この夢が醒めるまで──図書室から始まる恋の物語

蒼村 咲

文字の大きさ
21 / 52

第21話 事件

しおりを挟む
 今日は佐伯先輩がいない──当番ではないのだ。カウンターの中にいるのは、何度か見た覚えはあるけれど名前は知らない生徒だ。
 私は以前から気になっていた本の貸し出しの処理をしてもらい、そのまま図書館を後にした。いつもなら、佐伯先輩がいない日だって図書室でしばらく本を読んでいくのだけど、今日はやたらと課題が多く、まっすぐ帰って片付けざるを得ないのだ。

「……?」

 大多数の生徒は既に学校を出るか、あるいは部活を始めてしまっているため、校内は閑散としている。廊下に響いているのも私の足音だけだ。でも今、なんとなく人の気配を感じたような気が──…。
 私は立ち止まり、周囲を見回してみた。けれど特に人影は見えない。

(気のせいか……)

 ここは学校なのだ。生徒であれ教師であれ、誰がどこにいてもおかしくはない。それに、人間以外だって──いや、それは考えないでおこう。私は意識的にその考えを頭から追い出し、靴を履き替え校門を出た。


 うちの学校から最寄り駅まで行くためには、大通りに出るよりも住宅街の中を縫うように進んでいくのが早い。その道のりは車がぎりぎり二台すれ違えるくらいの場所もあれば、一方通行の道もある。
 帰宅ラッシュの生徒の波にのまれると厄介なのだが、少し時間がずれているせいで道はどこも空いていた。

(そういえば、明日の体育って何するんだっけ……)

 そんなことをぼんやり考えながら歩いていると、後ろからゆっくりと車が近づいてきた。

「……すいませーん」

 声に反応して振り向いてみると、運転席の窓から若い男性が顔をのぞかせている。

「鳴豊病院ってどこかわかります?」

「鳴豊病院ですか?」

 どうやら道を聞きたかったらしい。鳴豊病院というのは、確か国道の向こう側にある総合病院だ。学校とは駅を挟んで反対側になるため行動圏外なのだが、おおよその位置ならわかる。

「えーと、まずは……」

 頭の中で一番わかりやすいルートを思い浮かべる──が、普段はこの辺りを車で移動しないのと、早く答えなければという焦りでうまくいかない。そんな空気を察したのか、運転席の男性は後ろを指した。

「ちょっと、後ろのやつが地図もってるからそいつに説明してやってくれます?」

「あ、はい」

 すると、後部座席のドアが開いた。スライド式のドアから遠い側に座っていたらしい女性がこちらに身を乗り出してくる。

「えーと、これなんですけど」

 彼女はそう言って、地図アプリを読み込み中のスマホを見せてきた。

(え、スマホがあってなんで迷うの……)

 そう思ったものの、地理の苦手具合は他人のことを言えないレベルなので口には出さない。位置関係を把握しようと女性が差し出したスマホを覗き込んだ時だった。

「──ひゃっ!?」

 一瞬何が起こったのかわからなかった。けれどすぐに、私は後部座席の女性に両腕を掴まれ、その細腕からは想像もできないほどの力で車内に引っ張り込まれてしまったのだと気づく。

「いっ……」

 膝を思い切り打ちつけた痛みに耐えている間に、ドアが閉まって車が発進した。

(ちょ、何これ!)

 とっさにそう思うものの、この二人組に拉致されたことはもう疑いようがなかった。

(なんで? 目的は? 金?──は見るからに持ってないのわかるだろうし、身代金──にしてもうちの家なんて金持ちでも何でもないし……強姦──されるには魅力が足りないに決まってるしっていうか女の人いるし……)

 ということは、ただ殺されるのだろうか。もうどうしようもないのに焦りと恐怖で体が震え、心臓がバクバクと暴れだす。

(ああ、そうだ……車から直接声をかけてくる人間には気を付けろって、小学校の防犯教室で散々習ったのに……)

 高校生になり、電車通学を始めた以上痴漢や盗撮、あとはストーカーには気をつけてきた。でもまさかこんな初歩的な手口で拉致されてしまうなんて。
 無理やり引っ張られた腕と膝の痛みを堪えながら、私は自分の危機管理の甘さを呪う。

 そうこうしている間にも車は走り続け、私は自分がどこにいるのかがもう完全にわからなくなってしまった。
 隣に座る女を盗み見ると、彼女は無言でスマホを操作していた。スマホをもちながらどうやって私の腕をつかんだのかと思ったが、どうやら短めのストラップを手首に通していたらしい。
 私個人がターゲットだったのか、それともうちの学校の生徒を狙ったのか、はたまた女子高生ならだれでもよかったのかはわからない。それでも計画的な犯行だったのは間違いないようだ。

「……」

 どれくらい移動したのだろう。せめて会話があれば何か手掛かりが得られるかもしれないのに、運転席の男と後部座席の女は一言もしゃべらなかった。かといってこちらから話しかけるわけにもいかず、私はただ、運転席の後ろで小さくなる。
 と、その時だった。

「……乱暴なことしてごめんね。大丈夫?」

 突然話しかけられ、私は飛び上がらんばかりに驚いた。くっきりとアイラインが引かれた目にのぞき込まれ、また鼓動が嫌な速まり方をする。

「あ、ええと……はい」

 それ以外に答えようがなくて、私はうなずいた。声が不自然にかすれている。

「──はい。これ、よかったら」

 渡されたのは小さいサイズのミネラルウォーターだった。その時初めて、自分の喉がカラカラだったことに気づく。

(何か……入ってるのかな……)

