(仮)暗殺者とリチャード

春山ひろ

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8.ガーデンパーティー 当日、嵐の前の静けさ編

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 雲一つない青い空がどこまでも続く。
 ああ、あの空の彼方へ行ってしまいたい。

 思わずここから逃げたくなるのは、恥ずかしさからだったりする。
 だってさ、俺は昨日の夜、オリバー様の前で号泣しつつ、いつの間にか爆睡。
 思い出すだけで恥ずかしい!
 
 すごく恥ずかしかったのに、心はこの空のように晴れてる。
 不思議だなぁ…。


 なんて思っている俺は今、庭園が一望できるバルコニーに立っていた。腕の中には天使。脳みそが詰まっているからか、最近、とくに重くなった天使を抱っこするのは、長い時間は無理になった。
 でも「マヌ~」といって両手を上げてばんさいされると、思わず頬をすりすりして抱き上げてしまう俺だ。
「きゃー、マヌ~、くすぐったい!きゃはは」とか言ってピンクのほっぺで、ケタケタ笑う様子は、定例会議や勉強の時に見せる大物ぶりとは別人だ。はぁ~、かわいい!

 まずい、ほんとに現実から逃げてしまった。

 今日はガーデンパーティー当日。
 バルコニーから下を見れば、4つの列がはるか後方まで並んでいた。王族以外、当家のボディチェックは子供も大人も関係なく受けなければならない。

 このボディチェックを始めた当初、身分の上の貴族から順番に受けさせろという要望が出たそうだ。特に二つの公爵家からは強いリクエストがきたという。
 そこで、検査は並んだ順番に行うので、早く受けたいのであれば、早くお並びくださいと返答したところ、二つの公爵家が遺憾の意を表明。
 これを聞いた、当時まだ幼女だったアナベル様は激怒して「当家の方針に従えないのであれば招待しないと返答ちて!」と泣き叫び、オリバー様は子の望みだからと、そのまま言葉を飾ることなく全貴族へ手紙を書いたら、謝罪の嵐が吹き荒れたそうだ。それ以来、二つの公爵家も大人しく列に並ぶようになったという。

「そんなこともあったのよ。うふふふ」
 バルコニーからその嵐を巻き起こしたご本人、アナベル様が天使とそっくりな笑い方で教えてくれた。

「でもね。並んだ順番と告知したら、それはそれで問題が発生したの」
「どんなですか?」
「御者だけ乗った馬車を前々日から大門前に並ばせる貴族家が出たのよ!つまり、場所取りよ」
「場所取り?それも前々日から??」
「そ!ガーデンパーティーは初夏に開くのが当家の習慣でしょ。前々日から並んだら、熱中症で倒れる御者が出るわ、当家の敷地を取り囲んで並ぶから食材の搬入に支障をきたすわで、大騒ぎになってしまってね。慌てて、前々日と前夜から並ぶのは禁止にしたわけよ」
「そ、それは難儀でしたね」
「まったく、欲に取りつかれた貴族家ほしょくしゃは始末に困るわ!まあ、そんな彼らのおかげで、うちに一番近いホテルはかなり恩恵を被ったから、多少は良かったけど。前々日と前夜から並ぶのを禁止にしてから、貴族家ほしょくしゃたちは前夜にそのホテルに泊まるようになって、ホテルは大儲け。兄上がホテルにガーデンパーティーのシーズンをハイシーズンに設定して、料金を倍にすべしと入れ知恵してからは、さらに売り上げが倍増したそうよ。おかげで毎年、パーティー前にはホテルから母上に珍しい植物が送られてくるわ。貴族家ほしょくしゃの唯一の社会貢献ともいえるわね」

 はあ。そんなところにまで影響が。もはやこれは社会現象というヤツか?

