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Chapter 2 DRI臨時会議
#9 未来を予言する翻案
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「予言」だとされる投稿は、次のようなものだった。
『岬に建つ生家はギシギシと音を立て、窓から見える海原は、まるで怒り狂ったミエのようだった。ヒカルは堪えきれず目を閉じる。
仄暗い瞼の裏で、すべての身体感覚が奪い去られるような恐怖を覚えた。充電切れのスマホは呼びかけに応じず、沈黙が彼を更なる孤独の渦へと追いやっていく。ヒカルの目からは堰を切ったように涙が溢れ出した。
上流の堤防はまだ持ちこたえているだろうか。すべて、時間の問題かもしれない。
#AI翻案抜粋 #リテラ・ノヴァ』
これが長編の一部分なら、なぜここを切り取ったのか理解しがたかった。登場人物は感情のピークにあるようにも読めるが、この文章を他者と共有するには背景情報が少なすぎる。むしろ、SNSなどに抜粋した文章をあげるなら、もっと普遍的な、格言のような文章を選ぶものではないだろうか。
私の疑問を置き去りに、糸井部長は説明を続けた。
「この投稿に対して、次のようなリプライが続いています。読んでもらえばわかりますが、先週の見重豪雨を予言したという内容です。見重県で起きた記録的な豪雨により、海岸沿いで大規模停電が起きてネット障害発生したのを、この文章が言い当てた――と。翻案の抜粋自体は先月投稿されています」
「ミエって名前が出てくるから見重県っていうことですよね。でも、あの豪雨は和香山の被害の方が大きかったはずですが」
蒼君の冷静な指摘に全員がうなずいている。なぜこれが予言だと言われるのか、その経緯がまったく想像できなかった。糸井部長はその疑問に答えるように翻案抜粋投稿のツリーをスクロールしていったが、やはり何も見えてこない。
「惣領君と同じような意見も書き込まれていますが、見ての通り予言を信じているような反応も結構あるんです。他の翻案抜粋投稿を探して調べれば何かわかるかもしれないので、このまま調査を進めてみます」
「そうしてください。AIチーム、この文章について、リテラ・ノヴァのAI翻案かどうか、感覚的なものでいいので意見をもらえますか?」
佐伯部長の視線は合田部長に向かい、合田部長の視線は蒼君に向かった。そして、その視点を受け止めた蒼君は肩をすくめる。たまに会議で見かけるこういう瞬間、蒼君が噂通り合田部長からも一目置かれる存在なのだと実感する。
「この文字数では無理です。全体が分かればストーリー構成などである程度判断できますけど、それも確実なものではありません」
数人が吐息を漏らす中、「あの」と、おずおず手を挙げたのは小山内さんだった。
「句読点の打ち方とか、文章の長さはとてもAIっぽい感じがするんですけど、そういうのでは判別できないんですか?」
「それを言うなら、冒頭文はあまりAIっぽくはないんです。一文に主語がふたつあるのは、情報を正確に伝えるのが目的の場合、受け手に混乱を招く場合がありますから。でも、リテラ・ノヴァではあえてそういう書き方を入れるようにしています。
感覚的にAIっぽい文章と人間っぽい文章というのはあると思いますが、あまり当てになりません。AIの生成した文章に触れる機会が増えたことにより、2010年代に比べて、2030年代では人間の書く文章がAIの文章に近づいているという研究結果もあるんです」
佐伯部長は銀縁眼鏡の奥で目を閉じたが、思索は一瞬で終わったらしくすぐに瞼を持ち上げた。
「では、ひとまずコモンズ・ギャラリーに該当作品があるかどうか確認しましょう。こういった抜粋投稿が数十あるということなので、AIチームとキュレ部とで連携して行ってください」
蒼君がさっそく手元のノートパソコンを操作し始め、会議室にはキーボードの打鍵音が響く。
「ひとまず、モニターに映ってる文章だけコモンズ・ギャラリーにあるか検索してみます」
コモンズ・ギャラリーというのは、リテラ・ノヴァで生成された翻案作品のうち、ユーザーが著作権を放棄してパブリックドメインとなったものを公開しているサイト内ギャラリーだ。
著作権放棄の手続きとしては、ユーザーがDRIに著作権を移譲し、DRIが著作権を放棄するという形をとっているため、言わば匿名での公開となる。
