霊は力強く頷いた。

「おう、だって、それがお前の恋なんだろ?
 俺は明日香の恋精霊だから、明日香の恋を全力で応援する
 はじめて会ったときに、そう言っただろう?」

 はじめて出会ったときと、同じように、
 明日香と恋精霊は互いを見つめ合っていた。

 
 明日香はその日の放課後、和人を近所の公園へ呼び出した。
 和人は、明日香の態度と、恋精霊の存在で、
 今から、自分が告白をされることを、分かっていた。
 明日香と恋精霊の姿を見て、顔を歪めながらも、和人は二人の前へやってきた。
 
 嫌なら来なければ良いのに、来てしまうのが、和人らしい。
 彼が好きだと、明日香は思う。
 明日香はそんな自分の気持ちを、そのまま口に出そうとした。

「来てくれて、ありがとう。和人君」
「いや、別に……」
 
「あのね、私は、和人君が好きだよ!
 優しい和人君が大好き!」
 だから、自分の気持ちに正直に、ちゃんと答えて!」
「俺も……花岡が好きだ……」

 嬉しくない。
 ずっと、和人に、言ってもらいたい言葉だった。
 それなのに、明日香は和人から、その言葉をもらっても、まったく嬉しくなかった。
 むしろ、泣きたくなってしまった。
 それで分かった。
 彼は、自分のことが好きではないと。

「ねぇ、和人君。私のこと、本当に好き?」
「ああ、好きだよ」
「それじゃあ、私とキスして」
「はぁ?」
 
 和人は明日香の言葉にすっとんきょうな声を上げた。
 それに構わず、明日香は続けた。

「はい、キスして!」
「ちょ、ちょ、ちょ、待ってくれ!」

 和人は後じさりしながら、明日香の前に両手を突き出した。

 小学校三年生の男子である和人に、キスはハードルが高かった。
 というか、彼としては、女の子と付き合いたいという気持ちがまったくなかったのである。

 付き合うことになった女の子たちと、学校以外でつながりを作りたくな、親がスマートフォンを持たせてくれると言っても、まだ良いと断った。
 女の子にデートに誘われても、バスケットクラブの練習や試合を理由に断った。
 なので、和人は、たくさんの女の子たちと、付き合っていることになっていたが、手をつないだりすることはなかった。
 それで付き合っていることになるのか、と言う人もいるだろうが、彼らにとっては、告白の返事を断らないだけで、付き合っていることになるのだろう。

「ま、待てよ。花岡、そういうのは、もうちょっと……こう、関係を深めてからじゃないと……」
「なんで? 私のことが好きなら、キスをしたいと思うんじゃないの?
 私は、和人君とキスしたいって思うよ?」
「……っ!?」
 
 和人の顔が引きつる。
 そんな彼の表情を見て、明日香は悲しそうに微笑んだ。

「私とキスしたくないってことは、和人君は私のことが好きじゃないんだね……」
「やめろよ! 花岡、そういうこと言うなよ!」

 明日香の言葉に、和人は怒った。
 明日香の言葉で恋精霊が消えてしまうかもしれない。
 そう思ったからだ。

「どうして?」

 どうして?
 なんで、どうしてなんて聞くんだ!?
 和人は怒っていた。
 そんなことも分からない、明日香のことを、明日香の気持ちなどまったく分からないから、怒っていた。

「だって、俺が花岡のことが好きでも、キスするのを嫌がったら、そんなことしたら、花岡の恋精霊は消えちゃうかもしれないんだぞ?」
「それと、私の気持ちが関係あるの!?」
「はぁ!? お前、マジでいってんのかよ!?」

 明日香の言葉に怒り、声を荒げる和人の眼前に、手のひら大の小さな塊が跳びこんでくる。
「おおマジだぁっ!」
「なっ!?」

 明日香の恋精霊は、和人の前の空中に仁王立ちをすると、小さな腕を組み、和人を睨み付けた。
 
 というか、明日香に、そうしろって、言ったのは、俺だ!」

 ビシリッと、米粒のような小さな親指で恋精霊は自分を指さす。
 そんな彼の様子に、和人はうろたえていた。

「な、なんで、そんなことを!?」
「お前が、好きじゃない相手からの告白を、断わない理由を知ったからだ!」
「……どういうこと?」
「お前が、恋精霊に消えて欲しくなくて、告白されても、断らないから、皆から女好きって思われているの、知ってんのか?」
「……知っているよ」
 
 明日香の恋精霊の言葉に、和人は苦虫を噛み潰したような顔をして答えた。
 告白をされても、断らない自分のことを、皆が女好き、と言っていることは知っている。
 しかし、そう思われても構わなかった。
 恋精霊が目の前で消えるようなことがなければ、それで良かったのだ。

