一つ目巨人鍛冶屋と人間武器屋の日常

青野イワシ

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第二章

非・勇者

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 自分はいったいどうしてしまったのか。
 ムラトはまだ頭の整理がついていなかった。
 肉体も精神も腐り果ててしまったアルバーノの言葉に激昂したことは覚えている。
 それからすぐに意識が天に昇るような感覚を覚えたが、記憶にあるのはそこまでだ。
「お前は勇者に成り損なった。残念だったな。美味しいところはが持って行ったぞ」
 憮然としたブロンテスの言葉にはちっとも残念がる気持ちが乗せられていない。
「召喚……なんですかそれ?」
 上体を起こしたムラトは、ブロンテスの隣に腰かける。
 二人並んで寝台に座る姿は、一見すると情交の前か後かの様子にさえ思えるが、今はそのような甘い雰囲気はどこにもなかった。
「忘れたのか。精霊に祈っていたのはお前自身だ」
「祈るって、あ!」
 アルバーノに惨殺された王族の屍を前に、ムラトは確かに哀悼の意を捧げていた。
 その際に、このような場所まで天精霊は見ているのだろうか、とも思っていた。
うえの奴らも万能ではない。地上より下層の小世界へ直接介入出来る程の力はないはずだ。……俺がお前を操っていたようにな」
 忌々し気にブロンテスは付け足す。
 ムラトは改めて強大な力を持つブロンテスが地上に出ることだけは叶わないことを思い出した。
「視てはいる、と仰っていたのはそういうことですか。亡くなられた殿下をお救いくださらなかったのも、したかったが出来なかったということなのでしょうか」
「フン。やろうと思えばできなくもないが、放っておいたというところだと思うがな。なにしろ、そいつより使えそうなやつが後から三人も来るのが視えていたはずだ。そちらに手を貸したほうが確実だろう」
「そんな……」
 天精霊を嫌うブロンテスの偏見が生み出した説であることは分かるものの、そのすべてが間違いというわけでもないのだろうとムラトは感じた。
 届いた祈りより、届かなかった祈りの方を多く見てきている。
「そもそもあそこで骸となっていた奴と精霊との間に繋がりが無かったのかもしれん。とにかく、天の奴らはニンゲンが一体くたばるのを見届けてから、お前たちを待った。そして信仰だか習慣だか知らんが、まんまと両手を組んだお前の祈りを辿ってやってきたというわけだ」
「精霊様が降臨されたのですか?」
「何が降臨だ。投げて寄越してきたのは槍だけだ。お前たち前座が踊り狂った後に元勇者退治は精霊が済ませた。つまらん話だ。ニンゲン共にしてみれば崇める逸話が増えたか?」
「……」
 ムラトの冒険は何一つ手ごたえの無いまま終わった。
 達成感どころか当事者感すらない。
 今ムラトの傍にあるのは、不機嫌な主兼恋人だけだ。
 ムラトが両手で額を触って小さく唸っていると、大きな手でむんずと頭を掴まれてしまった。
「どうした。お前、まさかとは思うが勇者になりたかったのか?」
 ぐい、と地肌と触れ合っていた指に力が入り、ムラトは半強制的に顔を上げさせられる。
 感情の消えた深い青の眼玉が、骨の中まで見通すかのようにムラトの顔を見下ろした。
「滅相もない。ブロンテス様に身体を動かしてもらっていた時点で、私に勇者を名乗る資格はありません」
「そうだな。お前は勇者の器ではない。精霊共がお前を英雄の座に据えなかった点だけは評価してやってもいいくらいだ」
「はあ」
 自分の肉体を使って魔王退治を率いた割にはおかしなことを言う。
 ムラトはそっぽを向いたブロンテスのがっちりとした輪郭を眺めていたが、ふとあることを思いついた。
「あの、ブロンテス様」
「何だ」
「もしかして、私が勇者として凱旋してしまったら、ただの雑貨屋としての付き合いが出来なくなってしまうのが嫌だと、そういうことですか?」
 アルバーノのように大勢に持ち上げられ、王都で英雄として生きていくことになるのかもしれない。
 辺鄙な村の雑貨屋としての平穏な暮らしは終わってしまう。
 ブロンテスの元に通って取引することも、出来なくなる。
 そんな心配をしていたのではないかと思い至ったムラトは、自然と笑みを浮かべていた。
「……。みっともない間抜け面だな」
 ブロンテスは両手でムラトの頬を掴むと、親指と人差し指で頬肉をつまんで軽く横に引っ張った。
「へへへ」
 ムラトはブロンテスが照れ隠しでも自分の言葉を否定しなかったことに頬を緩ませ続けている。
「今のお前はどんな魔獣よりも不気味だぞ」
 ムラトを罵るブロンテスの口角も心なしか上がっているようだった。