掲載作はほとんどが無料で利用できるショートショートと短編。とはいえ、課金生成された作品の公開数も着実に増加している。選択によってはユーザーが著作権者となることもできる『パーソナライズ翻案』においても、公開を選択するユーザーがわずかだが増えていた。
とはいえ、パーソナライズ翻案は非公開を選択するユーザーが圧倒的に多いのが事実。60の質問によるカウンセリングデータが反映されるのだから、さもありなんというところだ。ここにいる全員がそれを知っているから、蒼君の「ないですね」という言葉は予想通りだった。
「コモンズ・ギャラリー内には確認できません。つまり、詐称もしくは非公開希望のパーソナライズ翻案ってことですが、詐称ではないでしょう。詐称してこの投稿をする意味がありませんから。
誰かを誹謗するような内容でもないし、この表現が適切かどうかわかりませんが、『ごく普通の文章』ですよね」
ほとんどの人が納得したようにうなずく中、私は「普通過ぎませんか」と疑問を投げかけた。
「気に入った部分を投稿したにしては、普通過ぎる気がするんです」
「ああ、それは」と、糸井部長がモニターに映し出したのは、翻案抜粋を投稿したアカウント『Min』のタイムライン。そして、表示した投稿を声に出して読み上げた。
「『すでに人とAIの境目は消え去って、そこにある文章が私の心を揺さぶる。私のためだけに書かれた小説だと強く感じる。ようやく私の理解者に出会えたという感動』――リテラ・ノヴァのタグ付けをした上でこのような投稿をされているので、うちへの批判や嫌がらせでないことは間違いありません。
抜粋部分は、この投稿者のために書かれた翻案の中の、まさにその心を捉えた箇所だったということでしょう。たとえそれが、他人にとって平凡に感じられる文章だったとしても」
「承認欲求からの投稿ではなく、純粋に感動を言葉にしたかったんでしょうね。読書アカウントのようだし、読書仲間にリテラ・ノヴァを広めようとしてくれたのかも。そういう視点で抜粋箇所を選ぶなら、こういう登場人物の内面描写がされた箇所を選んでも不思議じゃないと思います」
蓮見部長の言葉でようやく私は腑に落ちたけれど、「必要なのは推測よりも実際に調べてみることです」と佐伯部長はにべもない。その厳しいトーンのまま、彼女は続けた。
「では、コンテンツ・キュレーション部は翻案抜粋について調査を勧めてください。もし同じように『予言』扱いされる投稿が存在するなら、注意が必要です。時に、ネットは過剰な反応を引き起こしがちですから。
リテラ・ノヴァを詐称する投稿については、リテラ・ノヴァのサイトトップページと、Pitterの公式アカウントで注意喚起することにします。奏さん、これは総務で対応するよう、遠藤さんに伝えておいて。
それから、本宮さんは平井先生にハヤト文体の詐称投稿が存在することを伝えておいてくれる?」
「昨日のうちにマネージャーの砂川さんに連絡をとりました。すでに把握されていたようですが、この投稿については特に何もするつもりはないと。さらに詐称投稿があるようなら、追って検討するとのことでした」
「わかりました。では最後に、我々DRIは営利企業ではないということをみなさんがしっかり覚えておいてください。
AGIとの文学共創という未知の領域に挑む以上、些細なことも見逃さず、先んじて議論していかねばなりません。その先にこそ、真にコモンズを守り育む未来があるのです。
コンテンツ・キュレーション部門はサービスの認知度向上に尽くしてくれましたが、今は一度歩みを止めて見直す時期に来ています。
AI開発・アルゴリズム研究部においては、いくら検証を重ねても検証しすぎということはありませんので、改めてアルゴリズムの見直しをお願いします」
諦めたように目を閉じてうなずく合田部長の隣で、「心理テストパターンの件はどうします?」と、軽い口調で蒼君が聞いた。礼節を欠いているわけではないが、他の職員はこんなふうに気軽に佐伯部長と会話できない。
「カウンセリング・サポート部のほうでいくつか案を出してください。可能なら、登録者向けに心理テストを何パターンか提供する方向で検討しましょう。マイクロノベルは、当面は今のままで」
蒼君の表情はほとんど変わらなかったけれど、私はなんとなく彼のテンションが上がっているのを感じた。
一方、小山内さんは私の隣で小さくため息をつく。目が合うとぎこちない笑みを浮かべ、「生意気言ってすいませんでした」と私の耳元でこそっと囁いた。理由はわからないけれど、これまでより気を許してくれたような気がして、私もちょっとだけテンションが上がったのだった。