 誘拐犯に飲まされるものとして最初に浮かぶのは睡眠薬だ。それか、最悪のケースとしては毒薬──。
 私が躊躇しているのを見てとったのか、彼女は私にだけ聞こえるように囁いた。

「さっき買った新品だから大丈夫。怖かったら私が先に飲んでもいいし」

 予想外の言葉に私ははっと彼女の顔を見上げた。今まで余裕がなくて気づかなかったけれど、かなりの美人だった。そして若い。おそらく二十代前半か、ひょっとしたら十代の可能性もあると思う。

「あ、ありがとうございます……」

 私はお礼を言い、ミネラルウォーターを受け取った。キャップをひねってみると確かに固い。新品を開封するときのパキパキッという音も鳴ったので、私はそのままいただくことにした。
 常温よりもややひんやりとした液体が、喉の奥から体にすっと染みわたる。

「……」

 私を車内に引き込んだのは間違いなくこの人だけど、なんだか気を遣ってくれているように感じられた。それでも不用意に口を開くのはやはり怖い。私はもらったペットボトルを両手で包み込んだまま、大人しく座っていることにする。

「……私が言ってもしょうがないかもしれないけど、あなたには危害を加えるつもりはないから安心してね」

「え……」

 私は思わず相手の顔を凝視してしまう。けれどはっと我に返って元の姿勢に戻った。

 私には危害を加えない──彼女のその発言でわかったことが二つある。
 まずは、私は真の目的を達成するための駒に過ぎないということ。
 そして、私以外の誰かは、危害を加えられるかもしれないということ。

 真の目的は何なのか。狙われているのは誰なのか。心臓がまた嫌な音を立て始めた時、車がゆっくりと停車した。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

ちょっと大人な物語はこちらです

神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な短編物語集です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

還暦の性 若い彼との恋愛模様

MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。 そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。 その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。 全7話

俺様上司に今宵も激しく求められる。

美凪ましろ
恋愛
 鉄面皮。無表情。一ミリも笑わない男。  蒔田一臣、あたしのひとつうえの上司。  ことあるごとに厳しくあたしを指導する、目の上のたんこぶみたいな男――だったはずが。 「おまえの顔、えっろい」  神様仏様どうしてあたしはこの男に今宵も激しく愛しこまれているのでしょう。  ――2000年代初頭、IT系企業で懸命に働く新卒女子×厳しめの俺様男子との恋物語。 **2026.01.02start~2026.01.17end**

春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話

登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。

“熟年恋愛”物語

山田森湖
恋愛
妻を亡くし、独りで過ごす日々に慣れつつあった 圭介(56)。 子育てを終え、長く封じ込めていた“自分の時間”をようやく取り戻した 佳奈美(54)。 どちらも、恋を求めていたわけではない。 ただ——「誰かと話したい」「同じ時間を共有したい」、 そんな小さな願いが胸に生まれた夜。 ふたりは、50代以上限定の交流イベント“シングルナイト”で出会う。 最初の一言は、たった「こんばんは」。 それだけなのに、どこか懐かしいような安心感が、お互いの心に灯った。 週末の夜に交わした小さな会話は、 やがて食事の誘いへ、 そして“誰にも言えない本音”を語り合える関係へと変わっていく。 過去の傷、家族の距離、仕事を終えた後の空虚—— 人生の後半戦だからこそ抱える孤独や不安を共有しながら、 ふたりはゆっくりと心の距離を縮めていく。 恋に臆病になった大人たちが、 無理をせず、飾らず、素のままの自分で惹かれ合う—— そんな“優しい恋”の物語。 もう恋なんてしないと思っていた。 でも、あの夜、確かに何かが始まった。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

同居人の一輝くんは、ちょっぴり不器用でちょっぴり危険⁉

朝陽七彩
恋愛
突然。 同居することになった。 幼なじみの一輝くんと。 一輝くんは大人しくて子羊みたいな子。 ……だったはず。 なのに。 「結菜ちゃん、一緒に寝よ」 えっ⁉ 「結菜ちゃん、こっちにおいで」 そんなの恥ずかしいよっ。 「結菜ちゃんのこと、どうしようもなく、 ほしくてほしくてたまらない」 そんなにドキドキさせないでっ‼ 今までの子羊のような一輝くん。 そうではなく。 オオカミになってしまっているっ⁉ 。・.・*.・*・*.・。*・.・*・*.・* 如月結菜(きさらぎ ゆな) 高校三年生 恋愛に鈍感 椎名一輝(しいな いつき) 高校一年生 本当は恋愛に慣れていない 。・.・*.・*・*.・。*・.・*・*.・* オオカミになっている。 そのときの一輝くんは。 「一緒にお風呂に入ったら教えてあげる」 一緒にっ⁉ そんなの恥ずかしいよっ。 恥ずかしくなる。 そんな言葉をサラッと言ったり。 それに。 少しイジワル。 だけど。 一輝くんは。 不器用なところもある。 そして一生懸命。 優しいところもたくさんある。 そんな一輝くんが。 「僕は結菜ちゃんのこと誰にも渡したくない」 「そんなに可愛いと理性が破壊寸前になる」 なんて言うから。 余計に恥ずかしくなるし緊張してしまう。 子羊の部分とオオカミの部分。 それらにはギャップがある。 だから戸惑ってしまう。 それだけではない。 そのギャップが。 ドキドキさせる。 虜にさせる。 それは一輝くんの魅力。 そんな一輝くんの魅力。 それに溺れてしまう。 もう一輝くんの魅力から……? ♡何が起こるかわからない⁉♡

処理中です...