悪役令嬢にされたので婚約破棄を受け入れたら、なぜか全員困っています

かきんとう

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 「彼女の幸せを、最優先になさい」

 王妃陛下のその言葉は、静かでありながら、部屋の隅々まで響いた。
 三人の男性は、まるで試験の答案を突きつけられた学生のように、真剣な表情で頷いた。

「……はい」

 レオナルド殿下の声は、これまでになく素直だった。
 アルベルト殿下も、珍しく軽口を叩かずに背筋を伸ばしている。
 ルシアン様は静かに胸に手を当て、深く一礼した。

 私はその様子を見ながら、胸の奥に小さな温もりが灯るのを感じていた。

 ――守られている。

 そんな感覚だった。

 けれど同時に。

 ――選ばなければならない。

 そんな予感も、確かにあった。

 王妃陛下は私をじっと見つめたあと、柔らかく微笑んだ。

「エレノア」

「はい」

「しばらくの間、王宮に来てみない?」

 思いがけない言葉だった。

「王宮……ですか?」

「ええ」

 頷く。

「気分転換よ。庭も綺麗だし、図書室も新しく整えたの」

 少しだけ声を落とし。

「それに」

 意味ありげに三人の男性をちらりと見た。

「この子たちを放っておくと、きっとあなたの屋敷が毎日戦場になるわ」

 思わず、私は吹き出しそうになった。

 確かに。

 もうすでに十分、賑やかすぎる。

「いかがかしら?」

 王妃陛下の問いに、私は少し考えた。

 王宮で過ごす日々。
 新しい場所。
 新しい時間。

 そして。

 自分の心を見つめる時間。

「……はい」

 私はゆっくり頷いた。

「ぜひ、お世話になりたいと思います」

 その瞬間。

 三人の男性の表情が、それぞれ微妙に変わった。

 レオナルド殿下は安堵したように息を吐き。
 アルベルト殿下は楽しそうに口元を緩め。
 ルシアン様は静かに目を細めた。

 王妃陛下は満足そうに頷いた。

「決まりね」

 そして、くるりと踵を返す。

「では準備が整い次第、迎えを出すわ」

 そう言って、優雅に部屋を出ていった。

 扉が閉まる。

 しばらくの沈黙。

 最初に口を開いたのは、アルベルト殿下だった。

「面白くなってきた」

 にやりと笑う。

「兄上、これは長期戦だね」

「……軽々しく言うな」

 レオナルド殿下は低く答えた。

 だが、その表情はどこか落ち着いていた。

「私は」

 ゆっくりと言う。

「今度こそ、正面から向き合う」

 その言葉には、以前にはなかった覚悟が感じられた。

 ルシアン様も静かに頷く。

「私も同じです」

 そして。

 三人の視線が、同時に私へ向けられた。

 私は思わず苦笑する。

「皆様」

「はい」

「はい」

「はい」

 三人が同時に返事をした。

 思わず、少しだけ笑ってしまう。

「どうか」

 私はゆっくり言った。

「無理をなさらないでください」

 そして。

「私は、逃げません」

 その言葉は、自分自身への宣言でもあった。

 ――数日後。

 私は王宮へと移った。

 広大な庭園。
 高い天井の回廊。
 静かな図書室。

 そこは、思っていた以上に穏やかな場所だった。

 朝は庭を散歩し。
 昼は本を読み。
 夕方はお茶を飲む。

 そんな日々。

 だが。

 もちろん。

 静か“だけ”ではなかった。

「エレノア嬢」

 ある日の午後。

 庭園の東屋で紅茶を飲んでいると、ルシアン様が現れた。

「今日は良い天気ですね」

「ええ、とても」

 私は微笑む。

 彼は自然な動きで向かいに座った。

「最近、よく眠れていますか?」

 優しい問い。

「はい」

「それは良かった」

 穏やかな沈黙。

 こうして過ごす時間は、不思議と心が落ち着く。

 すると。

「やあ」

 軽い声が割り込んできた。

 アルベルト殿下だった。

「また二人きり?」

 にやにやしている。

「偶然ですよ」

 ルシアン様が淡々と答える。

「僕も混ぜて」

 勝手に椅子を引いて座る。

 そして。

「……君たち」

 さらに低い声。

 振り向くと、レオナルド殿下が立っていた。

 私は思わず、肩を震わせた。

 どうして毎回こうなるのだろう。

 三人が揃うと。

 空気が少しだけ張り詰める。

 けれど以前とは違った。

 露骨な対立ではなく。

 どこか――

 互いを認め合うような、静かな緊張。

 そんな関係になっていた。

「エレノア」

 レオナルド殿下が私を呼ぶ。

「はい」

「少し、時間をもらえるか」

 その声は落ち着いていた。

 私は頷いた。

「もちろんです」

 アルベルト殿下とルシアン様は、何も言わず席を立った。

 静かに距離を取る。

 私は少しだけ驚いた。

 以前なら、絶対に譲らなかったはずなのに。

 レオナルド殿下は、しばらく黙って庭を見ていた。

 やがて。

「……ありがとう」

 ぽつりと言った。

「何がでしょう」

「ここに来てくれたこと」

 静かな声。

「そして」

 少しだけ息を吸う。

「もう一度、向き合う時間をくれたこと」

 私は何も言わずに聞いていた。

 彼は続ける。

「私は」

 ゆっくり言葉を選ぶ。

「王太子として、正しくあろうとしていた」

「……はい」

「だが」

 自嘲するように笑う。

「人として、大切なものを見失っていた」

 その言葉は、とても素直だった。

 私は静かに答える。

「誰にでも、間違いはあります」

「……そうかもしれない」

 彼は頷いた。

 そして。

 まっすぐに私を見た。

「エレノア」

「はい」

「私は、君を愛している」

 胸が、大きく揺れた。

 初めて聞いた言葉だった。

 婚約者だった頃。

 一度も。

 一度も。

 聞いたことがなかった言葉。

「だが」

 彼は続ける。

「今すぐ答えを求めるつもりはない」

 ゆっくり言う。

「君が選ぶまで」

「……」

「私は待つ」

 その表情は、穏やかだった。

 私は胸の奥に手を当てた。

 心臓が、静かに鼓動している。

 そのとき。

 ふと。

 気づいた。

 ――私は。

 もう。

 恐れていない。

 誰かを選ぶことも。
 間違えることも。
 未来も。

 私は、ゆっくり息を吸った。

 そして。

「殿下」

「はい」

「少しだけ」

 微笑む。

「お時間をください」

 彼は静かに頷いた。

「いくらでも」

 その言葉は、穏やかで。

 そして。

 優しかった。

 ――それから、さらに数日後。

 私は王宮の庭園を一人で歩いていた。

 春の花が咲き。
 柔らかな風が頬を撫でる。

 穏やかな午後。

 ふと、足を止めた。

 池の水面に、自分の姿が映っている。

 以前の私は。

 “婚約者”だった。
 “悪役令嬢”だった。
 “誰かに決められた存在”だった。

 けれど今。

 私は。

 私自身だ。

 誰かのためではなく。

 自分のために。

 選ぶことができる。

 私は小さく微笑んだ。

 そして。

 静かに前を向いた。

 遠くから。

 三人の声が聞こえてくる。

「エレノア嬢!」

「エレノア!」

「おーい!」

 思わず、笑みがこぼれた。

 騒がしくて。
 少し困って。
 でも――

 どこか温かい。

 私は歩き出した。

 

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