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雪皇神社の紫苑様
しおりを挟む「…あら?なんだか外が騒がしいですわね」
東の果て、日ノ本国は古来から人々とあやかし…そして神々が共存している。
人とあやかしは互いを尊重し、貴き神々は人とあやかしに敬われ、時には交じりあい長い営みを紡いでいた。
さて、そんな日ノ本には神龍族(じんりゅうぞく)と呼ばれる神々の一族がいる。
あらゆる龍族とそれに連なる存在の頂点に立ち、さらには神々を裁く役割を持つ特殊な神達を神龍族と呼ぶ。
彼らは第一席法帝紅龍閻羅(ほうていこうりゅうえんら)を筆頭に11柱存在しそれぞれの権能と役割を果たしているのだが、今回はその1柱のお話。
「…つらい…」
とある庭の片隅で、男はしゃがみこみ呟いた。
蒼白の顔、よれたスーツ、ボサボサの髪。
明らかに疲れ果てたサラリーマンの男と判断できるが、その疲労度が負の感情と伴って度合いを増していた。
劣悪な労働環境、こじれ過ぎた人間関係、理不尽すぎる顧客…数えたらきりがない程のストレス源。
心も体も疲れ果て限界に達した時、彼は気づかぬうちに会社を飛び出していた。
無我夢中で走り、たどり着いて逃げた先にしゃがみこんでしまったのが今しがた。
「しんどい、死にたい…」
「あらあらまあまあ…お客様ですか?」
頭の上から聞こえた柔らかく甘めな声。
おずおずと視線を上げたら、垂れた銀髪とそこから垣間見える紫紺の瞳。
目の前に絶世の美女がいたと言っても過言ではない。
「如何なさいましたか?顔色がよくありませんわ」
「え…あ…」
「まずはお立ちくださいませ、そのような所にいらっしゃるとますます気が滅入るものですよ」
その艶やかな笑みが見えた時、自分の心の闇の部分が一瞬消えたような気がした。
気がしただけなので、実際どうかはわからないがそう思えたのだ。
「まあ…お仕事がお辛くて逃げ出したらいつの間にかここに、ということでございますか?」
「はい…」
日差しが心地よい暖かさを与えてくれる神社の一角で、美女とスーツの男は顔を見合わせるように座っていた。
男はおずおずと美女を見てみる。
日の光が当たってキラキラ光る銀糸の髪と穏やかな笑顔。
人を安心させてくれる雰囲気を放つ彼女を見ているだけで心が洗われる気分がした。
そんな美女は右手を頬に添えて首を小さく傾げている。
「テレビを拝見していますと、最近ブラック企業というものが問題になっているらしいですものね…大変でしたね、お辛かったでしょうに」
左目を細め、頬に添えていた右手をスーツの男の頭へと添える美女。
そしてその手は優しく男の頭を撫でたのだ。
突然の事に固まる男。しかし彼女はそれを気にせず頭をなで続けた。
「ここは神聖な場所に値します。嫌なことはお忘れになって、心穏やかにお休みなってくださいませ」
「はひ…」
撫でられる度に蕩ける心地になっていく。
段々体から力が抜け、美女により掛かる感じになっていた瞬間。
「シオン!!その男は誰だ!!」
「!?」
「まあ…」
怒号とも言える大声にビクッと体が反応し、男は美女から離れる。
ぼんやりしかけた頭を振り、視線を上げると自動販売機より大きい外国人の老人がこちらを睨みを効かせた目で見下ろしていた。
老人のアイスブルーの瞳には怒りの色が滲み、スーツの男は硬直してしまう。
地に響くような低い声が怒りを隠さずにスーツの男を追い詰めようとする。
「貴様っ儂の妻に何をしていた!!」
「ひいいっ」
「儂の妻を誑かそうとしていたのだ」
「旦那様、めっ」
「うがっ!?」
こちらを殺さんばかりの勢いで食って掛かってきた大柄の老人に恐怖を抱いた時、美女の甘やかな声が聞こえ、気づいたら大柄の老人が地に突っ伏していた。
恐る恐る視線を上げたら、老人の後ろで美女がぱんっぱんっと手を払っていた。
スーツの男と視線がかち合った美女は、やんわりと微笑みを浮かべた。
「旦那様が失礼致しましたわ、まずは私(わたくし)達の家にでもお上がりになってくださいな」
美女は朗らかに神社を指差して、そう言っていた。
「まったく…ただの参拝客だったのか、紛らわしい」
「旦那様が勘違いなさるのがいけないのですわ」
「そう言うてくれるな、妻よ」
スーツの男は目の前で繰り広げられている会話を正座して恐縮する思いを抱きながら聞いていた。
恐縮するのは当たり前だ。
なにせ自分と同じ参拝客だと思っていた美女は、この神社の生ける祭神である神龍族の雪皇白龍(せつおうはくりゅう)だったのだ。
神龍族の雪皇白龍とは、神々を裁く神龍族の中では第二位という高位の存在である。
雪と死を司る白い龍であり、世にいる白龍族の頂点として名高い武神だ。
その女神は人の血も引いており普段から人の姿をとって日々を過ごしていると言う。
白龍としての美しさも有名だが、彼女の美しさは絶世と呼ばれる程…しかし最近メディアに出てこない為どちらかというと彼女の姿を知っている人々は少ないほうだ。
(たまたま遭遇した人が超有名な祭神とかありえないでしょ…)
縮こまる思いで身を小さくしている男は、ちらっと目の前に視線を向けた。
「シオン、頼むから怒らないでくれ」
