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第五章 王妃のお茶会

36. ルダにて

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★主人公不在、三人称でのお話です★


     * * *


 ルダは、王都ロームからリグナ・オルムガの裾野に沿って北東に向かったところに位置する、美しい山並みに囲まれた湖の畔にある小さな街である。
 北方にある王室直轄領のランスや、ロートバル家の所領カルヴァラに向かう際の中継地点でもあり、王都で暮らす貴族たちの別荘が多く建つ風光明媚な保養地としても知られる。
 その日、ルダにあるパノン王国でも有数の大貴族であるクローディル伯爵の別荘には、まず王都から王宮護衛師団の騎兵中隊が到着し、それからさほどの時を置くことなく、今度はランスから、別の護衛師団の小隊に護衛された華やかな一行がやってきた。
 その馬車から降り立ったのは、菫色のドレスを着た明るい金髪に薄青の瞳の貴婦人だった。四十半ばとは思えぬほどの若々しい美貌を誇る彼女の名前は、セフィア・レイアナ・パノリア。療養のため長く政務から離れている現国王シャルムの王妃で、今はとともにランスの離宮で暮らしている。
 そんな彼女が王都へ一時帰還する目的は、聖女召喚の儀が二百年ぶりに成功したことを受け、この国の王妃として王に代わり、聖女アイリーネへの祝福と歓迎の意を表すためであった。


「随分と物々しい出迎えだこと。それともあなた方、どこかに戦争でもしかけに行くつもり?」

 応接間に入ってくるなり柳眉をひそめて問い質してくる王妃に、深青色の騎士装束を身に纏ったエドアルドとジスティは、優雅な所作で一礼した。

「ご機嫌麗しいようでなによりです、母上。今朝早くにお発ちになったと伺っていたので、こちらに着く頃にはかなりお疲れになっているのではと思っておりましたが」
「あなたもね。こんなに大勢ひきつれてやって来るだなんて。わたくしが帰ってくることを盾にして、何かよからぬ事を考えているのだとしても、久々に会えて嬉しいわ」

 目と髪の色が全く同じの見目麗しい母子は、その見た目のみならず、中身や言い回しまでもがそっくりだ。

「王妃殿下、長らくご無沙汰いたしております」
「本当に久しぶりね、ジスティ。相変わらずエドの我儘に振り回されているのではなくて?」
「母上。我々はとっくに王立学術院を卒業しておりますが」
「けれど、関係性はあの頃のままなのでしょう? あなた方が一緒にいるときの顔つきは、昔からちっとも変わっていませんよ」

 そう言って、セフィア王妃は、あら、と小首を傾げる。

「一人足りないようね?」
「ユーディ副団長は、王都で殿下をお待ち致しております」
「まあ、置いてきぼりなの? 可哀想に。あの子にも余計な苦労をかけたりはしていないでしょうね」
「今は、我々に代わって、アイリーネ殿の側にいてもらうことが多いのです。カイルと、それから……シリル・ブライトに」
「……まあ。ではあなた達は、聖女様に嫌われているの?」
「正直なところ、アイリーネ様には、エドアルド殿下や私は、近づき難いと思われている気がします。シリルやカイルらと一緒に居るときは、とても和んでおられますが」

 ジスティが肩を竦めながら答えると、王妃は鷹揚に頷く。

「わたくしも、アイリーネ様とは気が合いそうでよかったわ。それから、シリルのことも……、ジオルグから報告は受けていますよ。例の徴が、現れたと」
「はい。母上は、シリルとは面識が?」
「もちろんありますとも。つい先日まで、あの子もランスの離宮にいたのよ? 陛下は、お加減の良い朝にはお庭を散策なさるのだけれど、よくその護衛をしてもらいました。優しくてとても気のつくいい子だったわ」

 王妃は、何かを思い返すように目を細め、微笑む。

「母上。シリルのことは、限られた者にしか明かしていません。アイリーネ殿にもまだ何も話してはいませんので、どうかそのおつもりで」
「必要以上に構うなと言いたいのでしょう? わかっていますよ」

 例の八回目のことがあって以来、王家において、月精ラエルにまつわる話は一種の腫れ物となっている。八回目の因果を諸に受ける形となった九回目の失敗は、まぎれもなく王家と神殿の側の失態によるものであると、未だに主立った精霊種の王たちからは事あるごとに強い非難を受けていた。パノン王家としては、これ以上、彼らの信用を損なうような真似は絶対に出来ない。特に何もしなくとも、今やそれはほとんど地に落ちていた。

「十年前のブライト一族への襲撃のことがあります。あれは明らかに、この世から月精を排除しようとするものでした」
「覚えているわ。あのとき、ジオルグがあの子をかなり強硬に引き取ろうとしたことも。そのせいでダードウィンと一触即発になりかけたことも……」

 そこまで言って、王妃はふと口を噤む。最初から、息子たちがいやにシリルの……否、月精の話に導こうとしていることには気づいていた。つまり、これは彼女の最初の問いに対する答えを含んでいるのではないか?

「コーゼル護衛師団長」
「はい、王妃殿下」

 改まった呼びかけにも動じず、ジスティは静かな目で王妃を見返す。

「あなた、本当にわたくしを王都から迎えにきてくれたの?」
「もちろんです……と、申し上げたいところですが、殿下。実は抜打ちで、砦の視察に向かわねばなりませんので、私はこれにて失礼させて頂きます」
「王都からの手勢の半分と私とで、この先の母上の道中はお守り致しますゆえ、ご安心を」

 では、残り半分──百余の騎兵は、ジスティがこれからどこかへと率いていくのだ。問うまでもなく、ジスティがあっさりと彼自身の行き先を告げる。

「今からランスにあるノルの砦の視察に。その後、東に転身してガレートの砦に向かいます」
「ガレート……?」

 そのふたつの砦の間は、直線距離でもかなり離れている。途中、地形的に険しい場所もあるため、騎兵隊の機動力をもってしても、道を迂回したりでおそらく半日ほどかかるのではないだろうか。
 それにどちらも辺境に位置する砦ではないため、元々の規模が小さく、防衛拠点というよりは、辺境とその周辺の都市とを繋ぐ狼煙台や見張り台といった性格が強い。王宮護衛師団長自らがわざわざ視察に出向く価値もあまりないように思えるが。
 ……だが、ガレートから南に向かって延々と下って行けば、そこには広大な大草原がひらけている。その地はもう、テシリア帝国との辺境の地、セラザだった。
 気づいた王妃の瞳が、見開かれる。

「まさか、本当に何かしかけるつもりなの?」
「いや、ご心配なく。我らはロートバル宰相閣下の承認のもとに動いておりますので」

 ますます物騒な話に聞こえるじゃないの……、と王妃は再びその柳眉を雲らせた。
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