シルクワーム

春山ひろ

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42、シュミレーションルーム(4)

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テロ発生数時間後 ホワイトハウス ワシントンDC.
 
 ダリー・フィッツランド大尉とノアール・アイルランド大尉は、これまでで得られた情報を、今度は理久と眞に伝えるために隣室に戻っていった。
 いそいそと向かう二人の大男の後ろ姿を見守ったキンバリー・マティス国防長官は、まるで飼いならされた猛獣のようだと思った。
 これが「合衆国の自慢の息子たち」の筆頭で、タンゴ(テロリスト)から、「冷酷」だの「冷血」だのと、有り難くない(しかし的を得た)通り名を頂戴する者達かと、マティスは苦笑するしかなかった。
 このマティスの笑みは、けっして冷たいものではなく、「人間兵器」と呼ばれる彼らが、やっと血の通った「人間」になったことを心から安堵する、そんな笑みだった。

それからマティスは、しばし目を閉じた。
 ソマリア…。ソマリアには、嫌な記憶しかない。
マティスには、誰にも広言したことのない、身を切るほど辛い出来事が、かの地であった。
 
 もう20年以上も前だ。そんなに時間が経っていたのか、まるで昨日のことのようだ、と彼は思う。

目を閉じれば、モガデシュのヘリの中に、いつでもマティスは戻れるからだ。
 1995年、アメリカの陸軍特殊部隊(グリーンベレー)は、内戦状態のソマリアの首都モガディシュに、反政府軍の将軍とその副官2名の捕縛作戦を展開すべく、150人の先鋭部隊を送り込んだ。これは国連主導ではなくアメリカ軍の単独行動だった。
 その150人の中に、若きマティスも加わっていた。
本部の予測では、作戦行動は約30分で終了するとの目論見だったが、実際には脱出まで15時間以上を費やし、2機のヘリと20人の同胞を銃撃戦で失うという悲惨な結果に終わった。
目的とした反政府軍首脳3名は捕縛できたため、作戦上は成功と記されているものの、実質は失敗だった。

これはマティスの人生で、最も辛く、生涯忘れられない戦闘だ。
 グリーンベレーは、夜間、軍用ヘリ・ブラックホーク4機で首都の中心、目標としていたビジネスセンタービルの横の空き地に、上空でヘリをホバリングさせたまま80人の部隊を送り込んだ。
そこに地上部隊が合流する予定だったが、モガディシュ市内は、予想してなかった高いバリケードが張り巡らされ、合流が遅れたのだ。
そのため孤立した降下部隊80名は、約1500名以上の反政府軍と対することになってしまった。
 しかも反政府軍は、ソマリアの住民を盾にして銃撃戦を仕掛けてきたのだ。
住民を避けて反撃することは、もはや不可能となり、80名の米兵は、住民であろうと銃撃せざる得なくなった。
 その結果、暴徒と化した大勢の住民が、まるでピラニアのごとく米兵に襲い掛かった。その暴徒を隠れ蓑に、反政府軍が次々に銃撃してきた。
 そのときマティスは、上空のブラックホークにいた。捕縛した3名の監視のためだ。下では、悲惨を極める戦闘が起きていたが、本部の指示は「上空待機」だった。反政府軍はロケットランチャーで、既に2機のブラックホークを撃墜していたので、これ以上、撃墜されたら下の同胞の脱出手段が絶たれ、それこそ全滅だ。
 その時、マティスの横にいたジェームズ・ドラント軍曹が、本部に自身の降下を求めた。撃墜された2機目のブラックホークのパイロットを助けるためだ。しかし、本部は許可しなかった。
そのとき無線で地上部隊からの緊急コールが入り、瓦礫(がれき)を積み上げたバリケードの上でタイヤが炎上しており、近づけないという絶望的な状況を知らせてきた。
 それを聞いたドラント軍曹は、単独降下を決意した。下は、地獄絵図のような銃撃戦のさなか。地上部隊の合流も、すぐには見込めないのにだ。
マティスには止められない。止められるはずがない。こういう時、真っ先に行くのが、ドラントという男だった。これまでもずっと一緒のチームで戦ってきた。いつも、いつも背中を見てきた。仲間を絶対に見殺しにはできない男。最も信頼できる男、それがドラントだ。
そのドラントが振り向いて、マティスを見た。その時のドラントの目を、マティスは一生忘れない。
ドラントは言った。
「お前は生き残れ!そして二度と、こんな無謀な作戦を立てさせるな!」
そう言い残すと、彼は降下した。
 生きているドラントをマティスが見た、それが最後の姿だった。

 ドラントの遺体を回収したのはマティスだ。
 マティスは、ドラントの遺体を抱きしめた時の感情を思い出す。それは、紛れもない絶望だった。その後も生きられたのは「二度と、こんな無謀な作戦を立てさせるな!」という、彼の言葉を実行するためだけだった。
 
それ以来、マティスは今まで独身を貫き、戦略を立てることに生涯をかけてきた。
 調査し、分析し、計画する。常にリスク管理した作戦行動を練ってきた。マティスの功績で、合衆国の戦略技術は、格段に向上した。
 ストイックなマティスの生き様は、いつしか「戦う修行僧」などと呼ばれるようになった。だから、誰も知らない。マティスの中に、今もドラントがいることを…。
マティスは思う。
ゲイだとかノーマルだとか、誰が区別するんだ。そんな区別によって、自分の大事な気持ちが貶められるのなら、区別する方が間違っている。
 誰かを思う。その感情に名前を付けるのは、自分自身のはずだ。マティスのドラントに対する、この感情。これを「愛」と言ってはいけないのなら、何を愛と呼ぶのか。
 
 マティスは目を開けた。
仕事の時間だ。二度とドラントのような犠牲を出さないために。
 調査し、分析し、計画する。幾度もシュミレーションしてリスクを排除する。
 マティスは目の前の大型スクリーンを見る。そこには俯く多くの人質が映し出されていた。
 約2000人近い人質がいると思われるが、恐らく大半は既に殺された可能性が高いとマティスは見ている。テロリストからしたら、人質が多すぎるのだ。

 真夏、室温、外気の温度。
 クーラー、水温、飲み水。

 突入し、制圧するだけなら簡単だ。なにしろ自然史博物館だ。これは国立の博物館なのだ。真の「国立」の意味をタンゴは知らない。それを後で嫌というほど、味わってもらおう。
 マティスは、大型スクリーンから目を移し、自身の前にパソコン3台を並べて、次々とパスワードを入力する。
  彼は、通常、4台のパソコンを同時に使う。今回は少ない方だ。
  そして、片手でスマホを操作し、ケネディ副長官を呼び出した。
  ケータリングサービス会社社長に接触した人物の捜査の関係で、ワシントン市内の警察署に出向いているケネディに電話し、ホワイトハウスに戻るよう指示した。
  大型スクリーンの前でパソコン操作をしていた士官が、後ろを振り向き、マティスの仕事ぶりを目の当たりにした。
 3台のパソコンを、さならがオーケストラを指揮するように操作しながら、あちこちに電話し、次々と指示を出し、そして答えを待って電話を切る。

 長官の頭の中は、どうなっているのだろう。そんな顔だ。
 
 仕事の時間だ。マティス国防長官の本領が発揮される仕事の時間だ。


※マティス国防長官の過去として出てきたソマリアでの戦闘は、1993年に米国がソマリアで実際に行った作戦をモデルにしています。これは非常に残酷な戦闘でした。
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