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ぼくンちの女の子

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「ヒロキ。
 来週の金曜日、茶の間を借りたいのですが」

 学校から帰って、机の上にランドセルを放り投げた僕に、イトがそう言った。
 一瞬何の事か分からずに、目をパチクリ。

 茶の間を……かりる?

 黙ったままの僕に、イトはもう一度噛んで含めるように言う。
 赤い振袖をひらひら、部屋のカレンダーを指さしつつ、

「この日、この家の、茶の間を借ります。
 これは決定事項です。
 変更は受け付けられません」

 え!?

「ちょ、ちょっと待ってよ!
 僕は良いとしても、」

 ホントは、あんまり良くないけど……、

「父さんや母さんはどうするのさ!」

 するとイトは紅い唇の片端を上げ、ニヤリと笑った。
 なんだかおどろおどろしい雰囲気が部屋を支配する。

「……だ~いじょうぶですよぉ……。
 ヒロシは出張。メグミは同窓会に行くことになりますから……。
 く~くっくっ……」

 妙な迫力に僕は半歩後退りつつも、上目使いにイトを睨んだ。

 コイツ、また父さんと母さんに何かしたのか……。
 僕の視線に気づいたのか、イトはぱんっと手を叩いてにっこり笑った。

 途端に。
 いつもの。
 僕と同じ。
 子供の。
 イトに戻る。

「ヒロキ、沢山のお菓子を用意して下さいね。
 沢山のお客様がいらっしゃるんですから」
「……一体、リビングで何するつもりなのさ」

 警戒しつつ尋ねる僕に、イトはえへんと胸を張った。

「全座労の定例集会ですよ。
 今回は主催者にわたしが選ばれたのです!」

 ……ゼンザロウ?
 誰それ?
 頭の中で『善座朗』って、漢字変換して。
 その途中で、僕ははっと気がついた。

 ま、まさか……。

「ぜ、全日本・座敷童・労働組合……?」

 搾り出した声に。
 イトは再びおどろおどろしい笑みを浮かべて、こっくり大きく頷いたのだった。


       ☆


 当日までの日々、イトはとにかくテンションが高かった。
 機嫌が良いのはいいとして、夜中にいきなり、

「イヒヒヒヒ……!」

 とかって笑いだすのは、ほんとヤメテ欲しい。

「掃除、終わったよ~」

 リビングをピカピカに磨き上げ、僕はイトを呼んだ。

 さっきキッチンに置いてあるスーパーのビニール袋を見て、ちょっと泣きそうになってしまった。

 僕のおこずかいは、今年のお年玉も含めて、全てお煎餅とおまんじゅうになった。

 ……将来、おっきい幸運という形で利息をつけて返してもらおう。
 ぜったい、そうしよう。

 心の中でかたく誓っていると、

「ではヒロキ、着替えていらっしゃい。
 そろそろお客様がいらっしゃいますから」

 いつもよりも派手な帯をしめて、いつもよりも髪をツヤツヤさせた、イトがやって来た。

 ちらりと時計を見る。
 もうすぐ夜中の十二時だ。
 正直、僕はもう眠い。

 部屋に行きちょっと考えてから、僕は『おばあちゃんチに行く用』の服に着替えた。


       ☆


 ピンポ~ン!

 ソファーでうとうとしていた僕は、チャイムの音にビクッとして起きた。

 時計を見るとすでに日付が変わっていた。
 眠い目をこすりつつ、イトと共に玄関に行く。
 扉の向こうは、シーンと静まり返っていた。

「あ、あの……どちらさまでしょうか」

 おそるおそる呼びかけるが、

「…………」

 何の応えも無い。

「い、イト……!?」
「何を怯えているのですか。
 お見えになったのは、言わば幸運の女神達なのですよ。
 さ、
『どうぞお入り下さい』
 と言いなさい」

「……ど、どうぞ――……」

 なんだかそれが呪いの言葉に思えて、僕はゴクリと唾を飲み込んだ。

「……どうぞ、お入り下さい……」

 次の瞬間。

 バターンっ!

「うわ!?」

 勢いよく扉が内側に開いたかと思ったら、

 ドヤドヤドヤドヤ!!

