一つ目巨人鍛冶屋と人間武器屋の日常

青野イワシ

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第二章

聖なる選定

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「体裁って……」
 そんな俗っぽい話があるんだろうか。
 ムラトの匙を持つ手が止まる。
「お前たちが崇めている存在は、実のところニンゲンとそう変わりないかもしれんぞ」
 ブロンテスがせせら笑う。
 ムラトのみならず一般的な国民の殆どが、天精霊は遥か彼方の天空に住まう神聖な存在として崇めてきた。
 善行を積み、特に秀でた者は精霊がもたらす奇跡の恩恵にあずかれると信じられている。
 精霊信仰は国教と呼んでも差し支えないほど広がり、どんなに小さな村でも教会が建てられているのが当たり前となっていた。
「そもそも、お前は何故天精霊がニンゲンという脆弱な種族を助けるか考えたことがあるか」
 そんな風に言わなくてもいいじゃないですか。
 只人のムラトは若干渋い顔をする。
 しかし、今はブロンテスの問いかけのほうが気になってきた。
「えー……何ででしょう」
 言われてみれば、ニンゲンが精霊の力になる事例が思いつかない。
 精霊側の利点とは何なのか。
「お前達ニンゲンは生きているだけで価値がある」
「えっ」
「喜ぶな。褒めた訳ではない。精霊からしてみれば、地表にへばりついて覆える生き物が居れば何でもよいのだろう。ものを考えられる頭がくっついていたところも都合がいいな」
「何てこと仰るんですか。というかどういう事ですか」
地下世界ここと地上を行き来するお前なら分かると思うが、数多の小世界は寄り集まり、一部重なり合いながら存在している」
「はあ」
 壮大な話が始まってしまった。
 ムラトは分かるような分からないような、絶妙な生返事をする。
 それにブロンテスは肩をすくめながら話を続けた。
「お前達が天界と呼ぶ精霊の国がある世界と唯一重なり合う世界がある。それはどこか、もう分かるな?」
「まさか」
 自分達が暮らしてきた名もなき地上世界がそれだと言うのか。
 ムラトは眼を丸くしている。
「ニンゲンが根ざしている世界は、ここや他の地下世界等無数に触れ合っている。そこから染み出してきた者を、悪魔、魔獣、魔物、邪神などと呼ぶように教えたのは他でもない精霊共だ。まあ、ニンゲンはすぐに死ぬからな、誰がどう伝えたなど誰も覚えていないだろう」
「えぇ」
「早い話が、天精霊にとってお前達ニンゲンは生きた土嚢だ。他世界からの侵入を堰き止める役割がある。侵攻してくるかどうかは別として、目に余る存在はニンゲンの背中を押して退治させればいい。お前達はつくづく便利な生き物だな」
「……」
 にんまり笑うブロンテスを、ムラトはどこか恨めしそうな顔で見上げる。
 どうしてそんな意地の悪いことを言うのか。
 幼いころから天精霊は人間を守護する聖なる存在として教えられてきただけに、ブロンテスの言葉一つでその認識を捨てられるわけがなかった。
「信じられないといいますか、信じたくありません。その、このようなことを申し上げたくはないのですが、ブロンテス様は天精霊様を特にお嫌いなようなので、その……」
 ムラトの言葉は実に歯切れが悪い。
 流石にブロンテスを嘘つき呼ばわりするだけの勇気は備わっていなかった。
「何だ。俺の言うことが間違っていると言いたいのか?」
「そういう訳では……。ただ、私にとってはあまりにも受け入れがたい内容でして」
「仕方ない。お前達の弱さはよく理解している。信じたい者を信じればいい。それでお前の心が安定するのなら、これまで通り天精霊に祈りを捧げろ。俺はいちいち目くじらを立てたりはせん」
 もはや優しいのか底意地が悪いのか分からなくなってきた。
 蔑みと慈愛が混じる生温かい眼差しを感じる。
 ムラトは揶揄うような笑みを浮かべるブロンテスを前に歯嚙みするしかない。