『岬に建つ生家はギシギシと音を立て、窓から見える海原は、まるで怒り狂ったミエのようだった。ヒカルは堪えきれず目を閉じる。
仄暗い瞼の裏で、すべての身体感覚が奪い去られるような恐怖を覚えた。充電切れのスマホは呼びかけに応じず、沈黙が彼を更なる孤独の渦へと追いやっていく。ヒカルの目からは堰を切ったように涙が溢れ出した。
上流の堤防はまだ持ちこたえているだろうか。すべて、時間の問題かもしれない。
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これが長編の一部分なら、なぜここを切り取ったのか理解しがたかった。登場人物は感情のピークにあるようにも読めるが、この文章を他者と共有するには背景情報が少なすぎる。むしろ、SNSなどに抜粋した文章をあげるなら、もっと普遍的な、格言のような文章を選ぶものではないだろうか。
私の疑問を置き去りに、糸井部長は説明を続けた。
「この投稿に対して、次のようなリプライが続いています。読んでもらえばわかりますが、先週の見重豪雨を予言したという内容です。見重県で起きた記録的な豪雨により、海岸沿いで大規模停電が起きてネット障害発生したのを、この文章が言い当てた――と。翻案の抜粋自体は先月投稿されています」
「ミエって名前が出てくるから見重県っていうことですよね。でも、あの豪雨は和香山の被害の方が大きかったはずですが」
蒼君の冷静な指摘に全員がうなずいている。なぜこれが予言だと言われるのか、その経緯がまったく想像できなかった。糸井部長はその疑問に答えるように翻案抜粋投稿のツリーをスクロールしていったが、やはり何も見えてこない。
「惣領君と同じような意見も書き込まれていますが、見ての通り予言を信じているような反応も結構あるんです。他の翻案抜粋投稿を探して調べれば何かわかるかもしれないので、このまま調査を進めてみます」
「そうしてください。AIチーム、この文章について、リテラ・ノヴァのAI翻案かどうか、感覚的なものでいいので意見をもらえますか?」
佐伯部長の視線は合田部長に向かい、合田部長の視線は蒼君に向かった。そして、その視点を受け止めた蒼君は肩をすくめる。たまに会議で見かけるこういう瞬間、蒼君が噂通り合田部長からも一目置かれる存在なのだと実感する。
「この文字数では無理です。全体が分かればストーリー構成などである程度判断できますけど、それも確実なものではありません」
数人が吐息を漏らす中、「あの」と、おずおず手を挙げたのは小山内さんだった。
「句読点の打ち方とか、文章の長さはとてもAIっぽい感じがするんですけど、そういうのでは判別できないんですか?」
「それを言うなら、冒頭文はあまりAIっぽくはないんです。一文に主語がふたつあるのは、情報を正確に伝えるのが目的の場合、受け手に混乱を招く場合がありますから。でも、リテラ・ノヴァではあえてそういう書き方を入れるようにしています。
感覚的にAIっぽい文章と人間っぽい文章というのはあると思いますが、あまり当てになりません。AIの生成した文章に触れる機会が増えたことにより、2010年代に比べて、2030年代では人間の書く文章がAIの文章に近づいているという研究結果もあるんです」
佐伯部長は銀縁眼鏡の奥で目を閉じたが、思索は一瞬で終わったらしくすぐに瞼を持ち上げた。
「では、ひとまずコモンズ・ギャラリーに該当作品があるかどうか確認しましょう。こういった抜粋投稿が数十あるということなので、AIチームとキュレ部とで連携して行ってください」
蒼君がさっそく手元のノートパソコンを操作し始め、会議室にはキーボードの打鍵音が響く。
「ひとまず、モニターに映ってる文章だけコモンズ・ギャラリーにあるか検索してみます」
コモンズ・ギャラリーというのは、リテラ・ノヴァで生成された翻案作品のうち、ユーザーが著作権を放棄してパブリックドメインとなったものを公開しているサイト内ギャラリーだ。
著作権放棄の手続きとしては、ユーザーがDRIに著作権を移譲し、DRIが著作権を放棄するという形をとっているため、言わば匿名での公開となる。
掲載作はほとんどが無料で利用できるショートショートと短編。とはいえ、課金生成された作品の公開数も着実に増加している。選択によってはユーザーが著作権者となることもできる『パーソナライズ翻案』においても、公開を選択するユーザーがわずかだが増えていた。
