1 / 1
ぼくンちの女の子
しおりを挟む
「ヒロキ。
来週の金曜日、茶の間を借りたいのですが」
学校から帰って、机の上にランドセルを放り投げた僕に、イトがそう言った。
一瞬何の事か分からずに、目をパチクリ。
茶の間を……かりる?
黙ったままの僕に、イトはもう一度噛んで含めるように言う。
赤い振袖をひらひら、部屋のカレンダーを指さしつつ、
「この日、この家の、茶の間を借ります。
これは決定事項です。
変更は受け付けられません」
え!?
「ちょ、ちょっと待ってよ!
僕は良いとしても、」
ホントは、あんまり良くないけど……、
「父さんや母さんはどうするのさ!」
するとイトは紅い唇の片端を上げ、ニヤリと笑った。
なんだかおどろおどろしい雰囲気が部屋を支配する。
「……だ~いじょうぶですよぉ……。
ヒロシは出張。メグミは同窓会に行くことになりますから……。
く~くっくっ……」
妙な迫力に僕は半歩後退りつつも、上目使いにイトを睨んだ。
コイツ、また父さんと母さんに何かしたのか……。
僕の視線に気づいたのか、イトはぱんっと手を叩いてにっこり笑った。
途端に。
いつもの。
僕と同じ。
子供の。
イトに戻る。
「ヒロキ、沢山のお菓子を用意して下さいね。
沢山のお客様がいらっしゃるんですから」
「……一体、リビングで何するつもりなのさ」
警戒しつつ尋ねる僕に、イトはえへんと胸を張った。
「全座労の定例集会ですよ。
今回は主催者にわたしが選ばれたのです!」
……ゼンザロウ?
誰それ?
頭の中で『善座朗』って、漢字変換して。
その途中で、僕ははっと気がついた。
ま、まさか……。
「ぜ、全日本・座敷童・労働組合……?」
搾り出した声に。
イトは再びおどろおどろしい笑みを浮かべて、こっくり大きく頷いたのだった。
☆
当日までの日々、イトはとにかくテンションが高かった。
機嫌が良いのはいいとして、夜中にいきなり、
「イヒヒヒヒ……!」
とかって笑いだすのは、ほんとヤメテ欲しい。
「掃除、終わったよ~」
リビングをピカピカに磨き上げ、僕はイトを呼んだ。
さっきキッチンに置いてあるスーパーのビニール袋を見て、ちょっと泣きそうになってしまった。
僕のおこずかいは、今年のお年玉も含めて、全てお煎餅とおまんじゅうになった。
……将来、おっきい幸運という形で利息をつけて返してもらおう。
ぜったい、そうしよう。
心の中でかたく誓っていると、
「ではヒロキ、着替えていらっしゃい。
そろそろお客様がいらっしゃいますから」
いつもよりも派手な帯をしめて、いつもよりも髪をツヤツヤさせた、イトがやって来た。
ちらりと時計を見る。
もうすぐ夜中の十二時だ。
正直、僕はもう眠い。
部屋に行きちょっと考えてから、僕は『おばあちゃんチに行く用』の服に着替えた。
☆
ピンポ~ン!
ソファーでうとうとしていた僕は、チャイムの音にビクッとして起きた。
時計を見るとすでに日付が変わっていた。
眠い目をこすりつつ、イトと共に玄関に行く。
扉の向こうは、シーンと静まり返っていた。
「あ、あの……どちらさまでしょうか」
おそるおそる呼びかけるが、
「…………」
何の応えも無い。
「い、イト……!?」
「何を怯えているのですか。
お見えになったのは、言わば幸運の女神達なのですよ。
さ、
『どうぞお入り下さい』
と言いなさい」
「……ど、どうぞ――……」
なんだかそれが呪いの言葉に思えて、僕はゴクリと唾を飲み込んだ。
「……どうぞ、お入り下さい……」
次の瞬間。
バターンっ!
「うわ!?」
勢いよく扉が内側に開いたかと思ったら、
ドヤドヤドヤドヤ!!
