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1 吸魔の姫君

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 母親の顔は知らない。
 父親の顔もあまり記憶にない。

 親って、家族って、どんなものなんだろう。

 読んでいた童話の挿絵を撫でて、ファナは物思いにふけった。

 窓から差す月明かりとロウソクの炎だけでは、読書には暗すぎる。

 だが空想の翼を広げるのにはもってこいだ。

 広い家も豪華な調度品もいらない。
 ただ太陽の下で笑って話せる相手が居れば良かったのに。
 愛して欲しいとは言わない。
 ただ自分が愛を傾ける相手がいれば良かったのに。

 物心ついた時から城の地下室で、一人ぼっちで育ったファナは孤独だった。
 彼女が産まれながらにして持って居た『吸魔』の能力は、彼女の意思とは関係なく触れた人間や道具から魔力を吸い取ってしまうからだ。

 彼女を産んですぐに死んだ母親は、生きていれば庇ってくれたはずだと夢想する。

 後妻となった元側室の継母とその娘である妹が、今はこの城の実権を握っていた。

 日に何度かやって来る世話係のメイド達は、ファナと口を利くことを禁じられている。
 使用人達が、虐げられている姫君よりも自分たちの雇用を守ろうとするのは無理からぬ事だった。

 ファナの母親は、博愛と良識の王妃として死後もネモフィラ公国の国民から愛されていた。
 ――いや、国民だけではなく大公からも。

 だからこそ継母はファナにキツくあたる。
 十歳のまだ幼いファナには分からぬ事だったが。

 妹はたまに地下室にやって来ては、新しいドレスや宝石を自慢したり、ファナのみすぼらしい身なりを馬鹿にしていく。
 だがそのことすらもイベントのひとつに感じられるほどに、ファナは孤独だった。

 東の空が白み始めている。
 そろそろ地下室に戻らなければ、誰かに見つかってしまう。

 手にした本を書棚の元の場所に戻し、ファナは暖炉の前に立った。

 暖炉の中央のレンガを強く押すと、扉のように暖炉がこちら側に動いた。
 その後ろに暗い穴と、下へと伸びる階段が続いている。

 隠し通路だ。

 発見したのは五歳の頃。

 それからあちらこちらを探索して、今では隅から隅まで知り尽くしている。

 この通路を使って書庫や庭、時には城の裏手にある森へと散歩に行くのがファナの唯一の楽しみだった。
 もっとも、誰かに見つかるともう二度と出かけられなくなるから、時間は決まって深夜だったけれど。

 地下室に戻って扉を閉め、小さくて硬いベッドの前でひざまずく。

 天国の母親の幸せと、この国の繁栄を、豊穣の女神ファティマに祈るのが眠る前の彼女の日課だった。

 誰に教えられたわけでもない。全てのことは本から学んだ。

 自分の名前と似た響きのある女神に、家族と呼べる者が居ないファナは親近感を覚えているのだった。

 それから布団に潜り込み、中で丸くなる。

 目を閉じると先ほどの童話の挿絵が脳裏に浮かんだ。

 聖母がみどり児を抱いて愛おしそうに微笑んでいる場面だった。

 あんな母親が側にいてくれたらいいのにと思うのと同時に、あんな母親になりたいともファナは思った。

(あんなに優しく笑うのだもの、きっと幸せなのは赤ちゃんよりお母さんの方よね)

 と。
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