 「明日香は、お前に対する皆の誤解を解きたいと思っている。
 お前が女好きだって思われて、嫌われるのが嫌だと思っている。
 お前に恋をするんじゃなかったと、思って欲しくないと思っている。

 それが、明日香の恋なんだ!
 だから、明日香の恋精霊の俺は、命をかけて、全力で応援するんだ!」
「やめてくれよ!」 

 和人は叫び声を上げた。

「余計なお世話なんだよ! 俺は別に恋精霊のことを死なせたくないとか、そういう気持ちで言っているわけじゃないんだ!
 自分の目の前で、恋精霊が死ぬのが嫌なだけなんだよ!」」

 だから、別に自分がなんと言われようと構わないのだ。
 恋精霊の消滅を見たくないために、女の子の気持ちを無視しているのは、本当だから。
 自分がそういう人間だということは本当だから。
 悪く言われるのは、自分に対する罰のようなものなのだ。

 和人の目にみるみる涙がたまり、瞳に収まりきれなくなった涙が頬へ落ちていく。
 そんな彼を見つめながら、明日香の恋精霊は、今度は穏やかな声で、自分の気持ちを話し出した。

 「和人……俺も、明日香に、恋をして良かったって、恋精霊が生まれてきて良かったって、思って欲しいんだ。
 だから、明日香に正直に、誠実に、自分の気持ちを伝えてくれないか?」
「!?」

 穏やかな声と同じ、穏やかな笑みを浮かべた恋精霊の顔を見て、和人は初めて告白を断ったときのことを思い出した。

『……ありがとう。和人くん……』

 あのとき、女の子の告白を断った、あのとき、あの子の恋精霊も穏やかに微笑んでいたのだ。

 彼の親である女の子は、マジギレをしながら、号泣して、数日間は和人のことを罵り続け、幼稚園の友達にみんなにも責められ、忘れてしまっていた。

 身体が震えるようだった。
 そのとき、和人の中に湧き出したのは、罪の意識だった。
 女の子たちと向き合うことをやめたことで、誰とも付き合っているということになっていたことで、和人に告白をした女子同士がそれを知って、喧嘩をしていることは知っていた。
 和人が好きなのは、自分一人だと思っていた女の子が、和人が誰の告白も拒まないと知って、失恋し、恋精霊が消滅していることも知っていた。
 でも、自分の目の前で、それが行われないのであれば、良いと、自分が傷つきたくないと思ってしまっていた。

 最初は、恋精霊に生きていて欲しいと思っていたのに。

 しかし、和人は彼の笑顔を思い出した。
 自分の親である女の子と向き合い、ちゃんと告白の返事をしてくれた和人に感謝して浮かべられた、あの笑顔を。

「お願い、答えて、和人君」

 明日香の言葉を受けて。和人は深呼吸をした。
 身体の奥が寒く、でも、肌は熱く感じる。
 
「……ごめん、俺、花岡のこと、友達としてしか、みれない」
「うん、ちゃんと返事をしてくれて、ありがとう和人君」

 明日香は頷く。
 ああ、変なの。
 顔に満面の笑みを浮かべる。
 告白を断れたというのに、嬉しいのが、心の底からおかしかった。
 和人が自分の告白にちゃんと向き合うことができたのが、微笑ましかった。
 そして、切ないけれど、愛しかった。

 胸が痛いが、それが、あたたかかった。

 明日香は自分の恋精霊と向き合った。
 恋精霊の身体は輝く光の粒子に包まれていくように見える。
 身体が光になり始めているのだ。

「それじゃあな、明日香。
 お前と和人の縁結び出来なくて、ごめん」

 頭を下げたのだろう。
 光の粒子の塊が折れ曲がる。
 明日香は、じっと線香花火のように周りに光のつぶをとばす恋精霊を見つめていた。
 その姿を最後まで見届けるために。

「ううん。私、貴方のおかげで、ちゃんと和人君に好きって言えた。
 ちゃんと恋ができたよ。
 ありがとう、ユイ。貴方が生まれてきてくれて、本当に良かった」

 嬉しそうな笑い声と一緒に、俺の方こそという声が発せられる。
 その直後に、陶器が割れるような高い音が響き、光の粒子が花火のように散った。


 恋精霊は、人が恋をすると、生まれてくる。
 精霊を生み出した恋する人間が失恋をすると、恋精霊は消滅する。


 そして、また、人が恋をすると、新たな恋精霊が生まれてくる。

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