「うわ! うわ! うわあぁぁ!?」
大量の女の子が、家の中になだれ込んできた!
こ、怖い!
いきなり現れた、沢山の女の子。
それだけでも怖いのに、その女の子がみんな、
ストレートの黒髪!
白い肌!
赤い唇!
赤い和服!
だなんて!
なんか図工室にあった『麗子像』が、集団で来たみたい!
「うわあぁぁっ!
イト! イト! イトぉぉっ!」
半泣きで叫んでみたけど、
「さ、ささ、こちらへどうぞ!」
イトは、せっせと赤い流れをリビングへと誘導していて気づいてくれない。
でも、その頬が珍しくバラ色に染まっていたから。
僕は怖いキモチをぐっと我慢して、悲鳴を飲み込んだんだ。
☆
「――ではこれより『全日本座敷童労働組合』春の定例集会を始めます」
おぉ~!
パチパチパチパチ!
リビングにずらっと並んで正座した、赤い女の子たちが、どよめいて拍手した。
……やっぱり、ちょっと怖い。
司会を勤めるのは、艶やかな菊の紋様の着物の子。
イトは《シュサイシャ》だけど《シカイシャ》じゃないんだな。
イトの隣、集団の一番後ろに座らされ、僕は集会に強制参加となった。
赤くて、黒くて、白いなぁ――……。
三十人ほどの女の子たちをぼんやりと眺めていたら、
「……ヒロキ、」
ツンツン。
イトに脇腹を突かれた。
「なに……?」
僕も小声で返す。
「何か匂いませんか?」
「はぁ……?」
クンクン。
「確かに、母さんのお化粧品みたいな匂いがするかも」
「いえ、そうではなく……何というか、かび臭いというか……」
「えぇ? そうかなぁ?」
もう一度クンクンしてみるが、今度感じたのはフローリング用の洗剤の香りだった。
そうだよね。
あんなにがんばって掃除したんだもの。
「……気のせいなら良いのですが」
イトは首を傾げて黙り込んだ。
「――では、最初の議題です」
話し合いが始まるようだったので、僕たちは前方に意識を集中させた。
それにしても、座敷童の会議って何を話し合うんだろう?
やっぱり、どんな風にして家主に幸運をもたらすか、とかなのかな?
司会者さんは、手にした巻物に視線を落とすと、重々しい口調でこう言った。
「最初の議題は――『髪型の自由化について』です」
…………は?
僕の目が点になっているのにもかまわずに、おかっぱの童が
「はーい」
と手を挙げる。
「いまどきぃ、茶髪くらい普通だと思いまーす」
……え?
何だろうこの違和感。
というか茶髪の座敷童。
…………御利益、無さそう。
「何を言ってるんだい! この小娘は!」
「てかさー、もういっそのことピンクもブルーもOKって事にしちゃえばいいんじゃない?」
「じゃがなぁ。座敷童ってのは、黒髪ストレートと昔から決まっておるしのぅ」
喧々囂々とした場を、僕は呆然と見ていた。
その後の議題も、
『服装の自由化について』
とか、
『休日の増加と給料のベースアップについて』
とか。
お給料、どこからもらってるんだろう……。
聞きたかったけど、口を挟める雰囲気じゃない。
かわりに僕は、半眼でイトを見た。
「幸運の女神達、自分達のことばかり話してるね」
イトはわずかに視線を逸らすと、
「……ヒロキ、『春闘』という言葉を知っていますか?」
「難しい言葉を使っても、ダメだよ!」
「いえ、これはですね……新たなる時代への適応を模索しているといいますか……」
それでもイトは難しい言葉で僕をごまかそうとしていたけど、その頬に一筋の汗が流れたことを僕は見逃さなかった。
話し合いは長時間に及んだ。
賛成派も反対派も、どの議題でだって一歩も引かないんだもの。当たり前だ。
いい加減、足が痺れてきちゃったよ…。
こっそり足を組み替えようとしていると、女の子たちの中で一人、やっぱりモゾモゾ動いている子に気がついた。
ちらりと振り返った時に僕と目が合って、お互いに『困ったね』って顔して笑いあった。
頭に紅い椿を飾っていた。
結局、全ての議題に結論は出ず、夏の定例集会へと持ち越される事になったようだ。
……三ヶ月後に、また同じことやるんだ……。
「さ、ヒロキ、立って立って!」
この後は毎年宴会になって、そのおもてなし役をするのが僕とイトのお仕事らしい。
「ちょ、ちょっと待ってよ~!
