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夕日公園
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もう何度目だろう。引っ越しを繰り返すのは。
ブロロロロ―――。
見慣れてしまったトラックが、自分の家になる建物の前から出発する。
幼いころから、それこそ自分の家の車なんかよりも見慣れているトラックが、
自分の家になる建物から出発して行く光景は、何度見てもつまらない。
今日で五回目の引っ越しをした。僕の家族は、僕と母さんの二人だ。僕が五歳の時だった。小学校に上がる前の事だ。父さんは交通事故で亡くなった……。小さかったから、父さんの事は、そんなに覚えているわけではない。でも、覚えていることはある。それは、家族思いのいいお父さんだったということだ。他の人よりも仕事ができるわけでも、頭がキレるわけでも、容姿が優れているわけでもなかった。でも、僕にとっては大事な、いい父さんだった。
「陽っ! 早く中に入りなさい~。荷物の片づけをするわよ~」
母さんの呼ぶ声に、僕は現実に引き戻される。
「は~い!今行く!」
僕はそういって母さんの後を追いかけた。
今日から僕の家になる建物。それは、駅から徒歩で約十分の位置にある、最近できたばかりの五階建ての白いマンションだ。僕の家は三階の103号室だ。僕らのほかにも住んでいる人がいるらしく、エントランスのポストの棚には、いくつかの名前が書かれていた。
僕が母さんを追って入っていくと、ちょうど母さんはポストの103号と書かれたところに、黒いマジックのペンで僕らの名前を書いているところだった。母さんのきれいな字が文字を並べていく。母さんの名前が書き終わり、その次の名前を書こうとしたところで母さんの手が一瞬止まった――これもいつもの事だ――母さんはそのまま、何事もなかったかのように僕の名前を書いて、マジックのふたを閉じてポストの上に置き、中に入っていった。
僕らの部屋は玄関を入り、右に曲がってすぐにトイレとお風呂、洗面所。玄関からまっすぐ先の部屋がリビング。リビングの右隣にもう一部屋。玄関を入って左の角を曲がるとキッチンになっている。親子二人で暮らすには十分すぎるくらいに大きな部屋だ。
「陽、片づけるわよ。見るのもいいけど手も動かしてね」
母さんの言葉に僕は頷いて、さっそく片づけを始めた。
引っ越しが終わった次の日。母さんと僕の新しい生活がまた始まる。
「行ってくるわね。陽もちゃんと学校に行くのよ。あちゃんと鍵かけてね。母さん夜遅くなると思うから……」
「うん、分かった。行ってらっしゃい」
母さんが仕事に行くのは僕が学校に行くのよりも早い。仕事に行く母さんを、僕は朝ごはんを食べながら見送る。これもいつものことだ。
母さんを見送って、自分の分の朝ごはんを食べて、食器を洗って、ランドセルを背負う。テーブルの上にある鍵をもって、玄関に向かい、鍵をかけて学校に向かう。
今日から憂鬱な日々の始まりだ。
学校に行き、担任に挨拶をして教室に向かう。そしてクラスの人の前で自己紹介をする。最初のころは緊張するあまり、自分の名前をかみそうになったこともある。でも、五回目ともなると緊張は全くしない。友達を作る気が鼻から無いからかもしれない。どうせ、また近いうちに引っ越すのだ。
僕はそんなことを考えながら、自己紹介をして、あてがわれた自分の席に座る。
僕の席は窓際の一番後ろの席だった。窓からは広いグラウンドと、都市開発の進んでいる、人間によって作られた灰色の景色が広がっているのが見えた。
学校が始まって一週間が過ぎた。学校から帰った僕は自室に行って本を一冊手に取り、家を出た。向かった先は、通学路から少し外れた路地の隅にある公園だ。しばらく使われていないのか、塗料の禿げた遊具がいくつかある。ひっそりとたたずむその公園は僕のように一人ぼっちだった。
僕は今にも壊れそうなブランコに近寄り、少し手で払うと腰かけた。僕は少しブランコを揺らしながら、本を開いて見る。その本の内容は僕には難しすぎてわからない。でも、眺めているだけでなんだか宇宙の中に入れたような、そんな不思議な感じになれるのだ。