「怒っておりませぬ、呆れているのです」
紫苑と呼ばれた存在こそ名高き雪皇白龍である。
その彼女に懇願している大柄な老人は、彼女の最愛の夫であり従者であるイェルド・ヴィクストレームだ。
神龍族は己の刃となる『使令』と呼ばれる従者達と契約し従えているのだが、イェルドもまた紫苑の使令の一人。
それもイェルドは、筆頭使令という使令達の中ではリーダー的存在でもある特殊な存在だ。
主である神龍族に絶対的忠誠を誓い、永遠の命を手に入れる代わりに神龍族の刃として戦うのが使令であり世間としても有名である。
なお、イェルドは忠誠を誓った存在でありながら主と添い遂げ夫として受け入れられた初の存在としても有名な存在であった為名を知らぬ者はいない。
「私は祭神としてお疲れになった参拝のお客様を介抱していただけですのよ」
「普通はそういうことはしないじゃろ」
「私は、普通と違いますので」
ぷんぷんと頬を膨らませそっぽを向く姿の彼女は見た目と相反してあどけなさが残っていた。
神様とは言え人間の血も流れているから感情豊かなんだろうなぁ…と男はこっそり思った。
しかし男はその考えをすぐに振り払った。
むしろ神は感情豊かすぎて困りものだ。直情というのが正しいのだろう。
理性というものは人間よりかなり少ないはずだ、出なければ毎日神々の影響で天災が起きるはずもないのだ。
(そう考えたら人間の血が濃いと理性が強まるのかな…)
うちの上司や顧客にも彼女のような理性が備わってほしいものだと思った瞬間、体が寒気に襲われた。
相当肉体の方は限界を迎えていたらしい。
ぞわぞわした感覚が体中を巡り血まで冷えていくようだ。
思わず両手で自分の体を抱きしめる。そうしないと自分が消えていく感覚が収まらない気がしたから。
「大丈夫ですか?」
労るよう優しい声が耳に届き、青白い顔を上げると心配しているであろう彼女がいた。
「紫苑さま…」
「大丈夫ですよ、ここには貴方様を追い詰める人々はおりませんわ」
「…ううっ」
その言葉を聞いた瞬間、男の顔には涙がとめどなく溢れる。
母へ痛みを訴える幼子のように泣きじゃくり、男はひとしきり泣き続けた。
祭神たる彼女はその背中を優しくさすり、母のように柔らかい声音で男を宥めた。
「お辛かったでしょうに…大丈夫ですわ、逃げ道は必ずありますもの。今は好きなだけ感情を吐き出してくださいな」
「お、俺はっ悪いことしてな…っなんで、どうし、て…っひぐっ」
「ええ、ええ。貴方様は何も悪くありませんわ」
女神は泣きじゃくる男の顔に両手を添え、まっすぐと自分に向き合わせる。
「全ては貴方様を追い詰める社会が悪いのです、そんな社会いりませんでしょう?」
「おい、シオン…」
「しぃ…」
何かに気付いた女神の使令は眉間に皺を寄せて窘めた声音で女神を呼ぶが、それを遮られる。
「大丈夫、貴方様には勇気がございます」
「勇気…?」
「ええ」
蕩けるような笑みを浮かべた女神は、憐れむように愛おしむように男に囁く。
「この神社に来た時から、貴方様には勇気がございますの。ここは雪皇白龍が守護する神社、私は貴方様を見捨てませんわ。さあ、真っ直ぐ前を見据えて?」
「紫苑さま…?」
「貴方様が心に思っている事に躊躇せずに、おやりになって?」
ああ、これは堕ちたなと使令は直感した。
男を見れば女神に見惚れている。その目は心酔の色が垣間見えた。
人は神に魅入られるとああなるのを使令は多く見てきたから、すぐに理解した。
腹が立つのと同時に男に対して憐れみさえ抱かざるえないのを使令は胸糞悪く感じた。
すっきりした顔で神社を出ていく男を見送る女神こと紫苑・ヴィクストレームは優しく微笑みながら手を小さく振っていた。
「…何もああ言わなくてよかったのでは?」
自分より小さい妻兼主人を見下ろす使令ことイェルド・ヴィクストレームは、眉をひそめながら思いを吐き出した。
夫の言いたげな視線に気づいた紫苑は夫を見上げ、にっこり微笑む。
「あの御方は生きること自体に絶望してらしたのです。私はただ手を差し伸べただけですわ」
「オマエは…」
妻の返しに思わず額に手を当てたイェルドは深い溜め息を吐きざる得なかった。
世間一般的に彼女は神龍族と人間の混血児故、思考は人寄りであろうと思われている。
しかし神龍族第二席に座する彼女は思いの外魂が神性度合いが高いのだ。いや、そもそも魂自体が純粋な神であるが故人寄りではない思考をする時があるのだ。
特に『死の匂い』が濃い人間がいると、神の慈悲を抱いてしまう。
神龍族第二席、紫苑・ヴィクストレームは死と雪を司る雪皇白龍だ。死へと導く最強武神だ。
「…今日のニュースで話題になるじゃろうな」
「旦那様?」
「いや、なんでもない。オマエも疲れたであろう?夕飯は儂が作る」
「まあ、嬉しいですわ。私旦那様がお作りになられるハンバーグ大好きなんですの」
「そう言われるとハンバーグを作りたくなるではないか」
さり気なく妻をエスコートし、イェルドは話題を変えた。
夫婦はいつもの日常へと戻るように神社の中へと戻っていく。
これが雪皇神社の日常なのだ。
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