足がしびれて――……」
イトに急かされて、腰を上げようとしていると、
「あ、あのっ、家、家は――……」
一人の女の子が、司会者さんに詰め寄った。
頭に椿の花。
あの女の子だ。
「家?
何を言っているのですか、あなたは」
怪訝な表情をする司会者さんに、椿さんは悲しげに眉を下げた。
「ここに来れば、住家を紹介してもらえるって聞いて――……」
リビングは、シンと静まり返っている。
「住居の斡旋?
そんな事、したことありませんが」
「そんな――……!」
やり取りを見ていたイトが、掴んでいた僕の手を離し、
「…………」
ふらり。
無言で立ち上がった。
え? 何で?
イト、なんか怒ってる?
「……みぃつぅけぇたぁぞぉ……」
怖っ!
イト、完全にホラー映画モードだよ!?
顔に影入っちゃってるよ!!
「匂う匂うと思っていましたが……そうかぁ、あなただったんですねぇ……」
イト、瞳孔開いてる!
そのまま笑わないで!
怖いから!
僕の心のツッコミも届かず、彼女はビシっと椿さんを指差した。
「このっ、
―――貧乏神!!」
とたんに。
ズザザっ!!
椿さんを中心に人が割れて、ドーナツ状の空間ができた。
「あうあうあう……!」
人垣の中心で、椿さんは目にいっぱい涙をためて呻いた。
同時に、
ぼんっ!
彼女の周りに煙りが上がって、それまで赤い振袖だった着物が、ツギハギだらけの白い和服へと変わった。
「ご、ごめんなさい……!」
貧乏神さんは、ぼろぼろ泣きながら何度も頭を下げる。
「ここ十年来の不況で、人間さん達は自分でこの上ない不幸に陥っていて、わたし仕事も住む所も無いんです……。
そんな時に、千里地蔵のおじさまに、
『座敷童の集会にもぐりこめば、家が見つかるかもしれない』
って言われて――……。
つい、出来心だったんですーっ!」
そこまで告白すると、貧乏神さんは、おいおい泣き始めた。
周りからは、
『……チッ! あのクソジジイ!』
という呟きが幾重にも聞こえてくる。
……これ、ほんとに幸運の女神の集会かな……?
泣き続ける貧乏神さんが可哀相になって、
「じゃあさ、お家が見つかるまで、ここにいたら?」
僕は言った。
「……はへ?」
貧乏神さんは、ぐしょぐしょの顔のまま目をパチクリ。
「ちょ、ちょっと! ヒロキ! 何をのたまっているのですか!」
慌てるイトに向かっては、
「だって、イト『幸運の女神』なんでしょ?
なら不幸の神様と幸運の神様とで、トントンだよね。
何も問題無いよね?」
「う゛ぐっ!」
「言ったよね?
『幸運の女神』だって。
ね?」
にっこり。
笑ってみせると、イトは呻きつつがっくりと肩を落とした。
自分本意な他の女神たちは、
「貧乏神どのの住家が決まって、良かった良かった」
「さ、宴会じゃあ! 酒もってまいれ!」
「えー、あたしは甘いのが食べたーい!」
こちらの事などまるで頓着せず、勝手に酒盛りを始めた。
がっくりしているイトの肩越しに、僕は貧乏神さんに向かってピースサインを送る。
彼女は、何度か目をしばたたかせた後、
「…………」
こちらに向かって、深々とお辞儀をした。
こうして。
ぼくンちの女の子は、二人になった。
そして、この日。
僕は、初めてイトに勝った。
来週の金曜日、茶の間を借りたいのですが」
学校から帰って、机の上にランドセルを放り投げた僕に、イトがそう言った。
一瞬何の事か分からずに、目をパチクリ。
茶の間を……かりる?
