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「それでも、君を手放したくない」
レオナルド殿下の言葉は、重く、まっすぐで、そしてどこか子どものように不器用だった。
私は思わず、息を止めた。
応接室の空気が、ぴんと張り詰める。
窓の外では小鳥がさえずっているのに、この部屋の中だけ時間が止まったようだった。
最初に動いたのは、ルシアン様だった。
「それは」
穏やかな声。
けれど、はっきりとした響き。
「ずいぶんと身勝手なご発言ですね、殿下」
柔らかな微笑みを浮かべながらも、その瞳は少しも笑っていない。
殿下の眉がぴくりと動く。
「身勝手だと?」
「ええ」
ルシアン様は静かに頷いた。
「婚約を破棄したのは殿下ご自身。しかも、公衆の面前で」
「……」
「そのうえで、“手放したくない”とは」
わずかに間を置き。
「さすがに虫が良すぎるのでは?」
言葉は丁寧なのに、容赦がない。
私は内心で、少しだけ冷や汗をかいた。
このお二人、どうやら本気でぶつかり始めている。
殿下は数秒黙っていたが、やがて低く言った。
「……その通りだ」
予想外の返答だった。
ルシアン様も、わずかに目を細める。
「だが」
殿下はゆっくりと続けた。
「私は、間違えた」
その声には、これまで聞いたことのない色があった。
誇り高い王太子が、こんなふうに自分の非を認めるなんて。
「私は……」
言葉を選ぶように、ゆっくりと話す。
「君が、どれほど大切な存在だったのか」
視線が、まっすぐに私へ向けられる。
「失って初めて気づいた」
胸の奥が、じんと痛んだ。
それは嬉しさなのか、悲しさなのか、自分でもわからない。
「……殿下」
私は静かに口を開いた。
「お気持ちは、ありがたく存じます」
ゆっくりと言葉を選ぶ。
「ですが、あの日」
思い出す。
あの大広間。
皆の前で告げられた婚約破棄。
「私は、確かに終わりを受け入れました」
殿下の表情がわずかに揺れる。
「それは、後悔しておりません」
静かに、しかしはっきりと告げた。
沈黙が落ちる。
その沈黙を破ったのは――
「……では」
ルシアン様だった。
「改めて申し上げます」
一歩前に出る。
「私は、エレノア嬢に求婚しております」
堂々たる宣言。
殿下の目が鋭くなる。
「そして」
ルシアン様は、ちらりと私を見る。
「急がせるつもりはありません」
柔らかな声。
「ですが、諦めるつもりもありません」
その言葉に、胸がまた少しだけ熱くなる。
殿下は、ゆっくりと息を吐いた。
「……なるほど」
そして。
「ならば」
まっすぐにルシアン様を見据える。
「私も、諦めない」
空気が、再び張り詰めた。
私は思わず、両手を握りしめる。
どうしてこんなことになっているのだろう。
つい数日前まで。
私は“悪役令嬢”として、誰からも遠ざけられていた。
それなのに今は。
王太子と公爵が。
同じ部屋で。
私を巡って、真剣に向き合っている。
……現実とは思えない。
「エレノア嬢」
ふいに、ルシアン様が優しく呼んだ。
「はい」
「困っていらっしゃいますね」
私は少しだけ苦笑した。
「正直に申し上げますと……はい」
すると、ルシアン様は小さく頷いた。
「当然です」
そして。
「ですが」
優しく、穏やかに言う。
「あなたが選ぶのです」
その言葉は、とても静かで。
とても重くて。
そして――とても自由だった。
選ぶ。
自分で。
これまでの私は、ずっと決められてきた。
生まれた家。
婚約者。
未来。
すべて。
けれど今。
初めて。
私の意思で、選べる。
胸が、少しだけ震えた。
そのときだった。
――コンコン。
再び扉がノックされた。
「失礼いたします!」
侍女のリナが、今度はさらに慌てた様子で飛び込んできた。
「お嬢様、大変です!」
「……また?」
私は思わず呟いた。
リナは、こくこくと激しく頷く。
「はい!」
「今度はどなた?」
恐る恐る尋ねる。
リナは、少しだけ声を潜めて言った。
「第二王子殿下です……」
私は、完全に言葉を失った。
数分後。
