兄の愛人だった男(ひと)

すいかちゃん

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第五話

暴かれた真実

慎一郎は、週末以外にも智広の家へ行くようになっていた。頻繁に行っては変に思われるかと警戒したが、智広は特に何も言わなかった。
「今夜は、煮魚を教わったんです」
元気になってきた智広に安堵してか、ヨネは元の通いに戻ったらしい。慎一郎と智広が肉体関係を持った事を、ヨネは気がついているに違いない。時々、なにか言いたげに慎一郎を見るのだ。彼女の眼差しに、時折罪悪感を感じる。いや、彼女だけではない。智広にもだ。康太郎のフリをして、何度その身体を抱いただろう。その度に、智広を欺いているという事実が慎一郎を責め立てる。
「美味いな」
柔らかなカレイに頬を緩めれば、智広が嬉しそうに笑う。抱かれている時はあんなに艶っぽいのに、普段の彼はまるで少年のようだ。話題は、先日行った東京タワーの話。慎一郎の言葉に、智広が瞳を輝かせて聞く。
「そんなに大きいんですか?東京タワー」
「今度、一緒に行こう」
「え?」
「智と、見たいんだ」
展望室から見える広い東京の景色。智広の驚きと喜びに満ちた顔が目に浮かぶ。智広が嬉しそうに小さく頷いた。
食後は、智広のピアノの音色に耳を傾けながらソファで紅茶を飲んだ。白く綺麗な指が、鍵盤を撫でるように動いている。
今夜は、慎一郎のリクエストで「ムーンリバー」が奏でられている。
(以前はピアノ教室をしていたと言っていたな)
勘当された後、智広はここで子供達にピアノを教えていたそうだ。時には、その保護者にも。教え方がうまいと近隣ではかなり有名だったそうだ。
(連弾ができたら、どんなにいいだろう)
そんな考えを、慎一郎は何度も抱いた。だが、今は音楽が苦手な康太郎なのだ。連弾などしたらバレてしまう。
(俺が康太郎でいる限り、無理か…)
慎一郎は、ある事に悩み続けていた。
このまま正体を明かさず、智広を愛し続ける方がいいのか。それとも、本当の事を話した方が…。慎一郎の心は、複雑な心境に揺れた。確かに、慎一郎は康太郎のフリをしてここにいる。だが、智広を愛する気持ちは本物なのだ。いっそ、本当の事を話した方がいい。そして、改めて自身の気持ちを伝えればいいと思っていた。
「智。話が…」
「そういえば、ヨネさんがカステラを買ってきてくれたんです。食べますか?」
「あ、ああ」
智広がいそいそとカステラを用意するなか、慎一郎は話すタイミングを逃してしまったと溜め息をついた。いや、ホッとした事への安堵の吐息だったのかもしれない。まだ智広と恋仲でいられる。と…。
結局、慎一郎は今宵も真実を伝えられないまま智広と肌を合わせた。
「智。無理しなくていい」
焦ったように止める慎一郎の声を無視し、智広が小さな口で精一杯の愛撫を施す。恥ずかしそうに頬を染め、慎一郎の屹立した場所を丹念に舌で舐めた。下から上へゆっくり舐められ、慎一郎はかつてないぐらい興奮していた。きっと、他の誰にされてもこうは感じない。智広だから反応するのだ。額に汗をかきながら奉仕する智広を、慎一郎は愛しくてならないと瞳を細めた。
「…え?」
顔を上げた智広は膝立ちになり、自らの指を最奥にあてがった。その姿は、とても淫らでいじらしかった。彼が何をしようとしているのかは、慎一郎にもわかった。そして、智広が望むようにさせたかった。慎一郎は智広の腰を抱き寄せると、慰めるように指を絡める。智広は、これまで以上に美しく乱れた。
「あっ、はぁっ、あっ、私の事を嫌いに、ならないでください…っ」
泣きそうな瞳が慎一郎を見つめる。その言葉の意味を聞こうとした瞬間。慎一郎の分身は、智広の熱い粘膜に覆われた。
「あぁっ、あっ、はぁ…ぅ、あっ」
智広が全身を震わせながら、腰を緩やかに揺らめかせる。普段は愛情表現が控えめな智広なだけに、より魅惑的に見えた。だが、慎一郎の欲望はあまりにも太く大きすぎた。智広は苦痛に顔を歪め、全身から汗を噴き出している。
「智…っ、もっと力を抜いて」
「んぁっ、あっ」
慎一郎は智広の唇を強引に塞いだ。