黙ったままの僕に、イトはもう一度噛んで含めるように言う。
赤い振袖をひらひら、部屋のカレンダーを指さしつつ、
「この日、この家の、茶の間を借ります。
これは決定事項です。
変更は受け付けられません」
え!?
「ちょ、ちょっと待ってよ!
僕は良いとしても、」
ホントは、あんまり良くないけど……、
「父さんや母さんはどうするのさ!」
するとイトは紅い唇の片端を上げ、ニヤリと笑った。
なんだかおどろおどろしい雰囲気が部屋を支配する。
「……だ~いじょうぶですよぉ……。
ヒロシは出張。メグミは同窓会に行くことになりますから……。
く~くっくっ……」
妙な迫力に僕は半歩後退りつつも、上目使いにイトを睨んだ。
コイツ、また父さんと母さんに何かしたのか……。
僕の視線に気づいたのか、イトはぱんっと手を叩いてにっこり笑った。
途端に。
いつもの。
僕と同じ。
子供の。
イトに戻る。
「ヒロキ、沢山のお菓子を用意して下さいね。
沢山のお客様がいらっしゃるんですから」
「……一体、リビングで何するつもりなのさ」
警戒しつつ尋ねる僕に、イトはえへんと胸を張った。
「全座労の定例集会ですよ。
今回は主催者にわたしが選ばれたのです!」
……ゼンザロウ?
誰それ?
頭の中で『善座朗』って、漢字変換して。
その途中で、僕ははっと気がついた。
ま、まさか……。
「ぜ、全日本・座敷童・労働組合……?」
搾り出した声に。
イトは再びおどろおどろしい笑みを浮かべて、こっくり大きく頷いたのだった。
☆
当日までの日々、イトはとにかくテンションが高かった。
機嫌が良いのはいいとして、夜中にいきなり、
「イヒヒヒヒ……!」
とかって笑いだすのは、ほんとヤメテ欲しい。
「掃除、終わったよ~」
リビングをピカピカに磨き上げ、僕はイトを呼んだ。
さっきキッチンに置いてあるスーパーのビニール袋を見て、ちょっと泣きそうになってしまった。
僕のおこずかいは、今年のお年玉も含めて、全てお煎餅とおまんじゅうになった。
……将来、おっきい幸運という形で利息をつけて返してもらおう。
ぜったい、そうしよう。
心の中でかたく誓っていると、
「ではヒロキ、着替えていらっしゃい。
そろそろお客様がいらっしゃいますから」
いつもよりも派手な帯をしめて、いつもよりも髪をツヤツヤさせた、イトがやって来た。
ちらりと時計を見る。
もうすぐ夜中の十二時だ。
正直、僕はもう眠い。
部屋に行きちょっと考えてから、僕は『おばあちゃんチに行く用』の服に着替えた。
☆
ピンポ~ン!
ソファーでうとうとしていた僕は、チャイムの音にビクッとして起きた。
時計を見るとすでに日付が変わっていた。
眠い目をこすりつつ、イトと共に玄関に行く。
扉の向こうは、シーンと静まり返っていた。
「あ、あの……どちらさまでしょうか」
おそるおそる呼びかけるが、
「…………」
何の応えも無い。
「い、イト……!?」
「何を怯えているのですか。
お見えになったのは、言わば幸運の女神達なのですよ。
さ、
『どうぞお入り下さい』
と言いなさい」
「……ど、どうぞ――……」
なんだかそれが呪いの言葉に思えて、僕はゴクリと唾を飲み込んだ。
「……どうぞ、お入り下さい……」
次の瞬間。
バターンっ!
「うわ!?」
勢いよく扉が内側に開いたかと思ったら、
ドヤドヤドヤドヤ!!