応接室に入ってきたのは、明るい茶色の髪をした青年だった。
レオナルド殿下より少し若く、どこか軽やかな雰囲気を持つ人物。
「やあ、エレノア嬢」
にこやかに手を振る。
「突然失礼するよ」
その笑顔は、実に人懐っこい。
だが――
「……アルベルト」
レオナルド殿下の声は、低く冷たい。
「なぜここにいる」
第二王子アルベルト殿下は、まったく気にした様子もなく肩をすくめた。
「兄上が最近ずっと様子がおかしいからね」
さらりと言う。
「原因を見に来た」
その言葉に、私は思わず目を瞬いた。
アルベルト殿下は、私をじっと見つめた。
そして。
「なるほど」
納得したように頷く。
「これは確かに、大騒ぎになるわけだ」
「……何のことでしょう」
私は慎重に尋ねた。
すると彼は、にやりと笑った。
「君のことだよ」
その視線は、どこか楽しげで。
「王都中で噂になっている」
「……噂?」
「うん」
軽く頷く。
「“悪役令嬢が婚約破棄を受け入れたら、なぜか求婚者が増え始めた”ってね」
私は思わず、額に手を当てた。
やはり。
広まっている。
しかも、とても妙な形で。
「それで」
アルベルト殿下は、くるりと私の前に立った。
「僕も一つ、お願いがあって来たんだ」
嫌な予感がした。
とても嫌な予感が。
「……何でしょう」
慎重に尋ねる。
すると彼は、にっこりと笑って言った。
「僕とも仲良くしてくれない?」
その瞬間。
レオナルド殿下が、ぴくりと動いた。
ルシアン様も、わずかに目を細めた。
そして私は。
深く、深く、ため息をついた。
――どうして。
どうしてこうなるのだろう。
婚約破棄を受け入れただけなのに。
ただ静かに暮らそうと思っただけなのに。
気がつけば。
王太子。
公爵。
そして第二王子。
三人の男性が。
同じ部屋で。
私を見ている。
しかも全員、とても真剣な顔で。
私はそっと窓の外を見た。
春の風が、庭の花を揺らしている。
穏やかで、静かな光景。
けれど。
私の日常は、どうやらもう。
穏やかでも、静かでもいられないらしい。
レオナルド殿下の言葉は、重く、まっすぐで、そしてどこか子どものように不器用だった。
私は思わず、息を止めた。
応接室の空気が、ぴんと張り詰める。
窓の外では小鳥がさえずっているのに、この部屋の中だけ時間が止まったようだった。
最初に動いたのは、ルシアン様だった。
「それは」
穏やかな声。
けれど、はっきりとした響き。
「ずいぶんと身勝手なご発言ですね、殿下」
柔らかな微笑みを浮かべながらも、その瞳は少しも笑っていない。
殿下の眉がぴくりと動く。
「身勝手だと?」
「ええ」
ルシアン様は静かに頷いた。
「婚約を破棄したのは殿下ご自身。しかも、公衆の面前で」
「……」
「そのうえで、“手放したくない”とは」
わずかに間を置き。
「さすがに虫が良すぎるのでは?」
言葉は丁寧なのに、容赦がない。
私は内心で、少しだけ冷や汗をかいた。
このお二人、どうやら本気でぶつかり始めている。
殿下は数秒黙っていたが、やがて低く言った。
「……その通りだ」
予想外の返答だった。
ルシアン様も、わずかに目を細める。
「だが」
殿下はゆっくりと続けた。
「私は、間違えた」
その声には、これまで聞いたことのない色があった。
誇り高い王太子が、こんなふうに自分の非を認めるなんて。
「私は……」
言葉を選ぶように、ゆっくりと話す。
「君が、どれほど大切な存在だったのか」
視線が、まっすぐに私へ向けられる。
「失って初めて気づいた」
胸の奥が、じんと痛んだ。
それは嬉しさなのか、悲しさなのか、自分でもわからない。
「……殿下」
私は静かに口を開いた。
「お気持ちは、ありがたく存じます」
ゆっくりと言葉を選ぶ。
「ですが、あの日」
思い出す。
あの大広間。
皆の前で告げられた婚約破棄。
「私は、確かに終わりを受け入れました」
殿下の表情がわずかに揺れる。
「それは、後悔しておりません」
静かに、しかしはっきりと告げた。
沈黙が落ちる。
その沈黙を破ったのは――
「……では」
ルシアン様だった。