そうしてしばらく本を見ていると、本に影が差した。僕が顔を上げると、僕の前には同じ年くらいか、少し年下ぐらいの一人の少女がいた。その少女は真っ白なワンピースを着て、短い黒髪に桃色のリボンをしていた。ここの近所の子供だろうか。だが、ここの近くに僕と同じくらいの子供がいるという話は聞いたことがない。僕がよく知らないだけかもしれないが。
「君、どこの子?」
少女は僕にそう尋ねた。僕は本に顔を戻した。いつも道理に無視を決め込む。僕に友達を作る気はない。
僕は友達という存在にうんざりしていた。何度も転校を繰り返す僕にとって、友達という存在は長続きしないものなのだ。転校当初はちやほやされる。転校してからも手紙をくれる友達は少しはいたのだ。だが、しばらくして僕のもとには一通も手紙は来なくなった。手紙が来なくなったことで、僕が落ち込むと、転校の原因である母さんは傷ついた顔をする。でも、母さんが仕事をしなければ、僕たちは暮らしていけない。だから、母さんは僕に口に出して謝ったりはしない。でも、僕が落ち込んだ時に見せる、母さんの顔は僕の一番嫌いな母さんの顔だ。だから、僕は自分も母さんも傷つける友達という存在が嫌いだった。だから僕は決めたのだ。友達は作らない、と。
少女はあきらめが悪かった。そんなことを思い出していた僕にずっと話しかけてくる。
いい加減に僕もイラついてきた。
「ねえ。君ってどこの子?名前は?」
「……っ、うるさいなあっ。なんなんだよ、さっきから」
僕はつい、顔を上げて、少女の言葉に答えてしまった。しまったと思ってももう遅い。案の定、少女はほっとした顔になった。
「よかった。話せないのかと思った」
少女は僕にそう言うと、本を覗き込んできた。
「何の本を読んでるの?」
「何でもいいだろ」
少しぶっきらぼうな言い方で言った。
「君、名前は?」
少女はニコッと笑って言った。夕日を背に立つ少女の笑顔に僕は一瞬見とれてしまった。少女は、僕が答えるのを待っている。
「…………陽」
僕は聞き取れるかわからないくらいの声で、ぼそっと名前を言った。
「陽って言うんだ。いい名前だね。お日さまみたい」
少女がそういうものだから、僕はつい照れ隠しで、
「お前はなんていうんだよ…」
と聞いてしまった。少女は嬉しそうに、
「わたしはね、ひなっていうの。よろしくね、陽」
自分の事をひなと名乗るその少女は、僕に手を差し出す。
「……なんだよ」
「握手。握手するの。よろしくって」
「何でだよ」
「ひな、陽と握手したいの。お友達になりたいの」
「……っ」
ひなの言った言葉「お友達」それは僕にとって、最も聞きたくない言葉だった。
僕は言いようのない感情を彼女にぶつけた。差し出された彼女の手を払いのける。
「お友達とか、そういうの、うぜえんだよっ」
僕はブランコから立ち上がり、そう吐き捨てると、走って公園から出た。いや、逃げたといった方がいいかもしれない。
――また、友達に捨てられるかもしれないという恐怖心から――。
僕は走った、まっすぐ家に。もうとっくにあんな言葉には反応しないものだと、自分の心は冷え切っているのだと思っていたのに。自分の心がこんなにも簡単に傷つくものなのだと知った。僕はそれを振り払うかのように家までの道を全力で走った。
ひなという少女と公園で初めて会った日から今日で三日目だ。あれから公園には行っていない。僕は、あれから公園に本を忘れてしまったことを思い出して、公園に取りに行こうとしたが、彼女がいるかもしれないと思い行かなかった。だがもう三日もたった。彼女もいい加減あきらめて、もう来ないだろうと思った僕は、その日家に帰ってから公園に向かった。
そんな僕の淡い期待はあっさりと裏切られた。彼女は公園にいた。ブランコの前で、僕があの日置いて行った本を大事そうに両手で抱えて。
僕は始め、信じられなかった。いや、信じたくなかったのだ。三日間しかたっていないのに、僕は公園に向かった。本当は心のどこかにあったのだ。彼女が自分の事を待っていてくれるのではないかという淡い期待が。でも実際に本当に目の前に自分が望んだことがあっても、僕は容易に受け入れることが出来ずに彼女の事を見ていることしかできなかった。
そのうちに彼女がこっちに気が付いた。僕の姿を見つけたとたんに、彼女の顔は、ぱあっと雲の晴れた空のように明るくなった。
「陽!」
彼女が嬉しそうにこちらに走ってくるまで、僕は呆然としていた。目の前の事が現実だと信じられなかった。そのくらい僕にとっては、衝撃的なことだったのだ。今まで僕の事を待っていてくれる人なんて、母さんぐらいだと思っていたから。