「うわ! うわ! うわあぁぁ!?」

 大量の女の子が、家の中になだれ込んできた!

 こ、怖い!

 いきなり現れた、沢山の女の子。
 それだけでも怖いのに、その女の子がみんな、
 ストレートの黒髪!
 白い肌!
 赤い唇!
 赤い和服!
 だなんて!
 なんか図工室にあった『麗子像』が、集団で来たみたい!

「うわあぁぁっ!
 イト! イト! イトぉぉっ!」

 半泣きで叫んでみたけど、

「さ、ささ、こちらへどうぞ!」

 イトは、せっせと赤い流れをリビングへと誘導していて気づいてくれない。
 でも、その頬が珍しくバラ色に染まっていたから。
 僕は怖いキモチをぐっと我慢して、悲鳴を飲み込んだんだ。


      ☆


「――ではこれより『全日本座敷童労働組合』春の定例集会を始めます」

 おぉ~!
 パチパチパチパチ!

 リビングにずらっと並んで正座した、赤い女の子たちが、どよめいて拍手した。

 ……やっぱり、ちょっと怖い。

 司会を勤めるのは、艶やかな菊の紋様の着物の子。

 イトは《シュサイシャ》だけど《シカイシャ》じゃないんだな。

 イトの隣、集団の一番後ろに座らされ、僕は集会に強制参加となった。

 赤くて、黒くて、白いなぁ――……。

 三十人ほどの女の子たちをぼんやりと眺めていたら、

「……ヒロキ、」

 ツンツン。

 イトに脇腹を突かれた。

「なに……?」

 僕も小声で返す。

「何か匂いませんか?」
「はぁ……?」

 クンクン。

「確かに、母さんのお化粧品みたいな匂いがするかも」
「いえ、そうではなく……何というか、かび臭いというか……」
「えぇ? そうかなぁ?」

 もう一度クンクンしてみるが、今度感じたのはフローリング用の洗剤の香りだった。

 そうだよね。
 あんなにがんばって掃除したんだもの。

「……気のせいなら良いのですが」

 イトは首を傾げて黙り込んだ。

「――では、最初の議題です」

 話し合いが始まるようだったので、僕たちは前方に意識を集中させた。

  それにしても、座敷童の会議って何を話し合うんだろう?
 やっぱり、どんな風にして家主に幸運をもたらすか、とかなのかな?

 司会者さんは、手にした巻物に視線を落とすと、重々しい口調でこう言った。

「最初の議題は――『髪型の自由化について』です」

 …………は?
 僕の目が点になっているのにもかまわずに、おかっぱの童が

「はーい」

 と手を挙げる。

「いまどきぃ、茶髪くらい普通だと思いまーす」

 ……え?
 何だろうこの違和感。
 というか茶髪の座敷童。
 …………御利益、無さそう。

「何を言ってるんだい! この小娘は!」
「てかさー、もういっそのことピンクもブルーもOKって事にしちゃえばいいんじゃない?」
「じゃがなぁ。座敷童ってのは、黒髪ストレートと昔から決まっておるしのぅ」

 喧々囂々とした場を、僕は呆然と見ていた。

 その後の議題も、
『服装の自由化について』
 とか、
『休日の増加と給料のベースアップについて』
 とか。

 お給料、どこからもらってるんだろう……。
 聞きたかったけど、口を挟める雰囲気じゃない。
 かわりに僕は、半眼でイトを見た。

「幸運の女神達、自分達のことばかり話してるね」

 イトはわずかに視線を逸らすと、

「……ヒロキ、『春闘』という言葉を知っていますか?」
「難しい言葉を使っても、ダメだよ!」
「いえ、これはですね……新たなる時代への適応を模索しているといいますか……」

 それでもイトは難しい言葉で僕をごまかそうとしていたけど、その頬に一筋の汗が流れたことを僕は見逃さなかった。

 話し合いは長時間に及んだ。

 賛成派も反対派も、どの議題でだって一歩も引かないんだもの。当たり前だ。

 いい加減、足が痺れてきちゃったよ…。

 こっそり足を組み替えようとしていると、女の子たちの中で一人、やっぱりモゾモゾ動いている子に気がついた。
 ちらりと振り返った時に僕と目が合って、お互いに『困ったね』って顔して笑いあった。
 頭に紅い椿を飾っていた。

