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第五章 王妃のお茶会

35. 始動

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     * * *


 お披露目の日から、あっという間に二日が経った。
 その間、何を考えて過ごしていたのか、正直よく覚えていない。ただ目の前のことに集中し、淡々と任務だけをこなしていた。
 広い王宮内では、ジオルグと遭遇することもなかった。
 午前中、ルトを使い魔として認定してもらうための申請書類を書き、魔法省の魔獣管理局、従属契約係に提出するために宰相府まで出向いたが、宰相閣下は朝早くから視察に出ているということで、不在だった。
 別にこちらから訊いてもいないのに、俺を宰相の身内と知っている職員たちが寄ってきて、口々にそのことを教えてくれるのには閉口する。だが実はそっちがついでだったようで、彼らの本当の目的は、俺の口から聖女の様子を聞き出すことだったみたいだ。
 ルトを王宮内でも公然と連れ歩けるようになるための書類は、その場で係員がポンと判を押しただけで、嘘みたいなスピードで受理される。手続きにもっと何日もかかるのかと思っていたから、若干拍子抜けした。

「まあ、これでお前が、ここの結界石の餌食になる心配はなくなったな」

 使い魔として契約を結んだあとも、念の為、王宮内では俺の影の中から出さなかったが、たった今からは自由の身だ。
 宰相府から出たところで俺が声をかけると、ルトは床の上に首だけ出して、辺りをキョロキョロと見回す。

「何してる?」
(……カイル、いない?)
「いないよ。どうして」
(カイル、オレに触リタガルから、駄目。)
「駄目なんだ?」
(駄目。オレの魔力の方が強イから。)
「……なるほど」

 ルトの中で、そんなルールがあるのが面白い。
 そういえば、と俺は思い出す。正式にルトを使い魔にした翌朝、カイルにそのことを知らせると、彼は目を見開いたまま数秒間固まり、そして体格のいい野良猫よりもやや大きいヤマネコのサイズに姿を固定させた影形カゲナリに、よろよろと近づいて膝を折った。

「……触っても?」

 カイルに話しかけられたルトが、俺を見る。

「……『断る。そもそも契約者以外には容易く触れさせたりしない』……だそうです」
「ああっ、すごい! 本物だっ!!」

 にべもなく断られたというのに、何故かカイルは身悶えせんばかりに感動していた……。

 そしてすぐさま宰相府まで飛んで行き、今俺が提出してきたルトを使い魔として認定してもらうための書類一式を、わざわざ取りに行ってくれたのだった。舞い上がっていても、根の部分には常に冷静さが残っているのが彼らしい。

「でも一度ぐらい、いいんじゃないか?」
(駄目。カイル、魔力酔い起コシテ倒レル。)
「それは駄目だな」
(ウン、駄目。)

 俺にもだんだんわかって来たが、強い弱い、多い少ないだけではなく、魔力には人それぞれに個性のようなものがある。
 例えば、探知や防御結界を得意とするカイルの魔力回路はかなり繊細にできている。ルトはカイルが自分より弱いからという理由だけで駄目だと言っているのではなく、自分の強い魔力の波動で、カイルの魔力回路を乱すから駄目だと言っているのだ。
 ただ、それがわかったとしてもなお、カイルなら触りたがるかもしれないが。

「カイルさんは、まだ任務中だから、大丈夫」

 俺が言うと、ルトはようやく影の中から出てきた。

「じゃあ、さっき言った件、頼んだよ」
(……任セテ。)

 ルトは軽快な足取りで、王宮の西側に向かって駆けていった。


 王宮護衛師団本部に戻る途中で、胸元にある紀章がピカピカと光る。真ん中に嵌っている小さな魔法石を押し、はい、と応答する。この紀章は、護衛師団員同士で使用する魔道通信機を兼ねているのだ。

『あ、シリル? 書類は無事に出せたか?』

 噂をすれば影じゃないが、通信の相手はカイルだった。さすがルト、勘がいいな。

「はい、おかげさまで。ちょうど今出してきたところです。その場ですぐに受理して貰えました」
『それはよかった。なら、今使っている君のその記章を交換するから、本部に帰ったらヒースゲイル殿のところに行ってくれ』
「交換?」
『そう。ルト君に魔力追跡が出来る首輪を着けるようにって従契係に言われただろう? だからそれもこっちで用意している。君の新しい紀章と首輪とを連携させる術式を組んでもらってるから』
「なるほど。了解しました」

 さすが、うちの副団長は二人とも仕事が早い。

「ところで、アイリーネ様のご様子はどうですか?」

 俺が宰相府に行く間、カイルにアイリーネの護衛任務を代わってもらっていた。

『ああ、それなら大丈夫。王太子殿下のお見送りをしたあと、昼食の時間まで軽く散歩をされて、たった今、食堂までお送りしたところだ。午後からは魔法史の授業と、行儀作法の訓練だろう? あとはもう、護衛師団じゃなく女官たちの仕事だ』
「そうですね。ところで、ジスティさんは?」
『あれ、言ってなかったっけ。団長も、殿下に付き従ってルダに王妃殿下のお迎えに向かったけど』
「……そうですか」

 露骨すぎるほど、消沈した声を出してしまう。

『え、どうした? そんなに団長に会いたかったのか』

 不審そうなカイルの声。

「いえ。とりあえず、今から本部に戻ります」

 通信を切り、俺は王宮の北側に向かって歩き出す。



 聖女アイリーネの王宮での生活は、今のところすこぶる健全かつ平穏だった。
 朝から晩まで護衛師団の面々に交代で護られながら、女官たちから一流の淑女としての教育を受け、ヒースゲイルを始めとしたこの国有数の魔法士たちからは、魔法の基礎から実践までをみっちりと教え込まれていく。
 そのひとつひとつを、アイリーネは素直に聞き、吸収していく。わからないことは訊いて、繰り返し教わりながら、覚えていく。こんなに丁寧に誰かから物を教わるのなんて初めてです、と嬉しげに言っていたのは、きっと真実だろう。
 彼女自身は口にしないが、元いた世界での日々は、けっして幸福とは言い難い日々だったのだろうなと思わせる影を、たまに感じることはあった。

 ──だけど、このままでは困る。

 この世界の芯が、あの乙女ゲームの世界と繋がりがあるのなら、この平穏な日々が続く流れは
 純真な聖女様のお心を掻き乱すのは少々忍びなかったが、そろそろ別のお作法ルールを覚えてもらう必要がある。
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