「うわ! うわ! うわあぁぁ!?」
大量の女の子が、家の中になだれ込んできた!
こ、怖い!
いきなり現れた、沢山の女の子。
それだけでも怖いのに、その女の子がみんな、
ストレートの黒髪!
白い肌!
赤い唇!
赤い和服!
だなんて!
なんか図工室にあった『麗子像』が、集団で来たみたい!
「うわあぁぁっ!
イト! イト! イトぉぉっ!」
半泣きで叫んでみたけど、
「さ、ささ、こちらへどうぞ!」
イトは、せっせと赤い流れをリビングへと誘導していて気づいてくれない。
でも、その頬が珍しくバラ色に染まっていたから。
僕は怖いキモチをぐっと我慢して、悲鳴を飲み込んだんだ。
☆
「――ではこれより『全日本座敷童労働組合』春の定例集会を始めます」
おぉ~!
パチパチパチパチ!
リビングにずらっと並んで正座した、赤い女の子たちが、どよめいて拍手した。
……やっぱり、ちょっと怖い。
司会を勤めるのは、艶やかな菊の紋様の着物の子。
イトは《シュサイシャ》だけど《シカイシャ》じゃないんだな。
イトの隣、集団の一番後ろに座らされ、僕は集会に強制参加となった。
赤くて、黒くて、白いなぁ――……。
三十人ほどの女の子たちをぼんやりと眺めていたら、
「……ヒロキ、」
ツンツン。
イトに脇腹を突かれた。
「なに……?」
僕も小声で返す。
「何か匂いませんか?」
「はぁ……?」
クンクン。
「確かに、母さんのお化粧品みたいな匂いがするかも」
「いえ、そうではなく……何というか、かび臭いというか……」
「えぇ? そうかなぁ?」
もう一度クンクンしてみるが、今度感じたのはフローリング用の洗剤の香りだった。
そうだよね。
あんなにがんばって掃除したんだもの。
「……気のせいなら良いのですが」
イトは首を傾げて黙り込んだ。
「――では、最初の議題です」
話し合いが始まるようだったので、僕たちは前方に意識を集中させた。
それにしても、座敷童の会議って何を話し合うんだろう?
やっぱり、どんな風にして家主に幸運をもたらすか、とかなのかな?
司会者さんは、手にした巻物に視線を落とすと、重々しい口調でこう言った。
「最初の議題は――『髪型の自由化について』です」
…………は?
僕の目が点になっているのにもかまわずに、おかっぱの童が
「はーい」
と手を挙げる。
「いまどきぃ、茶髪くらい普通だと思いまーす」
……え?
何だろうこの違和感。
というか茶髪の座敷童。
…………御利益、無さそう。
「何を言ってるんだい! この小娘は!」
「てかさー、もういっそのことピンクもブルーもOKって事にしちゃえばいいんじゃない?」
「じゃがなぁ。座敷童ってのは、黒髪ストレートと昔から決まっておるしのぅ」
喧々囂々とした場を、僕は呆然と見ていた。
その後の議題も、
『服装の自由化について』
とか、
『休日の増加と給料のベースアップについて』
とか。
お給料、どこからもらってるんだろう……。
聞きたかったけど、口を挟める雰囲気じゃない。
かわりに僕は、半眼でイトを見た。
「幸運の女神達、自分達のことばかり話してるね」
イトはわずかに視線を逸らすと、
「……ヒロキ、『春闘』という言葉を知っていますか?」
「難しい言葉を使っても、ダメだよ!」
「いえ、これはですね……新たなる時代への適応を模索しているといいますか……」
それでもイトは難しい言葉で僕をごまかそうとしていたけど、その頬に一筋の汗が流れたことを僕は見逃さなかった。
話し合いは長時間に及んだ。
賛成派も反対派も、どの議題でだって一歩も引かないんだもの。当たり前だ。
いい加減、足が痺れてきちゃったよ…。
こっそり足を組み替えようとしていると、女の子たちの中で一人、やっぱりモゾモゾ動いている子に気がついた。
ちらりと振り返った時に僕と目が合って、お互いに『困ったね』って顔して笑いあった。
頭に紅い椿を飾っていた。
結局、全ての議題に結論は出ず、夏の定例集会へと持ち越される事になったようだ。
……三ヶ月後に、また同じことやるんだ……。
「さ、ヒロキ、立って立って!」
この後は毎年宴会になって、そのおもてなし役をするのが僕とイトのお仕事らしい。
「ちょ、ちょっと待ってよ~!