彼女が目の前に来て僕の方に本を差し出す。
「はい、これ。この前。陽が置いて行っちゃったやつ」
彼女はこの前のことなど覚えていないように、僕に話しかけた。僕は与えられた衝撃が強すぎて、
「うん……ありがと……」
と、この前の威勢はどこかに消えて、当たり前のように本を受け取ってしまった。その時に、はっとするがもう遅い。彼女はお日さまの様な笑顔を僕に向けている。
「陽、何して遊ぶ?」
僕は彼女の言葉に、毒気を抜かれてしまった。
「……なんでもいい」
僕はふて腐れたように返事をした。それが僕の最後の抵抗だった。
彼女は、僕が返事をしてくれたことが余程うれしかったのか、さっきよりもきらきらとした笑顔になって、僕に言った。
「じゃあ、陽のその本を一緒にみたいな」
僕は大人しく、彼女から受け取った本を開いた――――。
あれから、ひなとは毎日のように遊んでいた。彼女と遊ぶことで、僕の「友達」に対する考え方も少しずつ変わっていっていると、自分でも感じ始めた。毎日のようにあの公園に行っては、ひなとたわいもないことを話したり、遊具で遊んだり。
そんなことが四ヵ月くらい続いたある日、僕が公園から帰ると、珍しく、母さんが家に帰ってきていた。僕はすぐに靴を脱いで、リビングに駆け込んだ。
「母さんっ、お帰りなさい」
「……陽、…ただいま」
元気よく声をかけた僕に対して、母さんには元気がなかった。母さんの手にあるのは真っ白の封筒。その封筒には、僕が何度も目にしたことのある字が書かれていた
――転勤の辞令だ――。
僕はすぐに、母さんの元気がない理由を悟った。だが、
僕はいつも道理に、努めて明るい声を出して言った。
「次はどこに引っ越しするの?」
母さんはそんな僕に、悲しそうなほほ笑みを向けた。
次の日学校から帰ると、僕はすぐに公園に向かった。ひなの待っているあの場所へ。引っ越しの事をひなに話さなければ。友達というものに、ひなのおかげで少しずつ前向きになった僕は、ここからが本番だと考えていた。少しずつ頑張っていこうと思えるようになった。
――まずは、文通から始めてみようかな――。
夕日に映し出された公園に少女が一人立っている。こちらに気付くと、彼女は後ろに背負う夕日のように眩しい笑顔をこちらに向けた。沈みゆく夕日の光は、僕らを優しく照らしていた―――――。
ブロロロロ―――。
見慣れてしまったトラックが、自分の家になる建物の前から出発する。
幼いころから、それこそ自分の家の車なんかよりも見慣れているトラックが、
自分の家になる建物から出発して行く光景は、何度見てもつまらない。
今日で五回目の引っ越しをした。僕の家族は、僕と母さんの二人だ。僕が五歳の時だった。小学校に上がる前の事だ。父さんは交通事故で亡くなった……。小さかったから、父さんの事は、そんなに覚えているわけではない。でも、覚えていることはある。それは、家族思いのいいお父さんだったということだ。他の人よりも仕事ができるわけでも、頭がキレるわけでも、容姿が優れているわけでもなかった。でも、僕にとっては大事な、いい父さんだった。
「陽っ! 早く中に入りなさい~。荷物の片づけをするわよ~」
母さんの呼ぶ声に、僕は現実に引き戻される。
「は~い!今行く!」
僕はそういって母さんの後を追いかけた。
今日から僕の家になる建物。それは、駅から徒歩で約十分の位置にある、最近できたばかりの五階建ての白いマンションだ。僕の家は三階の103号室だ。僕らのほかにも住んでいる人がいるらしく、エントランスのポストの棚には、いくつかの名前が書かれていた。
僕が母さんを追って入っていくと、ちょうど母さんはポストの103号と書かれたところに、黒いマジックのペンで僕らの名前を書いているところだった。母さんのきれいな字が文字を並べていく。母さんの名前が書き終わり、その次の名前を書こうとしたところで母さんの手が一瞬止まった――これもいつもの事だ――母さんはそのまま、何事もなかったかのように僕の名前を書いて、マジックのふたを閉じてポストの上に置き、中に入っていった。
僕らの部屋は玄関を入り、右に曲がってすぐにトイレとお風呂、洗面所。玄関からまっすぐ先の部屋がリビング。リビングの右隣にもう一部屋。玄関を入って左の角を曲がるとキッチンになっている。親子二人で暮らすには十分すぎるくらいに大きな部屋だ。
「陽、片づけるわよ。見るのもいいけど手も動かしてね」
母さんの言葉に僕は頷いて、さっそく片づけを始めた。