深く唇を重ね、互いの舌を絡めながらゆっくりと腰を下げてやる。互いに腰を揺らし、やがて同時に果てた。
翌朝。慎一郎は、腕の中の智広を起こさないように、そっとベッドを出た。季節は晩夏。僅かにヒヤリとする廊下を歩きながら、慎一郎は幸せを噛みしめていた。もう、康太郎のままでいい。智広を愛し愛されるなら、永遠に兄のふりをしよう。そう慎一郎は決めた。だが、そんな些細な喜びはエンジン音によってかき消されてしまった。
「…兄さん」
2度とこの家には訪れないはずの康太郎の車が窓の外に止まっている。慎一郎の背筋を冷たい汗が流れた。車から降りてきた康太郎も家の中にいる慎一郎の姿に驚きを隠せなかったらしい。普段は冷静な表情が驚愕に変わった。
「…どういう事だ。これは」
深紅のバラの花束を抱えた康太郎が、まるで我が家のように入ってくる。そして、慎一郎の姿を上から下まで眺めた。はだけたシャツに、康太郎がクッと短く笑う。
「ずいぶん、俺のオモチャで楽しんだらしいな」
相変わらずの物言いに、慎一郎は思わずカッとなった。康太郎の手から花束を奪い、乱暴に投げ捨てる。
「智は物じゃない。今更、なんの用だっ」
床に散らばった深紅の花片を、康太郎は気にせず進んだ。そして、慎一郎の襟を掴む。
「お前には関係ない。これまでの事は知らなかった事にしてやる。さっさと去れ」
康太郎は慎一郎を壁に突き飛ばすと、智広のいる部屋へと足を向けた。慎一郎は、その前に出て両手を広げる。
「兄さんを通すわけにはいかない」
康太郎は苛ついたように、慎一郎の肩を掴み揺さぶった。
「今は智広の、前島家の力が必要なんだっ」
「え?」
康太郎の浮気を、喜美子はこれまで見ないフリをしていてくれた。だが、今回は違うらしい。どれだけ機嫌をとろうとしても、聞く耳もたないという状況なのだ。
「前島家は、今や香港や上海、フランスやイタリアと取引をしている。俺の事業を広げるチャンスなんだよっ。会社を大きくして、喜美子の機嫌を取るんだ」
「そのために智を利用するのか?彼をこれ以上傷つけるなっ」
家のために身を捧げ、心もボロボロにされた智広。これ以上、康太郎に利用させたくない。慎一郎はいつになく強気で康太郎に向き合った。
「言うじゃないか。落ちこぼれ」
慎一郎に怒鳴られた事がよほど悔しいのか、康太郎の瞳が据わる。その眼差しに、慎一郎は昔から負けた。争わないのが平和のためなどと言いながら、本当は康太郎が怖かったのだ。だが、智広だけは別だ。家も財産もどうだっていい。智広さえいてくれれば…。慎一郎がそう覚悟を決めた時、カチャリと音がしてドアが開いた。ギクリと振り向いた慎一郎の先には、呆然と佇む智広がいた。
「高村、様?」
視線はまっすぐ康太郎を見ていた。それから、驚いたように慎一郎を…。慎一郎は、その眼差しをまともに見る事ができなかった。
康太郎が勝者の笑みを浮かべる。
「智広。こっちにおいで」
両手を広げた康太郎に、智広が戸惑ったように後ずさりした。
「早くこっちに来いっ」
なかなか動かない智広に焦れて、康太郎が強引に細い腕を掴む。パジャマの上だけを羽織った智広の身体が、康太郎の腕の中へ捕らえられる。
「お前は疲れてるんだ。アイツは、俺の弟の慎一郎だ。お前は慎一郎に騙されてたんだよ」
康太郎が智広に真実を告げる。
慎一郎はどうする事もできない自分が、悔しくて仕方なかった。そんな慎一郎の耳に、微かな声が響く。
「ちがい…ます…」
「智広?」
康太郎の腕の中で、智広が顔だけ慎一郎に向けた。大きな黒い瞳からは、涙が溢れている。
「私の旦那様は…、慎一郎さんです」
それは、思いもしない言葉だった。慎一郎と康太郎は、同時に互いを見つめた。先に動いたのは慎一郎だった。
「智広を離せっ」
強引に奪い返した細い身体が、慎一郎の腕の中にすっぽりとおさまる。すると、しがみつくように細い指が慎一郎の背中をかき抱いた。
「智広…っ」
「帰ってくれ、兄さん」
慎一郎の強い口調に、康太郎が初めて押し黙る。
「智広は、もう兄さんの愛人じゃない。僕の恋人なんだ」
それは、慎一郎が初めて兄を気迫で負かせた瞬間だった。


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