とはいえ、パーソナライズ翻案は非公開を選択するユーザーが圧倒的に多いのが事実。60の質問によるカウンセリングデータが反映されるのだから、さもありなんというところだ。ここにいる全員がそれを知っているから、蒼君の「ないですね」という言葉は予想通りだった。
「コモンズ・ギャラリー内には確認できません。つまり、詐称もしくは非公開希望のパーソナライズ翻案ってことですが、詐称ではないでしょう。詐称してこの投稿をする意味がありませんから。
誰かを誹謗するような内容でもないし、この表現が適切かどうかわかりませんが、『ごく普通の文章』ですよね」
ほとんどの人が納得したようにうなずく中、私は「普通過ぎませんか」と疑問を投げかけた。
「気に入った部分を投稿したにしては、普通過ぎる気がするんです」
「ああ、それは」と、糸井部長がモニターに映し出したのは、翻案抜粋を投稿したアカウント『Min』のタイムライン。そして、表示した投稿を声に出して読み上げた。
「『すでに人とAIの境目は消え去って、そこにある文章が私の心を揺さぶる。私のためだけに書かれた小説だと強く感じる。ようやく私の理解者に出会えたという感動』――リテラ・ノヴァのタグ付けをした上でこのような投稿をされているので、うちへの批判や嫌がらせでないことは間違いありません。
抜粋部分は、この投稿者のために書かれた翻案の中の、まさにその心を捉えた箇所だったということでしょう。たとえそれが、他人にとって平凡に感じられる文章だったとしても」
「承認欲求からの投稿ではなく、純粋に感動を言葉にしたかったんでしょうね。読書アカウントのようだし、読書仲間にリテラ・ノヴァを広めようとしてくれたのかも。そういう視点で抜粋箇所を選ぶなら、こういう登場人物の内面描写がされた箇所を選んでも不思議じゃないと思います」
蓮見部長の言葉でようやく私は腑に落ちたけれど、「必要なのは推測よりも実際に調べてみることです」と佐伯部長はにべもない。その厳しいトーンのまま、彼女は続けた。
「では、コンテンツ・キュレーション部は翻案抜粋について調査を勧めてください。もし同じように『予言』扱いされる投稿が存在するなら、注意が必要です。時に、ネットは過剰な反応を引き起こしがちですから。
リテラ・ノヴァを詐称する投稿については、リテラ・ノヴァのサイトトップページと、Pitterの公式アカウントで注意喚起することにします。奏さん、これは総務で対応するよう、遠藤さんに伝えておいて。
それから、本宮さんは平井先生にハヤト文体の詐称投稿が存在することを伝えておいてくれる?」
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「わかりました。では最後に、我々DRIは営利企業ではないということをみなさんがしっかり覚えておいてください。
AGIとの文学共創という未知の領域に挑む以上、些細なことも見逃さず、先んじて議論していかねばなりません。その先にこそ、真にコモンズを守り育む未来があるのです。
コンテンツ・キュレーション部門はサービスの認知度向上に尽くしてくれましたが、今は一度歩みを止めて見直す時期に来ています。
AI開発・アルゴリズム研究部においては、いくら検証を重ねても検証しすぎということはありませんので、改めてアルゴリズムの見直しをお願いします」
諦めたように目を閉じてうなずく合田部長の隣で、「心理テストパターンの件はどうします?」と、軽い口調で蒼君が聞いた。礼節を欠いているわけではないが、他の職員はこんなふうに気軽に佐伯部長と会話できない。
「カウンセリング・サポート部のほうでいくつか案を出してください。可能なら、登録者向けに心理テストを何パターンか提供する方向で検討しましょう。マイクロノベルは、当面は今のままで」
蒼君の表情はほとんど変わらなかったけれど、私はなんとなく彼のテンションが上がっているのを感じた。
一方、小山内さんは私の隣で小さくため息をつく。目が合うとぎこちない笑みを浮かべ、「生意気言ってすいませんでした」と私の耳元でこそっと囁いた。理由はわからないけれど、これまでより気を許してくれたような気がして、私もちょっとだけテンションが上がったのだった。
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