引っ越しが終わった次の日。母さんと僕の新しい生活がまた始まる。
「行ってくるわね。陽もちゃんと学校に行くのよ。あちゃんと鍵かけてね。母さん夜遅くなると思うから……」
「うん、分かった。行ってらっしゃい」
母さんが仕事に行くのは僕が学校に行くのよりも早い。仕事に行く母さんを、僕は朝ごはんを食べながら見送る。これもいつものことだ。
母さんを見送って、自分の分の朝ごはんを食べて、食器を洗って、ランドセルを背負う。テーブルの上にある鍵をもって、玄関に向かい、鍵をかけて学校に向かう。
今日から憂鬱な日々の始まりだ。
学校に行き、担任に挨拶をして教室に向かう。そしてクラスの人の前で自己紹介をする。最初のころは緊張するあまり、自分の名前をかみそうになったこともある。でも、五回目ともなると緊張は全くしない。友達を作る気が鼻から無いからかもしれない。どうせ、また近いうちに引っ越すのだ。
僕はそんなことを考えながら、自己紹介をして、あてがわれた自分の席に座る。
僕の席は窓際の一番後ろの席だった。窓からは広いグラウンドと、都市開発の進んでいる、人間によって作られた灰色の景色が広がっているのが見えた。
学校が始まって一週間が過ぎた。学校から帰った僕は自室に行って本を一冊手に取り、家を出た。向かった先は、通学路から少し外れた路地の隅にある公園だ。しばらく使われていないのか、塗料の禿げた遊具がいくつかある。ひっそりとたたずむその公園は僕のように一人ぼっちだった。
僕は今にも壊れそうなブランコに近寄り、少し手で払うと腰かけた。僕は少しブランコを揺らしながら、本を開いて見る。その本の内容は僕には難しすぎてわからない。でも、眺めているだけでなんだか宇宙の中に入れたような、そんな不思議な感じになれるのだ。
そうしてしばらく本を見ていると、本に影が差した。僕が顔を上げると、僕の前には同じ年くらいか、少し年下ぐらいの一人の少女がいた。その少女は真っ白なワンピースを着て、短い黒髪に桃色のリボンをしていた。ここの近所の子供だろうか。だが、ここの近くに僕と同じくらいの子供がいるという話は聞いたことがない。僕がよく知らないだけかもしれないが。
「君、どこの子?」
少女は僕にそう尋ねた。僕は本に顔を戻した。いつも道理に無視を決め込む。僕に友達を作る気はない。
僕は友達という存在にうんざりしていた。何度も転校を繰り返す僕にとって、友達という存在は長続きしないものなのだ。転校当初はちやほやされる。転校してからも手紙をくれる友達は少しはいたのだ。だが、しばらくして僕のもとには一通も手紙は来なくなった。手紙が来なくなったことで、僕が落ち込むと、転校の原因である母さんは傷ついた顔をする。でも、母さんが仕事をしなければ、僕たちは暮らしていけない。だから、母さんは僕に口に出して謝ったりはしない。でも、僕が落ち込んだ時に見せる、母さんの顔は僕の一番嫌いな母さんの顔だ。だから、僕は自分も母さんも傷つける友達という存在が嫌いだった。だから僕は決めたのだ。友達は作らない、と。
少女はあきらめが悪かった。そんなことを思い出していた僕にずっと話しかけてくる。
いい加減に僕もイラついてきた。
「ねえ。君ってどこの子?名前は?」
「……っ、うるさいなあっ。なんなんだよ、さっきから」
僕はつい、顔を上げて、少女の言葉に答えてしまった。しまったと思ってももう遅い。案の定、少女はほっとした顔になった。
「よかった。話せないのかと思った」
少女は僕にそう言うと、本を覗き込んできた。
「何の本を読んでるの?」
「何でもいいだろ」
少しぶっきらぼうな言い方で言った。
「君、名前は?」
少女はニコッと笑って言った。夕日を背に立つ少女の笑顔に僕は一瞬見とれてしまった。少女は、僕が答えるのを待っている。
「…………陽」
僕は聞き取れるかわからないくらいの声で、ぼそっと名前を言った。
「陽って言うんだ。いい名前だね。お日さまみたい」
少女がそういうものだから、僕はつい照れ隠しで、
「お前はなんていうんだよ…」
と聞いてしまった。少女は嬉しそうに、
「わたしはね、ひなっていうの。よろしくね、陽」
自分の事をひなと名乗るその少女は、僕に手を差し出す。
「……なんだよ」
「握手。握手するの。よろしくって」
「何でだよ」
「ひな、陽と握手したいの。お友達になりたいの」
「……っ」
ひなの言った言葉「お友達」それは僕にとって、最も聞きたくない言葉だった。
僕は言いようのない感情を彼女にぶつけた。差し出された彼女の手を払いのける。
「お友達とか、そういうの、うぜえんだよっ」
僕はブランコから立ち上がり、そう吐き捨てると、走って公園から出た。いや、逃げたといった方がいいかもしれない。
――また、友達に捨てられるかもしれないという恐怖心から――。
僕は走った、まっすぐ家に。もうとっくにあんな言葉には反応しないものだと、自分の心は冷え切っているのだと思っていたのに。自分の心がこんなにも簡単に傷つくものなのだと知った。僕はそれを振り払うかのように家までの道を全力で走った。
ひなという少女と公園で初めて会った日から今日で三日目だ。あれから公園には行っていない。僕は、あれから公園に本を忘れてしまったことを思い出して、公園に取りに行こうとしたが、彼女がいるかもしれないと思い行かなかった。だがもう三日もたった。彼女もいい加減あきらめて、もう来ないだろうと思った僕は、その日家に帰ってから公園に向かった。
そんな僕の淡い期待はあっさりと裏切られた。彼女は公園にいた。ブランコの前で、僕があの日置いて行った本を大事そうに両手で抱えて。
僕は始め、信じられなかった。いや、信じたくなかったのだ。三日間しかたっていないのに、僕は公園に向かった。本当は心のどこかにあったのだ。彼女が自分の事を待っていてくれるのではないかという淡い期待が。でも実際に本当に目の前に自分が望んだことがあっても、僕は容易に受け入れることが出来ずに彼女の事を見ていることしかできなかった。
そのうちに彼女がこっちに気が付いた。僕の姿を見つけたとたんに、彼女の顔は、ぱあっと雲の晴れた空のように明るくなった。
「陽!」
彼女が嬉しそうにこちらに走ってくるまで、僕は呆然としていた。目の前の事が現実だと信じられなかった。そのくらい僕にとっては、衝撃的なことだったのだ。今まで僕の事を待っていてくれる人なんて、母さんぐらいだと思っていたから。
彼女が目の前に来て僕の方に本を差し出す。
「はい、これ。この前。陽が置いて行っちゃったやつ」
彼女はこの前のことなど覚えていないように、僕に話しかけた。僕は与えられた衝撃が強すぎて、
「うん……ありがと……」
と、この前の威勢はどこかに消えて、当たり前のように本を受け取ってしまった。その時に、はっとするがもう遅い。彼女はお日さまの様な笑顔を僕に向けている。
「陽、何して遊ぶ?」
僕は彼女の言葉に、毒気を抜かれてしまった。
「……なんでもいい」
僕はふて腐れたように返事をした。それが僕の最後の抵抗だった。
彼女は、僕が返事をしてくれたことが余程うれしかったのか、さっきよりもきらきらとした笑顔になって、僕に言った。
「じゃあ、陽のその本を一緒にみたいな」
僕は大人しく、彼女から受け取った本を開いた――――。
あれから、ひなとは毎日のように遊んでいた。彼女と遊ぶことで、僕の「友達」に対する考え方も少しずつ変わっていっていると、自分でも感じ始めた。毎日のようにあの公園に行っては、ひなとたわいもないことを話したり、遊具で遊んだり。
そんなことが四ヵ月くらい続いたある日、僕が公園から帰ると、珍しく、母さんが家に帰ってきていた。僕はすぐに靴を脱いで、リビングに駆け込んだ。
「母さんっ、お帰りなさい」
「……陽、…ただいま」
元気よく声をかけた僕に対して、母さんには元気がなかった。母さんの手にあるのは真っ白の封筒。その封筒には、僕が何度も目にしたことのある字が書かれていた
――転勤の辞令だ――。
僕はすぐに、母さんの元気がない理由を悟った。だが、
僕はいつも道理に、努めて明るい声を出して言った。
「次はどこに引っ越しするの?」
母さんはそんな僕に、悲しそうなほほ笑みを向けた。
次の日学校から帰ると、僕はすぐに公園に向かった。ひなの待っているあの場所へ。引っ越しの事をひなに話さなければ。友達というものに、ひなのおかげで少しずつ前向きになった僕は、ここからが本番だと考えていた。少しずつ頑張っていこうと思えるようになった。
――まずは、文通から始めてみようかな――。
夕日に映し出された公園に少女が一人立っている。こちらに気付くと、彼女は後ろに背負う夕日のように眩しい笑顔をこちらに向けた。沈みゆく夕日の光は、僕らを優しく照らしていた―――――。
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