「あの、自分はボディチェックとか手伝わなくていいんでしょうか?」
 今日は家令のレイモンドさん以下、みんな凄まじい忙しさだ。普段は冷静な彼らが、絶対に邸内を走らない彼らが、サラブレット並みの脚力で右に左に大忙し。それなのに招待客の前だと完璧な振る舞いに徹するのだから、ほんとにプロだ。それを見てると、俺だけ何もしないのがちょっと辛い。

「なにをいうの!マヌーシュにはリチャードの手綱を引くという、最重要任務があるじゃない。いいこと。最終兵器というのは使ったらおしまいなの。兵器はあるぞ、あるぞと匂わせてこそ、最大限の効果をもたらすのよ。リチャードが本領発揮して、小賢しいお子ちゃまたちを蹴散らしたら、思いっきり甘えさせてあげて頂戴。それがマヌーシュの重要任務です」
「はあ…」
 アナベル様のいうことは、ときどき分からないけど、今回はなんとなく分かったような気がする。
 
 2階のバルコニーから見ると、列の中にはかなりの数の子供がいた。この中で4歳以下の子は150人。それが「小賢しいお子ちゃま」なんだろう。

「マヌーシュ」
 列を見ていた俺にアナベル様が声をかける。
「今日のマヌーシュは、とてもいい顔をしているわ」
 そして声を潜め、小さい俺に合わせてアナベル様はかがんで「昨夜の父上からの手紙の効果かしら」というものだから、俺は真っ赤になってしまった。

「むぐっ」
 それはあっという間に起きた。俺の腕の中の天使がアナベル様の顔面を真正面からちっこい手で押さえたのだ。アナベル様は完璧な淑女らしからぬ不思議な声を出した。
「姉上、近すぎ!マヌは僕のでしゅ!」

「あら、ここに掴みやすいボールがあったわ」
 いうやいなやアナベル様は天使の丸っこい頭を鷲掴み。
「いっちゃ」
「なら手をどけなさいよ」
「いやでしゅ!」
 美少女と天使の攻防。この二人は…。

「おまえたちは何をやっているんだ…」
 呆れ声はガブリエル様だ。
 今日のガブリエル様は天使とお揃いのスカイブルーのジャケットに金糸の花の刺繍が入った衣装だ。ちなみにアナベル様も同色のドレス。この青は大公爵家の色だという。三人ともオリバー様によく似た人間離れした美形なので、並ぶと壮観だ。

「失礼します!伝令です!」
 緊迫した声で侍従がバルコニーにきた。そこに伝令役の侍従も入り最敬礼。
「伝令!大門の捕食者選別担当のルーク様より。偽招待状の持参あり。被疑者はコリアナ子爵。透かしは本物、封蝋が偽!被疑者はルーク様に対し『執事ごときが無礼な!』との暴言を吐いたとのよし!既に被疑者は王立騎士団に連行!以上です!」
 ガブリエル様が「ごくろう!」と労う。

 ガブリエル様とアナベル様、それに天使が顔を見合わせた。
「となると工房に侵入して当家のデザイン手帳を盗んだのはコリアナ子爵ね」
「そうだな。子爵自身が強盗に入らずとも手の者を使ったか。この場合は強盗強要及び当家への不法侵入」
「それに詐欺罪と上位貴族への不敬でしゅ」
「ああ、そうね。ルークは伯爵家の三男。その彼に暴言を吐いたんですもの」
 そっくりな超絶美形三人組が悪人面で声を揃えて「うふふふふ」と笑う様は、はっきりいってホラー。

「取り潰しだけでは済まないわね」
「当然だ」
「連座責任で一族にも罰が必要でしゅ!」
 なんとなくこの場から去りたくなったのは俺が小心者だからなのか。

 再び伝令が来たことを侍従が伝えた。今度は別の伝令役の侍従が「伝令!ルーク様より。捕食者選別終了!ルーク様は本邸に戻り、ボディチェック担当に入るとのことです!」

 そこに家令のレイモンドさんがきた。
「王家より先触れが参りました。王族方は全員、あと1時間ほどでご到着になります」
「ありがとう、レイモンド。では我々も迎賓館へ移動する」
「はっ!」
 
 王族方は本邸に併設している迎賓館で出迎えるのが慣例なんだって。わざわざ王族のためだけに迎賓館を建てるんだから、ほんとにびっくりだ。
 そうか、これから王族に会うんだ。俺なんかが会っちゃっていいのか?

「大丈夫でしゅよ、マヌ!みんな一緒でしゅから」
 抱っこから手つなぎにし、バルコニーから2階の廊下に出てから、隣をとことこ歩いている天使がいう。
 みんな一緒。そうだ、みんな一緒だ。
 
 昨夜のオリバー様の手紙を思い出した。
 息子…。
 息子だって。


「ちぇっ」
 なぜか隣の天使が不貞腐れた。え、なんで?
「狭量な男ね、リチャードは!マヌーシュ、リチャードはね、父上にヤキモチを焼いたのよ」
「え?」
「だってぇ、マヌが父上を思い出ちて、ニヤニヤするから!」
 天使はその場に座り込み、体を丸めていじいじ。かわいいな。

「あのね、思い出したのはオリバー様じゃなくて、オリバー様からの手紙ですよ」
 天使はチラッと俺を見て「…同じでしゅ」と再びいじいじ。まずい。火に油だったか?

 俺は必死になった。
「あ、あのオリバー様からリチャード様の手紙は20冊あるって聞きました。すっごく楽しみ!」
「…それ、いつの情報?すでに30冊でしゅ」
 えーー!?
「ちなみに私は15冊目に突入したわ!」
 えーー!?
「え、アナベル、15冊目?僕も15冊になったところだよ」
 そこにガブリエル様が参入。

「兄上、王配教育でお忙しいのに、ほんとにマメね。いつの間に?」
「アナベルこそ、王妃教育に時間を割いてるくせに、いつの間に?」
「あら、私は就寝前にマヌーシュ宛の手紙を書くのが習慣になっておりましてよ。あっという間に20頁は進みますわ」
「へえ、それは奇遇だね。僕もだよ」
 なぜかガブリエル様とアナベル様が張り合い始めた。

「まあ、二人とも僕にはかないましぇんね。ぶっちぎりの30冊目突入!」
 今度は天使が二人を煽る。
「リチャードは口述でしょ!ルークのペンだこ、見た?小さい豆が育って、今ではガトー豆くらいに育ってるわ」
「そうそう。ほらごらん、僕のペンだこもよく育ったよ!それもこれもマヌーシュへの手紙のおかげだ」
「あら、兄上。私は両手使いですのよ。だからどんなに書いてもペンだこができませんの!」
「口述だからって、差別は反対!エリー兄上だって口述だけど、まだ20冊を超えたところでしゅよ」
 なぜか天使が胸を張る。

「それこそいつの情報だよ!エリオットはもうすぐ29冊目が終わるところだよ。『マヌーシュと緑のモンスターの追いかけっこをした下りだけで5冊はいったよ』と言っていた」
「え?エリー兄上が??ちぇ!僕には20冊って、言ったでしゅ!」
「不甲斐ないわね、リチャード!まんまとエリオットの策に溺れるとは!そうやって油断させたのよ!」
「ちくちょー!今夜だけで5冊分は進めるでしゅ!」
「ルークの手が死ぬわ!」
 アナベル様が叫び、天使が地団太踏んでいた。




 今日は大公爵家のガーデンパーティー当日だ。このパーティーは、この国一番の規模を誇るという。定例会議やら衣装やら。それにオムツ改良計画だって。そのすべてが俺には初めてで…。


 空は雲一つない青空…。オリバー様からの手紙だけで俺は嬉しくて…。それなのにみんなして俺に手紙を書いてるという…。俺は孤児で暗殺者で他国の人間で…。それなのに。おっかしいな。


「マヌーシュ様」
 レイモンドさんだ。
「これを」
 ふわふわの綺麗なハンカチ。ハンカチなら俺も持ってる。ここにきていろんな人に涙を拭いてもらった。

「失礼いたします」
 レイモンドさんが涙を拭いてくれた。


「あー!マヌがレイモンドと浮気してるでしゅ!」


 この天使の叫びが可笑しくて、俺は泣きながら笑った。こんなに騒がしいのに、これが嵐の前の静けさだったんだ。
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