 そんなことはないと突っぱねるだけの熱もなければ、ブロンテスを全面的に妄信するまでの丹力もない。
「まあいい。今聞かせてやった話は、お前の疑問を解くための背景に過ぎない」
「えっと」
「なぜ直ぐにヒトでなくなった元勇者を消さなかったか、だったな」
「え、えぇ。やはりお慈悲で」
「俺が言ったことを忘れたか。体裁だ」
 具だくさんのスープを平らげたブロンテスは食器を卓の上に置くと、ゆるく腕組をした。
「あの若造に力を与え、特別なニンゲンに仕立て上げたのは他でもない天精霊だ。奴らが選んだ退治人だった」
「そうみたいですね」
 世を脅かす魔王を退治する者の前に精霊は現れ、様々な力を授けてくれるという。
 現にシラーとセルジオは精霊と邂逅した様子を見せており、アルバーノが精霊と相対したのは間違いないだろう。
 当の本人も自分は選ばれた存在だと口走っていた。
「どのような会議をしたのかは分からんが、せっかく選んだ勇者が早々に欲に負け、魔に堕ちた。選んだ奴の立場がないな」
「確かに……。でも、あいつは只の変態武器収集野郎じゃないですか。ニンゲンにとっては迷惑だったけど、天精霊様の立場からすれば放置してても……よくないか」
 そもそも魔が蔓延っているということは、精霊の力が及んでいないことになる。
 信仰の揺らぎは天精霊にとって問題だ。
「地上が多少荒れようがどうでもいいだろうがな。変態武器収集野郎の執念で、天界の武器まで欲しがるようになるやもしれんぞ。現に、兄弟達は天精霊の注文を受けていた。どこかでそれを嗅ぎ付けてもおかしくはない」
「えっ」
「俺は反対したが、あの二人は俗物だからな」
「……」
 毎回武器に馬鹿みたいな金額設定を要求するブロンテス様が言えたことではないのですが、という言葉をムラトはすんでのところで呑み込んだ。折檻されたくはない。
「とにかく、アレは精霊にとっても目障りな存在となった。かといって天精霊から手を下せば、聖なる選定とやらが失敗だったと自ら証明することとなる。奴らは自分の経歴に傷がつくことを何より嫌う。実にくだらん」
 この説明が全て嘘ならいいのに。
 いつものように、お前の情けない顔を見るのは愉快だという理由でついた嘘物語なら受け入れられる。
 ムラトはそう願ったが、目の前のブロンテスにはムラトの精神を揺すぶって楽しんでいる様子は見受けられなかった。
「そういう時、ニンゲンからの懇願は都合がいい。助けてほしいと乞われたから力を貸してやったという体ならまだ面目が立つ」
「そういうものなのでしょうか」
 ムラトはすっかり冷めきったスープを匙でかき回す。
 よく煮えてふっくらとした豆がいくつもスープの中で踊ったが、今はあまり口に運びたいとは思えない。
「そういうものだ。失敗作を処分した事実は同じでもな。お前らニンゲンの政とそう変わらん話だと思うがな」
「……。しがない雑貨屋には、分かりかねます」
「商人が為政者に無理解でどうする」
「耳が痛いです」
「フン。まあ、お前には遠い世界の話だったな」
「ええ。でも、結局のところ勇者に選んではいけない人間を選んでしまって、それの始末をしたことに変わりはないですよね。どのみち立場が危うくなるのであれば、城の宝物庫を襲撃しているあたりで天罰を下してくだされば」
 殿下とやらが死ぬこともなかっただろうに。
 ムラトは自分の考えが恐ろしくなった。ブロンテス様に影響されすぎているのではないか。
 最初にもっと早く対応してくれれば、との言を棚に上げていることは忘れているようだ。
「……それについてだが」
 それまでどこか余裕ぶった笑みを浮かべていたブロンテスが、顔から色を消す。
 その表情はとても冷たく、ムラトは魚一匹泳いでいなかった地底湖を思い出していた。
「選定は正しかった、と事実を捻じ曲げるかもしれん」

 つづく
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