足がしびれて――……」
イトに急かされて、腰を上げようとしていると、
「あ、あのっ、家、家は――……」
一人の女の子が、司会者さんに詰め寄った。
頭に椿の花。
あの女の子だ。
「家?
何を言っているのですか、あなたは」
怪訝な表情をする司会者さんに、椿さんは悲しげに眉を下げた。
「ここに来れば、住家を紹介してもらえるって聞いて――……」
リビングは、シンと静まり返っている。
「住居の斡旋?
そんな事、したことありませんが」
「そんな――……!」
やり取りを見ていたイトが、掴んでいた僕の手を離し、
「…………」
ふらり。
無言で立ち上がった。
え? 何で?
イト、なんか怒ってる?
「……みぃつぅけぇたぁぞぉ……」
怖っ!
イト、完全にホラー映画モードだよ!?
顔に影入っちゃってるよ!!
「匂う匂うと思っていましたが……そうかぁ、あなただったんですねぇ……」
イト、瞳孔開いてる!
そのまま笑わないで!
怖いから!
僕の心のツッコミも届かず、彼女はビシっと椿さんを指差した。
「このっ、
―――貧乏神!!」
とたんに。
ズザザっ!!
椿さんを中心に人が割れて、ドーナツ状の空間ができた。
「あうあうあう……!」
人垣の中心で、椿さんは目にいっぱい涙をためて呻いた。
同時に、
ぼんっ!
彼女の周りに煙りが上がって、それまで赤い振袖だった着物が、ツギハギだらけの白い和服へと変わった。
「ご、ごめんなさい……!」
貧乏神さんは、ぼろぼろ泣きながら何度も頭を下げる。
「ここ十年来の不況で、人間さん達は自分でこの上ない不幸に陥っていて、わたし仕事も住む所も無いんです……。
そんな時に、千里地蔵のおじさまに、
『座敷童の集会にもぐりこめば、家が見つかるかもしれない』
って言われて――……。
つい、出来心だったんですーっ!」
そこまで告白すると、貧乏神さんは、おいおい泣き始めた。
周りからは、
『……チッ! あのクソジジイ!』
という呟きが幾重にも聞こえてくる。
……これ、ほんとに幸運の女神の集会かな……?
泣き続ける貧乏神さんが可哀相になって、
「じゃあさ、お家が見つかるまで、ここにいたら?」
僕は言った。
「……はへ?」
貧乏神さんは、ぐしょぐしょの顔のまま目をパチクリ。
「ちょ、ちょっと! ヒロキ! 何をのたまっているのですか!」
慌てるイトに向かっては、
「だって、イト『幸運の女神』なんでしょ?
なら不幸の神様と幸運の神様とで、トントンだよね。
何も問題無いよね?」
「う゛ぐっ!」
「言ったよね?
『幸運の女神』だって。
ね?」
にっこり。
笑ってみせると、イトは呻きつつがっくりと肩を落とした。
自分本意な他の女神たちは、
「貧乏神どのの住家が決まって、良かった良かった」
「さ、宴会じゃあ! 酒もってまいれ!」
「えー、あたしは甘いのが食べたーい!」
こちらの事などまるで頓着せず、勝手に酒盛りを始めた。
がっくりしているイトの肩越しに、僕は貧乏神さんに向かってピースサインを送る。
彼女は、何度か目をしばたたかせた後、
「…………」
こちらに向かって、深々とお辞儀をした。
こうして。
ぼくンちの女の子は、二人になった。
そして、この日。
僕は、初めてイトに勝った。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
0
この作品の感想を投稿する
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる