王宮の書類作成補助係

春山ひろ

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34. 王妃様の夏の晩餐会予算申請と地雷を踏んだカスハラ子爵令嬢⑥

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 さて、地雷を踏んだカスハラ令嬢アンは、貴族牢でなく一般牢に丸三日、放置された。ごつごつした石牢で、寝床は堅いベッドに、ペラペラの臭う布団が1枚。デイドレス1枚のアンは寒さのあまり「ブランケットを頂戴!」と騒いだが、牢番から「うるさい」と怒鳴られただけだ。

 そして出された食事は1日1回、硬いパンと水。水だけは大量に置かれたが、どれだけ声を上げても完無視の状況が、小娘に残っていた最後のプライドを砕いていった。

 だから四日目に牢から出て騎士団による取り調べを受ける頃には、アンは怒鳴ることなく、正直に答えた。
 どうしてマルコを知ったのか、書類はどこから入手したのか、どうやって入手したのか。こういった尋問にはまだ答えやすかった。
 しかし動機。
 尋問官に動機を聞かれた時には口ごもった。さすがに恥ずかしかったのだ。

 だが、権力をバックにした横暴な人権無視の昔の刑事ドラマの取り調べより、もっと容赦ない尋問官だった。
 それは大昔のアニメ「巨人の星」の主人公星飛雄馬の父親・星一徹が乗り移ったかのような、鮮やかなちゃぶだい返しならぬ机返し?の洗礼だった。
 ぶるぶる震えたアンは全てを話した。話し終えたあと、また独房に戻された。

 そして五日目。父親であるモニング子爵が独房にやってきた。うずくまっていたアンは「お父様!」と叫ぶ。
 この五日で子爵は10歳老けた。娘のやらかしを聞いた時、子爵はすぐさま宰相に辞職を願い出たが、「陛下はそれを望んでいない」と告げられた。嫡男次男も同様である。妻はすぐに離縁させられ、男爵家に戻された。

 「陛下は私に爵位返上、辞職はせずともよいとの温情を下された。私は一生涯、王家に尽くす。だがおまえは今後10年、王家から監査人がついて、無給の労役をしながら徹底的に教育を受ける。王妃様への傷害未遂を考えれば、こんな罰は温情だ」
「…そ、そんな…。だ、だって、私、し」
「知らなかったというのか。女官長に知らずに罪を犯したら無罪になるのかと指摘されたであろう。
 むろんおまえの教育をアレに任せて放棄した私は悪い。
 だからその報いは受けよう。だが社交界に出て、他の令嬢と会話をし、いかに自分が物知らずか、それに気づくことができなかったお前も悪いのだ。とにかく家には戻れない。どこで労役に服するのか、それは陛下が決めることだ」
「お、お母様は?お母様に会わせて!」
 子爵はうんざりした表情で、「言っておくが、私に妻はいない。お前の母親は男爵家に戻った。以上だ」と答えると、その場を立ち去った。


 その後、アンは王家保管書類の虫干し係として10年労役に服しながら、貴族として再教育を受けることになった。

 王家は建国以来の書類を全て保管しているので、虫干し係は重要任務だ。
 どっかの裁判所が貴重な証拠を破棄したというが、それとは正反対!

 ちなみに10年というのは、オリアナの貴族令嬢は、6歳から社交界デビューまでの10年間で教育を修了するので、アンの再教育の年月も10年とした。

 さて、虫干し係は、書類を1枚1枚、丁寧に干し、干した書類の下に虫よけの香を焚く。それを延々と繰り返す単調な仕事だ。

 当初、全く反省できなかったアンは乱暴に書類を扱い、否応なしに手に鞭が飛んだ。明らかに不満たらたらで作業していたアンだったが、ある時、1枚の書類に目を止めた。

 それは8年前、王家が主催してマルコの実家で行われた式典の予算申請の書類だった。
 開催主旨として「王家よりも早く王都民のために人的金銭的援助を惜しみなく行ったことに感謝するため」とあった。
 この時の自然災害ではモニング子爵のタウンハウスも全壊し、アンは寝る所がなく、兄たちと一緒に仮設住宅に身を寄せ、侍従や侍女が配給の炊き出しに並び、食べ物を入手していた。

 その仮設住宅、そして炊き出しも、全てマルコの実家の援助だったと知ることになった。
「焼きたてのパンじゃない」
 配給のパンを食べながら、そんな我儘を自分が言っていた頃、マルコは10歳で王都復旧の手伝いをしていたのだ。
 アンに反省の色が見え始めた瞬間だ。
 
 これ以降、アンは中身を見ながら書類を干していった。

 ある時に見つけたのは、アンが暴言を吐いた見合い相手、ゴビン男爵作成の小麦貯蔵倉庫改築工事の申請書類だった。王家がハリケーン被害以降、王民のために小麦を貯蔵していることすら知らなかった。
 アンが散々にバカにした男爵は立派な仕事をしていた。

 またある時は、社交界で何度が話した事のある、アンより身分の低い男爵令嬢が、自領地内に病院を建設してほしいという嘆願書を見つけた。目的欄に「悪性の風邪が流行したため」とあった。
 父である子爵から「社交界に出て、他の令嬢と会話をし、いかに自分が物知らずか、それに気づくことができなかったお前も悪い」と言われたが、それは本当だった。
 この令嬢に自分は何をしたのか。身分が低いから、容姿が十人並みだからと、上から目線でバカにした。
 しかしこの男爵令嬢は、領民のために嘆願書を出していたのだ。しかも彼女が16歳の時に。

 恥ずかしかった。途方もなく恥ずかしかった。

 さらにアンは、戸籍の出生届、死亡届、貴族の婚約届など、ありとあらゆる過去の書類を見た。これらの書類は全て国の歴史そのものだ。国を動かすには、これだけの書類が必要なのだ。書類の影には何倍もの人がいる。

 たかが書類、されど書類。

 これに気づいた時、アンの本当の反省が始まった。監査人による教育にも熱を入れて取り組んだ。そして教育と労役の成果で、10年後、自分の仕出かした事件がいかに恥ずかしいか、いかに愚かなことかと、心の底から反省できる人間になった。

 アン28歳の時、監査人から「教育は終了したので、社交界に出ようと思えば出られる」と言われたが、「オリアナ初代カスハラ令嬢」という恥ずかしい異名を持つ身。
 アンは「とても出られませんし、出ようとも思いません。どうかこのまま書類虫干し係として雇ってもらえないでしょうか」と懇願して、亡くなるまで職務を全うした。

 なお、父親の子爵当主、それに嫡男と次男、そして母親の実家である男爵家は、王家主催の「貴族のあり方・カスタマーハラスメント撲滅推進協議会」の中で、実名を挙げ「アン・モニング子爵令嬢のケース」として、毎年春と秋の年2回、全貴族の前で娘の一挙手一投足を正確になぞり、最後にダダン公爵より「これは極めて悪質なカスハラです」と、トドメを刺されることが、彼女を野放しにした報いだ。

 文字通り、針の筵。

 娘がこれほどの事を仕出かしたのに爵位返上や懲戒処分もしないと、王家の評判はうなぎ上り。
 よって子爵らの周囲は「温情を受けたのだから、馬車馬のごとく働くのは当然」という雰囲気が出来上がった。
 だから子爵らは必死に身を削って職務を遂行。
 ある意味、自らの才を王家に捧げたわけだ。

 男爵家はこの協議会への出席以外では社交界に出ることはなく、いつの間にか貴族籍がなくなっていた。
 ちなみにアンの再教育のために雇った監査人の給料は全て子爵持ちである。



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