 結局、全ての議題に結論は出ず、夏の定例集会へと持ち越される事になったようだ。

 ……三ヶ月後に、また同じことやるんだ……。

「さ、ヒロキ、立って立って!」

 この後は毎年宴会になって、そのおもてなし役をするのが僕とイトのお仕事らしい。

「ちょ、ちょっと待ってよ~!
 足がしびれて――……」

 イトに急かされて、腰を上げようとしていると、

「あ、あのっ、家、家は――……」

 一人の女の子が、司会者さんに詰め寄った。
 頭に椿の花。
 あの女の子だ。

「家?
 何を言っているのですか、あなたは」

 怪訝な表情をする司会者さんに、椿さんは悲しげに眉を下げた。

「ここに来れば、住家を紹介してもらえるって聞いて――……」

 リビングは、シンと静まり返っている。

「住居の斡旋?
 そんな事、したことありませんが」
「そんな――……!」

 やり取りを見ていたイトが、掴んでいた僕の手を離し、

「…………」

 ふらり。
 無言で立ち上がった。

 え? 何で?
 イト、なんか怒ってる?

「……みぃつぅけぇたぁぞぉ……」

 怖っ!
 イト、完全にホラー映画モードだよ!?
 顔に影入っちゃってるよ!!

「匂う匂うと思っていましたが……そうかぁ、あなただったんですねぇ……」

 イト、瞳孔開いてる!
 そのまま笑わないで!
 怖いから!

 僕の心のツッコミも届かず、彼女はビシっと椿さんを指差した。

「このっ、
 ―――貧乏神!!」

 とたんに。
 ズザザっ!!
 椿さんを中心に人が割れて、ドーナツ状の空間ができた。

「あうあうあう……!」

 人垣の中心で、椿さんは目にいっぱい涙をためて呻いた。
 同時に、

 ぼんっ!

 彼女の周りに煙りが上がって、それまで赤い振袖だった着物が、ツギハギだらけの白い和服へと変わった。

「ご、ごめんなさい……!」
 貧乏神さんは、ぼろぼろ泣きながら何度も頭を下げる。

「ここ十年来の不況で、人間さん達は自分でこの上ない不幸に陥っていて、わたし仕事も住む所も無いんです……。
 そんな時に、千里地蔵のおじさまに、
『座敷童の集会にもぐりこめば、家が見つかるかもしれない』
 って言われて――……。
 つい、出来心だったんですーっ!」

 そこまで告白すると、貧乏神さんは、おいおい泣き始めた。

 周りからは、
『……チッ! あのクソジジイ!』
 という呟きが幾重にも聞こえてくる。

 ……これ、ほんとに幸運の女神の集会かな……?

 泣き続ける貧乏神さんが可哀相になって、

「じゃあさ、お家が見つかるまで、ここにいたら?」

 僕は言った。

「……はへ?」

 貧乏神さんは、ぐしょぐしょの顔のまま目をパチクリ。

「ちょ、ちょっと! ヒロキ! 何をのたまっているのですか!」

 慌てるイトに向かっては、

「だって、イト『幸運の女神』なんでしょ?
 なら不幸の神様と幸運の神様とで、トントンだよね。
 何も問題無いよね?」
「う゛ぐっ!」
「言ったよね?
『幸運の女神』だって。
 ね?」

 にっこり。
 笑ってみせると、イトは呻きつつがっくりと肩を落とした。
 自分本意な他の女神たちは、

「貧乏神どのの住家が決まって、良かった良かった」
「さ、宴会じゃあ! 酒もってまいれ!」
「えー、あたしは甘いのが食べたーい!」

 こちらの事などまるで頓着せず、勝手に酒盛りを始めた。
  がっくりしているイトの肩越しに、僕は貧乏神さんに向かってピースサインを送る。
 彼女は、何度か目をしばたたかせた後、

「…………」

 こちらに向かって、深々とお辞儀をした。


 こうして。


 ぼくンちの女の子は、二人になった。

 そして、この日。

 僕は、初めてイトに勝った。
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