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【11】

「コンブ! 底に貝はあるん貝!?」①

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 ドリンガデス国、ゴービーッシュ城。

 表門から、本城グラインだけへと続く『龍の崖路がけじ』を挟んで向かい合う、ドリップイ連峰とサイホンイ連峰。

 いずれも、さまざまな種類、さまざまな規模の洞窟どうくつを星の数ほど有しており、

 中でも、ドリップイ連峰ハンディルブ山にあるべパフィルタ洞窟は井戸いど状の巨大な縦穴たてあな洞窟で、

「ゴービーッシュ城のブラックホール」としょうされるほど最も深く危険である事から、ほとんど誰も寄りつかない。

 その、べパフィルタ洞窟の地下――

 最深さいしん部であるそこは、見上げてもはるか先にわずかこぶしほどの太陽光がうっすら確認できるだけのとても暗い空間で、

 頼れる自然の照明は、みきった地底湖の幽玄ゆうげんなる青い光だけである。


「ここに居たんですね。ゼスタフェさん」

 んだ水面みなもの前に立つと、自然と心もたましいも洗われ、無の境地きょうちに達してしまう。

 目を閉じ、自己内部に沈潜ちんせんするゼスタフェに、フライトが後ろからそっと近づき声をかけた。

「……フライトか」

「アナタがここへ来られたという事は今回の任務、相当そうとうな覚悟でのぞまれるのだと推察すいさつして良いのでしょうか」

「……しばらく城へは戻れないだろう」

「それならゼスタフェさん。私も一緒に行きます。

 アナタ一人に負担ふたんをかけたくはありませんから。

 むろん王のお許しは頂いています」

「これは俺がうべき責務せきむだ。

 お前は城に残り王とシェード達を頼む」

「いいえ、ゼスタフェさん。私も同行どうこうさせてください」

「フライト。城はお前にしかまかせられないんだ。

 言う通りにしてくれ」

 ゼスタフェはフライトの方へ向き直り、彼女の瞳に目をえて、静かに、強く、帯同たいどうするのをこばんだ。

 前髪の下から、ゼスタフェの瞳孔どうこうが厳しい光を放っている。

 フライトはそれ以上は何も返せず、次の言葉をのみこむよりほかなかった。

 しかし代わりになぜか、かねてより感じていた別の言葉が口をついて出た。

「やはり、私ではベクセナさんの代役はつとまりませんか?」

「……なに?」

 それはゼスタフェにとって、意表外な問いかけだった。

 “ベクセナ”とは、以前王のシェードをつとめていたゼスタフェのもとパートナーだ。

 よもやそんな質問がフライトの口から投げかけられようとは予想だにせず、今度はゼスタフェが何も返せずにだまりこんだ。

 フライト自身もまた、自分の発言に驚き、自分が信じられず少しばかりの動揺どうようを見せた。

「私としたことが……今のは忘れてください。

 先ほどの件、承知しました。

 ゼスタフェさん。くれぐれもムリをせずお気を付けて。

 では、私は戻ります」

「……すまない、フライト。気持ちには感謝する」

「いえ、私の方こそ出過ぎたマネを……

 城のことはお任せください」

「頼りにしているぞ」

 
 ゼスタフェと別れ、ハンディルブ山を下りながら、フライトは過去をかえりみていた。

 ドリンガデス国によってほろぼされ、現在いまは地図にもない祖国そこく、イン国。

 イン国のたみみな、フライトみたいな浅黒い肌とボリューミーなうねり髪が特徴的で、

 白いたねにはすみ流しのような黒くにじんだ模様があり、マグネサイトのイメージだ。

 彼らはこれまでずっと大国や富裕ふゆう国の圧力に翻弄ほんろうされ続け、人種的な差別も受けてきた。

 そんな苦境くきょうを乗りこえドリンガデス国の王のシェードにまでのぼりつめたフライトは、異色いしょくの経歴の持ち主だと言えるだろう。

 つねに胸を張ってなんなく業務を遂行すいこうする彼女は今や“出来る女”の代名詞ともなっており、

 皆無かいむではないものの、心ない陰口かげぐちをたたかれたり疎外そがいされたりする事はあらかたなくなっていた。

 それでも、フライトはいまだに時折自問じもん自答じとうしてしまう。

「ドリンガデス人を差し置き自分が王のシェードでいても良いのか。しかも、あのベクセナさんの後任者こうにんしゃなどと……

 いや、もちろんいに決まってる。

 たとえ国が滅ぼされようと、我々イン人のほこりはうしなわれてはいない。

 これは私の、インの民の実力なのだから。

 ベクセナさんもきっと応援してくれる!」

 と――


 おそらくゼスタフェにとってもそうであるように、フライトにとってもベクセナは特別な存在だった。

 彼女みたいなシェードになりたいと、養成所で過酷かこくな訓練にえながら幾度いくど夢みてきたことだろうか。

 ゼスタフェとベクセナは誰もがあこがれてまない完璧なシェードで、イン人のフライトにも分けへだてなく優しく接してくれた。

 周りに偏見へんけんを持たれ、意外にも当時は何かとウジウジクヨクヨしていたフライトだったが、

 ベクセナの明るくサバサバした性格にどれだけはげまされ救われてきたことか。

『もっとシャキッと胸張りな、フライト。

 堂々どうどうとしてりゃいいんだよ。

 バカな連中なんか相手にしないで自分だけ信じて前に進むんだ。
 
 自分さえ信じていれば、いつか必ずむくわれる人生になるんだよ。

 だから、さあっ。ここで約束しな!

 自他じたともに認める“出来る女”になってやるってさ!』


 フライトは、ベクセナとの約束を果たし、その地位を受けぎ王のシェードとなった。

 そして王のシェードとなった後もなお、ベクセナとの約束をかて勇往ゆうおう邁進まいしんしてきた。


「……ベクセナさん。

 いつの間にか私は、アナタに嫉妬しっとするようになっていたんですね。

 さっきみたいに、あんなふうにアナタと張り合おうとするなんて……
 
 アナタと同等になりたくて……」

 このセリフを聞いたら、ベクセナは間違いなく喜んでくれるだろう。いで、ここぞとばかりにけしかけてくるだろう。

『同等なんかで満足してんじゃないだろうね。

 嫉妬するくらいなら、どうせなら私をねじ伏せてみつけて容赦ようしゃなくえていきな。

 分かったかい!?』

 ――てな調子で……


 見上げた空にフライトは、ベクセナの凛々りりしい笑顔をえがいていた。

 凛々しく、愛情いっぱいの笑顔を……

 ベクセナを一言ひとことで表現すると、“愛あらわ”の女性ひとだった。

 露骨ろこつなまでにあふれ出る彼女の愛はパワフルな吸引力で、ひとたび引き寄せられれば彼女の世界にどっぷりかってしまう……

 と言っても過言かごんではない、魔力のような愛だった。

「ベクセナさん。

 そうゆうアナタだったからこそ、おのれの運命と真剣に向き合い、何より一番にまもるべき愛をつらぬく道を選ばれたんですね……」

 空に描いたベクセナの笑みが、流れる雲におおわれだんだんと消えていく。

 まるで、ベクセナはもうこの世には居ない事実を改めて実感させるかのごとく……

「……あれからもうずいぶんつのに、どうしてなんでしょうね。

 私はこの頃、アナタをよく思い出すんです。

 アナタが生きている錯覚さっかくすら……」

 ――そう。

 フライトは敏感だった。

 魔界によみがえったベクセナのオーラを無意識に感取かんしゅしていたのだ。

 クッペの体を借りてよみがえった、

 ベクセナのたましい息吹いぶきを……
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