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さん
chapter30 入場
しおりを挟むアビゲールは確かに数秒間、ピクリとも動かなかった。ただ丸く見開いた目で王子を見詰め、風が唸るのを聞いていた。
「…………殿下」
「………うっ…………わ、忘れろ! くだらないことを言った! 冗談だよ!」
「殿下」
常軌を逸した目でアビゲールは二度、王子を呼んだ。そして平静を取り戻すように目を瞑り、しみじみとこう言った。
「はあ………私、あなたの可愛らしさを侮ってましたよ」
「やめろ!!」
いや、本当にこれは世界を狙える。実際に世界を攻め落として震撼させた、元・悪帝が堕ちたのだから。
「もーいろいろ考えるの、馬鹿らしくなりましたよ。すごくスッキリしました、ありがとうございます」
「礼を!言うな!本当に、忘れろ!!」
「まぁまぁ………ね?
あ、もう時間が無いじゃないですか。さ、早く会場へ行かなければ。お手をどうぞ?」
「あ、あぁ………って、逆だ! 君がエスコートされるんだろ!」
おっと。素で間違えていた。
前世とか関係なく、普通に。
「じゃ、組み直しまして、と。さあ、行きますか」
「………馬鹿にしてるだろ」
「そんなことありませんよう。ふふっ」
アビゲールは笑っていた。今度は、心から。
足は進み、やがて扉の前に辿り着く。さあ開けようかというとき、王子はボソリと呟いた。
「…………なんか、心配だ」
「何がですか?」
「………嫌な予感がするんだ。大事なものを一つ、失ってしまいそうな」
その言葉に一瞬、アビゲールは息を止めた。しかし表情には出さず、いつものようにニヤリと笑う。
「あはは、それはきっとあなたの相対的な背の高さですよ」
「…………はあ。君はこんなときも、ふざけてばっかりだ」
どこか毒気を抜かれた様子の王子。
当然ですよ。それが私の取り柄ですから。
そんな返答は喉の奥に飲み込んだ。
「………大丈夫ですよ。あなたはいずれ立派に大きくなられます。私が保証しますよ」
真面目な顔でそう言うアビゲールに、王子はびっくりしたように目を丸くした。
「珍しくいいことを言うな。改心したの?」
「だからそれまでは私がエスコートしてあげるんです」
「…………こら!」
「あはは! じゃあ、気合い入れていきましょ!」
王子殿下と婚約者様の、ご入場~~!
会場にファンファーレが響き渡った。
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