 身支度を整えた二人は食堂へと移動した。
 ブロンテスの兄弟達が残していった豆と芋のスープを再度熱し、簡単な昼食を摂ることにした。
 いつもは兄弟揃って山のような食事に囲まれ、同席するムラトは毎回腹がはちきれそうになるのだが、今日はとても穏やかだ。
 長机にブロンテスと向かい合って座っていたムラトは、まるで二人暮らしをしているようだと感じていた。
「あのー、さっきの続きですけど、いくつか聞いてもいいですか」
「ん?」
 ブロンテスからしてみれば小さく脆弱なニンゲンを操ることは、中々に気疲れするものなのだろう。
 どことなくおざなりで気の抜けた返事だったが、ムラトにとってはかえってそれが愛おしかった。
 真に気の置けない仲になれたような気がする。
「天精霊様のなしで、私が魔王を倒したとします。操っているのはブロンテス様ですが。形式上私が武勲を上げた場合、ブロンテス様はどうなさるおつもりだったのですか」
「どうもこうもない。あの二人に自分達だけで魔王を倒したと喧伝するよう命じる。お前は只の案内人のままだ。戦いの最中は柱の陰に隠れてガタガタ震えていたことにする」
「かっこ悪いですね……」
「力を持たぬニンゲンなどそんなものだろう」
「あ。そういえば、セルジオさんとシラーさんは?」
「俺に聞くな。お前の店で一泊してから王都に戻るのではなかったか」
「そうでしたっけ? そういえば留守番の兵士もいたし。うーん、ブロンテス様に乗っ取られてからどうも記憶が曖昧で」
「お前の記憶力が悪いだけだろう」
 ブロンテスはすまし顔のまま匙で豆をごっそり掬って口に入れた。
「まだ気になることが残ってるんですけど、いいですか」
「何だ」
「天精霊様は地下世界ここを覗けたりしますか?」
 二人きりなのに背を丸めて声をひそめるムラトの滑稽さに、ブロンテスは一瞬笑いそうになる。
「無理だな」
「良かったぁ。あの、絶対地上では言えないことなんですけど」
「……言ってみろ」
 真面目腐った顔つきのムラトを見て、ブロンテスが口の端を吊り上げる。
「さ、最初から天精霊様が対処してくれたらよかったのでは、と……へへ」
 気まずそうに笑うムラトへ、ブロンテスの笑みが深くなる。
 ムラトはおべっか使いの仮面が顔に張り付いているような男だったが、近しい者の前ではそれが剥がれていくようだ。
 ブロンテスは鍛冶屋と店主という立場で交渉の卓につくとき、いつも媚びた愛想笑いか半泣きの懇願顔ばかりを見ていた。
 ムラトと身体を重ねるようになり、一人の男として接する機会が増えてもなお、知らない顔がある。
 それが醜い面であっても、ブロンテスは受け入れる事が出来るだろうと感じていた。
「成る程。天精霊は仕事の遅い無能だと」
「そこまでは言ってません! ただ、あの人が地上で色々やってるときに釘さしたりとか、あるじゃないですか!」
「何を慌てている。ここに奴らの眼は無いぞ」
「いやその、陰口を叩きたいわけじゃないんです。ただ、本当に疑問で」
 叱られた犬のように竦むムラトに、ブロンテスは往生際が悪いなと付け足した。
「何故精霊共がアレを早急に処さなかったのか。……これは完全な俺の推察になるが」
「はい」
「やはり一番の理由は体裁を保つためだろうな」
「えっ?」
 
 つづく
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