「改めて申し上げます」
一歩前に出る。
「私は、エレノア嬢に求婚しております」
堂々たる宣言。
殿下の目が鋭くなる。
「そして」
ルシアン様は、ちらりと私を見る。
「急がせるつもりはありません」
柔らかな声。
「ですが、諦めるつもりもありません」
その言葉に、胸がまた少しだけ熱くなる。
殿下は、ゆっくりと息を吐いた。
「……なるほど」
そして。
「ならば」
まっすぐにルシアン様を見据える。
「私も、諦めない」
空気が、再び張り詰めた。
私は思わず、両手を握りしめる。
どうしてこんなことになっているのだろう。
つい数日前まで。
私は“悪役令嬢”として、誰からも遠ざけられていた。
それなのに今は。
王太子と公爵が。
同じ部屋で。
私を巡って、真剣に向き合っている。
……現実とは思えない。
「エレノア嬢」
ふいに、ルシアン様が優しく呼んだ。
「はい」
「困っていらっしゃいますね」
私は少しだけ苦笑した。
「正直に申し上げますと……はい」
すると、ルシアン様は小さく頷いた。
「当然です」
そして。
「ですが」
優しく、穏やかに言う。
「あなたが選ぶのです」
その言葉は、とても静かで。
とても重くて。
そして――とても自由だった。
選ぶ。
自分で。
これまでの私は、ずっと決められてきた。
生まれた家。
婚約者。
未来。
すべて。
けれど今。
初めて。
私の意思で、選べる。
胸が、少しだけ震えた。
そのときだった。
――コンコン。
再び扉がノックされた。
「失礼いたします!」
侍女のリナが、今度はさらに慌てた様子で飛び込んできた。
「お嬢様、大変です!」
「……また?」
私は思わず呟いた。
リナは、こくこくと激しく頷く。
「はい!」
「今度はどなた?」
恐る恐る尋ねる。
リナは、少しだけ声を潜めて言った。
「第二王子殿下です……」
私は、完全に言葉を失った。
数分後。
応接室に入ってきたのは、明るい茶色の髪をした青年だった。
レオナルド殿下より少し若く、どこか軽やかな雰囲気を持つ人物。
「やあ、エレノア嬢」
にこやかに手を振る。
「突然失礼するよ」
その笑顔は、実に人懐っこい。
だが――
「……アルベルト」
レオナルド殿下の声は、低く冷たい。
「なぜここにいる」
第二王子アルベルト殿下は、まったく気にした様子もなく肩をすくめた。
「兄上が最近ずっと様子がおかしいからね」
さらりと言う。
「原因を見に来た」
その言葉に、私は思わず目を瞬いた。
アルベルト殿下は、私をじっと見つめた。
そして。
「なるほど」
納得したように頷く。
「これは確かに、大騒ぎになるわけだ」
「……何のことでしょう」
私は慎重に尋ねた。
すると彼は、にやりと笑った。
「君のことだよ」
その視線は、どこか楽しげで。
「王都中で噂になっている」
「……噂?」
「うん」
軽く頷く。
「“悪役令嬢が婚約破棄を受け入れたら、なぜか求婚者が増え始めた”ってね」
私は思わず、額に手を当てた。
やはり。
広まっている。
しかも、とても妙な形で。
「それで」
アルベルト殿下は、くるりと私の前に立った。
「僕も一つ、お願いがあって来たんだ」
嫌な予感がした。
とても嫌な予感が。
「……何でしょう」
慎重に尋ねる。
すると彼は、にっこりと笑って言った。
「僕とも仲良くしてくれない?」
その瞬間。
レオナルド殿下が、ぴくりと動いた。
ルシアン様も、わずかに目を細めた。
そして私は。
深く、深く、ため息をついた。
――どうして。
どうしてこうなるのだろう。
婚約破棄を受け入れただけなのに。
ただ静かに暮らそうと思っただけなのに。
気がつけば。
王太子。
公爵。
そして第二王子。
三人の男性が。
同じ部屋で。
私を見ている。
しかも全員、とても真剣な顔で。
私はそっと窓の外を見た。
春の風が、庭の花を揺らしている。
穏やかで、静かな光景。
けれど。
私の日常は、どうやらもう。
穏やかでも、静かでもいられないらしい。
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